ネガティブなことに対して「ポジティブにならなきゃ!」というのは普通に使われるけど、ポジティブに対して「ネガティブにならなきゃ!」とは使われないよね。当たり前だけど。
ネガティブになれということじゃないしポジティブなほうがいいに決まってるけど、ネガティブなときにポジティブ、ポジティブ、ポジティブって言われるとどんどんネガティブが加速していくような気がするんだよね。
ポジティブな人に対して「ネガティブにならなきゃ!」とは言わないから、せめて黙っていることは出来ないかな?と思う。お静かにと思う。
直接的にも間接的にもポジティブ系の人は黙っていられない人が多いと思う。そこらじゅうにキラキラをぶちまけることを悪だと思っていなし気がつかない。
これが問題なんだよね。キラキラした紙吹雪やらクラッカーをぶちまけて、掃除しないで帰っていくって感じ。
でも、こういうタイプに傷ついたり怒りが沸いたりしてる人も一定数いるんだ…とも最近わかってきたので救われてるな。いらない紙吹雪は吸引力抜群の掃除機をすぐかけましょう。ダイソンの掃除機欲しいなぁ
少し疲れた。
家事がんばった。
今から晩ご飯を作って、終わったらレポートを書こう。
今日したことをここに書こうかとおもったが、どこまで書くか迷った。
自分が特定されたらどうなんだろう。
みんなどれくらいのことをここに書いているのだろう。
私はここに書き散らすだけで、他の方のはほとんど読んでいない。
タブレットに日記アプリをインストールするかなぁ
ついさっき、職場で人が倒れた。
50代後半かな、もうすぐ定年を迎える人。
同僚と普段通りに会話をしていて、突然痙攣をおこして倒れた。
自分は直接その状況を見ていたわけではないが、口角が右に上ずって行き、右目が引きつり、右肩を後ろに捻るような格好で倒れたらしい。
直ちに救急車を呼んだものの、職場は騒然としてみんなあたふたとしていた。
時間と共に容体は安定して行って、救急隊が到着する頃には会話もできるぐらいになってはいたが、そのまま救急搬送されて行った。
その間およそ15分ぐらい。
都心のビルでの出来事だったので早かったのかもしれない。
おそらく本人はまさか今日倒れるなんて想像もしていなかったに違いない。
普通に出社して、普通に仕事して、普通に昼食に出かけて、午後の勤務が始まってすぐのことだった。
誰しもそうなる可能性はある。
明日は我が身かもしれない。
いや、もしかしたら今日の夜とか、帰宅途中とか、もしかしたら後でトイレに立つ時に突然痙攣をおこして倒れるこもあり得る。
状況が悪ければ車や電車に跳ねられるかもしれない。
一寸先はわからない。
どうしようもない不安
自分の人生なのに
自分ではどうしようもできない現実
若い頃は夢や希望があったのに
この歳になると
守らなきゃならないことだらけで
自分は自分でどうにもならない
育児が終わって
介護が始まって
生きていくってつないでいくってことなんだな
- 〇〇さんの悪いとことばかり言い、近づかない方が良いと言いつつも、自分は近寄りSNSでも”いいね"とかしているひと。
- SNSで虫の写真見るのが苦手と言われたので控えていたら、虫の写真をアップロードしているひと。
誰しも混乱を避けようとして全力を尽くしますが、筋の通らない状況に直面したときに、あるいは相反する事実のつじつまを合わせようとしているときに混乱を感じるのはまったく適切なことです。混乱や当惑を感じられる能力がなければ、問題をどうやって切り抜けたらいいのかについて自分の頭でじっくり考えることさえないでしょう。間違った選択をしても、それらの選択が間違っていたと思うことすらないに違いありません。今日は、混乱を確信に置き換えようとして急ぎすぎないようにしてください。
タブレットに家事アプリを入れた。
今日は弓道にいくが家事をして少し息が切れた。
こうやって日記を書くと疲れがとれるような気がする。
本当は深呼吸がいいのかもしれない。
今日は弓道と家事を頑張りたい。
あとレポート、保護者会のノートの整理。
がんばろう。
自分が進んだ道がでこぼこで、
イバラだらけだったとしたら、
誰かが歩く道を進みやすくしてあげる人でありたい。
躓きやすい場所がどこなのか、
思い掛けず嵐になる時期はいつなのか。
痛いことも経験なのかもしれないけど、
痛みが必ずプラスになるとは限らないんだよ。
何が痛いかも、どれくらい痛いかも、人それぞれだ。
私に君の道の歩き方を決める権利はない。
でも君が前に進みたいと言うのなら、
その道が歩きやすくなるように、
伝えられることは伝えるよ。
それしかできないんだ。
使っていたSNSが閉鎖されてしまう様で。
同じ感覚の行き先を探しています。
こちらはどうなのでしょうね(´๑•_•๑)
小葱が安かったので刻んでフリージングの袋に入れて冷凍しといた。
もっと細かく切ればいいんだろうけど、料理人じゃないからいいや~とザクザクと自分流にした。
昔、実家に住んでた頃、今日と同じようなことをしたのを思い出した。その時は母か「雑すぎる」だの色々言われながらやってたような気がする。雑なんだろうけど、今も同じままだから、なかなか変われないよね。
私の他に弟二人いるけれど、私が一番不器用でセンスがないらしいことを色々言われてたのも思い出したなぁ。
母自身も料理を教えてもらったことがないけど、ここまでひどくない…と私のことを冗談1割くらいの割合で貶してたよね。それが自分にとってさらに自信がなくなるような言葉だったんだけどね。
確かに不器用なことも自覚していたし、どうにか普通になりたいとも思ってたけど、普通になるために努力が必要だったら息切れしちゃうよね。
今は家を離れて、自分の好きなように誰かにアドバイスのように見える小言も言われないで済んでるから、それなりに料理っぽいものは作れるようになったかな?
厳しさに堪えながら習得するってのは色々なところで美しく表現されてるけど、私には厳しさに堪えることしか出来ないから無意味だったのかも。
優しくしろ!というわけじゃないけど、厳しさが邪魔をすることってたくさんあるよね。と、小葱を刻んでそう思った日。