最近日差しがキツイのでサングラスを買ってみました。
サングラスといっても薄紫のスモークのかかった眼鏡のようなタイプです。
やっぱりあるのとないのでは違う気がしますが、私の見た目がコスプレみたいになってないか時々心配になりますね。
6年前は新しい仕事を始めて1ヶ月経った後らしい。もうその仕事も辞めてしばらく経ちますが⋯
で、今まだ無職不透明⋯ですね。どんだけ透明人間でいるつもりなんだ思いますが、透明人間になりたいなーなんて昔よく思っていました。
誰からも自分が見えてないって楽だよなーと。でも、「誰もあなたを見ていないよ?」と自意識過剰が邪魔をするとき、言われたことありますよね?もしくは自分でそう唱える。ダレモワタシヲミテイナイシーと。
でも、物理的にはやっぱり私誰かからは見えるんですよね。この物理的っていうのが厄介で、誰も自分のことを意識はしていないけど見ようと思えば見えるっていう事実が邪魔をして何も出来ないなーと思うんですよ。
だから今私が透明人間になれば誰からも絶対に見えなくなって、堂々と居眠り出来るのに⋯とか小学生の頃もよく考えていました。
精神的にではなく、肉体的にも一時的にでも姿を消せる能力があれば人間はシンドくなく生きられるのかなと。嫌な人がいたら距離を置くとか、よく言われますけど、それって精神目線の感覚が多いですもんね。本当に物理的に距離を置くのが出来ないから悩んでツライのですから、一瞬だけでも自分が見えなくなる技術があればいいなと小学生だった頃の私と結局同じことをシジューアラウンドな年齢でも思っているのがブレなさすぎて自分らしいですね。とりあえずまだ私、その技を修得してません。
またこの日がやって来た
今年はちょっと特別な思い入れが...
たらればで事実が違っていたら今の自分も変わっていたのは確かなこと
そうだったらどんな今があったのかな?
でも43年前はこんなに暑くなかったのは間違いない
退職からおよそ2年が経過しました。
元職場との人たちとは連絡は途絶えており、現在の状況は不明です。しかし、私の不在が職場にとって良い結果をもたらしたと推察します。
在職中は「業務範囲内で、規定に従って」という方針で業務に取り組んでいましたが、これが周囲に不快感を与えていたようであり、私としては対処のしようがありませんでした。
特別な意欲や能力があったわけではないため、「業務範囲内」かつ「規定通り」に業務を遂行することしかできませんでした。
そのため、そうした働き方すら許されないのであれば、退職するほかに選択肢はありませんでした。
現在では、業務範囲を超える事柄も業務であるかのように扱われ、規定外のやり方で進められていることで、皆が円滑に業務を遂行できていることでしょう。
60代以上の女性でセルフレジを頑なに拒否する人が多いって記事を見たんですが、ああ、多分コレ、ウチの母がまだ生きていたら拒否する側だったろうなと。生きていたらその年代なので。
失敗してパニックになっているのを店員が助ける姿をよく見かけるということも書いてましたが、パニックになって店員が普通に教えてくれてるのに、後から愚痴ったりするのがウチの母だろうなと勝手に想像してしまいます。
「私は教えてもらったことがない」なんて、私が料理の手順がわからなかったり、その他ヘマをしていたらよく言われていたなと。そんなことを普段から言ってるけど、自分がわからないときは教えてもらいたがるんだろうなと、もう予想でしかないけど、まあ、あるだろうなとどうしても思ってしまいます。
ここでしみじみと、セルフレジの愚痴を聞いてあげたかった、教えてあげたかったと言うのが文章的には綺麗な落とし所なのかもしれませんが⋯わからない!という不安から来る怒りに周りを巻き込まなくて良かったんじゃないの?と思ってしまいます。
私にしてきた言動から体はここになくとも、想像という意味では生きていることになりますね。綺麗事では終わらないしずっと何かの話題につけて綺麗事ではない蘇り方を母は私の中でしていくのでしょうね。
雨か晴れかで予定を決めるのではなくて、気温が高いかどうかで予定を決めることが増えましたね。暑いからしょうがないのですが、毎年毎年夏に削られてるなーと思います。
私の住んでいる地域では梅雨明けはまだですが、たぶんもう明けてるのでは?と疑うくらい暑いですね。
まだまだ病気が治らない。
私なんていらない存在…と毎晩考えてしまう。
明日になれば、忘れるけれど。
ぼんやりとある「辛い気持ち」が無くならない。
どうしてかな
家族の前ではなるべく穏やかにしていたいと思うのだけど、親戚や近所の人たちに対する愚痴やら批判やらを何度も聞かされてストレスが溜まり、キツく当たったつもりはないのだが、もしかしたらそう受け取られたかも知れないと思った。
ただ、本音をあまり言わずに気持ちを察してもらって、自分のして欲しいことをしてもらおうとしているように見えたので、どうしたい、どうして欲しい、というのがあるのならちゃんと言って欲しいと何度か繰り返し言った。
ただそれだけを伝えたつもりなのだけど、あれだけ人に対する批判を聞いた後だと、どう思われてるのかと気になってしまう。
実家から帰って来てまた普段通りの生活になるので、気持ちを切り替えて過ごしたい。今週からまた仕事が少し忙しくなりそうなのが、良いことなのかどうなのか。…正直、忙しいのはちょっと嫌だな。
甘さ控えめって何処までのレベルなら控えめなんだろう?と甘さ控えめと表現したあんこのパンに対してふと思いました。
控えめというか、甘さがちょっと足りない気もするけど、素材の味を活かすといえばそうかもしれないと。
何か足りないときは、「素材を活かす」と言っておけばいいのかもしれません。ただ、今食べたパンは本当に美味しかったです。甘さ控えめで素材が活かされてて⋯
ここ最近、毎日殺人級の暑さですが、外に出ないという選択肢がなかなか取れないときが一番堪えますよね。
熱中症の話題も良く見ますが、私も子どもの幼稚園時代の運動会で熱中症のような症状になったことがあります。というか、毎年何かしら体に異変があったので、精神的にも負担だったんでしょうね。
照りつける陽射しと、子どものために!という異様なテンション、保護者がなぜかおそろいの色のヘアバンドを身に着ける。
ああ、思い出しただけで陽射しが降り注ぐようです。
ハイテンションの人を貶したい意図は全くないのですが、ハイテンションじゃないと子どもに愛情がない、シラケるという圧が猛暑なみの空気なんですよね。もちろん、その場の空気を壊すようなスレた態度を取っていたわけでは決してないですし、むしろ普段の私よりハイテンションではあったんですが、それでも届かない何かってやっぱりあるんです。そんな精神的な猛暑と実際の気温と陽射しがダブルで降り注いで自分の体をおかしくしていた⋯そんな感じです。
小学生になり、段々と保護者はただ見に来ているだけという雰囲気に変わっていったし、そもそも子どもの出番のときだけ見に行くというスタイルだったので、純粋に子どもを見るということが出来るようになって楽しめる部分がありました。
子どもが幼稚園時代のことを思い出すと、一部のハイテンションの人しか子どもを持ってはいけないんじゃないのか?と思いにさせられることは多いです。運動会のことだけじゃなく、自分には幼稚園の子どもを持つ保護者という立場が負担でしかなかったです。せっかく、子どもと自分が離れる時間があって幼稚園という第三者の目線も増えて良い距離感で子育てが出来る!と喜んだのも束の間、その距離感を他の誰かが決めてくる⋯そんな圧を感じつつ過ごしてましたね。あの空気感、苦手な人は3年間だったとしても保護者としては絶望しかないし、いつか終わるけど、その終わるまでが長く感じたなーと。
子どもに愛情があるならそんなこと言えない!と言われるんだろうなーという流れがもうシンドイのです。ハイテンションじゃないと愛情がないという短絡的な感覚がもう違うなって思うし、ハイテンションならば他の保護者の悪口を言ってもいいのか?と思う場面にも遭遇したし、本当に年がら年中熱中症を発症しそうな環境でした。
でも、私はなんとか頑張った!もう、ある程度年数は経過しているので、他の保護者のテンションに合わせる機会はないでしょう。もしあったとしても全力で逃げますね。いてもいなくても牽制されるなら、いないほうがマシなんですよね。そういうことを学びました。熱中症には気をつけましょう。