2年以上かかっていた仕事が、やっと終了した。
頓挫して、一年後に振り出しに戻って、その間もあまりすんなりとはいかなかったが、とりあえず終わった。
そう思ったら、この週末の睡眠は深く、いつぶりかなぼんやり。
昼間から長風呂をして、コンビニスイーツでお三時。
粛々としたひとりの家時間だけど、こんな時間が、とんでもなく愛おしく、今噛みしめているところ。
1年前の昔のニッシを読んでたら、真面目さ9割、図々しさ1割で頑張るみたいなことを書いていた。
あれ、これ割合、逆で良くない?真面目さ1割、図々しさ9割でいいんじゃないか?さすがに人間としてダメ?
それか真面目さ1割、図々しさ2割、後の7割は余力。こっちがいいかも。
1年前の私がおかしかったのか、今の私がおかしくなったのか?
どっちでもいいけど、1番大事なのは余力を残すことかもしれない。
さて、1年後はどんなことを戯けているか楽しみにしておきましょうか〜。
せっかくだからってめっちゃいい言葉じゃない?
せっかくなんだもんやった方がいいよ!って背中押される気がする
こんな機会ないよ、もったいない!やったほうがいいよ!って言う心の中のポジティブが湧き出てくる気がする
いやいやでもだけどって言うネガティブ君よりなんとなく強い気がするんだ
こんな状態なんだもん
せっかくだからね!
在宅ワークもう1年経った
始まりたては心が折れたもんだ
だが、もう慣れたもんだ
自宅がオフィスになっただけだと
どうやってモチベーションを上げるか、が
だんだん
今日のタスクってこんなもんだっけかと
いかに仕事しているって見られるか、になり
だんだん
やることだけやってりゃいいやと
どうやって仕事をせずにサボれるか、に
まさか俺がこんなふうになるなんて
プライベートなんていらないと思ってたのに
プライベートを手に入れた瞬間
プライベートの使い方がわからず
プライベートをつまんないように使い
プライベートをさらに渇望した
しっかり楽しもう
しっかり働こう
しっかり生きよう
人生に申し訳ない
しっかり生きよう
雪は降り積もったら雪掻きとか大変だけど銀世界になるから好きなんだよね
いま住んでる所だとこの時期にしか味わえない美しさがある
銀世界は冷たく寒いけど夜でもキラキラと輝く美しい風景はとても綺麗で心を惹かれるものがあるんだよね……
きょう、ありとあらゆるものをリセットしました
自分の生活を改めるためでした
不必要に食べない、しゃべらない、わらわない
そのように過ごしていくために
過ごすというより、やり過ごすために
今年は「◯◯◯だから◯◯◯でないといけない」という思い込みの考え方が覆されるようなきっかけが突然起こり、すべてが一変する出来事に出会うから。貴方は準備期間がないと受け入れられない性格だけど、その時のための準備をしておいて。
悪いことじゃなくて、仕事や日常生活である日を境にガラッと変わるから。
耳にした瞬間、「え、街でスカウトされちゃって芸能人デビュー?」なんて思ってしまったことは内緒ですが、思い込みを覆される、というキーワードに敏感に反応してしまったのです。
例えば、手作業だったものがPC導入でデジタル化が進んだ時。
例えば、ビデオテープからHDDレコーダーに変わっていった時。
例えば、娯楽といえば映画かテレビだったのが、今はスマホでネット閲覧になっていった時。
その時その時の時代の変化にすんなり溶け込めた年代からかなり時間が経っているのは事実で、だから古い自分の思い込みによるルールが出来上がっているから、ちょっとした変化に過敏に反応してしまうのかなあと。
「ほーら、人は人でしょ?」
そう考えたらなんにもイライラすることなくなるから。
いつも想像を上回ることを言ってくれるのは義姉。
すべてに達観してるというか、とにかく考えが大人以上なのだ。
物事の価値観はいとも簡単に崩される。
自分の常識は他人の非常識。
他人の常識は自分にとっては非常識。
とりあえず心の準備はしておくかなあ。
ここ三年で本格的に体型が変わり、どうやらそれが戻るには少なくとも年単位でかかると(色んな科の先生と話している感触で)よ~く分かった。
そうと決まれば、今着れない服は捨てるだけ。
ときめこうにもどうにとこうにも物理的に無理なので、某先生言うところのときめきもうんともすんとも起こらず、非常に楽な断捨離である。
何より、逃げ恥原作で読んだ「私服の制服化ワンピースVer.」をこの機会に取り入れてしまおうという算段にこれ以上ないくらいときめいている。
・長袖ワンピ6枚
・半袖ワンピ6枚
・長袖カーディガン(ウール&コットン各1枚)
・半袖インナー3枚(エアリズム)
・あったかインナー2枚(ヒートテックコットンクルーネックT)
・マタニティ裏起毛タイツ3枚
・レッグウォーマー2枚
・マタニティ長ズボン1枚(ズーティエアパンツ)
・コート(カジュアルショート丈&あったかめミディ丈)
前からあるメーカーの烏龍茶が好きで、他のものより好み。
昔からシェアを大半は占めてるあの烏龍茶です。
それを子どものころ家族に公言してたんですよ、「この烏龍茶が1番美味しい!」って。
当たり前のようにその烏龍茶のペットボトルからコップに注いで飲んでいたんです。そうしたら父親から「美味しい?」とか「いつもと同じ?」とかよくわからないけど、いつもと違う質問攻めにあったんですね。
そうです、ちょっとしたドッキリで他のメーカーの烏龍茶をいつものメーカーの烏龍茶のペットボトルにいれ替えたみたいです。
例の烏龍茶が好きだけど、他の烏龍茶が不味いというわけでもないから、そのまま気が付かず飲んでいたんですよね。
父親からした、子どもが偉そうにお茶の違いを語るのがウザかったのかもしれません。だからこんなことをされたのかもしれない。それか、ちょっとした遊びの延長といえばそうかもしれない。
もう父本人も忘れているくらい昔のことですけど、私はけっこう傷ついたんだと思います。今でもこうやって思い出すくらいですからね。
これが原因ではないけれど原因のほんの一部として、自分の好きなものを素直に語るのが苦手なのかもしれない。
自分の好きなものを誰かのバカにされる材料にはしたくないし、好きなものは好きなままで余計な負荷をかけたくないと思っています。
烏龍茶って身近すぎる生活の一部じゃないですか?烏龍茶にこんな思い出があるのは私くらいですよね。
飲んだ後に口がさっぱりする烏龍茶のように色々なかったことに出来たら違う性格だったかもしれないなぁなんて思いますよ〜。
「これでよかった」なんて本当は言えない。だって誰かを犠牲にしているんだから。
誰かを傷つけているんだから。そんな人目の前にして「私は幸せです」なんて言えない。
言う資格もないだろう。得た幸せは「あるもの」を捨てたから。
だから別の何かが入ってきただけ。それだけのこと。
過去をなかったことにするなんてこと、出来ないのに面倒臭いだけ。綺麗なもんだけ見たいから汚いもんは切って捨てるなんてそんな価値観クソ食らえ。
いらないからと捨てたゴミは一体どこへ行く。
汚いゴミも全部丸ごと抱えて愛してみろこの野郎。
私はそれでもやっぱりあなたたちの子供だと、そう言いたかった。
私はあなたたちのことが大好きだったと、そう言いたかった。
今も愛しているし、昔のように戻りたいと言いたかった。
無理だけどそんなことは。
私は父と母に言いたかった。
願っていたこともあった。あの人たちはどうだか知らないけど。
去って行った人間が野垂れ死にしようが勝手だけどそれでもやっぱり満たされないのは本当の家族はあなたたちしかいないのだと言うこと。私はやっとそれがわかったのだ。
失って気づくなんて、本当に馬鹿。多分今頃みんなそう思ってる。でもプライド高いから言わないだけ。かっこ悪い。自分が可愛いから認めたくないだけ。本当は家族が大好きなのに。
本当はみんな戻りたいはずなのに。それが言えないのは、自分が弱いから。
本当はみんな、わかっている。言えないだけ。