ここ最近は自分だけに優しくするキャンペーンをしているのです。家族の誰かこれ食べるかな?とか極力やめてます。嗜好品は自分のみ。
そうしないと自分が壊れそうなんですよね。既に壊れてるけど。
毎年毎年、夏は辛抱を迫られてる。そして、その辛抱の色が毎年違う。楽になるとか全然なくて。
今年はグレーですね。色にすると。目立ったトラブルはないけど、単語を発するだけでトラブルに発展するかもしれないというヒヤヒヤ感。ただの会話なのにロシアンルーレットをしているような緊張感がありますね。
昨日も何気ない会話はありましたけど、あの返しじゃないほうがよかったかな?と思うことがストレスだったな。
でも、あまり平坦な言葉しか返さないと、それはそれはそれで爆弾装置が発動することになりかねないからしんどいです。
だから昨日は自分だけ買っておいたアイスを食べて、それでもまだしんどいのでカフェにてアイスコーヒーとプリンを。そして自分だけに400円もする菓子パンを買ってきておいて今食べたところです。
夏が終われば物理的に距離をとれるけど、マダマダ長い。私はどれだけのアイスとコーヒーとプリンとパンを買って食べたら逃げられるのか。胃が保たないかも?
略奪しようとかいう気は1ミリもないんだけど遠くから ファンとしてそっと見守っていたいなあ という人の奥様の写真を SNS で見てしまった。
お顔はもちろん モザイクしてあったけど、びっくりしたのが その服装で。
一目見て あー、この人の奥さんなんだなって思った。
どこで買うの その服?!と正直 思ったけど、その人の仕事や専門に対する理解と敬意、そして奥さんもその分野がすごく好きなんだろうな っていうのがよくわかる服。
例えて言うなら 全身 推しカラーみたいな。
振り切ってるなあと思ったし、この人がご自身の専門分野で活躍できてるのはきっとすごくいい 理解者が身近にいたから なんだなっと感じてしまったよ。
しかも おしゃれなもん食べてんの。
フレンチとか イタリアンとか。
私より年上なのに 胃袋 元気ですね。
そんな こってりしたもん食べたら 私 胃もたれなっちゃう。
うどんとか親子丼とか定食とかが好きな私 とは 住む世界が違うんですね って ちょっと思ってしまった。
まあ そんなもの食べてても SNS にはあげないだろうけど。
今後は SNS は見ないことにします。
プライベートに立ち入るのはやっぱり違うかな。
本名でされてるけど、もっと オフィシャルなこの方だけ見ようと思う。
うっかり踏み込みすぎてしまった。反省。
あー思い出した〜
友達へのプレゼントとして、おしゃれ感溢れ出るセレクトショップで、写真立てを購入してプレゼントしようかなと。当時親密だった関係の人と買い物に行ったんですけど、写真立てが黒縁だったという理由で、葬式みたい、縁起が悪いとか騒いでいたんですけど、私は結局それを選びました。
黒縁というだけで形もガラスの感じも、シんだときのソレとは違うし、何を言っているんだコイツは?って思った記憶。
仏具屋でプレゼントとして黒い額の写真立てを選んだら、正しくソレだし、嫌がらせだけど、セレクトショップなんだし、黒縁だけで葬式とか彷彿としている感覚が敏感過ぎて怖い。
そんなに敏感で、あの人まだこっち側にいるのかな?
飛躍する。ひやくする。
これ、よく使う言葉だと思うのに、変換出来なくて、え?ひやくって読まない?と自分の知識を疑ってしまいました。
なぜ出てこないんでしょう。
最近みているドラマで、あの時こう言って欲しかった⋯という展開がありました。とある恐怖を感じる出来事があって、それを打ち明けたときに「なんで言ってくれなかったの?」と怒られたのが悲しかった、「もう、大丈夫だよ」と言って欲しかったと十数年前の出来事を回想しながら話していシーンでした。
まあ、確かに怒るより「もう大丈夫だよ」のほうが優しい言葉なのかもしれません。でも、「なんで言ってくれなかったの?」も恐怖から救ってあげかった故に出た言葉でもあるんだよなーと感じてしまいました。それを理解しないで何十年もそう言って欲しかった⋯と燻ってるのは共感出来ないなーと。恐怖に感じたことをトラウマとして記憶しているのは理解出来ても、そこよりも言って欲しかったことに拘っているのが疲れてしまいました。
言って欲しいことに拘りすぎるタイプが私は苦手なのかもしれません。同じ言葉でも状況や抑揚によって、言葉の中身が違うことっていくらでもあるんですよね。その時はその言葉を言って欲しかったかもしれないけど、数十年経っても、言って欲しかった言葉しか受け入れられない状況に心のセンサーの薄さを感じてしまいました。
自分は、言って欲しかったことよりも、言わないで欲しかったことに重きを置いてるから、こう感じてしまうんでしょうね。言わないで欲しかったことばかり言われてきたから、言って欲しかった言葉ばかりに執着する人をワガママに感じてしまう。
言って欲しかった言葉を言ってくれなかった⋯こういう視点の人は今まで幸せだったんだろうなと思うしか出来ません。
与えた恩は水に流せ。「してやった」という思いは執着を生み、双方を縛る毒となる。人に施した親切は、その瞬間に忘れ去ることこそが最大の美徳である。
今日の昼ごはんは茶そばでした。
普通の蕎麦と違って、やっぱりお茶感があったような気がしますが、そこまで敏感じゃないから普通の蕎麦として出されたら普通に食べると思います。
最近ずっと考えていることは、誰かと仲良くなると他の誰かと仲悪くなるみたいなことが、どこのコミュニティでも起こるよな〜と。
それが嫌だからグループってのも苦手だし、友達も個人と付き合うみたいなことが多いんだと思う。だからちょっとしたまとまりすら苦手だから仕事もうまくいかない。どこに行っても何をしてもだなー
最終的に一番近いまとまり、家の族ともいいましょうか。それも最近しっくりこない。1人とは良好な関係を築いているかな?と思うけど、物凄い険悪な時期もあった⋯そして、今はその人とは上手くいっているけど、他のメンバーとは以前よりお互いに距離感があるので難しい。薄い厭悪を私に対して感じるときがある。そして、それを向けられると私も薄い厭悪を向けたくなるけど飲み込んでるから疲れる。最近まで、良い流れがあった関係なのに急にこうなって疲れる。良い流れが出来るまでやっぱり険悪なときもあったし、私も考えを巡らせてきたから、関係性の緩急にそろそろ疲れてきた。そしてさらにもう1人いるけど、そのもう1人とも今は関係性としては良好であるけど、いつどうなるかわからないよね?
なんか、みんなと仲良くって難しいんですよね。ずっとせせらぎのような平和な流れを見ていたいのに、それが出来なくて。私自身も色々あるし、色々あった中で自分以外の誰かと接しなくてはならないから、自分がずっと平穏さを保っているのか?と問われたらNOだと思うけど、それでも自分なりに考えて歩み寄っても、自分と同じタイミングで川がせせらがない気がします。
今日の流れはどうでしょうか?来年の今頃の流れはどうでしょうか?急に流れは変わるものと理解して、ショックを受けないように努力しているけど、本当は何も考えないで流れたいのです。
食べてもむなしい。
今日は仕事が全然うまくいかなくて、人間関係がしんどくて、かなしい気持ちにのまれてた。
そんなときに家に帰っても私はため息をつくばかり。
同居人へLINEした。(同居人、、、かなしい。その表現かなしい)
私の機嫌が悪すぎるのでごめんなさい。と。
怒りを沈めてから帰りますと伝えた。
でも、私、怒りってないのよ。
腹を立てることはあっても、その根底にあるのは悲しいや寂しいや残念 という気持ちなのよ。
だから、怒ることは そんなになくて、
だから、消化するためにぐるぐるぐるぐる考えて消化、昇華する。
怒れたらいいのにね。
自分が面倒くさい。
友達が言う「私の友達が〜」って話はだいたい面白くない。
でも、私は「私の友達が〜」という会話が出来ない。そこまで友達がいないから。
YouTubeで見たんだけど〜くらいしか出来ないと思う。それも面白くないよね。きっと。