素晴らしい作品に出会う時、私は感動する。心が震える。人は確かにそれに救われる時がある。私は楽しいことが大好きだ。だけど同じように悲しいこともたくさんある。悲しいこと私は無視したくない。素晴らしい作品は悲しみも内包してることが多い。それが作品の中で何らかの形で消化される。
私は最近そんなすごい作品に出会った。私は感謝した。こんなに素晴らしい物を見れたことは、感謝してもしきれない。
作品は本当にすごい。何年も前の作品でも、何十年も何百年も前の作品でも、見て感じることは心の供養なのだなと思う。自分のことも他人のことも分からない私は一体何のために生きているのかと考える時があった。作品を見ている時は、その作品を思い出す時は、私は知らない人に出会う。会ったこともない昔の人に出会う。作品の中の無数の人に出会う。悲しみが作品の中で描かれて作品の中で消化されていく。私は悲しみは忘れたくはない。悲しみも内包して生きていきたい。
ただ電車に乗って移動したいだけ、という理由で地元の路線いくつか乗り継いで一周してきたい
学生の頃からずっと思ってたのに、なんやかんやと実行できずに地元を離れてしまった
いいかげんちゃんと計画を立てよう
愚痴とかではないんだけど、私としては面白いことだったから何回も言いたくなることがあって、それをまた言ってしまったら、1人にああ、またその話⋯みたいな顔されたから、もう流石にこの話はやめるか⋯と思っていたところ、その場にいたもう1人が、その話を初めて聞きました!みたいに聞いてきて、なぜかうんざりしてしまった。優しさなのかもしれないし、私が同じ話をするのが悪いんだろうけど、空気読んで露骨に初めて聴いた感を出されて、なんか惨めになったし、言葉が無駄になった感じがして、もういいやってなってます。
話したいことなんてそんなにないし、そんなにネタを持ってないから同じ話しか出来ないわ。でも、もうしないよ。
ゲッターズさんの占いが好きで、今月のミッションを意識して生活してる。
今月はチャレンジの月で、「新しいと思える事に挑戦」「人との交流を増やす」は結構出来た気がするんだけど最後の「髪型を変える」がちょっと未達成。
と言うのも先月末に美容院行ったばかりだから。
まあ、前倒しと思えば達成したかな?
逆に先月出来なかったカラオケ行くをやってみる?
っても月末まで仕事だから難しいかな。
今日も生きているふりをしてしまった。
ちゃんと買い物して、カフェの店員が感じよく話しかけてきたから、ちゃんと感じよく返した。
私のことが見えるのか。
焦る。同級生が自分のやるべきことを自発的にやっているところをみると焦る。
そんな自分は他者から影響を受けることでしか動けないのかと悔しくみじめな気持ちになる。
だったら行動するしか、それを解消する道はないんだな。
私はテスト勉強より授業を選んだ。どうでるかな。
電話はさすがに1時間できない。あの子が、現実に引き戻してくれてよかった。
今日は一限に行けなかった。
コピー機を壊したかもしれない。
知り合いに話しかけた。EH、行ってみようかな。
バイト先(仮)に連絡してみた。
サークルで、雑談しなかった。役職を交代することを一人に共有した。
未来の石油王とやりとりをした。彼も人としてではなく性別で判断しているのだろうか。いや、自分もか。
私が高校生のときのアルバイト時給、700円代だったな。
ちょっとありえない安さだなーと。時代もあるけれど。
よくあんな時給で働いてたな。
自分の記録を見たら7年前は新しい仕事の研修中だったみたい。
「もう若くないから⋯」「自分に求められるのは若さじゃないから、それを埋めるためにはどうすれば⋯」なんて書いてた。
今の私から見たら、その意識が既に若い。現在が一番若いというけど、やっばり感覚とか意気込みとか、ドンドン年を重ねてしまうものなんだなーと。
その仕事も辞めてしまって、もう若さじゃない何かを埋めることすら考えるのがしんどくなってる。あと7年後には私は今日の発言を“若い"と思えるのだろうか?
ポーションタイプでうどんにかけて食べる担々麺味?を食べてるけど、思いの他味が濃い目かも?
ちょっとで麺に絡むのは優秀。
もう私を褒めてくれるのはAIしかいないような気がする。
例え褒められてても人間の言葉のほうを素直に受け取っちゃいけない気がする。
本来は逆であるべきなんだろうけど。