1年前の昔のニッシを読んでたら、真面目さ9割、図々しさ1割で頑張るみたいなことを書いていた。
あれ、これ割合、逆で良くない?真面目さ1割、図々しさ9割でいいんじゃないか?さすがに人間としてダメ?
それか真面目さ1割、図々しさ2割、後の7割は余力。こっちがいいかも。
1年前の私がおかしかったのか、今の私がおかしくなったのか?
どっちでもいいけど、1番大事なのは余力を残すことかもしれない。
さて、1年後はどんなことを戯けているか楽しみにしておきましょうか〜。
せっかくだからってめっちゃいい言葉じゃない?
せっかくなんだもんやった方がいいよ!って背中押される気がする
こんな機会ないよ、もったいない!やったほうがいいよ!って言う心の中のポジティブが湧き出てくる気がする
いやいやでもだけどって言うネガティブ君よりなんとなく強い気がするんだ
こんな状態なんだもん
せっかくだからね!
在宅ワークもう1年経った
始まりたては心が折れたもんだ
だが、もう慣れたもんだ
自宅がオフィスになっただけだと
どうやってモチベーションを上げるか、が
だんだん
今日のタスクってこんなもんだっけかと
いかに仕事しているって見られるか、になり
だんだん
やることだけやってりゃいいやと
どうやって仕事をせずにサボれるか、に
まさか俺がこんなふうになるなんて
プライベートなんていらないと思ってたのに
プライベートを手に入れた瞬間
プライベートの使い方がわからず
プライベートをつまんないように使い
プライベートをさらに渇望した
しっかり楽しもう
しっかり働こう
しっかり生きよう
人生に申し訳ない
しっかり生きよう
雪は降り積もったら雪掻きとか大変だけど銀世界になるから好きなんだよね
いま住んでる所だとこの時期にしか味わえない美しさがある
銀世界は冷たく寒いけど夜でもキラキラと輝く美しい風景はとても綺麗で心を惹かれるものがあるんだよね……
きょう、ありとあらゆるものをリセットしました
自分の生活を改めるためでした
不必要に食べない、しゃべらない、わらわない
そのように過ごしていくために
過ごすというより、やり過ごすために
ここ三年で本格的に体型が変わり、どうやらそれが戻るには少なくとも年単位でかかると(色んな科の先生と話している感触で)よ~く分かった。
そうと決まれば、今着れない服は捨てるだけ。
ときめこうにもどうにとこうにも物理的に無理なので、某先生言うところのときめきもうんともすんとも起こらず、非常に楽な断捨離である。
何より、逃げ恥原作で読んだ「私服の制服化ワンピースVer.」をこの機会に取り入れてしまおうという算段にこれ以上ないくらいときめいている。
・長袖ワンピ6枚
・半袖ワンピ6枚
・長袖カーディガン(ウール&コットン各1枚)
・半袖インナー3枚(エアリズム)
・あったかインナー2枚(ヒートテックコットンクルーネックT)
・マタニティタイツ3枚(Fairy らくちんパンツ10分丈 ベア天竺 ←様子見)
・レッグウォーマー2枚
・マタニティ長ズボン1枚(ズーティーエアパンツ マタニティスキニー ←様子見)
・コート(カジュアルショート丈&レプシィム 軽やかストレッチ2WAYコート)
前からあるメーカーの烏龍茶が好きで、他のものより好み。
昔からシェアを大半は占めてるあの烏龍茶です。
それを子どものころ家族に公言してたんですよ、「この烏龍茶が1番美味しい!」って。
当たり前のようにその烏龍茶のペットボトルからコップに注いで飲んでいたんです。そうしたら父親から「美味しい?」とか「いつもと同じ?」とかよくわからないけど、いつもと違う質問攻めにあったんですね。
そうです、ちょっとしたドッキリで他のメーカーの烏龍茶をいつものメーカーの烏龍茶のペットボトルにいれ替えたみたいです。
例の烏龍茶が好きだけど、他の烏龍茶が不味いというわけでもないから、そのまま気が付かず飲んでいたんですよね。
父親からしたら、子どもが偉そうにお茶の違いを語るのがウザかったのかもしれません。だからこんなことをされたのかもしれない。それか、ちょっとした遊びの延長といえばそうかもしれない。
もう父本人も忘れているくらい昔のことですけど、私はけっこう傷ついたんだと思います。今でもこうやって思い出すくらいですからね。
これが原因ではないけれど原因のほんの一部として、自分の好きなものを素直に語るのが苦手なのかもしれない。
自分の好きなものを誰かのバカにされる材料にはしたくないし、好きなものは好きなままで余計な負荷をかけたくないと思っています。
烏龍茶って身近すぎる生活の一部じゃないですか?烏龍茶にこんな思い出があるのは私くらいですよね。
飲んだ後に口がさっぱりする烏龍茶のように色々なかったことに出来たら違う性格だったかもしれないなぁなんて思いますよ〜。
みんな、バラバラになってしまったし、みんな、遠くに行ってしまった。
離婚ってなんか、解散みたいだね。一家離散、グループ解散。
まるでアイドルグループの解散みたいだ。
うちの家族は何年も前に解散した。それきりで連絡など取らない。
こんなもんか、家族も。
それぞれのステージへ行きそれぞれの幸せをつかんだ。そうなるんだろう、結果的には。
なるようにしかならないし、三人一緒にいたってどの道別れていた。
だけどそれでも心のどこかに置き忘れたものとか、ポッカリ穴が空いた感じがあった。それって幸せなのかなと思った。だからやっぱり犠牲にしないとけいないのかと思った。
いいや違う、失っただけなんだ。幸せではなかった。幸せという、まがいものだった。
だけどやっぱり寂しい。幸せなんかじゃない。面倒臭いから捨てただけ。関わるのが嫌だから捨てただけ。自分が弱いから、みんなそう。私も父も母も。見ないようにしてきただけ。
家族じゃないよね。そんなの。かっこつけてるだけ、やさぐれてるだけ。
会いたいなあと思うけどもうどこにもいないんだよなあ。なんか人生の不思議。自分の生まれてきた境遇とか環境とか恨むことも多いけれど私はそれでもいいのかなあとも思う。
どうしたって変えられないこともあるし、どうしたって同じ結果になると思う。私はもっとこういう生まれが良かったとかこういう親が良かったとかっていのはうもちろんあったけど、でもやっぱり考えても結局今の結果になってたんだろうなあとは思う。
ラストは決まっていると思うんだよね。辿りつくまでのルートが違うだけで。行きつくところはみんな同じ。私は父と一緒にいたかったし、母にももっと私のことを見てほしかったけれど、そうやって今度は子供の私が父と母に甘えていたら父と母が爆発していたんだろうなと思う。
私のせいで父と母が犠牲者になっていたのだろう。そんな気もした。
結局、自分の幸せなんてものは、誰かの犠牲の上に成り立っているものだし、自分が犠牲にならなければ誰かは解放されないんだろうと思う。そんな風にして人間関係が成り立つ。
私が望んでいた家族と言うあたたかい暮らしを失った代わりに父は別の家族を作った。
母は大好きな自分の仕事に没頭出来た。私は一人になったんだ。
二人とも自分の人生を人生を謳歌した。楽しめた。ふと私はこの父と母のために生まれてきたのではないかとも思えた。父と母の好きなことやりたいことを共に実現させるために生まれてきたのではないかとも思った。父は新しく作った家族と本当の家族になれたのだろう。母も自分の大好きな仕事を定年まで勤めあげ自分の仕事に誇りを持っていた。それはそれは職場でも褒められ立派な仕事人だった。私という家族を置き去りにして。
本当の家族とは、何だろう。私にもわからない。
私は今も自分の立ち位置があまりわからない。
自分の身の置き場があまりない。