伝言ゲームってちゃんと伝わらないから面白いのよね。
ゲームじゃなくて伝言を頼む人って、ちゃんと伝わっていないと怒る。自分が直接伝えればスムーズなのに、それをしないでちゃんと伝えていない!と怒る。伝言はちゃんと伝わらないから伝言ゲームになるんだよね。ちゃんと伝える手段として使おうとするのが間違いなんだよね。
伝えるのも忘れることもあれば伝えても相手が忘れることもある。でも、なぜか責められるのは伝言を頼まれた真ん中の人よね。
真ん中の人になりたくないなぁ。メールでも手紙でも直接って大切だと思う。直接言うと言葉が濃くなって自分が悪者になるのが嫌なんだろうなっていうのと単純に手間だからっていうのが同時に解消されてスタートの人はお得よね。
でも私は真ん中の人になりたくないし真ん中人ありきの伝言はしないようにしたい。誰かの伝書鳩じゃなく、自分が自分のために伝書鳩になれたらなぁ。
おそらく本人は「悪く言ってる」という
自覚がないんだろうな。
聞いてる側からしたら
それがどうしたん?って返したくなるし、
それは私に言わずに当人に言ってあげれば?
といつも本気で思う。
(言わないけど)
わざわざそこだけ
こそこそ小声で言うなんて
まるで漫画の1コマみたいで
飲んでるお茶を吹き出しそうになる。
人を悪く言うあなたのことを
だんだんと軽蔑していることに
気がついてないんでしょうね。
あなたは人生の先輩だけど
反面教師でもあるわ。
実母のことですけどね。
好かれたいためのやさしさって、気持ち悪いなって思ってしまった。
アピールのためじゃん。
きっと、それをすきな人にやられるとうれしいんだろう。
でもあの人にはそう思わなかった。
ただそれだけ。
「ありがとう」っていうことって大事なことだと思うのですが、ありがとうと言われたい人って正直、メンドクサいんです。
暴言かもしれませんが、ありがとうと言われたくてたまらなくて何かしてるならやめたほうがいいですよって思う。
失礼ながら、ありがとうと言われたい人の行動って独りよがりのことが多い。こっちは頼んでないけど‥って感じ。
子どもの頃、父がお菓子を買ってきてくれるんですけど、そのときに「ありがとうは?」って言うんです。確かにありがとう大事ですけど、なんかモヤモヤしてしまうのはこの頃からの感覚なのかなぁと思います。教育なのかもしれないけど、ありがとうを求めてくる圧迫感ってありますよね。それって素直に怖いとか嫌だって言えないからツライんだと思います。
ありがとうと伝えることは大事です。本当にそれは思います。だけど、それを求めすぎると価値のないありがとうになってしまうから悲しいと思います。ありがとうと言われたいって価値観は持たないほうが幸せかもしれないです。
野菜の栽培を始めてからもうすぐ一か月。リーフレタスはすっかり立派な姿になりました。下側の葉から必要枚数を収穫してます。育てた甲斐あってなかなかおいしいし便利。サンチュも一時期は発育が微妙でどうなることかと思ったけど最近いい感じ。土を買い足して野菜以外にもお花とかも色々植えてみたので、成長が楽しみです。
昨日は時間があったから、パフェを食べてきました。
年齢的にパフェが体に重いと感じることもあるのですが食べてしまいます。もう今日がパフェ最後!引退する!って思うのですが、また食べています。やめるやめる詐欺ですね。
パフェといえば、嫌な人のことを考えたり思い出したりしても「そいつ今頃パフェ食ってるよ」って言われるマンガ?のようなものをネットで見かけたことがあります。
そうね〜私のことなんか思い出してもいないのに、こっちはイライラしてバカみたい〜って思うためのフレーズですよね。
その言葉思い出して、私が今パフェ食ってる側だなぁとふと思ったわけです。おとといは仕事だったんですけど、職場の人が機嫌悪くて困りました。その圧力に疲れてあーやってらんないと思ってたわけです。最近は機嫌悪いことはなかったので久しぶりの圧に心身ともに疲れました。相手からしたら私あなたに怒ってます!というのを放出して満足したでしょう。
でも、そいつ昨日パフェ食ってたよ?って思います。高い高いパフェ食ってたよ?と。だから仕事はやめられないです。高いパフェを食った分、働いて取り戻さないといけません。だから圧力かけられても、またパフェ食ってるよ?で、パフェ代のために働きにきます。私のことが嫌いなら優しくしてくれたほうがパフェ食わないから仕事は減らせます。
でも、何もなくてもパフェ食ってるよ?なんですけどね。パフェ食べているときは美味しいしか思わないから幸せです。
英語なんて一部の国でしか使われていないローカル言語のうちのひとつでしょ。
フランス映画はフランス語だしイタリア映画はイタリア語だしドイツ映画はドイツ語だよ。
EUの公用語からは英語が外されるらしいし。
好きな国の言語を学べばいいじゃん。
マウンティング?とモヤッとしたこと。
同僚が
「コメディなら字幕無しで見れるけど
法廷ものは無理〜」
つってた。
英語コンプレックスて、こーゆー一言があるから
日本から消えねーんだよ、と内心毒づいておく。
私だってまだまだよ、という例文がコレって
すごいマウンティングだよね。
主人がアメリカ人、とかもさー、事実だろけど
黙っとけ。
ほんと、英語め。
この人とは仕事したくないなって思ったよね。
あとこの人に英語の勉強見てもらいたくない。
私はこう言う無神経な言葉に傷つく人たちの
学習サポートしたくて今の仕事してんだって
改めて思った。
すごい不快だったけど、この感覚を忘れちゃいけないなと思う。
気付けば9月も半ばを過ぎた。
昨晩は中秋の名月が輝き、権勢をほしいままにした蝉どもは姿を消した。
(蟻たちが始末したのだろう)
公園の桜の葉は黄色に変わり、半数はもう地面に落ちた。
夏も秋ももう、雨はゲリラ的に降ることに決めたのか、午前中に干した洗濯物は乾くどころか知らない内にびしょ濡れ。
マックのバーガーとポテトをUberで頼みかけていた娘はふと気を変え、じゃがいも揚げようかな?と言うから、要らぬお世話で「お母さん洗って皮だけ剥こうか?」とつい言っては結局は揚げて塩を振り食卓に供するところまでしてしまう。
気怠いのは午後も更けかけているからではなく、3連勤のあとの今日も朝からする事がてんこ盛りだから。
あとは放ってお風呂に入ろうかな。
散らかりっ放しの机の上はまだ崩れてはいない。
秋は来たばかり。
コンプレックスと戦わないことも大事。
英語教育に携わっていて、生徒さんの発音コンプレックスですごい
盛り上がったけど、私は一歩引いてそれを聞いていた。
コンプレックスが無くなれば、日本人はもっと英語が話せるようになるのに
どうしたら自信持ってくれるのか?ってすごい話してる同僚たちを見て、
私、この人たちの生徒じゃなくて良かったな、と正直思った。
(先生としては申し分ない良い人たちです!)
というのも、コンプレックスはいくら話せるようになったとしても
永遠になくならないと思っているから。
ネイティブに近づきたい、と思っている地点で、一生叶わない夢。
日本人だし、日本語英語だけど、伝えたいことがある、仲良くなりたいから、
英語を習得したい。
それでいいじゃん、と思うのだ。
私自身、彼らと同じ立場で、世間的には話せる人扱いになってるけど、
コンプレックスは昔と一切変わらず持ってる。
それを私は学習者さんに自分から話すようにしている。
自信を持ってくださいね、と言うのは、言い換えれば
コンプレックスに打ち勝て、というのと同じ。
私だってコンプレックスありますよ、と話すのであれば、
そんなことは言えない。
コンプレックスを持ったまま、どうやって英語を話すのか?にフォーカスを
あてた方がいい。
英語をきれいに話すのが目的じゃないはず。
自信をもって、なんて、自信がない人が一番言われたくない言葉。
自信がない自分を否定されてるんだから。
コンプレックスの塊のあなたをただ認めてあげる。
それでもう一歩一緒に踏み出すためにどうするか一緒に考えようよ、と伝えたい。
自信を持つことが、一番、難しいんだよ。