無理に馴染もうとしなくていい。狭い箱の中で感じる孤独は、自分を守ろうとしている証拠だ。他者を「木」や「石」のように眺め、自分もまた「風景」としてそこに在る。人間関係を自然現象のように捉えられたら、もう少し楽に呼吸ができるはず。
スーパーに行ったら納会の買い出しの会社員と思われる方が何人かいた。
会社員だとそういう感じだよね。でも、もう働けないかも
「受け入れる」とは、決して一方が忍耐を強いることではありません。
互いに程よい距離を保つことこそが、真の意味での受容ではないでしょうか。
一見すると距離を置いているように見えるかもしれませんが、そうした関係性こそが自然な形なのだと考えています。
今年のクリスマスに焼いたシフォンケーキは成功した。
たまたまシフォンケーキばかり焼いてるSNSの動画を見る機会があって、それ見ててイメトレしたのも生きた。
更に、生クリーム増量出来るミルククリームの作り方もたまたま見つけて、今回はいつもの4倍のクリームをタップリ盛り盛りして食べた。大満足!
断る部分はなんとか断って自分なりに過ごしていけるように、そこそこやってるつもりです。やっぱり自分のキャパってどんなことにでもあるからそれを超えたことってやるのは難しい。キャパ超えしたいなら計画を立てて、拡張工事します!くらいにやっていかないと無理かな。でも、工事なんて無理かな、もう。
裕福な家庭ではあった。
お金の心配なく、暮らすことができた幼少期。
両親は働いていた。
そのおかげで裕福だった。
裕福の基準は人によると思うけれど、家にお金を入れてとかなく、学費の工面もなく、学生を満喫できた。
小さい頃は、冷蔵庫に食べ物が絶対にあった。
それは、子どもたち用のもの。
だから、私はたくさん食べるし、しんどそうな人に食べ物を送ってしまうのかもしれない。
食べてたら寂しくないし、美味しかったらニコニコしちゃうし。
と、思うのも、私のパートナーが私より遥かに裕福な家庭(経済力はとびぬけている)なのに、
ネグレクトで食べる物に困っていたということを知ったからなのかもしれない。
だから、私は、自分が家にいないときは、食べる物を作り冷蔵庫に入れている。
でも、それは、パートナーにとって どうなのだろう。
口に合わなくて食べていないときもある。
だれかと暮らすのはむずかしい。
やっぱりクリスマス料理投稿ありました。
そこに添えられているのは料理じゃない他の感情だったな。
いつもそれは変わらない
用事があるから大掃除の日は早く帰るとか、そんなに大人数出てもすることないんじゃないかって、わたしに言わないで。意見があるならしかるべき人に言ってくれ。わたしだって出たくて出るんじゃない。
去年の年末の大掃除の日あなた出なかったじゃん。しかも来年年明け休むんだから、文句たれてないで気持ちよく今年を終わろうよ。こういう人ってとことんこういう人だな。
最近小松菜のソフトふりかけにハマってる。
小松菜は買ってきて茹でてもさほど人気がなく、麺つゆと油揚げで作る煮浸しならまあ何とかみたいな感じでワンパターンになりがちだった。
ネット記事か何かで「秒で消えた」と書いてあり、ちょうどふりかけ的な何かが欲しい時だったので作ってみた。
小松菜ふりかけは割と各所で作られてるみたいで、複数レシピが存在した。
その中で大体家にあるからすぐ作れる鰹節とゴマのレシピをチョイス。
ちょっと味付け濃いめの炒め物なのでとても簡単。
細かく刻むのがちょっと面倒だけど、個人的にはまるまる茹でたりレンチンして後処理する方が面倒くさいと思ってたのでそっちの方がありがたい。
作ったふりかけはふりかけとしても美味しいんだけど、調味料的にも使えて便利だった。
釜玉うどんやラーメンに入れるとほぼ味付けになって美味しいし、卵に混ぜて焼くのもいい。
なくなったら作る、ヘビロテ作り置き(と言いつつ置いてる暇ない)になった。
レシピは半束で作られてたけど、そんなの本当に秒で無くなるから2束で作ってる。
今回気付いたんだけど、小松菜は濃い味付けの方が食べやすいかも。
おひたしとか煮浸しの時には感じてたクセみたいなものを感じない。
今度は釜揚げしらす買ってきて違うバージョンも作ってみたいな。
ケーキに乗ってるサンタクロースの砂糖は、サンタクロースのチョコレートにしてくれたほうが嬉しいけど、砂糖サンタクロースがほとんどなところを見ると、コスパの問題なのかもしれない。
ケーキに乗ってる家はチョコの家だったりするから不思議だ。