2026.01.02Fri
非表示 07:09

昨日から飲みだしたコーヒー、美味しいな。
何気にコーヒーの値段も凄い上がっていてどうにか踏ん張って欲しいと思っているところです。
コーヒーに合うチョコレートも高いので私の嗜好品が大変なことに。


非表示 07:01

お年玉、子どもたちにとっては楽しみなのはわかるけど、自分の実家に顔出そうとは思わないかな。
今行ったら時期的にお年玉はくれるとは思うけど、「してやった」という経験値を父に与えることになってしまうかも?と思うのがシンドイ。
特に弟たちよりも、私側にしてあげたことは強烈に「してあげた」という記憶になるらしい。
ちょっとした会話だけど、弟と父が食事をしたという話を聞いて、それを「いいな〜」なんて返したら、父が「あなたにもあの時はおごってあげた」とか言い出して、そういう意味で受け取られちゃった?と思ったことがある。私が発した「いいな〜」はもっと広義の意味を含んでいて、ご馳走してもらった弟にもいいな〜という意味もあるけれど、美味しいものを食べられていいなという意味が8割を占めているんですよね。
父にとって、私は弟よりも優遇されていてワガママというベースがあるらしいから、どんな会話でも着地点が「私が悪い」という枠に収まってしまうのです。
だから、「私」の子どもにお年玉をあげたら、父の本能的に「してあげた」と思うのでしょう。その、してあげたという気持ちが私だけに向くならいいけど、子どもたちに向くの絶対に嫌なので、貰わないほうがいいんです。
義理の両親のほうが遠くに住んでいるのに、帰省しなくとも用意をしてくれて、いつもありがたいとは思うけど、うちのほうはなんだかな⋯という微妙な気持ちに毎年なっています。

2026.01.01Thu
非表示 13:32

実家にはおせちや雑煮やその他の「しきたり」的な色々があって、それは絶対の正義なんだと思ってたし、なんか堅苦しいとも思ってた。
正月を自宅で過ごすようになっても何年かは実家のやり方を踏襲してたけど、だんだん食べたいものだけ食べたいように用意してたら、実家のやり方から離れて行きそのうち勝手にやってた色々なものが毎年恒例になっていった。
あ、なるほど、こうやってしきたりみたいになっていくのかと感じた。
実家のしきたりは何だか合わなかったんだけど、自分で作っていった恒例のものは心地いい。
ある程度決まってたら何も考えずに用意出来るしね。
しきたりみたいになってしまうと楽ちんだ。面白いもんだね。


非表示 05:29

今年も明けてました。ここ数年は寝るのが早いし、日付が変わるまでわざわざ起きているということはないですね。
いつも通り起きていつものように過ごせるのが一番負担にならないし、それが私の幸せに繋がるので自分を優先しています。
先月、あるライブに行きましたが、その時は日付が変わるまで起きてしまっていましたね。帰宅が23時頃でお風呂やらなにやらやってると就寝が0時すぎてました。それ以外は本当に日付を跨ぐまで起きていることがないですよね。
寝るって大事で、自分のペースで寝て起きるって本当に大事なんだと思います。早く寝たいけどライブがあったからしょうがないと納得出来るような理由なら睡眠を削るという無理も出来るんでしょうね。ただ、自分では寝ていたいのに日付が変わるからという理由だけで起きているのは納得出来ないからしないです。
今年も自分が納得出来る、自分のための無理なら時々していきたいと思います。


非表示 05:12

あけましておめでとうございます
昨日は4割引の小さなおせちセットを買えたので、ちょっと正月感が増したような気がします。

2025.12.31Wed
非表示 23:04

あと1時間もしたら
今年も終わる。
年女の1年間は
これといって
デカい出来事もなかったけど
元旦那の返済終わらせた
来年買い換えようと思ってた車壊れて
とりあえずのやっすい車買う羽目に。
まぁ健康に過ごせたことが一番ね。
来年はもっと穏やかに過ごせるいいな。


非表示 18:58

大みそかのテレビって疲れるから実は苦手です。
家族がいるとどうしてもテレビがついてるから疲れる。
ちょっと消すチャンスだったので消したら静かで良い。


非表示 07:52

「それ、わかるー私もこういうことがあって⋯」
これ、必ずしも会話泥棒じゃないですよ。物凄く共感して、相手に寄り沿ってるつもりで言っている人も多いですよ。
頷いているけど聞いていない人、そのタイプも結構いますよ。


非表示 05:45

結局のところ、私たちが矛盾を許せるかどうかは、その矛盾が「自分を飾るための武器」になっているか、それとも「自分の弱さから漏れ出たもの」なのか、という点にあるのかもしれません。


矛盾

非表示 05:41

「参考資料」として見ている、昔の友人のインスタグラム。
昨日は焼肉を楽しんだらしい。馴染みの焼肉屋らしい。
そして、家族に感謝していた。
いつも思うことは、矛盾ですね。自分の時間を使い、仲良くしていた頃に突然、とある健康法をやり出して「肉を食べなくなってイライラしなくなった」なんて、イライラしながら言ってたよなーと。
まあ、あれから15年以上経っているのかな?それくらい経てば価値観なんて変わるのは当たり前だし、自然なことではあるはずなんですけど⋯
あれだけ圧迫感のあるオーラを纏っていたのに、もう人生で肉を味わうこともないんだろうなとくらいの勢いだったのに、行きつけの焼肉屋が出来るほどに変わってしまう。
先ほども述べたように、価値観なんて変わるものだと思うけど、この人の価値観の変化に苛立ちを覚えるのは、当時、それを理解してあげようと努力していたからなんでしょうね。でも、本音は「そんなもんやって健康法かなんかしらんが、肉を食べるようになって吐くようになったとか嬉嬉と語るのヤバいだろ」なんですよね。でも、相手を尊重しようと多めのエネルギーを使って、本音を打ち消したのに、コレかと。
この人の「参考資料」を見てると、矛盾って実はどうでも良くて、その人の矛盾が許せるか否かなんだろうなって思うのです。
変な健康法をやっていたから嫌いになったわけではなく、それが本当の元友人の姿を暴いたんでしょう。
だから私は矛盾していることよりも、それを寛容に受け取れるか、矛盾に共感出来るかに着眼点を置きたいです。
来年も色々な矛盾を多くのところで目にするでしょうが、それを肯定出来るかどうかを判断基準に過ごしていきたいですね。

ページ上部に戻る