かぼちゃを頂いたので、かぼちゃのクリームスープを作った。
好きな味。
美味しさを旦那にも味わって欲しいけど、かぼちゃは苦手なんやって。
でも、私もネギが嫌いで美味しいから食べてみって言われても腹が立つので、無理に食べてもらおうとは思わない。
だけど、息子達が一緒においしいなぁと言ってくれたので嬉しかった。
かぼちゃを頂いたので、かぼちゃのクリームスープを作った。
好きな味。
美味しさを旦那にも味わって欲しいけど、かぼちゃは苦手なんやって。
でも、私もネギが嫌いで美味しいから食べてみって言われても腹が立つので、無理に食べてもらおうとは思わない。
だけど、息子達が一緒においしいなぁと言ってくれたので嬉しかった。
あれは海外で起きてること、自分の生活には関係ない、と思ってたことが、社会人になってから倍増した生きづらさと繋がっていることを感じ取れたとき、そのままの生活を続けることはもうできないと思った。
もしムシャクシャしているなら、気持ちをしずめてください。もしイライラしているなら、もうイライラしないでください。あなたの感情的反応がどれほど正当なものであろうと、それらの感情にとらわれることによって得られるものは何もありません。何かがあなたの気に障(さわ)っていて、やっかいな状況を好転させるあなたの能力を損ねています。なので、ぜひとも広い心を持って、冷静に、知恵を働かせてください。配慮と思慮をもって必要な手順を踏んでいってください。常に目標に集中していれば、強い感情にふりまわされずに済むでしょう......そうすれば答えがはっきりと見えてくるはずです。
従兄弟が精神的に病んで仕事を辞める寸前だという。
長く仕事は休みをとっているのだとか……それを言った後で父は
「だったら、稲刈りを手伝えばいいのに」と言い放った。
むかーしむかし、私が仕事で心を病んだときも同じことを父は言った。
「勤め先の仕事をしないなら、農業手伝え」
……病状は悪化したが、たぶん父は気が付いていない。
父の中ではそれは『良い事をした』事になっている。
『つまらない事を考えるから、心を病むんだ。仕事をすれば、つまらない事は考えなくなる』とでも、思ったのだろう。
確かに他の仕事が必要な時期もある。
けれども、疲れ切った心に必要なのは『休み(寝ることや、散歩など軽い運動)』であって、『農業』などという重労働ではない。
仕事をしたらした分だけ、しない時に落ちる。もしくは、仕事でのミスが増える。頭が働かないから仕事をしないのに、農業ならできるという思考はどこから来るのだろうか。
と思うが、精神論の中で生きて、それが上手く作用して全てが順調に行く時代に生きてきた父には今の時代は理解できないというのも判る。
精神論は通用しない。
頑張れば頑張っただけ消耗するしかない。未来の見通しは全く立たず、『働いても働いても我が暮らし楽にならず』が目の前にあれば、生きる張り合いもない。
経済成長はとっくに天井に届いて、外国人労働と言う奴隷を雇って格安労働に切り替えようとしている国でどんな『働けば働くだけ楽になる』未来が想像できるのだろう。
……それが想像できるのは裕福層だけと思ってしまう。
人との距離感とは本当に難しいもの
今悩んでることの大体はこの問題だから
甘やかされて育った彼や
高校の時の同級生など
距離を測るのが苦手で
つい突き放してしまう
近づきすぎないで欲しいけど
でもそばにいて欲しい
スッとただ何も言わず横にいるだけでいいのに
みんな余計な口をはさむから
そっと見ていて欲しい
私がそういう人になれば、
きっとそういう人が集まるのかな
うるさいのを我慢してたら頭痛がしてきた。
今日頭痛薬を飲んだら4日連続になってしまうからもう寝る。
頭痛は嫌だけど、14時頃までは自由に過ごせたから幸せだった。家で自由に過ごしたのは久しぶりだ。
10時頃にうとうとしてしまって、夜なのか朝なのかよくわからなくなった。でも、こういうのが嬉しくて素晴らしい日に感じられた。
明日も自由な時間があるので噛み締めるようにしたい
秋だからか更年期だからか
気持ちがふさぎがち
お天気もぐずつく日が多いせいか
体が重い
少し前なら
体も心もリフレッシュするよう試みるんだろうけど
そんな元気も体力もない
ただただ流れに身を任せ
抵抗しない姿勢をとっている
だから余計に気が重くなるのだが...
こんな時は視覚から元気をもらう方法があって
明るいもの
赤、オレンジ、ピンクなど
身の回りのものを華やかな色にすると
気持ちが上がるらしい
青や黒が好きな私の周りのものには
確かに華やかな色はない
今日から少しずつ
文房具から揃えてみようかな
問題の核心に迫るためには、時間ばかり食っている今の活動の裏で何が起こっているのかを見ていく必要があります。誰かの反抗的なふるまいの動機になっているものは何なのでしょう? あなたは細かいことの一つひとつまで理解しようとすることに自分の時間のすべてを捧げることもできれば、宇宙がわりとはっきりとあなたに伝えようとしていることを素直に受け入れることもできます。すべてが正しいプロセスを介してあるべき形で展開しています。「間違ったこと」をしてしまうのではないかと心配するのをやめさえすれば、あなたがこれまでずっと正しかったことに気づけるでしょう。
いじめはなくならない。
だっていじめるやつはどこにでもいるから。
悪いやつと、いいやつ、どこにでもいるから。
表裏一体、それが人間だとも思うから。
嫌なヤツは職場にも大人になってもどこにでも発生する。
なんと厄介。人間とはどこまでも愚かなものだ。
中学生ときにいじめまがいのことがあった。
大嫌いな男子がいた。
私のこといじめてた。
母親に相談した。
母は言った。
「そいつはな、かわいそうなやつやねん、そんなことぐらいしか楽しみがないねん、かわいそうやろ、そいつも人間やねん、そうやねん、かわいそうなやつやねん。そいつのことは、かわいそうなやつやな、と思といたらええねん。」
あまりいい解釈ではないが、母の出した結論はそれだったらしい。
あー、そうかー、なんかみんな悩んでるんやな、そいつも、何か悩んでるんやろな、そっかー、頑張れそいつ!!!と何故か私は思った。私おかしいですかね。多分おかしい。
全然そうじゃないかもしれないし、そいつに聞いたわけではないが、勝手に思った。
そいつらには余計なお世話かもしれないが、私は勝手に思った。
母のこの持論は、ひねくれている。
相当ひねくれていると思う。
あまりよろしくない解釈かもしれない。
おすすめはしない。
だがしかし、それ聞いてからは、そいつのこともあまり気にならなくなった。
あー、みんな人間やもんなーと、俯瞰してみれた。
人間だから、人間だからこそ、悪いやつらもいるのかなとか。
そして冷静に対処した。
悪いやつも、過去に何かあったのかなとか。
そら、何かあるやろなと。
そいつはそれからは、あまりいじめてこなくなった。
ある日、そいつがシャーペンを落とした。
私が拾ってあげた。
そいつは遠慮がちに言った、「ありがとう」。
なんだ、そういうところがあったのかよ。
結構いいやつじゃん、いいところがあるんじゃん。
少し感動したのだった。
人間関係は、今日明日すぐに変わるものではない。
悪いやつが、なぜ悪いやつになったのか。
私はそれが知りたい。