今年も黒豆を煮るという大仕事に取り掛かる。
家族が黒豆好きなので毎年煮るけど、もう大成功!って年もあればイマイチ、あるいは全然ダメな年もある。
決めたレシピあればいいんだけど、毎年入手出来る豆の量も違うし毎回ネットで拾うのできちんと保存してないんだよね。
色んな意味で一期一会。
何度かやってみて保温調理、前日から調味料の熱湯に浸けて戻す、2日は寝かすが1番いい気がするので調味料の量はともかくとりあえず調味料の湯には漬けた。
重曹切らしてたから明日煮る前に買ってこないと。
やっぱり年末は何だかんだバタバタするなぁ…でも昔は必ず年始に熱出して寝込むほどバタバタしてたけど今はそこまでじゃないからマシになったのか、手抜きを覚えたのか。
まあ、ちゃんとしたおせちは作らないから手抜きかな?
小学生のころは、6月の誕生日にプレゼントをもらってからクリスマスまでが異常に長かった。が、今年は6月のダービーを外してから有馬記念で爆沈するまで、あっと言う間だった。もう20年くらい同じことをやっているが、なんとか働いていたからこそ、このパターンを繰り返せる。歳月の進みは早い。それにあらがいつつ、来年も無事に馬券を紙くずに変えられるように、健康に気を配りながら生活していこうと思う。さて、次は年末ジャンボか。
結局のところ、人はみな、自分の宇宙をひとりで生きているのかもしれない。
「長い時間一緒にいたから」「遠くにいるから」……そんな理由は、心の充足とは関係がなかったのだ。誰かといても、いなくても、結局は自分自身に立ち返るだけ。
湯気の向こうにぼんやりと浮かぶ日常を眺め、今日もひとりでコーヒーを飲んでいる。
ブワッと今 気持ちが破裂した。
昨日の出来事がキッカケだと思う。
私に触らないでほしい。
私は大切にされたい。
軽く、雑に扱わないでほしい。
悔しい。すごく、悔しい。
最近は冬休み夏休み一言日記みたいのがないみたい。
あれ嫌いだったから私の子どものときから無くして欲しかった。
⋯というのが冬休みの一言日記です。
今日は起きた途端に頭痛い。
薬も効かぬ。
だから寝る。⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀
無理に馴染もうとしなくていい。狭い箱の中で感じる孤独は、自分を守ろうとしている証拠だ。他者を「木」や「石」のように眺め、自分もまた「風景」としてそこに在る。人間関係を自然現象のように捉えられたら、もう少し楽に呼吸ができるはず。
スーパーに行ったら納会の買い出しの会社員と思われる方が何人かいた。
会社員だとそういう感じだよね。でも、もう働けないかも
「受け入れる」とは、決して一方が忍耐を強いることではありません。
互いに程よい距離を保つことこそが、真の意味での受容ではないでしょうか。
一見すると距離を置いているように見えるかもしれませんが、そうした関係性こそが自然な形なのだと考えています。
今年のクリスマスに焼いたシフォンケーキは成功した。
たまたまシフォンケーキばかり焼いてるSNSの動画を見る機会があって、それ見ててイメトレしたのも生きた。
更に、生クリーム増量出来るミルククリームの作り方もたまたま見つけて、今回はいつもの4倍のクリームをタップリ盛り盛りして食べた。大満足!