白い顔して皆を楽しませてくれるあの子のことをPierrotと言うと思いますが、カタカナで書くとNGワードに引っ掛かりますので、道化師とします。すぐに道化師という違う言葉を持ってこれた自分を褒めたいと思います。
もう30年以上前の話なのに、時々自分の中で再生されるので書いておきます。
小1の運動会での話なんですが、前の席の子とちょっとしたことでトラブルになってケンカしたんですよね。内容は全然覚えていないけど、子どもどうしのよくある揉め事だったのかもしれません。
なぜ、そんな些細な誰にでもありそうなことを時々思い出しているのかというと、この時のやりとりがビデオに録画され、自宅で再生されたからなんですよね。
運動会を観に来ていた父が録画していて、それを面白おかしく再生されて家族の前で公開されてしまったからだと思います。
このビデオ、何回か再生されているんですよね。だから記憶に残ってしまっているんだと。何回も再生することで、下のきょうだいたちも自然と私をバカにしていいと擦り込まれていったんだと思います。
父は私の失敗や見られたくない部分をあげつらってバカにするのか大好きな人でした。あの時もビデオなんか撮らないで大人なら仲裁するか、そっとその場を離れるか出来たと思うんですよね。
それをしないで格好のネタが出来たと言わんばかりに撮影し、家族に公開し、バカにする。昔の家庭用のビデオなんて性能が良くないのは承知ですが、子どもの競技はあまり上手く撮れていないのに、あのシーンだけはバッチリ撮れていて、なんだかなと思います。
父にとって、私は理想の子どもではないのはなんとなく感じていました。他の子どもより出来ないことは多いし、大人の気分を良くしてあげるような子どもじゃなかったからです。父は私が褒められることで自分も褒められたように感じる体験もしたかったのだろうけど、私は能力が低いし、それは無理だと本能的に悟ったのでしょうね。だから私を道化師のような扱いにすることに切り替えたのでしょう。私は笑われることに慣れたくなかったし、バカにされることに違和感を覚えたかったけど、子どもすぎてそれが普通だと思ってきたところがあるかもしれないのです。そして、時には誰かを道化師にすることで乗り切っていた部分もあったかもしれない。家では私が道化師だけど、本当はそれをやりたくなかったから誰かにそれをやって欲しかったという思いがあったのかもしれないと。誰かを道化師にしたかもしれないって思うだけで具体的な記憶はないんですよね。道化師にされた側はこんなにもずっと覚えているのに。
家庭環境が物を言うということを、年月が経ったからこそ理解することが多いです。私はマトモな人間なわけがないんだよなーと思えてることがまだマシなのかもしれない。運動会で取り組んだことよりも、あの揉め事をしっかり撮影し、それを一番の記憶に植え付けてくる親。そんな親の元で育ち、同じ遺伝子を持った私がマトモなわけがない。だけど、道化師もやらないし誰も道化師にしない。それを心に刻むために、あの動画がいつまでも私の中で再生されるのでしょう。
シュガルンの短編アニメを見た。
あーこれこれ、こういうのが見たかったんだよねー!
昔アニメ化された時、分かってたけどコレじゃない感が酷くて全く見れなかった。
漫画のシュガルンの小粋でオシャレな感じがすごく好きだったんだよね。
それが今回の短編にはバッチリ入ってた。最初3DCGだったからちょっとどうかな?と思ったんだけど、細部にこだわってたし、変にカクカクもヌルヌルもしてないいい具合だった。
またシュガルン読みたくなってきたな。
世間では「過去のことをくよくよ言うな」というのが定説ですが、私はむしろ、嫌だったことや印象に残っていることなど、昔のことを何度でも語りたい人間です。
ここでは、まるで昨日初めて起こったことのように過去の出来事を書けるので、私にとって大変ありがたい場所です。たとえ過去に書いたことと同じような内容になったとしても、ここでは誰が書いたか特定されませんし、「もしかして同じ人かな?」と思われたとしても、「それ、私じゃないです」と知らんぷりして生きていけるのが良いですね。
本当に言いたいことは、何度でも繰り返して伝えたい。そんなことができる場所は、なかなかないと感じています。
長い年月を過ごしていると情が移るなんていうけど、情が移るというよりは長い年月でしか築けない何かはありますよね。
それを他の人と築こうとすると、東奔西走、紆余曲折をまたやらなきゃならないんですよ。それを私は出来ないんです。
コレは見せられない、好きだから。みたいなのって永遠じゃないんですよ。コレは見せられないって思ってても、見えてしまう時のほうが多くなるし、それを見たときの対応に年月でしか補えない何かを感じたら、その年月は正解だったと判定していいんじゃないですかね。
具体的に書くと日常過ぎるのと、日常過ぎて赤裸々になりすぎて書くの難しいんですけど、ざっくり書くと汚いものをどうにか処理してくれたみたいな感じですかね?それだけで充分だし、好きとか恥じらいとかもうそのフェーズではとっくにないので、今のまま年月を過ごして行きたいと思います。私は。
相手にも感謝だけど、自分にも感謝です。
暑いと買い物に行くことが減るから、野菜がない。
ギリギリまで買い物に行かないから、節約になっているはずと思いたい。
発売直後に迷ってたら店頭から消えてしまった「アネッサ BRUSH ON」
やっぱり買おう!ってなってから探せど探せど見当たらない。
マツキヨ限定だったってのもあって、どのドラッグストアにもあるという訳じゃなかったから、探すのも難航した。
今日やっと、やっと発見して即買った。
明日からパフパフするぞー! 汗で浮かないといいんだけど。
特に用事もないけど家でもやることないし、やる事はあってもそれはやりたくないから、無駄に外出中です。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
日常生活は普通に出来るけど、障害を持っている主人公のドラマを配信で一気に観ました。
そんな状況で恋愛をするということがベースに描かれていたけど、周りと同じように出来ないけど、周りと同じように一瞬は見えてしまう自分、そして、その状況を理解してしまう自分の葛藤が丁寧に表現されていて良かったです。
私は、いわゆる診断を受けていないし、もし、検査しても何もないかもしれないけど、他の人が普通に出来ることが出来ないもどかしさみたいのは多く感じてきたので、そこに感情移入して観てしまいました。
みんなが普通に出来ることが出来ないってキツイんですよね。それが出来ないだけならいいけど、イラつかれたりするのもシンドイし、だからといって優しくされるのも自分は出来なくて優しくされていると実感してしまうから、それはそれでツライ。
じゃあどうすればいいのよ?と言われても正解がないんですよね。自分も正解がわからないものを他人が正解を持ってきてくれるわけがない。だけど、たまにしっくりくる優しさに出会うとすごく嬉しいし、ありがたいです。ドラマでは、このしっくりくるところから恋愛に発展していったので、この感じ、よくわかりました。
誰かに向ける優しさが正しいのかもどうかも考えましたね。自分があげているものが正しいとは限らない。心の複雑さに改めて気がついたドラマでした。
子ども用のチョコでたまに美味しいものありますよね。
私が気に入っているのはキャラパキです。恐竜の化石に模したホワイトチョコの周りに土に見立てたチョコが巡らせてあって、それを割りながらキレイに化石を発掘して食べるというお菓子です。恐竜以外にもメジャーなキャラクターのキャラパキもあります。
味が甘いけど、ミルクな感じで美味しい。土に見立てたチョコに入ってるパフもいいアクセントで好きです。
ファミリーパックタイプはあまり売っていないのですが、見つけたら買ってます。