2022.08.11Thu
非表示 05:29

昔話になりますが、体調崩してしまったときに「自己管理がなってない」と言われてしまったことがあります。
昨今、あのウイルスが猛威を振るってますが、あの時のそれを言ってきたあの人は絶対罹患してないんだろうなと思い出しています。
自己管理大切っていうけど、それってそもそも何だろうのね?とハッキリした定義がよくわかりませんよね。
人に厳しくすると、自分は絶対体調を崩せないから表面だけでも優しくするってのが生きる術だなと思います。

2022.08.10Wed
非表示 13:54

なんか今は自由でいいのかも。

切りたいけど仕事があるからって切れない人間関係はないし。
子供もまだいないし。

楽しいって思える時間を多く作る生活をしよう。


非表示 08:03

アラフォーで独身で子供もいないけど
おもちゃ王国に行きたいのです。

子供のころ貧しくて、リカちゃんハウスや
シルバニアファミリー、ままごとトントン欲しかったけど
買ってもらえなかったの。

今なら自分で中古で安く買うこともできるけど
買ってもどうせ処分することになるしな、、と
踏ん切りがつかない。

だからおもちゃ王国に行きたい。
思う存分遊んでみたいのが長年の夢。

ただ、子ども嫌いなので親戚の子でカモフラージュというテクニックも使えないし
友達もいないので一人で行くことになるのは
ハードル高いなぁ

行こうと思えば車で1時間ぐらいで着くから
日帰りで余裕。

よその子供に紛れても大丈夫だろうか?
年齢的にはちょうどいいと思うけど子供並みに真剣に
遊ぶだろうしさすがにちょっと周りの目が気になる。

よそのお母さんに子守頼まれたりしないよね、まさか。
それより誘拐を疑われる方が怖いから
怪しく見えない服装で、、、って
何着ていけばいいの?

お母さんぽいコスプレすれば馴染むかな。
これ以上年齢が上がるとおばあちゃんの歳まで待たなきゃいけないから
今のうちに行っておこうかな。

ネットで同じような人探したけどいないんだよねこれが。
ソロ活は上級者だと思ってるけど思わぬ伏兵が現れたわ。


コンビニに行く回数と年齢と自由

非表示 06:15

私が中学生の時は学校にお金を持っていくのは禁止でした。当然コンビニに寄るなんてことも禁止だし、お金がないので寄れないですよね。
高校生になると、お金は持っていってOKになりました。朝学校に着く前にコンビニに寄ることも出来ます。帰りにもコンビニに寄ってお菓子とかジュースとか買ってました。
ただ、放課後になるまでは一回学校に入ると外に出られないので朝コンビニに行っておかないとしばらく行けないんですよね。お弁当じゃない日は親に500円を貰ってその中からお昼ごはんをコンビニで選んで買ってから学校に行ってましたね。でも、今考えると500円じゃ足りなすぎる‥飲むものはなるべく持参したり工夫したりしてましたが、朝コンビニに寄るために数分早く家を出ないといけないので飲み物の準備が間に合わず赤字のときもしばしばでした。
大学生以降は変な制約もなくコンビニに自由に行けるようになるんですけど、今は当たり前の自由がやっぱり若い頃はなかったんだなーとふと思ったわけです。
特に中学生から高校生になったときのコンビニ使用率の上がり方を思い出すと、グッと自由になった気がしますよね。
若いっていいなと思う反面、やっぱり自由じゃない部分もありますよね。コンビニひとつとってもそう感じるのだから、若さは不自由な時代とも言えますか。
今の記憶を持ったまま中学生や高校生に戻っても不自由なところばかりに目がついて楽しくないでしょうね。だから戻らなくていいんだと思います。コンビニのスイーツはあの頃より美味しくなりましよね。って何年前のことを言ってるのかは秘密です。

2022.08.09Tue
非表示 05:46

昔バイトしていた店に「○○さんと友達なんです!」といって応募してきた友達。○○さんは私のことです。
私に事前に報告があるならその応募方法もいいけど、「△△さんって知ってる?」とバイト先のオーナーから事の顛末を聞いたから驚きましたね。
で、一緒に働くことになるんですけど私はバイト先での自分っていうのと友達と会うときの自分が違ったりするので、ちょっと戸惑いながら働いていました。ちょっと談笑してただけのつもりが「バイトしに来てるんだからね、遊びに来てるんじゃない」と注意されたりしてました。他の人とも談笑くらいするけど、こんな注意のされ方はしないので、やっぱり友達感は出てしまったのかもしれませんね。でも、バイト先で出来た友達ではなくて、元から友達たからなーとどうしたもんかと当時まだ若かった私はモヤモヤしてましたね。20年以上経ってからこうやって言語化してますけどね。あの頃はそんなことは出来ずにいましたよね。
彼女のほうが先に辞めてしまいましたけど、やっぱり彼女もいつもの私と思ってたの違うと感じたのか居心地悪かったのかもしれません。でも、友達辞めたとかじゃなくてそれ以降も関係は続いていくので人としての相性はいいのだと思います。
あれから時は過ぎて、自分なりに色々な場所に所属してきました。そんな中で感じたのは人としては合うけどこの場所では合わないとか、この場所を抜けたら人として合ってたと思うけど合わなくなるとか、そういうことたくさんあったなと思い出しています。
この人合わないって人も仕事じゃなければそんなこと思わなかっただろうし、この人自分と合いそうだなと思っても一致団結感のあるこの場所じゃお互いを知る機会がなくて、それ以上仲良くならないとかもありました。
色々な要素がピッタリ揃って人との関係って作れて一歩先に進めるんだなと実感してます。この先、そういう人に会えるかはわからないですけどね。

2022.08.08Mon
非表示 23:09

今日会った人の言葉。

古いヨーロッパ映画のワンシーンの話になった。
若い兵士に女が「ただあなたの帰りを待つ」と言ったけど、女だってそう言ってくれる男に、出会った方がいいぞ。そういう男と出会いなさいよ。

80歳男性、絵師。

初対面で、そういう話も久しぶりすぎて、笑ってしまったが、80歳からすれば、自分もペーペーなのだと、妙に納得して、「そうですね!」といい返事をしてしまった。


非表示 22:44

平凡な日常や自虐ネタに見せかけてああここを強調したいんだろうな、自慢したいんだろうなっていうのが伝わる文章ってむず痒い。
ストレートにこれ見て!映えでしょ!ドヤ!が伝わるようなキラキラ系インスタの方がスッキリする。
オンもオフも主張が回りくどい人本当合わないなと改めて思う…


非表示 21:42

電波が通じればどこでも仕事できるノマドワークが
自慢だったのに、コロナで自由に外に出れなくなって早3年。
今はもっぱら家内ノマドをしている。

実家の一軒家に住んでいるけど、昼間は私しかいないので
フリーダム。
その日の気分や気候に合わせて、自室、テレビのあるリビング、
クーラーが一番効く和室など、日々移動して仕事。
所謂フリーアドレスのオフィスってこんな感じかもしれない。

最初は毎回パソコンバッグから出して仕事していたのを
お仕事用のワゴンを作ったり、
移動式のパソコンデスク(ワゴンキャリーの上に板のせた簡易デスク)にしたり、
試行錯誤の結果、行きついたのが、お盆にセットスタイル。

ワゴンやデスクだと場所を取るし移動が重い、かつ、
一々パソコンを出したりしまったりの作業が発生するのが嫌だ。
パソコンとタブレット(両方を仕事で使う)をすぐ使える状態にしたまま
持ち運びしたい!

という願いから考え付いた。

まずは百均で軽くて丈夫な板と滑り止めシートを購入。
横の長さはパソコンとタブレットが並べて置けるサイズを選ぶ。

板の両面に両面テープで滑り止めシートを前面に貼りつける。
その上にPCとタブレットをそれぞれのスタンドと一緒に設置。
タッチペンやイヤホン等の小物収納ケースとマウスも一緒に乗せたら
そのまま使いたい場所まで板をお盆代わりに運ぶだけ。

両面かつ全面に滑り止めがあるので、滑り落とす心配はなし。
お盆を任意のテーブルに置いたら、即PCとタブレットを立ち上げて
仕事モードになれるのが気に入ってる。

やらなきゃ、と思って4秒たつと人はやらない理由を考え始める、というけど、
このお盆にしてからは3秒で仕事が開始できるので良い強制力になってる。
場所さえあれば、煮物作りながら台所にお盆持って行って仕事の続きをしたり、
食事の前にパソコン片すのもお盆ごと移動させれば瞬時に片付くので楽。

これで特許取れるんじゃない?と思うくらいには自信作w

外で堂々と仕事できる日が来たら、私はスマホだけ持って出かける予定。
軽いPCを選んでも荷物には変わりないし、スマホだけで仕事が完結できるように
設定をして、さあこれから、って時に、コロナだかんね。
天気のいい日の公園や外出先での待ち時間にちょこちょこスマホで仕事してるけど
早くスマホだけで仕事したいな。
PCでする方がずっと早いけど、身軽さには代えられないよ。


非表示 21:17

家にあったステンレス製のマグを今更
愛用している。

これまで陶器一択。
猫がひっくり返さないように百均のシリコン蓋をかぶせてまで
拘ったのは、ステンレスだと味気ないじゃん、という理由。

でも、仕事道具のPCに生活のすべてが集約されるスマホ、
タブレットまで並んでる机の上に、あまりに無防備だよね。
珈琲こぼしたら目も当てられない。

というので、ステンレス製のマグ、蓋つき、を使い始めた。
冷めないからいい、と人々が言うけど、どうせすぐ飲み干すし、と
鼻で笑ってた私が間違ってたなぁ。

アツアツの珈琲もクライアントとの会議が終わる頃には冷めきっていて
それを仕方なく一気に流し込む、なんてことがなくなった。
会議後にリフレッシュで飲みたい珈琲が熱いのは嬉しい。
作り直さずに済む。

こういう事かぁ、と実感。
もちろん、しっかりした蓋がついているので倒れても安心。
今まで無視しててごめんよ。


非表示 06:21

母が亡くなって6年ほど経ちます。
6年経って思ったんですけど、死んだからといって美化されない部分ってやっぱりあるなぁと振り返って思います。
総合的には『普通の親』ではあるけれど、通知表みたいなものがあるとすれば、1とか2とかの教科もあるみたいに達してない部分があったよなーと思うのです。
こんなことは誰にも言えないのですが、本当は誰かに言いたいんでしょうね。毒親!とハッキリいうほどではないけど、私にとっては言って欲しくないこと、やって欲しくないことをされたという記憶は残り続けているのですから。
一緒に暮らしていた頃や生きていた頃は見えないふりをしていたんですが、亡くなって会わなくなって話せなくなって気づいたことがいっぱいあります。普通なら有り難みに気がついて感謝の気持ちでいっぱいです‥と書けばいいのでしょうが、まあ、楽になったこともあるよなというのが本音です。だからといって感謝していないというわけでもないし、そういう部分も覚えてはいます。
だけど、きっとまだ母がいる生活が続いていたら、6年の間に手に入れた自分でも見えない何かを手にしていないと思ってしまうんですね。もちろん、いなかったから失ったものや手に入れられないものもあったとは思うんですけどね。
ごちゃごちゃ書けないのでなるべく簡潔に言うと、母の価値観に合わせていた部分が無意識にあって、それが自分の価値観にもなっていたなーと思うのです。良い部分の価値観はそのままに、悪い部分の価値観は自然と消えたか、自ら捨てちゃったものが多いです。
それでいいのかなぁと思います。いなくなって悲しいという気持ちはあるんですが、それだけじゃない複雑さってやっぱりあるんだよなーと家族でも共有出来ない気持ちなので、ここに書いてしまいました。私だっていい子どもじゃなかったよねー、まあ、それはしょうがないです。感謝する部分は持ってますから大丈夫だと思います。

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