2025.04.18Fri
非表示 06:01

手頃で美味しかったとしても、容器が弱ければ買わない。
少なくとも私はそうしたいと思います。
中身を守る外見も大事です。

2025.04.17Thu
非表示 15:54

約束してるのに
誘われたからそっちにいきたい
だから別日に変更できないかって
なんで?
そっちを別日にしようという気はないのか?
ないから聞いたんだよね。

私の返事はもちろん、どうぞ。ですよ。


非表示 12:24

お日様の匂い〜って嬉しそうに洗い立てのタオルに顔を埋める(埋めていたかは朧気)柔軟剤のCMが好きだった。わかるよ、お日様の匂いってあるよね。実際はお日様に香りなんてないのかもしれないし、違う匂いなのかも。だけどなんか落ち着くんだよね、お日様の匂い。柔軟剤はほのかにふんわり香ると嬉しいな。


非表示 12:19

「本当にやりたいこと」は「何もしない」ことなんだよな。
プーさんと一緒。もしかしてくまのプーさんの「プー」てそういうこと?


非表示 10:43

今の職場、基本的には今までを考えたら天国みたいなところで、定年までずっと勤めたいと日々思うような場所なんだけど、自分が苦手だと思いもしなかったことが分かるようなこともあって人間的に未熟だと思い知らされる

例えば自分から手を上げて発案、リードを取って推進するってことがよく求められるんだけどこれがかなり苦手だってわかった
なんでそんなにストレスになるのか考えてみたら、まず手を上げてリード取るとなると、当然自分の案についていろんな人があれこれ言う、それに慣れてないからだと思うけど言われたことをいちいち真に受けて悩んだり反発したりする
それに、自分はこうしたい、という思いを出しすぎたら周りの人の反感を買ったり興味を失ってしまう(「じゃあ好きにすれば?」)んじゃないか、という恐怖心もあると気づいた
多分単純に自分がいいと思うやり方について何か言われるのが嫌だ(逃げたい)という気持ちもありそうで、それは何かきっと更に根深い問題に原因がありそうだとも感じている
果たして自分はそうやってリードを取るってことはしたくないのか、それとも単に慣れてなくてやり過ごし方やリードを取ることの楽しさを知らないだけなのか、やってみなきゃわからないから挑戦はしてるけど、自分の根っこにあった未解決の問題がゴロゴロ明るみに出る感じでかなり痛みを伴う


非表示 10:29

手作り弁当の衛生面が気になるから、食中毒が気になる季節は思い切って弁当をやめよう!とはならず、アレコレ対策して弁当を続けさせようとするのが日本っぽいと思いました。

2025.04.16Wed
非表示 16:07

カレンダーは家族の予定を書き込んで使うので、永遠に使えるみたいな日めくりカレンダーって日めくりが手間だしわたしは選ばない。
家族がデザインもちっとも好みじゃない日めくりカレンダーを買ってきて、そこは違うだろってとこにぶら下げた。3ヶ月くらい経つけどたいしてめくってないし、自分の部屋にぶら下げてもらいたい。
ここまで書いて、ああそうだわたしには自分の部屋もないんだわと気づく。


非表示 14:28

もう2・3年前だろうか。
自分が妄想の世界に迷い込んでいた時に、「それ、妄想だよ」と誰かに言われてその世界から抜け出すことができた。
それから一年後、また症状が出たときも、「本当は何も考えていない、妄想」と誰かが繰り返し言ってくれたおかげで妄想の夢から意識を取り戻すことができた。
あの声はいったい何だったのか。

2024年、去年の12月。
一連のものとは少し違った声がした。
脳内に「頑張れ」と一言、その言葉が響いたと同時に、かなり攻撃的な言葉がずっと浮かび上がってくる。
当時、自分の意識はハッキリとしていたので、何だか不思議になってしまったことをよく憶えている。

攻撃的な言葉は「頑張れ」に対してのものなのだろうか。
オタクとしてはこの心霊的で脳病的な脳の働きに興味がある。
もうホラーゲームみたいで面白いよね。

(*6ω6)まじで脳外科とお祓いに行きたいわ~。


非表示 09:33

自分の話というよりは家族の話になってしまったけど、それも自分を構成するものだからしょうがないかなとも思うのです。

2025.04.15Tue
非表示 13:15

40にもなって、きっと多くの人は10代〜20代で気づいたりぶつかったりするんだろうな、と思うような自分の育ちに根っこのある問題に今頃気づかされる。
自分に逃げ癖があること。立ち向かって潰れるより上手に逃げられる方が賢い、と思ってたけど、それとは全然別の次元で、人から何か言われた時に反射的に否定や批判だと思ってすぐ言い訳したり(その癖はだいぶ直ってきた)、否定したりする癖がある。小さい頃からずっと、親を始め人から何か言われるとしたら褒め言葉だったことはたぶん一割以下で、ほとんどの場合は遠回しなものも含めてネガティブなものだったからだろうと思う。だから咄嗟に何か言われる=怖い、嫌だ、やりたくない(できない)、という気持ちが先に出てしまう。それに周りも気づいている、ということを教えてもらって(決して嫌味ではなく)、愕然とした。そんなつもりなかったのに、すごく無責任に見えていたんだなと。相手を「この人は自分を傷つけない」と信用をしていないということでもある。まず「うっ」と思ってしまう気持ち、反射で返したくなるのを堪えると、相手の言っていることがそこまで理不尽じゃないと分かることに気づいた。この繰り返しで克服していくしかないんだろうと思う。
判断や答えを他人に求める癖もある。今の職場が「自分で考え自分で答えを出し、それを発信し責任を持つ」方針で、そこで初めて自分は生まれ育った家庭も学校も今までの職場も、とにかく合わせることを求められてきたんだなと気づいた。その癖はそう簡単には抜けなくて、自分がどうしたいかより先に「それはこの集団において評価されることか・価値があることか(そうでないなら無駄だからしない)」を考えてしまう。それが悪いとは思わないけど、自分がどうしたいか、どう考えるか、それはなぜなのか、を考えてみたら、その方が楽しい。なかなか抜けない癖だけど、これも気づいたらまず一歩かも。
いくつになっても発見はある、といえば格好いいけど、ただただ恥ずかしい。

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