簡素化=手抜きではないんだけどね…色々手をかけたい人は手抜きみたいになっちゃって嫌なのかなぁ?
足し算より引き算をしたいなぁ…引き算し続けてゼロになったらそれならそれでいいんだよ。そうすれば労力もゼロだから。こういう足し算は苦手だ…
今日のチャットGPTとの会話。
質問1
今まである理論の組み合わせから新しい組み合わせが見つかっても、限りあるピースの中での形の変化だけで、外からの要素が無ければ全く新しい考えは生まれないものか?
回答
あなたの問いは非常に興味深いですね。限りある理論や要素の組み合わせから新しいアイデアが生まれることはありますが、それが「全く新しい考え」と呼べるかどうかは議論の余地があります。
理論やアイデアは、既存の知識や経験を基にして進化していくことが一般的です。確かに、新しい組み合わせを見つけることで革新的な考えが生まれることもありますが、外部からの要素—例えば、新しい技術、異なる文化、他の分野の知識など—が加わることで、より大きな飛躍が可能になることが多いです。
例えば、科学の進歩は往々にして異なる分野の知識の融合によって達成されます。また、歴史的にも、外部の影響や新しい視点が新たな理論を生むきっかけとなることが多いです。
結論として、限りあるピースの中での変化だけでは、新しい考えが生まれる可能性はありますが、その限界を超えるためには外部からの新しい要素が重要な役割を果たすことが多いということです。
質問2
例えば過去の偉人のデータベースからその人をコンピュータ上で完全再現したとしても、それは過去のその人の言葉の組み合わせの結果でしかなく、アインシュタインを再現しても過去のアインシュタインの枠を超える全く新しいアインシュタインならではの考えは出てこないって事?
回答
その通りです。過去の偉人をデータベースから再現した場合、それはその人の言葉や行動、考え方のパターンを模倣することにすぎません。新しいアイデアや発見は、既存の知識や経験に基づくものですが、独自の視点や新しい環境からの影響がなければ、オリジナルな思考や創造性を持つことは難しいでしょう。
アインシュタインのような偉人が生み出したアイデアは、その時代の文脈や彼自身の経験、感情、直感から生まれたものであり、単なるデータの組み合わせでは再現できません。したがって、過去の偉人を完全に再現することは不可能であり、その人独自の新しい考えを生み出すことはできないのです。新しいアイデアは、常に新しい環境や経験の影響を受けるものだからです。
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私見
これが現実世界に存在物として存在していない人工知能の限界なんだろう。たぶん、ロボットのように身体をもち、この現実世界にいて偶然性の要素を自然と取り入れ化学変化のように考えがかき混ぜ合わせられる状況でないと、新しい考え方には行き当たらないだろう。いわゆる鉄腕アトムのように。
ただ、その人であるという事は、その人の生活環境、人間関係、身体的変化など、その人独自で他人と共有できない故の人生と言うか、他人とは共有できないこの世界の座標上で生きているが故にその人独自の眼差しが生まれるものだから、新しいアインシュタイン理論を拝みたいなら人生に関わる全てを完全再現しないとだめだろな。
要は本人でないとその本人の眼差しは見えないって事だな。
最近、過去の自分にありがとうって思ってます。
現在の私がこんなにも自堕落になったのは過去の私が頑張ってたからその反動なんですよね。現在の私に自堕落をプレゼントしてくれるまで頑張ってくれた過去の自分にありがとーーです。
ロールキャベツなんて久しぶりに食べたなー
口コミでは「ぬるい!」というお叱りがいくつかあったけど、普通に食べた直後に「あつっ!」となったので改善したか、そもそもすぐ食べなかったかどちらかなのでしょうね。
マカロンって昔は美味しいと思ったことがなかったけど、美味しいものは本当に美味しいです。高いのだと1個500円近くしますね。
ただ、トゥンカロンだっけ?韓国のマカロンは甘すぎて苦手でした。韓国料理は好きですが、基本的にスイーツは全体的に甘すぎると個人的には思います。
韓国といえばスンドゥブが好きなのでスープの素を買ってきて作ろうと思います。楽で美味しい。
公園の危険な遊具の記事があったけれど、昭和とかの時代は、割と塀に登って歩いたり、雑木林の草の生い茂った中をずんずん入って行ったりとか、公園以外の町中の遊びでも結構危険な事していて、その延長線上でいわゆる公園の危険な遊具で危険な遊びしたりしていたから、これ以上やったら大怪我するなって事が感覚的にわかって絶対これ以上の事はやらないって抑制できてたんだよな。それに何かしようとして先に友達が目の前で怪我をしたのを見たりしたとかも自制の経験値になっていたな。今はそういう前提の行動や体験なしで、いきなり公園で危険になるかもしれない遊具で遊ぶから、危険な遊びになる境界線や遊具が遊んでるときに錆びたりしてて壊れそうかとかの判断もできなくなっているんだろう。別に危険な遊びをしろって事ではないのだけれど。怪我の話だけでなく物を壊したり人間関係も同じだけど、自分で自分を守る為のブレーキをかけられる事は大人になった時に必ず必要で、ブレーキかけて止まれる自信があるからそこまでは全力を出せるもの。車や自転車やスキーとかも自分で止まれる安心があるからスピードも出せるもの。マナーや道徳性も赤の他人の中で自分の身や人生を守る面もあるんだよな。危険を察知できない根拠不明の自信が一番危ないけど、ここ最近は車の横に親が乗って子供がブレーキ踏む前に先回りして踏んでしまうし、知らない子を思って赤の他人が注意する事を拒む世の中だから、自分でブレーキのかけ方を知らない子が多いように感じる。なぜって思う過激な事件を何となくしてしまう若者がちらほらいるのも、それの影響もあるだろうな。過ぎたるは及ばざるが如しで、子供の保護が年々過剰になったその結果だろうな。ただ、経験に基づくものは、足りなければ足せば良いけど多すぎる物は削りようがないからなぁ。どうしたものか。
喉がちょっとでも痛かったら飲むようにしている漢方があるんですが、それがすごい苦いんですよね。で、朝起きたら喉に違和感があったんで例の漢方を飲んだら、それほど苦いって感じなくて慣れたんだなって思いました。どんなに苦いものでも慣れてゆくものなんですね。
人類に課された本当のゴールはなんなのだろうか。
この繰り返しに似た時の経過はあと何年続くのか。
本当の終わりを見届ける前に私は終わってしまう。
どうか、この私を継続してほしい。
「虎に翼」が終わり、新しい朝ドラが始まった。
主演の方は大好きな人だけど、いまいち食指が動かないので、多分見ない。
虎に翼は、男性社会にバキバキと切り込んでいく女性も、家庭を守る女性も、どちらにも属さない女性も、すべての人を肯定するような内容でいいなぁ…と思った。
でね。
急に思い出した。
高校のクラスメイトの女子。
わたくし、20世紀も残すところあと数年という頃、ど田舎でJKやってたんですけれども。
リアルに「バスは一日二本来る」のど田舎。そんなところでも高校があるんだから、ありがたいことではある。
おうちが農家という子も多くてね。
その女子をAちゃんとして。
Aちゃんは親から「高校卒業後は就職するか、実家(両親と兄夫婦)を手伝うこと」と言われていたらしい。
看護師になりたいと伝えると、「公立の学校のみ認める。浪人不可」と言われていたそうで。
Aちゃん、進学目指して頑張ってた。指定校推薦は私立ばかりだったし。
休み時間も参考書広げて。塾や予備校なんてないし。
あったとしても、おうちの手伝いで行かせてもらえなかったかも。
学校から帰ると、おうちの手伝い。
学校に来る前にも、おうちの手伝い。
その合間をぬって勉強。
で、受験の結果。「不合格」
Aちゃんは「しょうがないよ。やるだけやったし」と言ってた。
すべてを諦めているような、悟っているような。そんな顔だった。
卒業後、数年してからふわっと聞いた話では、地元の町立病院で働いているということだった。
「看護師になれたんだ」と私が言うと、教えてくれた相手は「看護師ではないようなんだけど」と言っていた。
教えてくれた相手とも連絡が途絶えて久しい。
どうしているだろう。あの子も、あの子も、みんな。
回覧板が来ているとテンションが下がる…
ハッキリ言うと必要なことが何も書いてないんだよねぇ…
このシステム地味にアナログだなと。