観察用として見ている元友人のSNSがあります。その元友人のフォロワーやフォロー者も閲覧出来たりしますが、その内の1人が怪しい健康法のようなビジネスっぽいのを投稿していて、最初に思ったのが"類は友を呼ぶ“という慣用句ですかね。ただの業者でもなく生身の人間がそれにハマって勧めているといった感じのでした。
元友人、ビジネスはやっていなかったけど、変な健康法にハマっていて、それから性格がピリピリとしだして、疎遠へのカウントダウンが始まったような気がする。
元友人は今は謎の健康法はやっていないことは観察済みだけど、まだその気はどこかに残っているんだろうなとは思っている。
そういうのハマる人って思い込みが激しいし、やっぱり周りに似たような人が集まる。私は離れたから良かったけど、友達の性格がピリピリしていなければ、影響されていたかもしれないと思うと怖い。
あの頃は、仲良くしていたのに違和感を覚えて、そっち側に行った友達に悲しさや寂しさ、そして苛立ちもしたけど、本当に離れて良かったなと思う。ほっこりした雰囲気で圧をかけてくるから、周りからは攻撃されているように見えないんだよね。だから私が悪くなる。それが疲れるから離れてよかった。
変な液体を飲んでから食事を食べる動画を拡散する人は周りにはいない。それは安全だと思うし、自由だとおもうのです。
まあ、大人としてはやっぱり字は綺麗に書けたほうがいいのかもしれないが、そうすると、また努力することが増えちゃうから疲れちゃうんですよね。
「大切な人との今」を慈しむべきだという言葉は、痛いほどよく分かります。でも、同じように「今の自分」だって、今この瞬間にしか存在しません。自分が自分をないがしろにしたまま、誰かを本当の意味で大切にすることなんて、きっとできないのだと思います。
以前、自分を置き去りにして周囲に尽くしていた時期がありました。心は悲鳴を上げているのに、無理をして「良い自分」を演じていた。けれど皮肉なことに、自分を犠牲にすればするほど、周りからは大切にされませんでした。
自分を削っているという自覚があるからこそ、相手の反応をすべて「対価」として求めてしまい、少しでも期待が外れると苛立ちが募る。そんな殺伐とした空気を纏った人間に、優しく寄り添ってくれる人なんて、そうそういないのも現実です。
それでも、ただの他人ではない「特別な誰か」には、その手を掴んでほしかった。一番助けてほしかった瞬間に、その手を振りほどかれた記憶は、今も消えない棘のように胸に残っています。
結局、自分を守れるのは自分しかいない。それを教えてくれたのが、あろうことか「ずっと一緒にいたい」と願っていた人や場所だったというのは、あまりに皮肉な話です。
世間一般の「正しい在り方」から見れば、今の私は冷淡で、悪い見本のように映るかもしれません。けれど、誰かのために自分を擦り切らせていた頃より、今のほうがずっと幸福を感じている。そして不思議なことに、適切な距離を置いた今のほうが、周りの人たちも以前より笑っているように見えるのです。それが私の思い込みだったとしても、密着しすぎてお互いが苦しかったあの頃より、ずっと健全で楽しい時間が流れています。
結局、物理的な距離や一緒に過ごす時間の長さが、愛情の深さを決めるわけではないのでしょう。
そんなことを考えながら、今日もひとりでコーヒーを飲んでいました。
こっちの説明が悪いから理解できなかったみたいなオーラ出してくる人いるんですけど、結局、自分の聞きたい情報だけ聞いて他は聞いてないから理解出来ないんですよ?って思うことがある。
「愚痴もなく前習いなんて出来なかった」
私の好きなバンドの曲の歌詞だけど、これを聞いていた中学生高校生の頃も、共感はしてたけど、それから25年以上経った今でも頭の中で響いてくるときがあるのです。
基本的に私が変わっていない本質の部分ってこれなんでしょうね。
どうせやるなら楽しんでって言葉は楽しいことにしか当てはまらない。どうせやるなら愚痴言ってのほうがしっくり来る。
昔より露骨な愚痴を言わないようにしてますが、それでも内面は同じで「なんでこんなことやらなきゃならないんだろう」とある意味自分をネガティブで奮い立たたせながら生きています。
そんなことばかりで、生きるためにはネガティブにならないと生きていけないことばかりなんだなと日々感じるのです。
とある同じ商品、2.5倍!という表記のものを以前買っていて、また同じ物を買ったつもりが、同じレイアウトで2.5ヶ月分!になっていました。2.5倍の方が量は多く、以前いくらで買ったか忘れましたが、ああ、なんか騙されたのかもしれないと感じてしまいました。
バレンタイン催事で買ったチョコレートが美味しくて、もう食べ切ってしまいそうです。
自分のために買って食べるというシステムだとバレンタインは好きですね。あげなきゃならないとなると、シンドイけれど。
大学生で就活をしていたとき「転勤出来ますか?」と聞かれたことがあります。
「私自身、親の仕事の都合で引っ越しを何回も経験しております。環境の変化には強いと自負しておりますので、転勤は出来ます。」
こんな感じのことを言ったと思います。ただ、これは嘘です。
「私自身、親の仕事の都合で引っ越しを何回も経験しております。そのためは人一倍環境の変化に弱くなってしまったと理解しております。ですから、転勤はしたくないです。」
本当を述べるなら断然こっちですが、それだとうまくいかないからね〜
結局はその会社は不採用になったけど、間違って採用されて転勤をバンバンしているような自分だったら、今の生活はないだろうな。いいように変わるよりは、心身ともに擦り減っているだろうと思う。もう子どもの頃で引っ越しのHPは使い切って回復しないんですよね。環境の変化に恐怖を覚えるのは、間違いなく転校が多かったことに起因してるので。それでも大丈夫な人もいるだろうけど、私の性格だとこうなってしまったということです。
だからもう決まったところで適当に暮らしたい。
最近買った豆乳とかスープ作れる家電が毎日フル稼働してる。
そんなにいらない家電だと思ってたのに、休む暇なしだ。
思ってたより5倍くらいポタージュスープが好きらしい。
豆乳も飲むというより食べる感じになってる。
出来立てがあつあつなのでふやかしておいたゼラチンと混ぜるだけで豆乳ゼリーが出来る。
ただ固めておいて気分で甘くしたり辛くしたりしてる。美味しい。
豆丸ごと豆乳にするタイプなのでどうしてもざらつきがあるからコーヒーや紅茶に入れるのにはちょっと向かないんだよね。
豆そのものを食べてる感があっていいんだけど。
豆乳買わなくなったから買い物が少しだけ楽になった。
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特にこれ!というのはありませんでした。最近は画面を2時間近く見るのがキツイです。そんな中で3時間の国宝を観れたのはすごいなと自分で褒めておきます。ただ、あれは映画館だからどうにかなった。