「太ったー」と言うと「私は痩せた、20年前から食べても何キロ以上は超えられない」って聞かれてもいないのに言ってくるのが会話泥棒というのではないかな?
賽銭箱に10円を入れて、額に見合わない大量のお願いをしてきました。毎年のことで、さすがの神様もあきれているでしょう。昨年は残念なことに手術を経験し、体調面に不安を残す結果に。今年はせめて、健康に暮らすことだけでも聞き届けてくれないかな。要再検ではなく経過観察で。宝くじ当選までは望みません。動機の不純な参拝を終えて、おみくじを引いてみますと結果は中吉。しあわせは、大きすぎず小さくもない、まんなかあたりがちょうどいい。
境内に戻ると振袖姿を見かけました。冬の北海道。雪でボコボコの道を歩くのは大変そうだけど、新たな年の風景としてはよいものです。が、その横にはチャラい男のすがたも。ふたりだけで来ていると思われるパターンもいくつか。" お正月は一家そろって参拝 " なんてイメージは古いのでしょうか。社殿を背にしたカップルの、このあとは。そこで一句。
母が締め 彼が帯解く 初詣
さらに一句。
彼が締め 母が見破る 初詣
年明け早々、こんな発想をしているようでは。来年から本気出します。
昨日から飲みだしたコーヒー、美味しいな。
何気にコーヒーの値段も凄い上がっていてどうにか踏ん張って欲しいと思っているところです。
コーヒーに合うチョコレートも高いので私の嗜好品が大変なことに。
実家にはおせちや雑煮やその他の「しきたり」的な色々があって、それは絶対の正義なんだと思ってたし、なんか堅苦しいとも思ってた。
正月を自宅で過ごすようになっても何年かは実家のやり方を踏襲してたけど、だんだん食べたいものだけ食べたいように用意してたら、実家のやり方から離れて行きそのうち勝手にやってた色々なものが毎年恒例になっていった。
あ、なるほど、こうやってしきたりみたいになっていくのかと感じた。
実家のしきたりは何だか合わなかったんだけど、自分で作っていった恒例のものは心地いい。
ある程度決まってたら何も考えずに用意出来るしね。
しきたりみたいになってしまうと楽ちんだ。面白いもんだね。
あけましておめでとうございます
昨日は4割引の小さなおせちセットを買えたので、ちょっと正月感が増したような気がします。
あと1時間もしたら
今年も終わる。
年女の1年間は
これといって
デカい出来事もなかったけど
元旦那の返済終わらせた
来年買い換えようと思ってた車壊れて
とりあえずのやっすい車買う羽目に。
まぁ健康に過ごせたことが一番ね。
来年はもっと穏やかに過ごせるいいな。
大みそかのテレビって疲れるから実は苦手です。
家族がいるとどうしてもテレビがついてるから疲れる。
ちょっと消すチャンスだったので消したら静かで良い。
「それ、わかるー私もこういうことがあって⋯」
これ、必ずしも会話泥棒じゃないですよ。物凄く共感して、相手に寄り沿ってるつもりで言っている人も多いですよ。
頷いているけど聞いていない人、そのタイプも結構いますよ。
結局のところ、私たちが矛盾を許せるかどうかは、その矛盾が「自分を飾るための武器」になっているか、それとも「自分の弱さから漏れ出たもの」なのか、という点にあるのかもしれません。
すき焼きを食べても、すぐに胃もたれをするようになってしまいました。
若い頃の宇宙空間のような胃はどこにいったのかな