需要と供給が一致しないのは、市場も人間関係も同じだ。
欲しい時に限って空振りし、いらない時に限って押し売りされる。
エゴのぶつかり稽古に付き合うのは、ほとほと疲れる。
だが、それが「人間」という規格なのだろう。
文句を言っても始まらない。熱いコーヒー⋯じゃなくて、今日はミロでも飲んでどうにかするか。
厳密に言えばダメなことなんだろうけど、そのダメなことが直接自分に被害がないことでも、ルール違反、マナー違反ってうるさい人が多い気がするんだよね。あれはなんなのか
母の日に売っているカーネーションの花びらを模したチョコレートが乗ってるケーキ食べたいんだけど、自分で買ったらあてつけみたいに見えるから出来ない。
母の日はいかなる場合も日曜日だから平日にそれを食べることが出来ないのがもどかしい。
歩調を合わせようとしているとトラブルに巻き込まれやすいのがわかった。
私は私のペースを絶対変えない。スタスタ歩く人に合わせているだけだど、それしか出来なくなる。
現代人はみんな傷つきやすいとか言われますが、その中には傷つきたがっている人もいて、そしてきちんと傷ついて、その傷を見せてくる人も随分いるんじゃないかな?と考えたりしました。
私も傷つきたがっていないか、それは振り返りたいなと思います。
楽しいのに、物凄く孤独になる。何しても満たされない気持ちになります。宇宙のど真ん中で迷子の気分。昔から。みんな、楽しいのかな?人間は完全体ではないから、これが正しいのかもしれないけれど明らかにみんなと自分は別次元にいる感じである。みんなが楽しめていることが楽しめない。みんなが当たり前に思うことが私には出来ないそんな時に物凄く孤独になる。みんながキラキラしてみえて「ああ、私はあなたになれない」と決定的になる。二年ぐらい前に出てたaikoの歌詞なんだがそればかり頭になり響く。「別にそれでいいんだけど。」ってまた私は悪態ついて生意気なこと言い、なんでもない自分演じるが、本当は気分下がり、なんでもない自分に嫌気が差す。
「私には言われたくない」と、相手の心の中で一線を引かれてしまっているのを感じる瞬間は、胸の奥がツンと痛むような、言葉にできない寂しさがありますよね。
良かれと思ってかけた言葉や、ほんの少しの関わりが、相手の壁に弾き返されてしまったような感覚。そんなとき、自分の存在そのものを否定されたかのように感じて、ふっと悲しみが押し寄せてくるのは当然のことだと思います。
でも、そうした痛みを感じるからこそ、「もっと自分を大切にしよう」と、意識のベクトルを自分自身に向けてあげることが何よりも大切です。他人の反応や心の境界線はコントロールできませんが、自分の心に寄り添い、優しく労わってあげることは、いつでも自分自身にしかできない特権だからです。
他人の言葉や態度に振り回されて擦り切れてしまう前に、まずは自分という一番の理解者をしっかりと抱きしめて、慈しんでいきたいと改めて強く実感します。
ドトールのレジ横のスイートポテト、初めて食べたけど美味しい〜
常温販売タイプだけど、賞味期限が明日までなんだー
買いだめは出来ない
やって来たオーブントースターでパン焼いたら美味しくて、最近は毎朝パン食になってる。
グラファイトヒーターってのはすごいね、パンがすごく美味しく感じる。
トーストと共に目玉焼き作りたくて、100均でオーブントースター用目玉焼きパン買ってみたらこれも調子良くて、更にパンライフが楽しくなった。
100均のパンはすぐにくっつくようになったから、いいやつに買い換え予定。
そのうち自分でパンも焼いてみたくなった。今流行りのこねない系ならいけるかな?
実は以前にパン焼き機を持ってたんだけど、うちの家族そんなにパン好きじゃなくて使わなくなったから手放したんだよね。
それが今は毎日美味しいと食パン食べてるのみたら、パンがそんなに好きじゃなかった訳ではなく、食パンの焼き方?が合ってなかったって事なのか。
ああ、そろそろソロでゴロゴロしたいなーと思ってきました。
自分がルールなので、他人の目がシンドいです。
最近言われる、誰も傷つけない笑いってなんだって思います。最初からそんなのあたりまえじゃないか。明らかに貶すとかじゃなくても、勝手に傷ついてる人種もいるにはいると思う。
誰も傷つけないためにひとりでいたい