最近みているドラマで、あの時こう言って欲しかった⋯という展開がありました。とある恐怖を感じる出来事があって、それを打ち明けたときに「なんで言ってくれなかったの?」と怒られたのが悲しかった、「もう、大丈夫だよ」と言って欲しかったと十数年前の出来事を回想しながら話していシーンでした。
まあ、確かに怒るより「もう大丈夫だよ」のほうが優しい言葉なのかもしれません。でも、「なんで言ってくれなかったの?」も恐怖から救ってあげかった故に出た言葉でもあるんだよなーと感じてしまいました。それを理解しないで何十年もそう言って欲しかった⋯と燻ってるのは共感出来ないなーと。恐怖に感じたことをトラウマとして記憶しているのは理解出来ても、そこよりも言って欲しかったことに拘っているのが疲れてしまいました。
言って欲しいことに拘りすぎるタイプが私は苦手なのかもしれません。同じ言葉でも状況や抑揚によって、言葉の中身が違うことっていくらでもあるんですよね。その時はその言葉を言って欲しかったかもしれないけど、数十年経っても、言って欲しかった言葉しか受け入れられない状況に心のセンサーの薄さを感じてしまいました。
自分は、言って欲しかったことよりも、言わないで欲しかったことに重きを置いてるから、こう感じてしまうんでしょうね。言わないで欲しかったことばかり言われてきたから、言って欲しかった言葉ばかりに執着する人をワガママに感じてしまう。
言って欲しかった言葉を言ってくれなかった⋯こういう視点の人は今まで幸せだったんだろうなと思うしか出来ません。
与えた恩は水に流せ。「してやった」という思いは執着を生み、双方を縛る毒となる。人に施した親切は、その瞬間に忘れ去ることこそが最大の美徳である。
今日の昼ごはんは茶そばでした。
普通の蕎麦と違って、やっぱりお茶感があったような気がしますが、そこまで敏感じゃないから普通の蕎麦として出されたら普通に食べると思います。
最近ずっと考えていることは、誰かと仲良くなると他の誰かと仲悪くなるみたいなことが、どこのコミュニティでも起こるよな〜と。
それが嫌だからグループってのも苦手だし、友達も個人と付き合うみたいなことが多いんだと思う。だからちょっとしたまとまりすら苦手だから仕事もうまくいかない。どこに行っても何をしてもだなー
最終的に一番近いまとまり、家の族ともいいましょうか。それも最近しっくりこない。1人とは良好な関係を築いているかな?と思うけど、物凄い険悪な時期もあった⋯そして、今はその人とは上手くいっているけど、他のメンバーとは以前よりお互いに距離感があるので難しい。薄い厭悪を私に対して感じるときがある。そして、それを向けられると私も薄い厭悪を向けたくなるけど飲み込んでるから疲れる。最近まで、良い流れがあった関係なのに急にこうなって疲れる。良い流れが出来るまでやっぱり険悪なときもあったし、私も考えを巡らせてきたから、関係性の緩急にそろそろ疲れてきた。そしてさらにもう1人いるけど、そのもう1人とも今は関係性としては良好であるけど、いつどうなるかわからないよね?
なんか、みんなと仲良くって難しいんですよね。ずっとせせらぎのような平和な流れを見ていたいのに、それが出来なくて。私自身も色々あるし、色々あった中で自分以外の誰かと接しなくてはならないから、自分がずっと平穏さを保っているのか?と問われたらNOだと思うけど、それでも自分なりに考えて歩み寄っても、自分と同じタイミングで川がせせらがない気がします。
今日の流れはどうでしょうか?来年の今頃の流れはどうでしょうか?急に流れは変わるものと理解して、ショックを受けないように努力しているけど、本当は何も考えないで流れたいのです。
食べてもむなしい。
今日は仕事が全然うまくいかなくて、人間関係がしんどくて、かなしい気持ちにのまれてた。
そんなときに家に帰っても私はため息をつくばかり。
同居人へLINEした。(同居人、、、かなしい。その表現かなしい)
私の機嫌が悪すぎるのでごめんなさい。と。
怒りを沈めてから帰りますと伝えた。
でも、私、怒りってないのよ。
腹を立てることはあっても、その根底にあるのは悲しいや寂しいや残念 という気持ちなのよ。
だから、怒ることは そんなになくて、
だから、消化するためにぐるぐるぐるぐる考えて消化、昇華する。
怒れたらいいのにね。
自分が面倒くさい。
友達が言う「私の友達が〜」って話はだいたい面白くない。
でも、私は「私の友達が〜」という会話が出来ない。そこまで友達がいないから。
YouTubeで見たんだけど〜くらいしか出来ないと思う。それも面白くないよね。きっと。
もうすぐ8年続けた案件が終わる。
今の私を作ってくれた すごく大事な案件で思い入れもひとしお…だったはずなんだけど、一番最後のクライアントに対しても、会社に返却するパソコン類などに対してもあんまり 思うことがなく。
むしろ会社貸与のパソコンで見た各種 ウェブサイトの履歴の消去や ダウンロードしていた業務に関係のないアプリ、メモ帳の履歴などなど8年分の整理も割と ザックザック感慨なく進めていってる。
3年以上 仕事が続いたことがない。
同じ会社で となると なおさら。
フルリモートでフリーランス だから 裁量権が大きかったのが何よりの理由。
研修でパソコンを渡されて これを返却する時はやめる(もしくはクビになる)時なんだなと緊張したのをすごく覚えてる。
まさか 会社が解散するとは思わなかったけど。
でも結果的に良かったと思う。
すでに次の仕事を始めているから 落ち着いていられるのもあるし、何より自分から仕事を辞めなかったっていうのが大きい。
仕事を続けられなかった私の人生で 継続ができたこと。解雇されたわけでも嫌になってやめたわけでもない。
それにかなりほっとしている。
ちゃんと 経験 を積み上げたな っていう実感があるのでよかった。
この仕事がなくなることは残念だけど、でも正直に言うと おととしあたりからこの会社のやり方とか変な方向に進んでるな っていうのは感じていたし、今思うと それは この結末の序章 だったんだな っていうのもある。
転職活動 大変だったけどな。
予兆があったから早めに動けたので良かった。
会社には心から感謝してるけど危ないと思ったらすぐに動かないとね。
こんなに 淡々と 最終日を迎えることになるとは想像してなかったな。
終了の翌日には電源切って 宅急便 持ち込んでそうな気がするわ。
案外 こんなもんなのかもね
今日も今日とてシンドいですが、少し涼しいのでラッキーですね。
涼しいのがラッキーって感覚がおかしいですよね。
子どもが野菜を食べたがってる(から野菜多めの献立にしたの♡)」というストーリーの形を取りつつ、透けて見えるのは「野菜嫌いにさせず、自発的に食べたいと言わせるような素敵な子育て・食育をしている私」という巧妙な自画自賛ですよね。
考えすぎ!とお叱りをうけそうですが、肉を毒扱いしていた時代を知っているからそう思ってしまう⋯
彼からもらったスタバカード。歴代。
歴代というのは、プレゼントの歴代。
同一人物からの頂き物。
それをようやくアプリに移行した。
このカードを プレゼントしてくれた頃は私のことを考えて選んでくれてたのだな。と泣けてきた。
今が不幸せなわけではない。
ただ、私はずっと、さみしい。
一緒に暮らしているのに。
だから、プレゼントでもらったこのカードたちをアプリに入れて、はやく、つかっていくことにする。
スタバ、おいしいよね。
さみしいよ。