昨日は朝カラオケを3時間ほどして、その後、美容院。そして、現在地から10分以内且つ、すぐに来店することが条件のアプリで1000円引になるお店でランチを探して食事。差し引き300円くらいで食べられた。
そこで帰ろうかと思ってたけど、北海道物産展でソフトクリーム食べちゃった。
平日パワーって素晴らしい。すべてが余裕があってスムーズ。こういう感じでいいんだよ?が滞りなく出来るって嬉しい。土日って、単純なことが簡単にいかなくて疲れるんだよね。
家にいても外にいても逃げ場がない感じ。
私って何処にいるんだろうと彷徨ってしまうのは人が多いからなのかもしれない。ちょっと変な表現になりましたが⋯自分の意思で自分のタイミングで全部決めて、その通りに進んでいくと私は生き返るのだなと。誰かといるときにそれが出来たらよいのだけどね。
おっ、体重減ったじゃん
と思ったけど夕飯時に心的ダメージ受けて食欲なくなって食べなかったからだった
まあそのあと軽くは食べたんですが
それでもここ2ヶ月くらい動かなかった数字が減る方に動いたのは嬉しい
たまにはストレス受けるのも悪くないのかもしれない
でもまあ嫌かな
テレビで30代の若くてさわやかな芸人さんがご自身のことを子役に向かっておじさんと称していて結構 ショック受けた。
日本人は家族内で年少者から見た立場で自称する文化がある。
例えば 孫に対して自分のことをおじいちゃんおばあちゃんと呼ぶという具合。
だから その芸人さんがおじさん と称するのもまぁ、そりゃ小学生から見たら自然なのだろうけど。
自称って難しいよね。
子供の頃から友達のお母さんのことも おばさんとは呼ばずに、◯◯ちゃんのお母さん、と呼びかけるように気をつけてきた。
子供なりに気を使ってたと思う。
10代20代の頃は、私もうおばさんだから、と目上の人に言われるとすごく困ったし、30代で同世代の子がおばさん と自称するのを聞くとそれって私のこと?と軽く気になってた。
もちろん その通りなんだけどさ。
40代の今。
名実ともにまごうことなく おばさんなんだけど、若い子たちになんなら 小学生の中にも気を使う子供もいると思うと、やっぱりおばちゃんと言いにくい。
逆に 目上の方に対しても、もっと失礼かも。
じゃあ何と自分のことを言えばいいのか。
年齢なんてただの数字、と言えば聞こえがいいけど、でもそれなら余計 さらっと言えばいいじゃんね。
悩んだあげく「成人」ということに決めた。
子供に対しては「大人」もしくは「私」でいい。
子供がおばちゃんと呼ぶならそれは仕方がないし甘んじで受けるよ。
なるべく 誰も傷つけない、
というか一番近くで聞いてる 自分自身を自分で傷つけないように 言葉は発していきたいと思う。
原付でどこまで運転できるか試してみた。
片道1時間なら大丈夫そう。
車がなくても私の好きな景色を見に行けるのは嬉しいな。
お尻が痛いので、バイク用のゲルクッションを購入。
あと原付のハンドルを握る手がしびれていたので、ハンドルサポーターもすでに購入。
500円ぐらいだったけど本当に購入して良かったものの一つ。
ずっとアクセルを握る手 はしびれるのは当然と思ってたのに、これがあることで全然しびれがなくなって感動した。
25年ぐらい ずっと 原付とは そんなもんだと思ってたけど、まさかの500円で解消されるとは。
同じぐらいの期間、原付とは 長時間乗るとお尻が痛くなるものだと思ってたけど、もしやと思って検索して出てきた このクッション、効果があると嬉しいな。
ご飯作らないと楽だーーー
ご飯作りは労働だよねー
毎日シェフに作ってもらいたいー
シェフを呼んでーーーー
今日はあの人いないみたいでホッとする。
まだ油断は出来ないけど。
例えるなら老舗の喫茶店でコーヒー飲みながらドトールのほうが美味しい!とか言ってるか、ドトールで老舗の喫茶店のほうが美味しいと言ってるか。
どのみちうるさいのです。
今から遅めのランチだけど、もうこの時間なら夜いらないかな?とも思ったけど、思ったより少ない量だから大丈夫かも。
某所に出没する苦手な人。
「私はこうだから!」
「私はこーいう人だから!」
「私はこんなタイプだから!」
私、私、私。がすごい。そして、他人を絶対に理解しようとしないんだよね。
私がこう思うから他人にどう思われてもいいの!というところにだいたい着地してる。
そりゃ理解されないだろうよ⋯だって、あなたが他人を理解しようとしていないんだもの⋯だから余計に人が離れていくんだと思う。そのたびに私、私、私が始まる。なんとも言えないループだ。
ファッション話ひとつでも、私、私、私。何歳でもどんなタイプだろうと顔だろうと好きなもの着ればいい。それは私も同意なんだけど、それを圧の強すぎる私、私、私で宣うからある意味、痛々しい感じが抽出されちゃうんだと思う。
誰も攻撃していないのに、攻撃される前提でいるから、あんな感じになっちゃうんだと思う。
1人で生きていくんだ〜ドヤっみたいな戯言も多いけど、そりゃそうなるわ〜と思う。敵じゃないのに敵だと思われたら面倒だもの。だから、私、私、私からは離れる。圧ばかりでこちら側に寄り添って貰えないし、ちょっとした話題でも、私3連チャンが始まって、何故か弾圧された気持ちになるから人が寄り付かないんだと思う。
私も人が寄り付かないタイプなんですけど、この私3ピースとは違う理由だとは思う。まあ、私3と違うのは寄り付かなくとも大丈夫なところです。私3って本当は寂しいのかもしれません。だから私、私、私って何処かしこでやっちゃうんだと思う。私が今ここで奥に引っ込んで私、私、私をやってるけど、あなたは奥に引っ込めないものね⋯
自分で偉いなと思い始めた。
いきなり相談を始めること、自分の主張を話すこと、自分がどうであること、それはいきなり殴られるほどの衝撃を相手に与えるということなのだということに気が付いた。
殴るほどではないにしても、今その人が目の前で見ていることは、相手には見えない。突然「うわっ」などの声をあげられると、こちらはナニゴトか、とそちらへ意識を向ける。心配にもなる。でも結局なんでもないことが多い。こちらは胸を撫でおろす。その行為は、かまってちゃんであって、とてもいらない行為なのだと思えるようになった。
なんて恥ずかしい生物だったのだろう。
ただそうすると、私は人とどうやって交流すればいいのだろう。
かまってちゃんだった。果てしなくかまってちゃんだった。
Xにおいそれとその辺りを流すとやはり人は引く。
かまってちゃんではないポスト、というのはどういうものなんだろうか。
「自信がある人が嫌というより、自信をこちらに見せてくる人がしんどい。」
あー私、これかも?あの自信満々な感じってキツイよねー
自信を見せてくる人って、だいたいそんなに自信あるわりには、その程度か⋯となるから疲れるってのもある。