ブワッと今 気持ちが破裂した。
昨日の出来事がキッカケだと思う。
私に触らないでほしい。
私は大切にされたい。
軽く、雑に扱わないでほしい。
悔しい。すごく、悔しい。
ブワッと今 気持ちが破裂した。
昨日の出来事がキッカケだと思う。
私に触らないでほしい。
私は大切にされたい。
軽く、雑に扱わないでほしい。
悔しい。すごく、悔しい。
最近は冬休み夏休み一言日記みたいのがないみたい。
あれ嫌いだったから私の子どものときから無くして欲しかった。
⋯というのが冬休みの一言日記です。
今日は起きた途端に頭痛い。
薬も効かぬ。
だから寝る。⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀
無理に馴染もうとしなくていい。狭い箱の中で感じる孤独は、自分を守ろうとしている証拠だ。他者を「木」や「石」のように眺め、自分もまた「風景」としてそこに在る。人間関係を自然現象のように捉えられたら、もう少し楽に呼吸ができるはず。
スーパーに行ったら納会の買い出しの会社員と思われる方が何人かいた。
会社員だとそういう感じだよね。でも、もう働けないかも
「受け入れる」とは、決して一方が忍耐を強いることではありません。
互いに程よい距離を保つことこそが、真の意味での受容ではないでしょうか。
一見すると距離を置いているように見えるかもしれませんが、そうした関係性こそが自然な形なのだと考えています。
今年のクリスマスに焼いたシフォンケーキは成功した。
たまたまシフォンケーキばかり焼いてるSNSの動画を見る機会があって、それ見ててイメトレしたのも生きた。
更に、生クリーム増量出来るミルククリームの作り方もたまたま見つけて、今回はいつもの4倍のクリームをタップリ盛り盛りして食べた。大満足!
断る部分はなんとか断って自分なりに過ごしていけるように、そこそこやってるつもりです。やっぱり自分のキャパってどんなことにでもあるからそれを超えたことってやるのは難しい。キャパ超えしたいなら計画を立てて、拡張工事します!くらいにやっていかないと無理かな。でも、工事なんて無理かな、もう。
裕福な家庭ではあった。
お金の心配なく、暮らすことができた幼少期。
両親は働いていた。
そのおかげで裕福だった。
裕福の基準は人によると思うけれど、家にお金を入れてとかなく、学費の工面もなく、学生を満喫できた。
小さい頃は、冷蔵庫に食べ物が絶対にあった。
それは、子どもたち用のもの。
だから、私はたくさん食べるし、しんどそうな人に食べ物を送ってしまうのかもしれない。
食べてたら寂しくないし、美味しかったらニコニコしちゃうし。
と、思うのも、私のパートナーが私より遥かに裕福な家庭(経済力はとびぬけている)なのに、
ネグレクトで食べる物に困っていたということを知ったからなのかもしれない。
だから、私は、自分が家にいないときは、食べる物を作り冷蔵庫に入れている。
でも、それは、パートナーにとって どうなのだろう。
口に合わなくて食べていないときもある。
だれかと暮らすのはむずかしい。
やっぱりクリスマス料理投稿ありました。
そこに添えられているのは料理じゃない他の感情だったな。
いつもそれは変わらない