あれだけ機種変更を面倒がってやっていなかったのに、いざ変えてしまったら快適だ。
動作が重かったり反応が鈍かったりと随分と劣化していたのによく使ってたなと思う。
新しいことをするってやっぱり面倒だと思う反面、慣れって恐ろしいなととも思う。
基本的には面倒臭がりだけど、快適になるための手間は惜しまないようにはしたい。でも、面倒だよね〜
2月にカメラを買ったけれど、新型コロナ、蕁麻疹と重なって外に写真を撮りに行けないうちに猛暑になって、余計に出かけられなくなってしまった。今までは家の中で物を撮っていたのだけれど、撮る物もなくなってきた。
土曜日にふと思いついて、セルフポートレートを撮り始めた。室内で人を撮る練習で、決してナルシストな訳ではない。自分の顔はあまり好きじゃないし。
モデルはともかく、カメラの設定や位置を変えたり、構図を考えたりするのは楽しい。色のついたクリアホルダーをレンズに少しかかるように置いてみたら、ちょっと面白い感じになったので、他にも思いついたらいろいろ試してみたい。
こういうNisshi Ⅱみたいな匿名日記の方が細々とやれていいのかもしれない。
しまぐらしもやってみたけど海外の人達もやってるから感覚が違うというか……。
交流やオープンにするのがつくづく苦手だと思う。
ネットはネットで線引きして使いたいんだよね。
うん、しまぐらしはまた近いうちにまたフッと消えよう……。
しまぐらしが悪いんじゃない機能を使いこなせない自分が悪いんだ……。
手抜き料理とは?
ネットで炎上してることがあるけれど
そもそも手抜き料理の定義って何?!
手抜き料理を語る人は
料理を知らない人か
料理をやったことない人なんだろうな
手抜き料理で名指しされた料理が
かわいそうじゃん
失礼だよ
また、それは手抜き料理じゃねーよって
いちいち目くじら立てなくていいと思う
「あ、この人料理知らない人なんだな」
とスルーしたらいいだけの話
マスコミもネットもあおりすぎ
長年気になっていた、家の片付けに躍起になる連休。
案の定、相容れない親子の価値観が露呈する。
そんなことしなくていい。
こうすれば、掃除がしやすいよ。などなど。
最終的に知らないフリをされ、恋人との生活でもこういうことあったな、とふと思う。
居心地良い住まいは、思いやりでできていくのだと思う。風がよく通る部屋で、ふて寝しながらそう思う。
イベントが中止やら延期になっているからか、その周辺のカフェが空いてるような気がする。
窓際の広い席が空いてるからそこに座ろうとしたけど、換気のために窓が少し開けてあって熱気が嫌だったのでやめてしまった。
空いてるのが嬉しいから生チョコケーキなんて頼んでしまったよ。座ると少しキツくなったズボンが気になるけど。
例の疫病やら暑さやらで動けない理由を探してしまうよね。
やりたくないことや都合悪いことに対して理由をつけるのなんて簡単だよね。それが楽だよ。
でも楽はかならずしも悪ではないからね、楽してるのはズルいのか悪いのかダメなことみたいに言われるけど、楽に過ごせるなら楽が1番。
ズボンのキツさは自分の問題で、楽を正そうとしてくる誰かの問題ではないからそれでいいの。
でも少しは歩くか。歩くかどうかも決めるのは自分だけ
あー、連休が終わるー。
何もしてない、できないのに何て速さだ。
新たな事といえば、ビールを飲む為に真空断熱タンブラーを購入して、更に快適な飲酒をする事かな。
何もしてないのに飲んだだけで、すぐに眠くなるのも困り物だな。
こんなに他人と関わらない日々なのに、そんな時でさえ信じてた人は信用ならないのかと思う事があったり。
モヤモヤするな。
ま、寝たらある程度忘れれるので良いけど。
しゃーない。
どうにもならんわ。
と、納得できなくても諦める。
今日は少し早めの息子達の誕生日パーティー。
楽しんでもらいたい。
嫌なものが多すぎて気が滅入るので、好きなものだけに囲まれて暮らしたい。
嫌なものは元気もやる気もなくして好きなことに割くはずだった時間も奪ってく。
しばらくやる気がでなかったりモヤモヤが晴れなかったりで停滞していたけど、昨日から少しずつ趣味を再開し始めた。
上手くできなくて悶々としているけど、うん、どうせ悩むなら好きなことで悩みたい。
恋愛も結婚も性的なことも、無くなればいいと思ってる。
ただ不幸になるだけ。自他ともに悲しむだけ、苦しむだけだよ。
なんでそんな可哀想なことするんだろう。
なんで自分自身のことを知らないまま、
生きることができるんだろう。
それが許せない。
これを書いている本人が生真面目ってわけじゃないけど、
自分として生まれたのなら、
自分自身として生きる覚悟を持って生きて欲しいんだよ。
僕は、無性だ。
僕は、無性愛者だ。
僕は、イマジナリーフレンドがいる。
大切な仲間がいる。終わらせることができないんだよ。
もう何も語りたくないけど、
語らなきゃ気が済まない。
認めてくれ、受け止めてくれ。
「そうなんだ」って。簡単だよ、シンプルな事だよ。
…みんな、早く目を醒ましてくれよ。
こんな気分のときは決まって、水のなかにいる夢をみる。
雨も降っていないのに 足もとに水たまりができていて、はっと気づくと頬が濡れている。そうして、ようやくその水たまりが自分の涙だと気づくのだ。
悲しくもないのになぜだろうと不思議におもっていると、水たまりは満潮をむかえた浜辺のように、みるみるうちにわたしの胸元まで押し寄せる。
冷たくもあたたかくもない涙の海で、わたしは水を吸って重くなった服を煩わしくおもいながら、足を進め始める。行き先はわからないけれど、何処かへといかなければならないのだ。
思うように進まない歩みに、すこしの苛立ちを覚えるわたしのすぐそばを、鈍くひかる何かが通りすぎた。目で追えず、気のせいだと思った次の瞬間も、ひとつ、ふたつとわたしを追い越してゆく。目を凝らしてみて、…ああなんだ、魚か。ちかくの川からここまできたのか、突っ立つわたしにぶつかることなく魚たちはすいすいと泳いでゆく。それを見てわたしは そうか、泳げばいいのだ、と妙に納得するのだ。
つま先で地面を蹴って、躊躇いもなく泳ぎだす。本当なら濡れた服のせいで泳ぎにくいはずだけれど、夢のなかのわたしは、まわりの魚と同じように なめらかに、そしてのびのびと水のなかを泳ぐ。
そうしていつの間にか 涙はとまり、けれど行先はわからないまま わたしは水を掻く。不安と戸惑いを抱えながら、これまたいつの間にかコバルトブルーに変わった海のなかを泳いでゆく。そして息継ぎをするタイミングで目が覚めるのだ。
こんな気分のときはいつもそう。理由はわかっている。夢に見せなくてもいいよ。ちゃんとわかってる。覚悟を決めなくてはいけないのだ。