おみくじ引く時はいつも、こういう方向でやりたいことあるんだけどどう? みたいなことを聞きながら(思いながら)引いてて。
それが今回大吉だったので気持ちが前向きになれた!
嬉しい~
帰りに寄ったスーパー、カードが見つからなくてあわあわしてたら「慌てなくても大丈夫ですよ、探す間にお品物つめちゃいますね!」ってレジのおばちゃんがにっこり笑ってささっと袋に詰めておいてくれた。
ほっとしたしありがたかったし、おばちゃんの笑顔がとっても綺麗に見えたので、やっぱり素敵な心の持ち主は綺麗に見えるんだと思う。
すごい些細なことかもしれないんだけど、なんだか幸せな気持ちになれたのでラッキー。今日はいい日だ。
本来は休みだけど、午後から仕事関連のイベントに参加してきた。
興味のあるイベントだったし、ちゃんと勤務扱いにしてくれるのでそこは助かる。
ただ自主参加制だからどうせ1人だろうと思ってたら、もう1人参加表明した人がいた。同じ部署の先輩だ(男性)。
物静かな人で、まだ入社して日の浅い私は、なんとなく緊張した。
出社して、今日どうすんだろうな…と思ってたら、何時頃出ますか、と声かけてくれて、一緒に会社出て、会場までの道のりも会話が途切れることもほぼ無く、それなりに楽しい時間を過ごせた。
ちょっと誤解してたかな。こんな風に接してくれるんだ、と意外に感じた。
この人が、というより、うちの部署はみんな黙々と仕事する雰囲気なので、どうも砕けた感じになりにくいのだ。
何より1番ホッとしたのは、コイツと一緒に行くの気まずいから辞めよう、と思われなかったということ。私なら、先輩にもよるけど誰かと一緒なら行きたくないなと思うだろうから。
まぁこの先輩も、話してみるとなかなか独特なんだけどね。
でも、自分の知識を披露したくて早口でどんどん喋るところとか、若い男の子らしくて可愛い(先輩だけど年下)。
ただ声が消えがちなので、しかも電車の中で余計聞こえづらく、何度も聞き返してしまった(半分くらい聞こえなくて適当に返事してしまった)
あれ、私が耳遠いんかな。オフィスでもみんなすごい小声で電話しててびっくりする。前職は小さい子とかお年寄り相手の仕事をしてたので、電話でもつい、ゆっくりはっきり大きな声で対応してしまう。場違い感が凄い。
同世代の人との会話も苦手だ。親世代ならあんなに気安く話せるのに。あと接客業が長いので、お客相手なら愛想100%で話せるけど、同僚とか親戚とか、微妙に身内との会話ってどの程度砕けていいか加減がわからなくて困る。
まぁとにかく、嫌われてなくて良かった。
たしかにこの人が一番仕事のこと聞きやすいし、今日でさらにちょっと打ち解けられた気がする。
うちの部署には女性があと2人いるんだけど、朝、私から「おはようございます〜」って言うのと、仕事中に「これ済ませておきました〜」って言うくらいで、会話が全く成り立たないのだ。
なんかこう、無視されてるとかじゃないんだけど、圧が強くて…。もうちょっと仕事回してくれてもいいと思うんだけど、手伝おうとすると、私の縄張りに手ェ出すなみたいな顔されるんだよね…。ちょっと辛いけど、今のところ仕事に支障が出てないのであんまり解決する気がなく過ごしている。
派遣さんとか他部署の女性とは毎日話してるんだけどな。
なんだか人間関係の愚痴が長くなってしまった。とにかく前の職場はみんな砕けた雰囲気だったので、私が喋らなくても何とかなってて気楽だったなぁと今更思う。
会社のカラーに慣れていくしかないな。
もう僕に発言する権利などない。権利、という言葉が今普通に出てくる位に、僕の頭は悪くなった。
せめて美しいものが僕に汚されずにありますように、と、頭の中で浮かべて、それを書く快感に浸ろうとする自分を書く。
自分をよい、と思い、自分を美しい、と思っている。きっと天国で神様に褒められるはずなんだ、とずっと思っている。
それを疑う自分だから、疑いなく聖者なのだと。
梨(なし)の木を植えたら、いつの日か梨を収穫できるときがやってくるでしょう。たとえ、今年はパイを作れるほどの収穫がなかったとしても、大事に木を育てていけば、いずれはそれだけの果実を手に入れられるでしょう。ではちょっとここで、今あなたが果樹園の中を歩きながら、なかなか大きくならない果実にケチをつけているところを想像してみてください。あなたにとって今年の収穫はとうてい喜べないものです。もし、あなたの過去とは違う未来を手に入れたいと思うのなら、今すぐ何かを変え始める必要があります。あなたが心から願っていることは何なのかということをじっくり考えた上で計画を立て、その計画にしたがって最後までやり通してください。
お金も貰えないのに不本意なボランティアのようなことをしていた去年。今はお金を得て働いているので当たり前だけど嬉しい。
だけど拗らせてしまったのか、お金が貰えないのに自分が嫌だと感じることには前よりもさらに嫌悪感を覚えるようになってしまった。
断れることは極力断るようにはなってそれは良かった。しかし断るとか断らないとかそういうレベルじゃないイベントとかに対して「お金もらってないのにな~」とよく思ってしまう。「これ、一万円はもらいたい」とか嫌なことをこなすときはそう思ったりしてしまう。
賃金がなくとも、楽しいとかプラスの感情が少しでもあればなんとも思わないんだけどマイナスな気持ちのほうが大きくなってしまって無駄なことはより無駄に感じて嫌で嫌でたまらない。
「どうせやるなら楽しんで」って好きなことに対しては好意的にとれる言葉だけど、嫌なことに対しては余計に苛立つだけだしな…
どうせやるなら楽しみたいよ?でも無理。
だから心の中でお金に換算して、それだけのことを無償でやっているアタクシ凄い!って思うしか出来ない。
ある意味、楽しんでるのかな?
こんなにゆううつな気分になる旅行前があるでしょうか、
聞きたいことがたくさんある、私とどうなりたいのか。この先どうしたいのか。
この旅行を楽しみにしているのか、もう私のことどうでもいいのか。
友達になったと思えばいい、と思うけど。
どこかの番組じゃないけどこの四日間で決まる気がする。
先生に絵を描く人は自己顕示欲が強いって言われた。
その人自身何らかの作品を描いてる人だけど、かなり言いづらそうに苦い顔をしながら言ってた。
そりゃ芸術家は当然そうでしょと思っただけだったけど、なんで世間では自己顕示欲は悪いものって風潮あるんだろう。
絵、小説、音楽、ダンス、映像、写真、詩のようなものは勿論、SNSに投稿する日常の呟きだって自己顕示欲やら承認欲求からじゃないのかな。
この文章も1万人のイイネが欲しいんだ!!って強い気持ちはないけど、誰かしらの目に留まったら嬉しいなと期待してわざわざ公開設定にしてる。
色んな人の作品や投稿を日々楽しめるのも、人に見せたい、認められたいという気持ちがあってこそなら、大いに結構じゃないかと思う。
もちろん、モラルを無視した悪質だったり過激なことをして注目浴びようとするのは別として。
のんきで楽天的な人たちは、ひたすら自分の道を押し通すということがありません。成功に向けて断固たる決意で突き進むことから得られる深い満足感を、彼らはほとんど経験することがありません。のんびりくつろいでいるときに、「世界を正さなくてはならない」などと思うことはないでしょう。あなたは今日、あなたが心から大事に思っている何かについて妥協することを求められています。それがあなたにとってかけがえのないことなら、不満足な妥協案を受け入れるのは間違っているでしょう。もしあなたが最高のものを手に入れるべく奮闘するなら......今、天空で形成されているマイナー・グランドトラインは、あなたならきっと実現できると告げています。