最近本は割とKindleで買ってしまうんだけど、スマホから買うのがとても難しい。
わざわざブラウザからAmazonにインしてるのに自動的にアプリに飛ばされちゃうからわざわざ解除しなきゃいけないのがダルい。
結局iPadから買う事が増えてる。iPadにはあえてアプリ入れてないから。
スマホの方も削除すべきか…でも今度はそれも面倒。iPadから買えるからアプリ解除方法もわざわざ調べてない。
結局いつもiPadからまとめ買いみたいになっちゃう。
やっとファミレス行こと昨日何食べたの新作読めるぞ!
誰かを慈しむことも、疎ましく思うことも、今の私には少し荷が重すぎる。
人の心に触れるということは、自ら進んで感情のジェットコースターに乗り込むようなものだ。
期待という頂上へ向かってゆっくりと昇り、裏切りや失望という重力に引かれて一気に突き落とされる。
その落差に、もう心は追いつかない。
スリルを愛するほど若くもなければ、無謀でもないのだ。
遊具など何ひとつない、静まり返った遊園地。
そこをたった一人、自分の歩幅だけで歩く時間は、何よりも贅沢で、凪のように穏やかだ。
最近、蕪にハマって食べている。
大根とは違ったホクホク感が美味しい。
なんで今まで食べてなかったのかな。
実家で出たことがなかったからかも。
腹をくくった、全部できるようになってやる
後出しジャンケンで週1でも居座ろうって考え方、図々しい、気にくわん、そのうちやめるんだろ
昔から負のパワーがわたしの原動力だ
ここで私も愚痴ってるから同類なのかな。
友だちが、会社の人の文句をLINEで送ってくる。
大変なんだろうな。と思うけど、
愚痴を投げつけていいと思われていることが何よりも悲しい。
宅配便、トイレ行っているときに来る問題はどうにかならないもんか。
こうもいつもピンポイントだとこわいよ
感情や精神論は一旦横に置こう。今の自分というシステムを、次のフェーズで動かすためのパッチを当てているだけだ。バグが出るのは承知の上。効率良くアップデートを済ませて、さっさとこの面倒な作業から抜け出したいだけだ
おそらく一番小さな社会、
家庭という世界の中で紛争が起きている我が家。
とうとう誰も寄り添えなくなって、
孤立している「大黒柱」は
これからどうするつもりだろう。
側近の私ですら見限っているというのに。
自己顕示欲なんて、結局は誰の心にもあるものだ。こうしてわざわざ「公開」の場に言葉を置いている私だって、例外ではない。けれど、現実の友人に自分の日常を届けるSNSだけは、どうしても理解が追いつかない。
実生活のコミュニケーションでさえ悩み抜いている私には、発信したいことを迷いなくアップできる人々が、まるで違う生き物に見える。彼らは人間関係に苦しんだ経験がないのだろうか。料理やプレゼント、子どもとの生活。伝えたい想いは私にもあるが、指を動かす前に「否定される恐怖」が喉元までせり上がってくる。
これでいい、そう客観視できるからするべきだ。
深夜、一時的にIさんから抜けて彼のところへ行った時、他のフレといそうなら声かけるのやめるかと言い出した。
正直、そんな事をされると私は永遠に嫌な思いをする。
だって私から声かけたって君は来てくれないじゃないか。他を優先してしまう。私は君が最優先なのに。だから君から声をかけてくれないと私は君に会えない。会う勇気も気力もわかない。
小さい不満をまた募らせる。
気を紛らわせるために遊び歩いているけど、理由は君とのことだけじゃないよ、と嘘もセットの言い訳を出して、いつでも来るよ、と彼が好きそうなワードを並べて線をつないで、でも他フレを優先した。翌日はリアルを優先に。
そうしたら寂しがった。夜、ゲーム鯖へ行ったら彼が優しかった。
だから、たぶん、きっと、それでいいんだと思う。
やっぱりずっと悲しい。