今日もパラドックスと矛盾と自家撞着と不整合を組み合わせて、齟齬もそこそこに相反するものを反比例させながら、おはようございます。
批判や意見してるけど、それ、意見してる張本人が今同じことやってますよね?みたいな状況。まあ、けっこうそれはよくあることなんですよね。
自分の周りに常に鏡があるわけじゃないし、一瞬一瞬が違うから、周りから見ていて、あんたもそれしてるじゃん?今。となっても、私はあの人たちとは違って⋯この状況はしょうがない⋯とか自分では自分のことはわからないんですよね。残念なことに。
だから妙な批判とか意見とかあまりしないようにしてますが、誰かから見れば、今この瞬間が批判や意見だろ?ってなりますよね。うん。確かにそうです。特定の誰かや何かをあげつらっているわけじゃないからいいか。ああ、こういうところも、さっき言った“私はあの人たちと違って“の部分なんだな。
昔、誰かが批判されているときに「私は批判的な意見も自分の成長だと思って受け止めるけどな〜」なんて言ってる人がいたんですけど、その意見を批判されると受け止めるどころか怒っている人がいたんですよね。あれ?成長として受け止めないのかな?とは思ったんです。
結局、自分は言うけど人には言われたくないし、自分は違うってみんな思ってるんです。矛盾というのはその辺に転がっているし、矛盾を取捨選択していくことが生きていくことなんでしょうね。
観たいドラマが配信されていたからイッキ見してしまった。
面白かったけど、疲れた。
観るだけなのに疲れるよね。
・クーラーの効いた快適な部屋で『人間はもっと自然と共に生きるべきだ』とエッセイを書く
・地球温暖化を止めるための国際会議に、世界中のリーダーがプライベートジェットで駆けつける
・ファストファッションの服を着て、大量消費社会の愚かさを熱弁する
・スピーカーを使って大音量で『静寂こそが人間にとって最も大切だ』と街頭演説する
出勤途中やプライベートで外出中、
「なんであんなにスマホ見ることがあるんだろう」と思う人種を見かける。
スマホの情報って今見ないとどうにかなっちゃうのか?
SNSはほぼほぼテレビショッピング。
見ているこちら側の購買意欲を引きつけるものしか画面に出てこない(私だけ?)
スマホから得た情報って本当なのか嘘なのか、だんだんわからなくなってきたし、自分で判断もできないくらい巧妙な表現になっている。
怖い。
信じるものは自分だけ。
私はスマホは公衆電話だと思うことにしている。
受け身ではスマホからの情報を信じがち。
発信側になって世の中の人にネタを提供するほど
私はお人好しじゃない。
スマホは使わなくてもいいツールなんよね。
ショッピングモールとかにいるウォーターサーバーの勧誘や携帯電話の契約とかウザいので、見つけたらその人たちを一切見ずに不機嫌と疲労の塊みたいな顔をすると話しかけられなくなりました。
その時の顔を再現して鏡で見てみたら、水分のない岩みたいな顔でこれは効果あるなと自画自賛してました。
昨日は変な夢を見た。昔バイトしていたときにいた15歳ほど上の板前。この人とは、まあ色々あったけど、完全な関係じゃないと言われ続けながらの関係でしたね。お互いフリーだったので道義に反したものではないけど。
おそらく夢の中では20年以上前の大学生の私。夢ならではの時系列が前後する場面があったけど、簡単に言うと食事に誘われてバイトをサボるみたいな展開だった。
夢だけど、そのサボるまでの過程が物凄くリアルで朝からなんともいえない淀みがありました。
バイトなのに食事に誘われたらホイホイ行ってしまって、なぜか車で行くようなアクセスの悪い場所、楽しいわけじゃないのにそこにいて、バイトを遅刻しますと渋々連絡して、自分では戻れそうもない場所なのに、車を出してくれる気配もなく、もう面倒になってそのままバイトをバックレる⋯
確かに記憶にある夢はここまでで、言葉にするとこんな感じになるけど、空気感があの頃のまんまだなって思って、私不幸だったんだなと改めて感じました。
実際、そんな理由でバイトをサボったりしたことはないけど、それを簡単にしてしまうくらいの危うさはあったし、実際似たような状況や環境はすぐ隣り合わせだったと。
あの頃は親からも邪険に扱われ、色々うまくいかずに気持ちが定まっていなかったのです。
15歳年上なのに、バイトをサボらせるような状況を作る。それは夢の中だけかもしれないけど、現実にリンクさせたらきっと同等のことをしていただろうし、実際されていました。
あの頃の私、よくあの状況から抜け出して現在まで来たな。今が一番と言えるわけではないけど、なんとかトンネルは貫通させた部分はあるのかもしれない。お疲れ、自分。
去年結構大きなフェイクのウォールグリーンを買って、しばらく壁に飾っていた。狭い部屋には存在感が凄すぎたのと、オンラインミーティングの時にカメラをオンにしてると、丁度自分の後ろにあってバーチャル背景が上手く切り抜かれなかったりして、邪魔だなと思うようになった。
全部捨てるのももったいないので額をひとつ買って、そこに収まる大きさに切って飾ることにした。思ってたより時間がかかったけど、まあ割と良い感じに収まったと思う。
でも結局大部分は処分することになるので、ちょっともったいなかったな。
自分が居たという証明をしたくない。
今YouTubeで午後3時の時計(哲学)というワードが出てきた。
私はこの言葉を知らなかったし、この人が話していることが正しいのかはわからないけど、
私は、だれかの記憶に残らなくていい。
私にとって好きな人にだけ残っていればいい。
でも、私がいなくなったら、私のことは思い出さなくていい。
なんだか寂しい気はするけど、、
あぁ、そうか、私が居てたら駆けつけたりできるけど、いなくなったら何もできない。
だから、うん。
好きな人としか会いたくないし、私は限られた人にしか愛情を向けられない。
私の手は小さい。
子どもをもたない人生を選んだことに悔いはないのに、
時々胸がギュッとなるし、
子どもが欲しかったけど授からなかった人から育てたかったという言葉を耳にすると、どうして欲しいと思えるの?なんで?となるし、
自分の感情が追いつかない。
SNSでしあわせそうな子やおもしろエピソードを見られるのは嬉しい。なごむ。
と同時に私の人生にこの彩りは無いのだなとも思う。
彩りを選ばなかったのは自分。悔いはない。
私にしあわせな子を育てるのは無理だと思うから。
だから、しあわせな子が一人でも多くすくすくと育って欲しいなと思う、矛盾。
時々ほんとに苦しくなるの。
読んでくれてありがとう。