手頃で美味しかったとしても、容器が弱ければ買わない。
少なくとも私はそうしたいと思います。
中身を守る外見も大事です。
自分たちのせいではないし、あなたのせいでもないけれど、原因は自分たち以外にあるから、あなたのせいなんじゃないの?みたいに言いたい文章でガッカリしてしまいました。
原因はわからなくとも、自分たちのものが弱かったために起こってしまったことが原因だと私は私で思っているのです。
だから、調べたけど自分たちのせいじゃないから、ここからの追及はご容赦くださいって言われても本当は納得いかないんですよね。自分たちのせいじゃないけど、脆弱性を指摘されて、そのために私が負を被っているのだなら、脆弱性を強靭なものに変えていくと言ってくれたら納得出来たんですけどね。
自分たちのせいじゃないなら、出来ないこと、しようとしていないことは言えない言わないのが正解なのかもしれません。でも私は普通に取り扱っていてたのに破損してまい、その破損によって、私や私の持っている他のものが汚れたという経緯があるから
そこについてもっと深く気持ちを寄り添って欲しかったです。
ただ、この件で信頼というものは壊れました。普通にしているだけで手間がかかるリスクを負ってまで、手に入れたいものじゃないからです。こうやって信頼って失われていくんだなーって思いました。他の人からは言われていないからっていう自信があるのかもしれないけど、私は少なくとも、もういいやってなってます。ぶつけていないのに破損する器なんて、いくら中身がよくても意味がないのです。
約束してるのに
誘われたからそっちにいきたい
だから別日に変更できないかって
なんで?
そっちを別日にしようという気はないのか?
ないから聞いたんだよね。
私の返事はもちろん、どうぞ。ですよ。
お日様の匂い〜って嬉しそうに洗い立てのタオルに顔を埋める(埋めていたかは朧気)柔軟剤のCMが好きだった。わかるよ、お日様の匂いってあるよね。実際はお日様に香りなんてないのかもしれないし、違う匂いなのかも。だけどなんか落ち着くんだよね、お日様の匂い。柔軟剤はほのかにふんわり香ると嬉しいな。
「本当にやりたいこと」は「何もしない」ことなんだよな。
プーさんと一緒。もしかしてくまのプーさんの「プー」てそういうこと?
今の職場、基本的には今までを考えたら天国みたいなところで、定年までずっと勤めたいと日々思うような場所なんだけど、自分が苦手だと思いもしなかったことが分かるようなこともあって人間的に未熟だと思い知らされる
例えば自分から手を上げて発案、リードを取って推進するってことがよく求められるんだけどこれがかなり苦手だってわかった
なんでそんなにストレスになるのか考えてみたら、まず手を上げてリード取るとなると、当然自分の案についていろんな人があれこれ言う、それに慣れてないからだと思うけど言われたことをいちいち真に受けて悩んだり反発したりする
それに、自分はこうしたい、という思いを出しすぎたら周りの人の反感を買ったり興味を失ってしまう(「じゃあ好きにすれば?」)んじゃないか、という恐怖心もあると気づいた
多分単純に自分がいいと思うやり方について何か言われるのが嫌だ(逃げたい)という気持ちもありそうで、それは何かきっと更に根深い問題に原因がありそうだとも感じている
果たして自分はそうやってリードを取るってことはしたくないのか、それとも単に慣れてなくてやり過ごし方やリードを取ることの楽しさを知らないだけなのか、やってみなきゃわからないから挑戦はしてるけど、自分の根っこにあった未解決の問題がゴロゴロ明るみに出る感じでかなり痛みを伴う
手作り弁当の衛生面が気になるから、食中毒が気になる季節は思い切って弁当をやめよう!とはならず、アレコレ対策して弁当を続けさせようとするのが日本っぽいと思いました。
自分で決めてきたように思うことでも、紐解いて見れば「自分で決めたように思わされている」ことって多いのかもしれないと思いました。
「こっちの道に進めば今と環境は変わらないけど、食料は少ないから自分で確保するために別の道と平行して進まなきゃならない。だけどあっちの道に進めば、今と環境は変わるけど、他の道と平行しないでもそこで頑張れば食料は確保出来る」
という言い方をされたら、こっちの道より、あっちの道のほうがいいかな?なんて考えてしまうと思うんですよね。
進ませたい道があるけど、自分で決めたという形が欲しいときの導き方ってやっぱりあるんだと思います。
それを含めて、「自分で決めた」という意見ももちろんあるでしょうが、誰にも導かれないで左右されないで、自分で純粋に決めたことって、私にはあるのかな?なんて思うのです。
カレンダーは家族の予定を書き込んで使うので、永遠に使えるみたいな日めくりカレンダーって日めくりが手間だしわたしは選ばない。
家族がデザインもちっとも好みじゃない日めくりカレンダーを買ってきて、そこは違うだろってとこにぶら下げた。3ヶ月くらい経つけどたいしてめくってないし、自分の部屋にぶら下げてもらいたい。
ここまで書いて、ああそうだわたしには自分の部屋もないんだわと気づく。
もう2・3年前だろうか。
自分が妄想の世界に迷い込んでいた時に、「それ、妄想だよ」と誰かに言われてその世界から抜け出すことができた。
それから一年後、また症状が出たときも、「本当は何も考えていない、妄想」と誰かが繰り返し言ってくれたおかげで妄想の夢から意識を取り戻すことができた。
あの声はいったい何だったのか。
2024年、去年の12月。
一連のものとは少し違った声がした。
脳内に「頑張れ」と一言、その言葉が響いたと同時に、かなり攻撃的な言葉がずっと浮かび上がってくる。
当時、自分の意識はハッキリとしていたので、何だか不思議になってしまったことをよく憶えている。
攻撃的な言葉は「頑張れ」に対してのものなのだろうか。
オタクとしてはこの心霊的で脳病的な脳の働きに興味がある。
もうホラーゲームみたいで面白いよね。
(*6ω6)まじで脳外科とお祓いに行きたいわ~。