おなか空いた。もうお昼ご飯としてカップラーメン食べちゃおうかな?
一人で食べるの久しぶりかも?この部屋に誰も来なければね。
一人になるのが至難の業なのが春と夏と冬に訪れるからけっこうキツイよね。こんな性格なのによくやってるよ、自分。
自分で自分を褒めなきゃやってられん
バターと小麦粉と砂糖をフードプロセッサーでグルグルして焼くだけでクッキー。材料の計量も適当だけどクッキーだよ。
ちゃんとやらなくても美味しく出来て最高。
きっちりきっかりやるのは何事もしんどい。
旦那は朝から色々あり、イライラ。
何でいつも自分だけこうなんだ⁉︎みたいに言ってるけど、私からすれば、毎回同じことでイライラしてるよ。
あと日頃の言葉遣いとか悪いから、そのまま自分に返ってきているんじゃないかと思う。
言葉は大事。
話は変わって、生活費の話になり、イライラしてる旦那は私が使いすぎてると主張。
外食は2人でいつも決めてるのに一方的に私が悪い??
じゃあ、あなたのお金でご飯は買いません。買ってもらわなくて結構。
こんな日は、自分の好きな物食べて漫画読んで癒されよう。
今日でフジテレビ「とくだね」が終わります。私が小学生の時に始まったんだよね。学校とかで見れない日の方が多かったんだけど、夏休みは毎日見ていた。
社会人になって仕事順調に行ってる時は当然見れなかったんだけど病気で退職、無職の時も毎日見ていた。なんなんだろうね、私はフジテレビが大好きだった。昔も今も。
なんか自分でもよくわからないんだけど、自分は昔から8ちゃん(フジ)が大好きでして。青春と共にフジがありました。テレビっ子だったんです。
80年代と90年代、テレビっ子でした。その中でも特にフジテレビって言うのは高嶺の花で、今じゃ勢いがなくなってしまったんだけどそれはそれはフジテレビと言えば人気があってみんな当時はフジが大好きだったんじゃないんかな。
バラエティと言えばフジって感じもあった。ドラマもフジって感じだった。フジって昔、本当に輝いていたんだよね。ただのお前それ、フジマニアじゃねえかって感じなんですけども。
本当に、昔のテレビは楽しかったんだ。そしてフジテレビは、私の憧れでした。お台場に初めて行った時、キラキラと本当に輝いて見えました。
でもそんなフジテレビも時代の波には逆らえずに、今となっては寂しい姿でもあります。なんだか寂しいんだよね。私の目にはキラキラしていたお台場フジテレビも寂しく見えました。楽しかったんだよなあ。昔のフジテレビ。
アナウンサーもキラキラしていたし、バラエティもドラマも大好きだった。いっぱいいっぱい、楽しい番組があって毎日見ていました。スタッフさんも芸能人も頑張っていました。
フジテレビの熱量が大好きだった。でも大好きな番組もことごとく終わっていってしまった。あんまりこれを言うと私は老害と言われてしまう。
でも本当に楽しかったんです。昔は本当に、楽しかった。いえいえ、「本当に楽しかった」ただただそれだけなんです。テレビが全ての娯楽でした。
今となってはテレビは敵みたいな所もありますがね。ただただ存在している箱物って感じにも見えてきました。テレビの役目はもう、終わりました。
「それでも俺たちは諦めたくないんだ」って言う業界人さんもいるんだけど、この時代じゃもう、昔みたいな物は作れません。ダメなんだよね、もうね。
なんかとくだねって22年間やってたんだよね。凄いんだよね。笑っていいともとかスマスマが終わる時とかと似ています。
スタッフさんとかももう、退職する人が多いのかもしれないですよね。22年だからそれぐらいの年齢の人も多いんだろうし、自然なことなんかもしれない。
フジっぽい昔からやっている長い番組ってあとはめざましテレビぐらいじゃないんか??と思った。めざましまで終わってしまったら、もう本当にフジテレビが終わりそう。(いや別にフジは終わらないんだけどイメージ的に)もう少しで始まります。
昨年亡くなった実家の犬が夢に出てきた。夢で会ったのはたぶんはじめて。
家族で写真を撮っていたらいつの間にかいて、みんなで「ちょっと降りてきちゃったのね~!」と穏やかに笑っていたらだんだん薄くなって消えた。いい夢だった。また会おうね。
人のイヤなところしか目に付かない。
自分のことを棚に上げて
何を言ってるんだろう、私。
自分が誰からも疎まれない
完璧な人間なわけないし、
そんな努力もしてないくせに
自分という人間が小さすぎて
イライラしてしまう。
もう誰とも関わらない方がいいのかな。
毎日毎日、我慢していることに疲れちゃった。
いつ咲くか?なんて待ちわびられて期待されて、1輪咲いても喜ばれ満開なら最高に褒められ、散り方も美しいとされる。それで、また来年の春に会いましょう〜っていう桜が羨ましいときもありますね。
春に大仕事をするために、それ以外の季節も地道に仕事しているのはわかりますが、春に目立つ仕事したら成果を認められて他の季節はゆったり過ごせているように見えて仕事としてバランスのとれた働き方だなと思いますね。
そういう仕事をしたいと毎年ちょっと考えてしまうけれど、自分の性格を冷静に照らし合わせたら桜のような仕事は無理かもしれないですね。
「いつ咲く?とか騒がれて、うるさいなぁ。プレッシャーなんですけど。天気とかも関係あるんだらお天気さんにも聞いてよね、イチイチ咲いたかどうか確認しないで、疲れるわ。満開になったら人が沢山集まって気が休まらない。今年は花見が疫病蔓延しないように自粛求められてるから、正直ホッとするわぁ。なんでわざわざ桜の下で宴会しなきゃいけないの?見てるだけ疲れる…」
なんて言ってそうですよ、私が桜さんだったら。
こんなふうに考えている桜もいるかもしれないですけどね。そういう桜がいたら応援したいけど、どれがその桜か私にはわかりませんね。ちゃんと咲いていれば何を思っていても誰にも知られることはないんですよね。やるべきことをやれば心の中は自由ですよね。負の桜が満開でもOKです。
必要ないラインのグループは抜けちゃうのはもちろんだけど、電話帳もこの際だからと思って、交流のない人は削除してみた。
必要ないなんて失礼かとは思うけど、でももう何年も交流ないのに連絡先を知ってるのも変だよなぁと思って。
もちろんお世話になった人も、その時代楽しませてくれた人もいたけど、もう連絡はしないからこれでいい。
繋がりは大事かもしれないけど、繋がれる期間や人数も限られてるのかな?
期限がある交流だとしても、それが悪いわけじゃないよね。ずっと続くことを前提にしてまうとそれが重荷になってしまうこともあるような気がするよ。
この数日、相手から一言、二言のメールが何度も届く。
なにをどうする、どうしてほしいもなく、状況を伺っても答えがなく、自分にわかることを示してみても伝わらないまま続くメール。
そのメールが届くたび、胸がぐっと苦しくなっていることを隣の同僚に伝えたところ「それをストレスというのだよ」と返ってきた。
そう、この手のメールが大の苦手で、切羽詰まった状況や言葉をどう受けてよいのかいつもわからない。
言葉は投げられているが、どうやら自分が透明になるらしい。
深く眠りたい。そして明日には回復する。はず。
やっぱりだめだった。
わかっていたけど、はっきり言われるとやっぱり心にズーンとくるなぁ。つらい。
「やっぱそうだよね」って笑いながらいれたけど、心の中はどうしようもない暗闇で重かった。ベッドに入った瞬間涙がでた。
きっと贅沢な悩みなんだろう。私が望まなければ、このままずっと平穏な日々が続く。