feedに流れている文章がどれも素敵なので、またNisshi熱がぶり返しそうである。
旧Nisshiユーザーさんはどれくらいいるのかしら。
方々へ旅立っていった日のスクショがまだあるのだけど、今頃どこかで元気にされてるでしょうか。
私はまあまあ元気です。
今日の良かったこと。
朝起きてお弁当つくって送り出したあと、12時までたっぷり寝た。
ちゃんと2回洗濯した。
水ではなく牛乳をたっぷり入れたホットケーキを食べた。
(リプトンの三角のティーパック紅茶(高いやつ)を贅沢に添えて)
お風呂の排水溝の上側を掃除した。
久しぶりに行ったスーパーのサービスが良くなっていた。
お肉とむきえびが安かった。
いちじくを買った(食べるの楽しみ)
ロールケーキを旦那と食べた。
今週~来週にかけて使うお肉の下処理を全部やった。
攻殻機動隊の荒巻課長のロマンス回が素敵だった(NETFLIXはいいぞ)
確か私が中学ぐらいのころ、姉が自律神経失調症になった。
当時は母から聞いただけで、それが「鬱」だとは知らなかった。
姉は、病室で母にこう言ったそうだ。
「やっとお母さんを独り占めできた」
それを聞いた母がどう答えたのかは知らない。
けれど私にその姉のセリフを伝えた上で ”何をバカなこと言ってるのか” と口にした。
その時わたしはすぐに「お姉ちゃん寂しかったんだな」と思った。
けれど母は、私の母は、決められた役割を務めることこそ偉い、という価値観があり、「姉」という生き物は弟妹に母をゆずり甘えてはならないという考えだったので、姉が自分らしく病んだという事実が見えてはいなかった。
これが今も私の心をえぐる記憶。
そんなに「家族」の中で「上」だの「下」だのに縛られて、自分の役割を演じなければならないだろうか。
他人でもある「親」に人生を左右されるのは、おかしい話ではないだろうか。
学生のうちに「嫌われることが怖い」と思えればよかったな、と思う。
回避行動は、大人になって身を助けることもある。
私は嫌われることが苦でなかった。
相手が離れることも、苦情を入れてくることも、それは相手の努力が足りないからだと信じ切っていた。
実は今もそのまま。
だからすぐ嫌われるのだけど、怖いとまったく感じずに、感じるのは相手を「アホだなぁ」という呆れ。
そうして孤立して、アホに囲まれてるばっかりに、動きづらくてしょうがなくなる。
アホのルールはわからない。
アホに嫌われることが怖いと思えればよかったなと、思う。
世界の真実は、世界はアホばかりということで、それに合わせて自分を下げて息をすることが必要である、と誰も教えてくれなかった。
10代のアンテナはベクトルが違う方向を向いていて、人間関係の構築術など気にもしなかった。
身を助ける術を必須科目にできないものだろうか。
私は嫌い、苦手な人とは「距離をとる」が正解というか、どうにかやり過ごす方法はとしては無難だとは思う。
だけど、《それでは困難から逃げているのと同じで、その人と距離をとって一旦解決したように見えるけど、また他の苦手な人と出会ったときに同じことを繰り返す》らしい。
まあ、言いたいこともわからないでもないけど、じゃあどうすれば良いのかに対しては《ちゃんと向き合って同じ事を繰り返すことのないように》という内容しか書いてない。
知りたいのは、どうしたらちゃんと向き合っていけるのか?その方法なのにそういうのは自分で考えさせて勝手に締める。
この事だけじゃなくて、世の中には肝心なことは自分で考えさせて終わらせるのが多いよね。
もちろん、自分で考えて決めて実行していくことは大切だし、基本はそうであるのが望ましいとは思うけど。
それだけじゃどうにもならない事態とか感情とかあるとは思うんだよね。
そういう壁が立ちはだかったとき、それっぽい意見だけど結局自分で決めるのか…と思う新たな壁が出てきたら疲れるだけだよね。
こんなふうに壁には壁が出てくる仕組みがわかっているから、また壁ですね…とそこそこな年齢になった今となっては思えるけど、若いころは壁によってできる「新たな壁」に絶望したり泣いたり怒ったりしていたな。
答えなんてないけど、それっぽいことを言いたいのが人間。壁ばかり建設されるように感じても、自分もそれによって「新たな壁」を作って自分を守っていけばいいのかなと最近は思ってるかな?
上手く壊してくれるハンマーならば受け入れます。もちろん
嫌われることを恐れなくなった自分は無敵なのか。
10代の頃はとにかく人に嫌われることが怖くて、言葉を選んだり、行動を選んだり。
無駄な敵は作らない方がいいとは思うけれど、そろっと本心に従って生きてもいい年齢になったのかも。
Anco
どうしても仕方なしにした手術の後は気持ちを戻すのに時間がかかってしまう。
自分の不摂生とかではなくて、生まれつきのものでするからなのかな?
前までできていたことが出来なくなっているストレスもあるけれど、他にも体の感覚に違和感があったりする。
前の手術では左目の4分の1が見えなくなって、今回は右肩の感覚が薄くなった。
これはもう治せないものだから仕方ないけれど、これからまた病気で手術をして同じように違和感が増えていく、なんて考えると憂鬱になる。
本当にこれから先がどうなるのかわからない、怖いと言うより不安の方が大きい。
こんなこと誰かに聞いてもらうことも難しいだろうな。
「気づき」を「突如として訪れる悟りの瞬間」だと思いがちです。たしかに、そんなことが起きる場合もあります。でもたいていは、気づきというものはもっとゆっくりとしたプロセスです。ある考えが頭の中にわき起こり、いくつもの思考の断片が次第に一つの形にまとまっていくのです。理解に到達するまでのスピードはゆっくりです。そして、その理解が自分の人生に及ぼしうる影響が分かってくるにしたがって胸がワクワクしてきます。ここから始まる変容のプロセスもまた、ゆっくりとしたプロセスです。数か月、あるいは数年かかることさえあります。幸い、あなたの人生では今まさにその変容が起こっています。
知人のシンガーソングライター Satona が活動再開した。
シングルマザー、4歳男児の母、かつてはステージで歌っていたけど紆余曲折があって音楽活動を休止していた。
色々な人に聴いてもらいたけど、ここに貼るぐらいのことしかできないのが申し訳ない。
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