2025.11.06Thu
非表示 05:51

近所で働いていたときに一緒だったバイトの子が、また近所の別の店で働いている。それは別にいいとして、私、このバイト嫌いというか、苦手なんですよね。
それで、あのバイトが働いている近所の店に行ったら、ヤツがいる日だったんですよね。うわっと思ったけど、目も合わせず欲しいものだけ買ってセルフレジにしたのに、わざわざセルフレジ周辺に溜まったカゴを1個だけ回収するという謎行為に出てきました。自分からは声をかけないけど、私から存在に気づいてあげて「久しぶり〜」とか言って欲しかったのだろうと推察してしまいます。違うといいんですが。
そうそう、そういうところが苦手だったんです。謎に距離が近くてフレンドリーさを勘違いしてるところが。
もちろん、私は一切目を合わせず気がつかないふりして帰りましたけど、あのわざわざそのタイミングでやらなくていいことをやってきて、こっちが避けてるのに来るところが一緒に働いているときもすっごい苦手だった。
私よりは若いといっても、大学生であの距離感の取れなさ。若さを差し引いてもちょっと気持ち悪くて。淡々と仕事以外の話をしないようとすると、こっちから話しかけませんから!と謎の宣戦布告?をされるというめんどくささ。そんなこともありましたね。
最初気がついたとき、また近所で働いているのかと。近所で働くのは私もやってたことだからあまり悪くは言えないとはいえ、アイツがいると買い物したくないな。店自体は気に入ってるのに。
こっちから話しかけませんから!という宣戦布告を覚えていて、私から話しかけるようにまだ待っているとしたら控えめに言ってキモチワルイな。大丈夫、私からは話かけることはありません。ただ気に入っているものが売っているので行きますが。

2025.11.05Wed
非表示 16:24

振り返ってみると、うちの両親は、一見すると「子どもの意見を尊重する」という体裁を取り繕っていたが、実態はただの「放任主義」だったのではないかと、この歳になってつくづくそう思う。
​そして何より、単純にケチだった。子どもに対する金銭的な投資を極力避けたい、という意志を当時の自分は肌で感じていた。
​だからといって、塾に行きたいと「言えなかった」わけではない。それは自分の意思だったのだ。
​もし強く要望していれば、多分行かせてくれただろう。ただ、問題はその後だ。もし塾に通っても目に見える成果が出なかった場合、「金をかけたのに」という呪いの言葉を、それこそ呪文のように聞かされ続けることは容易に想像できた。
​そう考えれば、結果的に塾に行かなかったのは、今でも正解だったと確信している。
​なぜ、今さらこんな昔話を引っ張り出してきたかというと、先日、たまたまこんな会話を耳にしたからだ。
​「うちの子は、塾に行っても成績が上がらないし、本人にやる気もないから、お金を溝に捨てているようなものだ」
​耳の痛い話だが、ふと変なことを思った。
​子どもが勉強して点数が上がるということよりも、親が塾に行かせ、成果がすぐに出なくても「辛抱強くそのお金を溝に捨ててくれた」と、何十年も経った後に子どもが感謝の気持ちを抱いてくれたならそれこそ親の勝利なのではないか、と。
​親にとっての教育投資とは、即効性のあるリターンを求めるものではなく、子どもへの信頼と忍耐を形にしたもの。その「忍耐の証」が、後に子どもの心に響けば、それで十分なのではないか。


非表示 14:37

心配だから隠すのは正解だと思うけど、赤ちゃんの顔をスタンプで隠された途端、なんか可愛さや成長ぶりがこっち側には伝わって来なくなってしまってもう見なくていいかな?と思ってしまいました。
やっぱり表情を知るって大事ですよね。でもSNS上にあげるなら隠すのが正しいと思うし、難しいですね。


非表示 11:14

意味あるのかわからないけどインフルエンザの予防接種を毎年してます。
ちょっと高いんだよねーでも、なんか毎年してるしな⋯


非表示 05:52

予定合わないのはしょうがないことなんですが、私に対する優先順位が低いんだなーってわかる予定の合わなさってわかりますよね。昔はそんな雰囲気に気がついたら悲しかったですけど、もうそれなら誰とも約束しなくていいか〜なんて思っていたら自然と楽になりました。
現在シジュー近辺の年齢ですが、約束するって、本当に疲れるんですよね。だからこそ予定が合わなかったときの態度とか雰囲気とかすごく大事なんですよね。
今まで色々な約束をしてきましたけど、絶対この日しか無理!で言葉は柔らかいけど合わせようという気のない子や、私が決まってた予定が空けばみんなぴったり合うのに⋯という誰も言わないけどその重苦しいオーラがメール上に漂っていたり⋯
私、あまり予定がなくて、予定の門扉が広いほうなんですよ。1カ月でいうと1日とか2日しか予定がない感じ。だからこそ予定が合わないとシンドくて。こんなに空いてるのに合わないとかシンドい。さすがにここまできたら私以外の人がどうにか調節してね⋯って思ってしまう。その1日や2日の予定さえ空けば⋯って私に調節させようとしてくるのもしんどいです。
自分が調節してまで私に会いたくないのかーその程度かーじゃあなんで誘うのー?とか色々考えるの面倒になってきて。私は予定の門扉は広いのでこれ以上合わせようがないし、シンドい⋯
だから予定がすぐ決まるとそれだけで嬉しい。この会合は幸先が良い、絶対楽しいって思えるのは、こういう経験から来てますよね。ヒッシにやり取りしてようやく決まった会合がなんか微妙だった⋯ってこともけっこうあります。労力かけたのに楽しくない⋯って⋯
楽しいことってトントン拍子なんですよね。だからこそわざわざ約束がしんどい。もうグループで予定合わせてとか本当に無理だと思います。数少ない予定がすぐ決まる友達に連絡したい気持ちもあるけど、それでもアクションおこして約束取り付けるまで何があるかわからないから動けない。1人遊びで満足しちゃうのはこういうことのもあるからだなと。でもちょっとは気になってます。元気ですか?

2025.11.04Tue
非表示 14:11

感情を抑えるのが大人。なのかもしれないですが、やっぱり自分を守るためには有害さも出していかないといけないよね?と自称無害の面倒な私が言っておきますよー


非表示 09:16

もうお腹空いてる
昼ご飯食べようかな
自由過ぎてもツライというけど、同じツライがあるならば、自由過ぎてツライほうが幸せだな。私は。


非表示 05:57

ああそうか、簡単に言うと、相談に見せかけた誘導だから嫌なんだと思う。
そういうのってけっこう巷に溢れてるんですよね。


非表示 05:50

質問者自身の意思を確認するために消費されるのが嫌なんですよね。
どういうことかというと例えば、りんごでいいよね?と言われたら私がみかんのほうがいいと答えるとします。ああ、でもりんごにしたほうがなんちゃらって言ってくるんですよ。
もう自分の中でりんごにするという気持ちしかないのに、わざわざ「りんごでいいよね?」って聞いてくるのがしんどいのです。
相手に寄り添おうとしてるつもりかもしれませんが全然寄り添ってないですよ。こちらも考えてみかんって答えてるのに、もうりんご以外は受け付けるつもりはないのだから。
りんごにするね?と言ってくれたほうがいい。大したこだわりがないときは、りんごでいいよ!と言うし、りんごだとちょっと違うなという場合はみかんのほうがいい理由を説明しますから。
だから、言っちゃいましたけど。聞いてきて言う事聞かないなら聞かないでほしいと。ボソッとですけど。
それが聴いたのかわからないけどみかんになりました。でも、こういう説明も難しい絶妙なイラつきってありますよね。
あなたの中で確定してることを私の意思を含めて決定したみたいに持っていかれることにモヤつくのでしょう。
こっちがみかんだと思っていても、りんごと言うまで詰めてくるときもありますよね。
みかんがいい。嫌でもみかんは柔らかいから持ち運べないよ?でも、りんごは剥くのが手間だから。簡単に剥けるよ?いや、でも包丁洗うの面倒だし、今日はみかんで⋯いや、でもあのりんごは今しか食べられないしどうする?明日買うから今日はみかんで⋯でも明日はないかもよ?でも今はみかんの気分だからみかんで⋯でも⋯
私はこんなことに疲れているのです。もう自分の中で確定してるなら聞いてこないで欲しい。

2025.11.03Mon
非表示 06:39

いや、しかし、最近つくづく思うんですがね、「何かに突出した才能や功績があれば、人としての振る舞いなんて二の次でいい」、こういう考えの人間が、想像以上に多いと思いませんか?
​テレビやネットを賑わせるニュースなんか見てても、まさにそれですよね。「あの偉大な業績を残した人が、実はこんな問題を起こしていた」なんて話は、枚挙にいとまがない。著名人に限らず、自分の周りでも「仕事はできるんだけど、私生活や態度がどうも…」って奴はいる。真面目に働いていた人が、一転して悪い意味で有名になるなんて話も、耳にします。
​正直、周りを見渡せば、「ボランティアで地域に貢献してる自分偉い」みたいなフィルターを自身にかけて、その実、陰で人の悪口を散々叩いているような人間も見てきて、もう疲弊しきっちゃいましたよ。
​どうせ、悪いことをしても許されるための免罪符として、それを頑張ってるんだろうなって人間を見ると、なんとも複雑な気持ちになる。たちが悪いのは、その「免罪符」となる取り組みが、結果的に誰かの役に立っちゃってたりするから、世間的には「功罪相償う」みたいなバランスが取れてしまったりするんですよ。
​そうすると、結局「何もやらかさないけど、目立った貢献もできてない自分」よりは、まだマシなのか?なんて、妙な自己嫌悪のループに陥りそうになる。
​まあ、それでもね。何もせず、何も言わないのが、この自分のスタンスだ。って割り切って、粛々とやっていくしかない。これが今の自分の精一杯の「ポジティブ」ですよ。最高値が低いってのは、ある意味、楽でいいもんです。高望みしない分、失望も少ない。

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