※重たい話なので、閲覧注意。
TVerで某番組の「アウシュビッツ収容所」取材を見始めた。
まだ全部見ていない。
オープニングからヘヴィーすぎて、一旦休止中。
ランチのおともにサラッと見ようなんて、馬鹿なことをしようとしたと反省。
序盤で、リポーターのお二人が、歴史の課外授業に来ていた現地の小学生たちから「中学に上がったらアウシュビッツ見学に行く」と聞いて、感心していた。
「日本人が修学旅行で、原爆ドームに行くのと同じだな」
と仰っていて、悪意のない言葉だけど、あー……と思ってしまった。
日本人が原爆ドームに行くことは、とても大事だ。
後世に、世界に、残さなければならないこと。
でも、ポーランドの子供たちがアウシュビッツに行くことと、日本人が原爆ドームに行くことは、同じではない。
アウシュビッツは、ナチス・ドイツが占領下のポーランドに建設した収容所。
ポーランド人自身も多くが犠牲になった場所だ。
一方で、ポーランド社会にも、ユダヤ人迫害に加担した人々がいた。
もちろん、救助に命を懸けた人々もいた。
だからこそ、単純に「ポーランド人は加害者」とは言えない。
ただ、自国や社会が関わった歴史から目をそらさず、向き合うことも大切だと思う。
日本も同じだ。
日本人は、原爆の被害を受けた。
けれど、それによって日本が他国に行った侵略や支配の責任が消えるわけではない。
どちらがいい悪い、ではない。
被害者であることと、加害者であることは両立する。
歴史を学び、後世に伝える。
その大切さは共通している。
でも、歴史的な背景まで同じではない。
一緒にしちゃいけない。
私も大学で、ほんの少しユダヤ文学をかじった。
アウシュビッツから生還した女性の体験を、直接お聞きする機会もあった。
テレビでは見せられないような、当時の内部映像も見た。
吐き気がするほど凄惨で、今思い出すのもキツイ。
それらを見せた後、教授が話していたことを思い出す。
ドイツやポーランドでは、歴史の過ちを繰り返さないため、後世に伝え続けていること。
そして、被害者への補償や責任追及が行われてきたこと。
その後、教授がぽそっと呟いた。
被爆国とはいえ、日本は過去の過ちにどれだけ向き合ってきたんだろうな、と。
それが印象に残っている。
大学が被爆地に近い地域にあったから、大きな声では言えなかったのかな。
あの言葉を聞いていなかったら、私もリポーターのお二人と同じ発言をしたと思う。
お二人は真摯に番組制作に挑んでいて、何の他意もなかった。
だからこそ、そこにある隔たりの根深さを感じずにいられない。
どっちが悪い、ではない。
どちらも、歴史の中で加害と被害の両方を抱えている。
被害に大きいも小さいも、そりゃある。
でも、被害は被害だ。
比較するものではないし、大きな被害を受けたからといって、罪が帳消しになるわけでもない。
番組では、ポーランドの子供たちを引率していた先生方に、外国人であるリポーターの二人がすれ違いざまに尋ねていた。
「アウシュビッツ収容所にも連れて行くのですか?」
先生方は誠実に答えていた。
でも、それって、かなり失礼じゃない?
浅草を歩いているアメリカ人に、いきなり「原爆資料館には行きました?」と聞くようなものじゃないか。
番組を通じて、そうした教育の取り組みを知れるのは有益だと思う。
批判したいわけじゃない。
ただ、あまりにもデリケートな問題で、
どこに気持ちを昇華すればいいのか分からなかったんだ。