今日は頑張ろうかなと思ったけれど、結局、頑張る必要もないかという気持ちに行き着いた。特に「これをやりたい!」という意欲も湧かない。
部屋の掃除だって、やるべきことだと言われればそうかもしれない。でも、やらなきゃいけないことが必ずしも自分にとって大切だとは限らないから、優先順位が上がってこないのだ。世間の常識と自分の常識は違う。本当はどうでもいい、適当でいい、なくてもいい、やらなくてもいい。思い返せば、いつもそんなことばかり考えている気がする。
毎日、当たり前に課せられていることが自分にとって楽しいことだったら、人生なんて楽勝なのに。私の考え方が世間の常識になれば、みんなもっと生きやすくなるのに、なんて傲慢なことも考えてしまう。でも、余計なものを足さないからこそ、本当に良いと思うのだ。
色々なものを足しすぎた世の中から、色々なものを引いていく考え方。足し算は、引き算がある程度終わってから、必要であればやればいい。その場合、誰かを巻き込むのはやめよう。いつもそう思っている。
散らかってるものを捨てるのではなくて、しまい込んで使わないものを捨てるという考え方、いいね!と思いました。
そうなんです。使うからこそ、その辺に置いてあるのです。散らかしているという認識は私は実はない⋯
しまい込んでいるものをどうにか捨てることがまず大事。
その後、なんて書いてあったか忘れたけど、久しぶりに片付けの考え方でしっくりはきました。
昨日はやる気がなかったので冷凍餃子にしました。
餃子って野菜も肉も摂れるから栄養バランスいいと思っている。
今から重い腰を上げて、とある過去問をやりたいと思います。
前は勉強したのに点数下がっててテンションも下りましたが、どうにかテンション上げたいです。
「底辺だと認識出来ているのはまだ知能がある」
こんな何気ない書き込みを見たのだけど、ああ、これはそうだよねと頭に浮かんできたのは私の母。
自分が底辺という認識がないから、子どもにお金をかけるのを渋るんですよ。
自分がなんとかやってきたという意識というか、ずっと下にいるからそれが普通だと思っていて、他の世界があることに気がついてないんですよね。自分だけならそれも別に悪くないんですけど、子どもは他の世界を見たがったときに、自分の持っている世界を否定された気になるのか?他の世界に行く必要がないのにお金をかけて行く必要がないのに行こうとしてることをバカにしている感じ。
特に男はいいけど、女は私と同じような道を歩くのが正解って思っているので、娘の私はそれを肌で感じまくって苦労したなと。他のきょうだいは男なので、母に女はこうするべきみたいな圧をかけられなかったから、サバサバ母さんのイメージを持ったままみたいだから、それはそれで良かったねとは思います。
母は亡くなっているんですが、こういう風に今も私の中では生きているんですよね。でも物理的に会うことがないから母の世界から抜け出したのは私にとってはプラスです。
これを言うと、しんだのが良かったのか?と単純に思われて面倒なので言えませんが、そういう単純なことではないけど、やっぱり自分に染み付いていた何かが取れてきたのを日々感じるのですよ。この過程が辛くて、純粋にいなくなったことを哀しんでいたかったのにさせてもらえない。それが私の育った環境だからです。
性格は遺伝50%、環境50%なんて、どこかで聞いたことがあります。だから環境でどうにでもなるって言われても、結局はその遺伝の原因である両親の元で育つという環境があるなら、実質遺伝100%なんですよね。なんでみんなそれに気が付かないで前向きに捉えようとしてるの?とてもとても疑問です。物理的に環境が変わるのは大人になってからですから。その時点てまだ変わるチャンスがあるのかもしれないけど、最低でも20年近くハンデあるんですよ。このハンデを前向きに直向きに受け止めるほど私は強くないんです。だって実質、遺伝100%の恐ろしい自分だから。そんなこんなで自分を好きになることは親を認めることにもなるから純な気持ちで自身を受け入れることは出来ないししたくない。
そんな恐ろしいこと出来ない。ただ自分の生み出したものはちゃんと責任を持ちます。そこが私と親の違うところと思って生きるしかないのです。
昨日作った残り物をスンドゥブにうどんを入れて食べたら、けっこう量が多くてお菓子食べなくとも良さそうだからカロリーカットになるのかならないのか微妙
母は少なくとも私が転んだら大丈夫?って言ってくれたし、父親みたいに何やってんだお前wとか嘲笑ったり、あぶねーだろ!!みたいに怒鳴ってこなかったから、それだけで私は母が好きだったし、父は割と嫌いだった。
私には幼少期の母の記憶があるから、母がいなくなった後も父親の態度を親ってこういうものだと思わなかったし、父親は親としてどうかと思うという感覚を子供の頃から持っていた。
ゼロに何を掛けてもゼロであるように、理想の世界は、何も増えもせず、減りもしない「ゼロ」の関係にこそあるのかもしれません。
そこでは、不必要なものが積み重なることもなく、かといって、大切なものが失われることもありません。常に一定で、完全な均衡が保たれている。現代社会に生きる私たちは、とかく成長や拡大を求めがちですが、もし本当に満たされた状態があるとするならば、それは何も足す必要も引く必要もない究極の安定なのではないでしょうか。
もちろん、現実世界ではすべてがそのようにうまくいくわけではありません。私たちは常に変化の中にあり、喜びも悲しみも得することも損することもあります。
しかし、もし心の奥底に、安らぎと平和を求める場所があるとするならば、それはきっと何の影響も受けない「ゼロ」の世界に近い感覚なのかもしれません。
何者にも囚われず、何者にも左右されない。そんな静謐な世界に思いを馳せるのは、ある種の究極の願望とも言えるでしょう。
弁当を3日間くらい作らなかったら、やっぱり楽でした。
楽なことにはすぐ馴れるんだよなーとㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
近所にどんどこスイーツショップが出来ていきます。太らせようとしに来てるのかな…
健康診断終わったし食べ比べやりたいなあと思ったり。一回満足すれば多分胃がそんな若くないから甘い物食べたい欲に駆られることも少なくなると思うんだよな…