オーソドックスな卵焼きよりも、目玉焼きを潰しながら焼いてた半分に切ったものを弁当に入れるのが楽。
色々作業しながら玉子を巻く作業がシンドイので。
「そんな奴と結婚したほうが悪い」
ネットを徘徊してると、そんな言葉に出会うことがあります。別に自分が言われているわけじゃないけど、"そんな奴“だと最初からわかっていたら結婚しない人のほうが多いんじゃないですかね?と心の中でツッコんでいますが、実際、嫌な奴だと知っていて結婚した人っているんですかね?
そして、「離婚したら?」と簡単にその言葉だけを投げてくるのも良く見ます。
まあ、本当にどうしようもないなら離婚するしかないこともありますが、社会的に家族ですとしていることを簡単に解消するって難しいとは思います。だから、そうならないために相談や愚痴をネットで垂れ流しているんでしょう。それなのに、結婚したほうが悪い、離婚しなって短絡的過ぎないかと思うんですよね。
こういう、しがらみが嫌だから結婚しない、事実婚を選ぶとか選択する人もいるんですけど、これも実はよくわからないです。
相手に対して社会的に責任をとるという姿勢をみせられるのが結婚、つまり、ケジメなのかなとも思うんで、それをしないけど、結婚してるようにしたいってなんか変なのとは思うんですよ。
なんか、色々書いてたら、何にも共感出来ないですよね。
紐解いていけば、矛盾も発生するだろうけど、それもまた全部自分の本当の気持ちなのでよくわからないです。
整合性があるようでないのが人間だと思うし、すべてがキッチリ正し過ぎたらつまらないのも人間だし、難しいですよね。
でも、私が矛盾だらけだからといって、面白い人間でもないし、みんな結局、バラバラのものを纏めて生きているだけなんでしょうね。そこにうまく重なることが相性の良さなんでしょう。そう考えると結婚とかその他の人間関係、全部難しいですね。
食べた
チョコレート
詰まった
帝
どっちも
バレンタインもあったから、チョコレートの検索はしたような気がする。バレンタインじゃなくてもチョコレートは好きなのでしょっちゅう検索してる気がするが⋯
ラーメン食べたかったけど並んでたからやめちゃった。
近所にはないコンビにでペペロンチーノおにぎりといぶりがっこのポテトサラダを買ってみたので、家で食べたいと思います。
チョコレート屋の語帝場って何気に凄くないですか?
色々なところとコラボして庶民の場に踊り出てくるのに、ちゃんとデパートでの売り場を確保している。
誰とでも仲良くするのに、自分の立ち位置守るって難しいと思うんですよね。だいたいはお高く止まってると揶揄されるか、レベルが落ちたとあげつらわれるかのどっちかだと思うんですが⋯
人間関係っで、難しいのって語帝場な感じだと思うんですよね。
気軽に味わうことも出来るけど、ちょっと高級感があって時々しか会えないけど、時々でもお手軽に遊べる。でも、イツメンではないけど、なんかいてくれたら華やぐし、嬉しい。
極稀に語帝場な人っているんですけど、本当に敵がいない。その立ち位置羨ましいなって思う。語帝場が一番!って言われなくとも、必要以上に嫌われたり好かれ過ぎないって楽なんですよね。
久しぶりにデパートで語帝場を買ってドキドキしながらも、だいたいのデパートにはあるけど、デパートで買ったチョコレートを食べている自分が嬉しかったです。自GODIVA感が上がるあの感じ、良いですね。ショコリキサーが何気に好き。スタ場のフラペチーノよりも断然ショコリキ派ですが、どちらも頻繁には飲まない。久しぶりに飲みたいな。
人のことは気にしたくないタイプだと思う。
人は人、自分は自分。
だから関わりたくないと思うのは間違いなのだろうか?
外食も旅行も好きじゃない。
そこで働く人に対していい気持ちになることばかりじゃない。
だからといってSNSに書いたりはしませんけど笑
イヤな気持ちになってまで、自分の時間を削ってなおかつお金を払うなんてありえないと思うから。
何かで読んだけれど、働く人のスキルが低下してると思う。
サービスは無料ではないとは思うが、不快な気持ちにされるのは違うと思う今日このごろ。
商品品出しバイトの娘、そこそこの見栄えで量を出してバックヤードの在庫を減らしたい娘と、とにかく見た目重視で綺麗に並べてバックヤードの在庫をタップリ置く同僚さんとの静かな争いをしているらしい。
(ある程度バイトの自由裁量はあるらしいが、あまりに在庫があると社員さんが雑に積み上げる模様)
「こちとらアイスホッケーしてんのよ、物量との戦いなの。でもあっちはフィギュアで来んのよ。相入れない」とこぼしててなかなか分かりやすいなと思った。
まあ私は聞くしか出来ないんですが。
前から思ってたこと
「ありがとうって言われたい」←これゾワッとする。
相手のために何かをしたいではなくて、感謝されることで自分の何かを満たしたいだけだから、結局は独りよがりの行動になっている人多数です。
「腑に落ちない」「胸がざわつく」「胃のあたりが重い」など、感情を身体の反応として捉えてみてください。抽象的な概念よりも、自分の肉体が感じている感覚を言葉にする方が、より手触りのある表現になります。
↑AIにアドバイスされた、読書以外でボキャブラリーを増やす方法です。確かに〜なんて思いました。腑に落ちました。胸がすっとしました。そして寝ます。
とりあえず終わった。
自己採点ではなんとか合格点に達していて、下方修整されても若干の余裕があるので大丈夫かなと。結果が完全に判明するまではわかりませんが、とりあえずお疲れ様、自分ということです。
今回は知ってるのにボンミスしたなーという問題がそこそこあったので、それが悔しいですね。それが知識不足だよといわれたらそれまでなんだけど、全く知らない問題が出て解けない感情とは違う感情があるとは思うんですよね。
でも、知識不足、努力不足という言葉に一括出来てしまうことがなんとも言えないです。この絶妙さを表現出来ないのもまた知識不足であり、努力不足でもあるのかなとも言えるのかな。
自分が努力不足と思うことは納得出来ても、他人から努力不足と判断されるのは、心にしっくりこないので言葉は同じでも別の感情が渦巻いているんでしょうね。
日本語って漢字、ひらがな、カタカナがあって豊かなように見えるけど、それでも表現しきれない何かがあると感じます。
表現力を豊かにするために努力するのは良いことだと思うのですが、努力しないと手に入れ入らない表現力ってのも腑に落ちない部分もあり難しいです。
そもそも、その手の努力って何をしたら良いんでしょうね。単純に読書だけでは養えない何かがあると思うのです。