2021.03.08Mon
非表示 06:03

先日、家族の体調不良で仕事をキャンセルしなきゃならない状況があって上の人に連絡した。しょうがないこととはいえ、欠けた人員を急に調整するのは大変なのに心よく受けてもらって感謝してる。
そういえば、昔自分が高校生のときにアルバイトしていたところは、代わりを自分で探さなきゃいい顔されなかったなと思い出した。
こういうのがあるからアルバイトどうしで連絡先交換したり繋がらなきゃならない感じが自然と出来る。
テスト中のシーンとした中、自分の携帯がピロピロと鳴って「バイト代わって」のメールがきた。携帯を持って来てはいけないのに持ってきてテスト中に鳴らしたという罪で反省文書いたりしたな‥電源切るのを忘れた自分が悪いんだけどね。
あと、やりたくもない球技大会に参加して謎の体調不良に襲われ、保健室から代わりを探す連絡したときもあったよな。結局、見つからなくて、「代わりは見つけられなかった」と告げたときの社員の冷たさは電話越しでも伝わるほど冷えていたのを今でも覚えてる。
いつも代わってるのに、こちらのときは代わってくれないよね?とか変なモヤモヤが出てきてしまう。これは人間関係の不和に繋がるよね。
もちろん、仕事だから決められた日にきちんと出勤しないといけないのは当たり前だし、バイトだからとか関係ないと思うけど、人間が動いている以上は人間特有のトラブルがあるよね。
そういうのを回避出来るのもまた人間しかいないのだから、代わりは自分で見つけて!じゃなくて、もう少しその辺りもサポートしてもらえたら有難かったなぁと思った。
時給700円代の昔話だから、今はどこで働いていてもそんなことないよね?と思いたい。

2021.03.07Sun

人の顔

非表示 18:09

この世は光と影だなと思う。川が上から下へと降りてくるように雨が上から下へと降りてくるようにちゃんと方法によって成り立っているんだなと思う。

ミュージカル「アニー」から「トゥモロー」最近聞いている。孤児の少女の物語。自分は昔からミュージカルや芝居が好きだけどアニーだけは見れていない。

昔テレビアニメワンピースのエンディングソングだったJanne Da Arcの「Shining ray」これも最近聞いている。というよりも「最近再び、もう一度、聞き始めた」が正しい。

当時二十歳だった時に自分は色々としんどいことが重なってあって相当つらい時期があった。その時に何故か自分にストンと落ちたのがこの曲だった。

悲しい記憶やつらい記憶(人生を慰めてくれた楽曲)は人それぞれだろう。

私はたくさんありすぎて書き切れない。また思いつけば、書きたいと思う。

最後にもう一つは、globeの「FACE」

最近ケイコさんと小室氏が離婚した。

発売時小学四年生だった私だったが、ドラマの主題歌ということもあってかこの歌が大好きだった。意味は当時ほとんどわかっていないかったに違いない。

(追記あとから調べるとフジテレビドラマ「彼女たちの結婚」だと判明した)

だけど何故か好きだった。何故ならば、この曲はとても深刻な歌だと小学生ながらなんとなくわかっていたからだった。なんとなくではあるが、とてもシビアな歌詞だとわかった。

だから、衝撃的だった。今聞いても当時をフラッシュバックするかのように蘇っている。

小学四年生の分際で何を言っているんだと思うが。

マセガキだったらしい。


非表示 16:22

ものすごくいい天気で、もう春みたい。
いつもの美容室で、気分転換。
その後、こないだの地震で家のお墓が気になり、見回りついでで、コンビニコーヒーをお供に何となくのご近所ドライブ1時間。
いろんなことがいつもの通りで、気だるく、ひとり自分の居場所をあてもなく探してしまう午後だった。


非表示 14:56

緊急事態宣言が延長されたし感染者数も減らないので、もうしばらくは出かけるのを控えようかと思う。確か今年の夏には更新なので、ゴールデンウィーク前後には新しい部屋を決めたいんだけど。

と言いつつも、ずっと家にいるのも体力が衰えそうなので、大通りや人混みを避けて 1, 2 時間くらい散歩している。それでも昨日のような日は、駅の近くや大通りを横切るときなんかは、多くの人が複数人で出歩いているのを見て、複雑な気持ちになった。

自分も出かけてるから強くは言えないけど、ワクチン接種が進むまで、来年くらいまで収まらなくても不思議じゃない気がしてきた。悲しいね。


布団の中の天国と地獄

非表示 11:38

布団ほど居心地のいい場所はない。
寝るということに関しては。

「あ、今日寝れないわ。」と自覚した途端、布団は獄中と化す。

他にやることがない分、眠れない時間は大抵の場合自分にとって不都合な出来事を思い出させる。ダメだ、と思った私は大抵、ここで妄想を始める。

結局、私はそれが完結する前に眠ってしまうのだが。

人並みに健康な学生の「眠れない」なんてその程度か、と思う。


世代間の溝は埋まらない。

非表示 09:55

フィルムカメラで撮ったような光線漏れした写真を「エモい」と表現するらしい。
昨今のフィルムカメラブームで若い世代がそんなことを呟いている。

光線漏れは失敗写真である。
フィルム全盛期のかつてはそうであったし、今でもそのはずだ。

光線漏れは失敗であるという共通認識があった上で、著名な写真家がそんな初歩的なミスをするはずがないという前提の上に、あえて意図的に光線漏れを表現として取り入れるのならわかる。

原理を理解した上でフィルムカメラでそれを実践するならまだしも、デジカメやスマホで撮った画像をそれっぽく加工しているのを見ると、何だかフィルム写真自体を馬鹿にされている気分になる。
ただ単にフィルムカメラっぽく光線漏れのような赤や橙の色被りを付けるのは違うだろうってこと。

一般人が撮った写真が光線漏れしてるのは明らかに失敗だろう。
フレアやハレーションもそうだ。
普通なら恥ずかしくて人には見せられない。
それがフィルム現役世代だった我々の感覚だ。
もはやその感覚すら最近の若者には煙たがられるのかもしれない。

共通認識がない世代同士がフィルム写真のことを語り合っても共感できないことが多いのだな。

時代と共に価値観は変わる。
時代と共に感性は変わる。

そうなのだけど、光線漏れが失敗写真であることは譲れない。
譲れないよ、そこは。


非表示 07:14

「自分が嫌だったら無くしてしまえばいいって暴論」
そうかもしれないけど、無くしてしまえばいいと最終的にいたるまで色々あった場合も多い。
やりたくないのにやりたい側ばかりに合わせてきたことのほうが多いんだと思う。
やりたくない側なりに間をとった意見を言っても、やりたい側っていうのは全然それを聞いていないんだよね。それをやりたいから、負担になっている人の気持ちや考えは空気のように扱う。
だから最終的に無くしてしまえばいい!となるんだよね。
それを暴論というなら、なぜ今まで言ってきた声を聞かないの?と思う。暴論だと感じるなら、それは意見を空気にしてきたあなたたちから作ったものだよと言いたい。
このご時世で、やりたい側が当たり前にとってたスペースが当たり前じゃなくなった。
そしてその結果、どちらの意見の人たちも、それがなくても生きていた。だからやらなくても大丈夫なんだと思う。
もう歩み寄りじゃなくて棲み分けのほうが重要なのかもしれない。

2021.03.06Sat
非表示 21:10

やっぱり自分が嫌だと思っていたことは他の人も嫌だと思っていたのか‥と思うことがあった。
仕事でもないのに、突然やってきて抜き打ち検査みたいで嫌だなと思っていたところ。
私だったら仕事のない日は職場に寄り付かないから、休みなのにあーだこーだいう人ってやる気ありすぎるよね。見習えないけど。
立派かもしれないけど、それをやるべき以外のところで発揮すると途端に悪い見本になってしまうよね。
私の場合、気をつけなくても大丈夫だと思うけど必要のない仕事はしないで休むときは休みたい。そうしないと私みたいなだらしない人に圧をかけるような気がしちゃうからね。


非表示 20:29

インスタでは、文章は基本的には読まない。
写真を見て、いいねを押して、文章はチラッと読む程度。

だから、いいね を押した後に 取り消すことがある。

それは、大切な人や家族が亡くなった投稿。

とても愛に溢れている写真が多いから いいね 押すのだけれど、訃報に関しては なんか いいね 押せない。

もちろん、思い出や素敵な写真や文章。
とても 胸に響く。

でも、押せない。

どうか、どうか、安らかに。
大切な人、家族がなくなるのは悲しいよ。
言葉では言い表せない。

どうか、安らかに。

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