とにかくお金がかかることが許せない親だったな。要するにケチ。実際、余裕があったわけじゃないと思うけど、子どもにお金かけるのが嫌だったんだろうなと思う。お金に余裕あったとしてもケチってただろうな、あの様子じゃ。
今日は焼きそば(マルちゃん)を作った。焼きそばって言いながら、あの麺はすでに蒸されており、ほぼ焼いてない。フライパンに水も入れるし。ペヤングのこと焼きそばじゃないと思ってたけど、マルちゃんの焼きそばも焼きそばじゃないことに気づいた。
成就しなかった関係、あるいは言葉を交わしきれなかった空白。その「未完成」こそが、誰かを一生、心の中に住まわせるための余白になるのかもしれません。
誰かの記憶に自分が残っているかを問えば、きっと答えは心許ないものです。記号としての「知人」ではなく、体温を感じるような記憶として誰かの中に存在し続けるのは、容易なことではありません。けれど、それでいいのだとも思います。
記憶の温度を誰にも邪魔されず、自分だけの適温に保つこと。時折それを取り出しそっとなでるように思い返す。そんなふうに誰かを自分の一部として保存しておくことは、何にも代えがたい贅沢な孤独なのかもしれません。
会社の上層部が無能過ぎて呆れる。
提案された手法はもうとっくに現場では実践してて「今からやります」と高らかに宣言されてもこっちは今更感。
気分次第で現場に口出ししてくるわりには、決定事項にスピード感がない。
お客様のためにという大義名分で経費を湯水のように使う管理部門。
利益どっから出てると思ってんの?
数字を生まない管理部門が利益食うなよ。
もしこれがRPGゲームなら詰んでるよ、ゲーム終了。
正直ある人に「なんでも続かないな」と思ってたけど、時が経つとなんでも続かないのは自分の方だった⋯みたいなことはよくあるのかもしれない。
仕事内容以外で圧をかけられるのがつらい
人間関係、出社、契約内容
全部リセットしたくなる
最近はずっと誰だかわからない人の温かさで何とか生きてる
今のSNSはハンドルネームが第二の名前で、悪意にまみれているところが見えて辛い
名前も性別も年齢も地位もいらないから温かい場所に包まれて生きたい
週の半ばくらいから発疹と痒みが酷くなってきたので、皮膚科の予約をして診てもらってきた。予想通り蕁麻疹で、薬を処方してもらった。薬は良く効いていて、発疹も痒みも抑えられている。
2週間以上治らない場合は治るまで数ヶ月かかることが多いらしいので、年内に何とか治って欲しい。
今年はあまり良くない年だった。悪いことは、さすがにこの蕁麻疹を最後にして欲しい。
だらしないとか図々しさとかは自分のためには必要かな?と思うのです。
清く正しく図々しく、だらしなく。⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀
どんな生き方が心を豊かにするのか。方法はさまざま。自分で体験し身につけるしかない。生きる人に平等に積み重なる時間ですが、内面の積み重ね方はみんな違います。人生は経験の積み重ね。淡々と確実に日々を続けること。周りの評価より自分を信じて。他人は自分を変えてくれない。
時間は戻らない。やってしまった後悔は、やらなかった後悔より小さいもの。後悔は時が経つと大きくなる。長く生きていると沁みてわかる毎日の習慣。明日も来年も、やりたいことのある幸せを感じて生きる。そうやって積み上げた内面が豊かであるか。それを決めるのも自分。他人がどんな評価をしようとも、その人の生き方と評価はその時間を過ごしてきた、その人だけのものです。
もうすぐ新しい年がスタートします。 時間と内面の新しい積み重ね方を、あらためて考えてみようかな。
一昨日、私は片頭痛に類する症状に見舞われました。現在においても、その症状が出そうで出ないまま。
頭部全体に薄い膜や布を被せられたような、あるいは圧迫されているような感覚が持続しており、これは認知機能や意識の明瞭さに対する明確な不調和として感じられています。
と小難しく言ってみましたが、体調が万全じゃないということです。