以前から交流のあるオルガニストの人がいる。
ちょうど去年の今頃だったろうか。
その人と古いスペインの作曲家の曲で盛り上がって、いつか弾いてみたいと言っていた。
そんな話も忘れかけていた最近になって、あるオルガンのレッスンの動画を観せてくれた。
そのレッスンでその人が弾いていたのは去年話題にしていたあの曲だった。
動画は曲の最後の部分だけ。
でも、それを聴いただけでも期待以上の熱演で、何度も再生してしまった。
いつか全曲を通して弾いたものを聴いてもらいたいくて、1ヶ月ほど前からこっそり練習していたと告げられた。
普段は人一倍素っ気ないのに、そういうところがあるのが不思議な人。
まだそれが実現するのかどうかもわからないのだけれど、実現しなくてもその心遣いだけでもとても嬉しい。
退職から約3年が経過し、当時の職場とは音信不通となっていますが、結果的に私の不在は組織にとって好ましい状況をもたらしたと考えています。
在職時、私は「パートタイマーとしての契約(既定の業務範囲・就業規則)」を厳守して業務に臨んでいました。キャリアアップや過度な業務拡大は望まず、割り切って「時間内・規定通り」にこなす働き方を求めていたためです。しかし、そのスタンスが周囲には非協力的、あるいは不快に映ってしまったようで、私としては対応に苦慮しておりました。
特別なスキルや高い意欲をアピールして働くつもりはなく、あくまで契約の枠内で適度に就業したい自分にとって、その最低限の境界線すら受け入れられない環境であれば、退職を選ぶほかにありませんでした。
現在のあの職場は、業務範囲の枠を超えた柔軟な対応や、規定に囚われない進め方がなされていることでしょう。そうした空気感の中で、皆様が不満なく円滑に業務を遂行できているのであれば、お互いにとって良い結末だったと捉えています。
嫌いな人や苦手な人のSNSをわざわざ見るのは、きちんと今日もその人のことが嫌いかどうか確かめる役割があるんじゃなかろうか。
今日もムカついた〜と思うことで、自分の価値観がブレていないことを確認する。そんな感じだと思う。
こっちから頼んでないのに「アレ、買ってきてあげようか?」と言われてお願いしたら。アレを買ってくるのを忘れてるんだよね。買って来てくれるっていうから買ってこなかったのになー。しかも私から頼んでない⋯ってなる。微妙なモヤモヤ。けっこうそんなことがありがち。
「私は温かく見守ってる」というのをわざわざ主張するところが怖いんです。
それは温かく見守ってることになるんですかね?
おなかすいたな。
土日 私は引きこもっていた。
同居人は土日でかけていた。
土曜日は趣味。
日曜日は仕事。
出張も兼ねているので、いただいたお土産を渡された。
帰ってきたとき、私はキッチンにいて、おかえりーと声をかけた。(姿は見ていない)
そのまま自室へ行き、荷物を片付け お風呂へ直行。
なんかさ、私の顔を見ずにお風呂へ行かれたことが悲しいのよ。
玄関へ出迎えればよかったのかな。
お風呂から上がって、お土産の話したけど、
そういえば 彼の顔見てないや。
ずっとそんな感じ。
なんのための夫婦なんだろうね。
彼にとっては、今の生活は快適なんだろうな。
私は消えたいよ。
なんかずれてるんだよね。
問題はそこではない、そういう話じゃないんだ。
どうにもあわない。
井の中の蛙って感じだな。
先週、髪切ったら前髪がちょうど目にあたるのでかゆい。
でも、すぐにはそれのせいだとは気が付かなかった。
そういうもんである。
オンラインで仕事してるけど、待機時間が長すぎてウンザリ。
お客さん 誰も来なくても時給は発生するし、監視されてるわけでないので 自由に過ごせばいいんだろうけどいつ 呼ばれるかわからないので 落ち着かない。
忙しいのも辛いけど、私は暇すぎる方が辛いことを久々に思い出した。
在宅だから同じ 暇でもオフィスで 待機よりはずっと 楽なんだけど自分の存在意義 まで 疑いそうになってしまう。
病みかけてる。
お客さん来てくれればいい仕事するよー?
cutesyってわざとらしい可愛さ、みたいなニュアンスで使う言葉らしいです。
あざといとか、ぶりっ子とか冷ややかな意味で使われることが多いみたいですね。
なんでも過ぎると、キューティジーに見えちゃうから気をつけないと。まあ、大丈夫か、心配しなくても。