本日は古着屋さんに数点の衣類を持ち込んで買い取ってもらいました。
パンツが3本とTシャツが2枚と半袖シャツが2枚の計7点。
幾らになったでしょうか。
正解は2,000円とちょっとでした。意外。ただ同然みたいな金額だろなと思っていたので。
昔、小学生の時に漫画本を古書店に持ち込んで買取してもらった時に「ここが破れてる」とか「ここが汚れてる」とか店主のおじさんに言われて子供心に怖かった思い出があるんですよね。だから、そんなにブランド物とかでもない服だし二束三文で突き返されるんじゃないかと内心思ってたから意外でした。一応、季節を意識して夏物を持っていったのが良かったのかも。沖縄で買ったアロハとか。
で、嬉しかったのでちょっと良い酒を買いました。プラマイで言えばマイ。でもまあいいんですよ。気持ちの問題だから。良い酒も手に入ったし。
自分の機嫌を自分で取る。
これをした方がいいのは分かる。
他人に共感してもらうのもそういう人が身の回りにいるか?とか環境も大きいし。
でも、多分これはいわゆる会社や業務の話なんだろうな。
プライベートでやると心が歪む気が、する
悲しい事や不安をずっと心に抱え続けて、ネット漁って自分と似た質問がないか知恵袋でググる。
生まれた環境?生来の性格?気にしすぎ?暇?
どれもそうだという部分もあるし、でも全てではないことは否定できる。
あるYOUTUBEで節約するならって話で、人はさびしさからお金を使いがちなので友達がいればOK!って言ってて、何言ってんの??って思った。若干怒れた。
友達や周りに迷惑かけたくないから、せっかく会ったのにマイナスの感情を伝染させたくないから、代替や感情を消化するために、化粧するとかかわいいものとか、カフェ行って気晴らしとか、好きなものとかスイーツ買ってるのに。
そこで幸せを感じてリセットしてんのに。
友達を金かけたくないが為に探して、馬鹿じゃないの?
金守るために人に負荷かけんのかよ。
……………少なくともそういう人を友達だと思わないようにして、もしかしたら私の迷惑かけないの基準が厳しすぎるのかもしれない。
でもさ、自分にも言うんだけど、
自分の機嫌を自分で全部取ろうとすると孤独になるし、強くなりすぎるし、誰も手を差し伸べられないんだよ、差し伸べたいと思っている人でさえ。
人間は群れで生きる生き物なんだよ、きっと。
あんまりやると歪むよ。たぶん。
久しぶりに書きにきました。ここも入れ替わりが激しいのか、昔ながらの人がいるのか、わからないですが、はじめまして。
といっても匿名だから誰が誰だか、わかんないんですが(;´・ω・)(;´・ω・)(;´・ω・)(;´・ω・)さっきふと懐古厨じゃないけど「昔は良かったなあ。」なんてしみじみ思いました。
何がと言うと、ネット社会です。今の方がそりゃ格段に進歩してますし、いいですけど、スムーズになりすぎた分、なんか味気なくなっちゃったなあ、、、と思って。
こないだ自分、人生で初めてライン入れてみました。「おっそ!!」って感じなんですけど自分人生で初めてラインやってみました。すぐに削除して辞めてしまいました。友人には謝りました。友人には以前からめんどくさい人間と思われています。
入れてすぐに何故か心臓バクバクしてきて怖くなって即消しました。
人と繋がるのって楽しいけど怖い。私はメールと電話だけがあれば十分です。「無料なんだよ」とか言われたけど「いや、そうじゃないんだよ」と。なんか四六時中監視されているみたいでめちゃくちゃ嫌だったし、ラインやってるとなんかずっと友達のこととか相手のことが気になって
心が落ち着かなくなってきたのでこれはヤバイなと思いました。
パソコンでネットが出来るようになってスマホでじゃなくてみんなでカタカタキーボード打ってた懐かしいあの頃に戻りたいです。ほんとに。時は戻らないし、それを経てこの今に繋がっているんですけどね、なんか寂しいなー、と思ってしまいました。
私は90年代から2000年代初期ぐらいまでが一番好きでした。人も社会も。
この頃はインターネットと現実の区別がまだついてたと思う娯楽として。
人間って何なんですかね。より良い暮らしがしたくてみんなで色々考えて豊かになって進歩してたくさんの物を手に入れたとたんに「昔はよかったなあー。」って懐かしくなる。あの頃のみんなに会いたいし、あの頃の自分に戻りたいです。
心が変わってしまいましたね、今はみんな。
私もそうなのかもしれません。
昼に洋風肉ちらし寿司なるものを食べました。
美味しかったけど、途中でちょっと飽きてしまいました。
その肉が牛だと思って食べていたんですが、豚肉だったんですよね。牛なのに豚の味がするって何個か食べて気が付きました。
なんか人の味覚って思い込みに操作されるのかもしれません。
自分から縁を切った人にまでまた連絡しようかと思うのは、それだけ今弱ってるからなのかも。
誰も寄り添ってくれない孤独はある。
仕事柄、お客さんにはさんざん寄り添って励ます毎日なのに、私には誰もいないんだな。
もちろん、人とのしがらみを避けてきた私の生き方の結果だけど、唯一頼りにしてた家族がダメだと気付くのが遅すぎた。
まぁ、いい。
メンタル落ちたときに頼れるサービスはいくつかある。
ありがたく利用させてもらおう。
ここでいつも吐き出させてもらって、感謝してる。
ただ誰かに聞いてもらいたいだけなんだ。
寂しいよ。
いつもの喫茶店で昼飯を食べた。薄暗い店内、清潔感に欠ける客席、陰気な顔をした客たち、頼む度に具材の量が変わるメニュー。これでも一応チェーン店である。
居心地の良い店とは言えないが、オフィスよりは遥かにマシな場所だった。馬鹿みたいに盛られた玉ねぎを落としながら、私はホットドッグを貪った。茶渋のついたマグカップで珈琲を飲んだ。耳にはキングジムのデジタル耳栓を突っ込んでいる。
別にここで何をしたいわけでもない。本当はホットドッグや珈琲にも興味はなかった。オフィスと物理的な距離を取りたいだけだった。スマートフォンの液晶に表示された現在時刻をチラチラ見ながら、私はここで時間を潰す。
私にとって、ここは憩いの場ではなく避難所だった。不便で騒々しく、食料はあり、職場という災厄から少しだけ身を隠せる場所……。
ライターを忘れてたこと、すぐ気づいて
すぐ電話したのに、持っててってさ。
タバコの匂いが残った部屋で1人になって、
なんかずるいなって、そんな日曜の昼下がり。
匂いはいずれ消えるのに、ライターのせいで
いつでも思い出せちゃうね。
なんかこう齢をO40してやって気づけたんだけどさ。
人が話してると、共感しているつもりで私もそういう経験あると話し始める人いるじゃない。私それだった。それが共感していると伝える手順だと信じてたんだもの。
でもコミュニケーション上手と言われる人達ってそうじゃないの。
上級者:「つまりこういうことだね」って返せる。そして相手が納得する。
中級者:「なるほどね」など相槌のパターンが多い。そして相手が満足する。
低級者:「わかる~私もそれでさ~こういうことがあってさ~」そして相手が話したい気持ちがフェードアウト(関係性もフェードアウト)
低級者っていうか、価値観の近い…たとえば学生とか世界が狭くて親の教育水準が同じくらいだった場合それが通じたりもするんだけど、話し手より聞き手が相手との価値観を照らし合わせて満足するための会話(ああ、この人わたしと同じ感覚してる!嬉しいって伝えなきゃ!という気持ちが先行する)になってしまう。言葉のキャッチボールとしては双方がピッチャー状態になる。
上手な人はピッチャーから投げられた玉をくるんで、且つ、自分の考え方も上手につつんで返す。直接的ではない。ピッチャーが気づいてなかった気持ちや考えを気づかせるように返せたりする。いま、私の近くにそういう人がいて、それがまた20代っていうんだからもう自分は終わってるんだなと気づいた次第。
ああ~
外が暑いね。
夕飯作って外に出るかあ…。
早く来世にならんかなぁ。
ご近所だから苦手だけど見かける人がいます。
昨日も見かけましたが、目が合った気がするけど挨拶はせず。向こうは知り合いの誰かと話しているみたいだったし、これが正解かと。
また噂話でもしてんのかーって思いました。すごい噂話が好きな人っていますよね。昨日見かけたその人がまさに噂話が大好きな典型って感じの人で。
噂話でコミニュケーションとってるから、知り合いはとても多そうです。よく聞いてると大した話じゃないんですけど、そういうの知りたい人には需要あるのかもしれません。
100歩譲って噂話だけならまだしも、特定の誰かを悪く言ってコミニュケーションとろうとするところが垣間見えたので完全にこの人は無理だなーと。いい大人がキツイですよね。まあ、私もいい大人なのにそういう人とも上手くやっていけなかったんですけどね。
そもそも、いい大人ってなんでしょうね?いい大人には一生なれそうもないかな。
ストロベリームーン。
うまく撮れたから送るね。好きな人と眺めるといいらしいよ。離れてるから一緒に見上げられないけど、一緒に見てる気持ちになれたらいいな。綺麗だね。
じゃあ、またね。