病めるときはも健やかなるときも⋯の病めるときって風邪引いたくらいにしか思ってなくて、ちょっと看病してあげるくらいのことと思ってるというのをどこがで見て、それなーと思いました。
私の日々の小さな努力より、自分優先の人。
(私の努力なんて、ゴミの日にゴミをきちんとすてるくらい)
お皿洗ってくれたときに、乾燥機の上に私が洗った乾いたお皿があった。(乾燥機からすぐお皿を片付けなかったのがいけなかった)
洗って乾かされたお皿の上に、洗ったお皿を置こうとしたことに、私が怒った。
そしたら、洗ってくれてありがとうが先だろと言われたことがある。
あぁ、無理だな。と心が冷えた。
だから、私は何も言わない。
あなたが言っていることはわかる。
どうして、なんでも自分が否定されたと解釈し怒りをぶつけるの?あなたはなんでも正しい。
私のことバカにしすぎだよ。
バーミヤンで杏仁豆腐を食べたら美味しすぎて感動してる。
三杯くらい食べたかった。
器がプラスチックのものもあって、なんか落ち着く。
ようやく電話しようと思ったら、今日から3日間も休診だった⋯
ちょっと電話するだけなのにすごい面倒で、重い腰を上げたらコレで⋯
まあ、私が悪いんだけどさ
欲張ってはいけない。
昨日うれしいことがあった。
またあればいいな。
でも、欲張ってはいけません。
昨日はたまたまです。
好きってなんだろう。
好みじゃない指輪、私もいらないなー
サプライズって喜ばなきゃいけないから疲れるんだよね。
こんなことを思って言ってしまうのが冷たいと言われることもストレスになる。
現実を生きてるだけ
共通の敵を叩いて絆を確認し合う。負の連帯感は、時に愛よりも強固です。それが本能だとしても、あまりに虚しい仕組み。けれど、標的にされる経験が「察する力」を育てたのなら、それもまた、この不条理な世界を生き抜くための本能なのでしょう。
「あぁ、私しかいない」そう気づいた瞬間の、あの胸がすくような感覚。結局、私は一人が好きなのだ。寂しさよりも自由が勝る。独りでいることを「強味」だなんて言い張って、自分を納得させている部分もあるけれど、あながち間違いじゃない。
「少人数でアットホーム」なんて言葉に騙されてはいけない。そこで合わない奴と二人きりになったら、それこそ地獄だ。ハモらないメロディを延々と聞かされるような、あのじっとりとした疲れ。それに比べれば、誰もいない静寂の中で自分を解き放つほうが、ずっとお得で、ずっと健全だ。
本当はもっと油断して、日向ぼっこでもするみたいに本音を広げたい。でも、不用意にさらした柔らかい部分は、すぐに誰かの獲物にされてしまう。だから、今のこの「少し壁を作った状態」がちょうどいい。私はこの静かな場所の、名もなき守護者でいようと思う。誰かを傷つけず、誰かの心を奪いもしない、そんな綺麗な本音にだけ会える日を心の隅で期待しながら。
ああ、昔こんな依存したことあったかもなと。
ある本を読んでそう思いました。
私の中で、その人や出来事は汚点と呼んで消化しているので、なんともないですが。
ただなんで、あんなに執着していたんだろうと思うと自分が気持ち悪いです。
食べ過ぎて腹痛に⋯
久しぶりに正露丸飲みました。
独自の匂いだ。
治った気がする。
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