近所でお祀りあったけど、毎年行かない。
家族が去年手伝わされてたなー
そこに住んでるだけで手伝わされる罰ゲーム。
住民税も固定資産税と払ってるのにね⋯
あー
お腹すいたー
もー朝ごはんは食べたのよー
それなのにぐうなのよー
どうしたもんかねー
⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀
「〇活」という単語をそのまま出すと、それだけでヒステリックに反応したり、説教モードに入ったり、謎の地雷を踏んで勝手に爆発したりする人、本当にいますよね。何かしらコンプレックスとか苦労とか伴う活動だったりする場合は特に。でも、そういった「単語の強さ」にしか反応できない人たちに疲れるんですよ。
そんな話じゃないよ?って思ってます。単語が出て来てるだけ。単語が。その単語でご飯何杯も食べてそうだなと。胃もたれしそう。
来月末に45歳になる。
40代後半から一気に老ける、と散々聞いてきたけど、まさにそれは感じていて。
お出かけする気がなくなった。
疲れやすくなった。
油物が受け付けない。
(もともと興味が薄かったけど)ファッションや美容への興味が薄れた。
それが寂しいことなのかというと、ちょっと違って。
不要なものが削ぎ落された感じ。
30代までは、何者かになりたくてあがいていた。
若さとエネルギーと自意識を持て余して、とにかく「なりたい自分」「やりたいこと」「目標」に向けてがむしゃらに。
いわゆる「恋も仕事も遊びも全力」の姿勢を良しとしてた。
忙しくしてないと勿体ないと言わんばかりに。
でも、40代になって徐々に、疲れてきたのかな。
新しいお店開拓や、車での遠出がしんどくなってきた。
ハードな格安旅はもう無理で、新幹線での旅行もおっくうになるくらい。
コロナもあったし。
体力に限りが見えてくると、必然的に自分にとって優先順位の低いものが削られていく。
見栄や野望や世間の指標なんかに自分を合わせる気力がなくなっていくと、どんどん解放されていく感じがあった。
家で過ごすことが増えたのに、ずっと自由で開放された気分だ。
疲れやすさに若いころの体力カムバック、と思うことも、もちろんある。
でも、30代の女性たちが「キャリアも美容も推し活も婚活も!」とすごい頑張ってるのを見るにつけ、
あぁ、あんな頃あったな
と、思いつつ、疲れてしまうのでそっと目を逸らすことが増えた。
見てるだけで疲れるというか。
自分以外の何かになりたくてひっしだった。
もっといい自分になれると信じてたし、努力も惜しまずに。
でも、結局残ったのは自分だった。
諦めでも絶望でもなく、ただ、ここに、私が残った。
あの頃無我夢中でもがいたから、今の自分は思い描いた姿と違うけど、でも好きな自分で、当時の私が見たら「えー・・・」とがっかりするだろう。
でも、私は今、当時よりずっと幸せだ。
足るを知るというか、身の程を知ったのか。
私に戻った、がしっくりくるのかな。
無理やり高い下駄をはいて更に背伸びしながら上を目指してた頃を今頑張る30代の女性たちを見てると思い出す。
悩んで迷走しながら努力し続けた。
あの頃の自分と重なって、まだちょっと直視できないんだ。
私にとって祖父母は、他人と同じカテゴリーだった。
そもそも家が遠くて、会えたとしても年に1回ほどだったのが、コロナの影響で数年間顔を合わせなくなった。
それが小学校高学年の時だ。
こちらからしてみれば、幼少期の記憶などほとんど無いに等しいのだから、祖父母という名が付いた他人である。
しかし、祖父母にとっては孫であり家族なのだろう。
中学生になって祖父母の家を訪ねるようになると、距離感の違いに戸惑った。
自分が許せる限界の線を、躊躇いもなく超えてくる祖父母に、嫌悪感を覚えてしまった。
丁度その頃、祖父が亡くなった。持病だ。唐突でなかったことも理由の一つだろう。
泣けなかった。
亡くなったと電話で聞いた時、姉も、母も泣いていたのに、涙なんて出てこなかった。
祖父母という名前の他人。そう長くはもたないと分かっていた。
泣くべき時だと分かっていても、葬式で何年か振りの、もう目を覚まさない祖父を見ても、揺れなかった。
中学三年生、受験生の年の夏、祖母を訪ねた。気は進まなくても、私にとって帰省は義務だ。
他人と何日も過ごす。田舎だから逃げる場所もない。
自分は気を遣って、笑顔を張り付けるけれど、相手はズカズカと踏み入ってくる。
泣きながら過呼吸になった。
きっかけはない。ふとした拍子に、受験生というプレッシャーと気疲れが押し寄せて溢れた。
それから二年。夜中に母が、妹を起こさないようにと抑えた声で、祖母が乳がんになったと言った。母は義理の祖父母を自分の両親より慕っていた。その母の声が震えているのにも気が付いた。
けれど、今度も私は何も言えなかった。
母の視線が痛かった。
祖母がどうなるかはまだわからない。母もそれ以来、触れてはこない。
しかし可能性が低いのは確かだ。
次は泣けるかな。
泣かないとだよね。
こんなことを考えなくても自然と涙が出てくるようになりたかった。
泣いたあとすっきりした。
人と関わるのは面白いことだと思った。
これからどんどん知らない自分と出会えるのかもしれない。
ありがと!
同じ事をしても「合理的!」と褒められる人もいれば、怠慢、ガサツと言われてしまう人間がいるのです。
もちろん、私は後者です。
私は本当は合理的なんですね。
例えば、自分はコーヒーだとします。それなのにコーラの味わいを求められたら混乱します。
何をしてもコーヒーはコーヒーのままでしかないんです。
だから、どんなに色が似ていても私はコーヒーの味しか出せないんです。勝手にガッカリされても私はコーヒーだから。
そんな日々です。
ここではないSNS
好きじゃない表現する人 ひたすらブロックしてる。
アルゴリズムで出てきて好みのはずなのに。
ちょいちょいきらいを混ぜ込んでくるのなんで。
好きな人が欲しいって口走ってる時は、絶対に好きな人作らないべき。
目がくらんでるから。
それはわかってるんだよね、、