2025.07.04Fri
非表示 05:49

分類的にはレベルの低い大学、いわゆるFランとか揶揄されてるような大学に推薦で入ってます。
私の場合はFランだから、推薦で入学しようが何しようが、推薦入試で入るなんてズルい!なんて言われたことはないんですが、一般的に推薦入試は実力じゃないって考え方、ありますよね。
このズルいって何だろうなって思います。地道に努力して学校側の基準を満たしていれば別にズルくはないんじゃ?と個人的には思います。
偏差値の高い高校の評定5と偏差値の低い学校の評定5は理解度が違うというのはわかるんですが、違ったとしてもそれが基準なんだから基準を満たしているんだからいいんだよと思う派です。評定を高くするために何かしらの工作をしたのなら、ズルいしダメですが、基準を満たすために置かれた場所で努力したのならズルくないんじゃないでしょうか。
入学した後に本人が勉強についていけないという意見もありますが、それは本人が自分で理解し自ら解決していくことだと思うので、大学側が入学許可したのなら外野がとやかく言うことではないのかなと感じています。
このズルいって感覚⋯なんでしょうね。誰かがズルいことにしないと自分自身に納得させてあげることが出来ない人が多いのかもしれません。大学に行く人にとっては、入試方法は関心事の1つだと思うので、そこで良くも悪くも多様な感情が生まれやすいんでしょうね。
例えズルくても、そのズルい人がいなくても自分は入学出来なかったと思うより、そのズルい人がいなければ自分が入学出来たかもしれないと思ってしまう感情⋯大学入試に限らず、こんな感情になることは誰にでもあるのかもしれません。その内面を整理していくことが大事なんでしょうね。

2025.07.03Thu
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気がつけば半世紀ほど生きているので世界の終わりは5回目以上経験済み。そのたび新しい時代とか魂の成長とか言われてきたけど世界も人も変わっていない。


非表示 05:46

焼き魚って特別感ないけど、今日の献立何にしよう?から始まり考え、買い物に行き焼く。そして魚グリルを洗う。これはもう手間のかかったご馳走なのに。


細やかだけど盛大に

非表示 05:42

そういえば記念日というものが自分にも迫っている。
ただ、もうその記念日はやらないで欲しいとお願いしているから、なかったことにはなっている。
「細やかに」ということに対しての価値観が違うことがわかってしまった記念日でもある。
相手にとっての「細やかに」は私にとっては「盛大に」だった。
考え方が違うだけならまだしも、その記念日を祝うにあたって、私の負担がかなり大きくなってしまうのが問題だった。
店で自分1人でゆっくりデザートを選んで買ってくるのが相手側の負担だとしたら、私の負担は祝いの献立を考え、買い物に行き、それを作る。しかも自分1人でゆっくりというペースはない。自分以外のこちらの気持ちでコントロール出来ない小さな人間と一緒にその行動をしなければならなかった。
私は毎日疲れていて限界だった。毎日疲れているとも相手に伝えていたけど「毎日休みなのに何が疲れるのかわからない」と言われていた。そんなに相手を労れないのに、2人の記念日をやる意味があるのかわからない。わからないからやらない。それだけ。
ただ、相手が記念日のためにゆっくり選んだデザートを食べて、少しホッとすることが出来れば、私は「細やかに」記念日を祝うことが出来て安心したんだろうなと思う。その細やかさが今日まで繋がって焼き魚以外の献立を考えられたかもしれないと思うのだ。
来週は、焼き魚にしよう。相手が覚えていなくてもやるのだ。これは細やかとも言えるが、盛大な記念日なのだ。

2025.07.02Wed
非表示 18:39

ひとりになると、夫との過去を思い出す。
優しかったよな、とか、いろいろ。

嫌だなと思って、ひとりになるのに、思い出して、やっぱりいいやつだよな と思う。

そう思いたいだけなのだろうか。


非表示 09:36

最近改めてクレープ生地の作り方を習う機会があって、おうちクレープの可能性にときめいてしまった。
簡単な材料でかなりの枚数(直径15〜20センチくらい。ひっくり返すのも楽)焼けるので、夕飯時にやってみた。
甘味もそんなにないので塩味おかずを包んで食べるおかずクレープメインで、最後にデザートとしてカスタードクリーム作ってフルーツ切って用意した。
やってみると巻き寿司感覚で良かった。寿司と違って炒め物とか半端な量の作り置きでもいいしね。
それで思い出したけど、昔友達の家にお泊りさせてもらった時、彼女がホットプレートでどんどんクレープ焼いて、最後に肉野菜炒めや炒り卵をそのまま作って、プレートから直接とってクレープで巻いて食べてたのが楽しかったなって。馴染みないスタイルだったからすっかり忘れてた。
今回、教えてもらった時にあったレタスが家になかったので、千切り塩もみきゅうりを使ったんだけど、これがシャキシャキ食感で美味しかった。歯応え系生野菜はマストかも。
また今度やってみよう。


非表示 07:55

良く考えたら楽しい事も隙間にはあるんだけど、ついついメインが嫌だったらそれだけしかなかったような日と思ってしまう。嫌なことがあるときこそ、良かったことを小さくてもこじつけでもいいからカウントしていくのがいいのかな~


非表示 05:53

その当時楽しめたからいいのかもしれないけど、時間が経ってもったいなかった!って思うことは、無駄だったとしか言いようがないんですよね。そういうものってやっぱりありますよね。無駄なものは無駄だったときっぱり決めて生きていくことのほうが重要。


非表示 05:40

結婚記念日だったそうです。私のじゃないですよ。悪趣味でSNSを見ている元友人の結婚記念日。
赤ちゃんが大人になるくらいまでの期間って長いなー。あーオメデトーゴザイマスーって感じなんだけど、そういえば相手と付き合うとかそういうのが始まる時にちょうど私は友達として存在してたなぁと勝手に思い出していました。
結婚式も行きましたね。あの頃、私はお金なかったのに着飾って頑張ってたなー。だけど、元友人の思い出からは私はモザイク扱いで再生されているんでしょうね。
ご祝儀に三万、あの時しか着ていないドレスとかそういう装飾品合わせたらけっこうな金額だなー。こうやって書くと、私がケチみたいですが、当時は友達だから!という気持ちがあって、金額的には高いけど、高い、高い、高いとは思っていなかったんですよ。仲良しな友達の結婚式に参加出来るなんて嬉しいなって思っていました。
だけど、結局はこんな感じで会わなくなる。もう、私の存在なんかなかったことになっている。その後に出会った人とのほうが親密なんだろうなというのがコメント欄から伝わる。ああ、この人時間とお金使って結婚式行っていないのに⋯と。
冠婚葬祭にはケチらないのが常識で、それはそうかな?とも思う反面、ケチってもケチらなくても一緒だなーなんて思ったりもします。むしろ、続かない関係にお金を払うってもったいない。その当時はずっと仲良く出来るなんて思ってたから無駄じゃないって意見もありそうですが、まあ、当時楽しめたからいいでしよ?と自分にも思いますが⋯そのお金が今はどうでもいい人の結婚記念日に繋がっているのかと思うと、ああ、どんだけボランティアしたんだ私。って思ってしまうのです。お金は払ったからケチじゃないよね。そもそも自分に合わせてもらうのが当たり前の元友人に辟易したので⋯わざわざ労力使ってお祝いしたのに相手の養分にしかなっていないのが、一番の無駄で私の人生には何の思い出にもなっていないのです。お金は自分の養分になることに使いたいですね。そうしないと長い年月がたっても、もったいないと思ってしまうものなんだなと実感しています。

2025.07.01Tue
非表示 13:50

貧乏ではなくとも金持ちではなかったら、うちは貧乏〜というしかない時もあるんじゃないかと思うんですよね。

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