蕎麦を食べようと思ったけど、賞味期限切れのラーメンを見つけたのでそっちにしました。とりあえず問題なく美味しかったです。
「子どもを学力より下の高校行かせると、そこで頑張っちゃって大学行きたいとか言い出すよ〜」
これを職場の人だったり、他の保護者から言われたら私はその人とは価値観が合わないだろうなとおもった。
ウチの母はこういうことを職場の人に言ったらしいです。母がそれを言った年齢と同じ年齢くらいに自分がなったので、改めて考えてみると、こういう人は無理だなーなんて感じるのです。
もし周りにこのような事を言ってくる人がいたら、私はなんて返すんだろうなと考えていましたが、実際は「へー」とか「そういうパターンもあるんですねー」とか、適当に話を終わらせることに徹するだろうなと。
この出来事をわざわざその大学行きたいと言っている子どもにそのまま話しているだなんて想像も付かないけど、それがうちの母です。
職場でのやり取りは見ていないけど、私に堂々とこの出来事を話してきたあたり、母の中で手応えのような何かがあったんだろうなと。ただ、社交辞令で興味のあるふりをされていただけかもしれないのにと、この年齢になって感じました。
子ども立場で言われて違和感しかないことは大人になって様々な立場の人になったつもりで熟考しても違和感しかないんですね。
「自分の母」というラベルを取ったときに、1人の人間として仲良く出来るかと問われたら、絶対NOですね。私は私の価値観があって、それしか使えないのでしょう。自分の価値観に縛られるのもよくないのかもしれないけど、母の価値観を取り入れることはこの先の人生でも絶対にないでしょう。
問題は自分でも気がついていない母の価値観が自分に染み付いていることですが、常に漂白しながら、また汚れたとしても黒ずんだとしても、それが自分だけの考えで汚れたと思えるように漂白し続けるしかないのです。ハイター必須な人生。
面倒なことは全部妖精さんがやってくれないかなーと。
かなりいい年齢ですが(笑)思ってしまいました。そういう妖精さんはいて欲しいです。メンドク精。
子どものとき父の会社の親睦会のようなものがあって家族も参加のバーベキューがあって行ったのですが、その時父に「役に立たない」と言われたんですよね。私、小学生だったのですが、鉄板の食べ物がとれそうでとれなかったときに「とれな〜い」なんて言っていたら、言われました。
この出来事が象徴するように、子どもは父にとって「役に立つか立たないか」しか価値がないんですよね。だから自分が取ってあげるという発想が1ミリもない。子どもであろうが特に女子は、自分が食べなくても周りにとってあげるのが正解なんです。
そういうのを見て、周りが褒めてくれて、父として鼻を高くしたかったのに、父にとっては鼻をへし折ることばかりしかしてなかったんでしょうね。
周りの人を役に立つか立たないかで判断して評価する。結局、自分が楽したいから、そして自分が何にもしていないのに褒められたいからでしょうね。だから、それが出来る人を周りに置きたいのに自分の子どもはそうじゃないのが腹立ってしょうがないのでしょう。
私が生まれ持った気の利かなさももちろんあると思いますが、自然と身につく役に立つような振る舞いが出来ないのは、親が子どもに与えていないからだなって、ここ数年は理解しています。親が子どもの「役に立たない」のだから子どもも「役に立たない」子になるんです。
だけどこのような環境があったからこそ、(本当はポジティブになんか書きたくないけど)周りにいる人は自分にとって楽しい人、気楽な気持ちにさせてくれる人がいいなと思うんでしょうね。
こんな考えを持って過ごしていると、楽しいか楽しくないかじゃなくて情報網かどうか?が第一優先になっている人ってやっぱり多いなと感じます。結局、役に立たない人はいらないんだなと思いますが、役に立つ前提で生きていたらつまらないし疲れるので、役に立たない人で私はいいのです。
あるある!って感じなんですけど、財布に忍ばせてたクーポン、いざ使おうとするとどこ行った?ってなりません? けっこう探したのに、出てきたときにはもう遅いんですよね…(涙) あと、LINEクーポンも、使いたい時に限って読み込みNGとか勘弁してほしい! 後で試したら普通に使えるとか、なんなんでしょうね、あれ。
ホント最近、こういうクーポン難民みたいなことが続いてるんですよ。安いからって要らないもの買うのは本末転倒ですけど、今回はちゃんと欲しいものがあったのに。世の中、「増やすより減らす方が難しい」って言いますけど、お金だけは減る一方ですよね、ホント。クーポン使う時は、ちゃんと必要なものか考えてたつもりなんですけどね。でも、ちょこちょこ無駄遣いしちゃうこともあったから、クーポンが使えないのは、天罰みたいなものなのかな… 明日はもう、おとなしくお財布休ませます。
えへへ。
私はね、「ちょこっとラーメン」したいときに、チェーンの回転寿司に行きます。
回転寿司のラーメンて小さいから、ちょうどいいんですよね~。
それで満腹にならなかったら、お寿司を一皿、二皿食べたり。
ラーメンからの甘味&コーヒーとかね。
食べる量の調節しやすいから回転寿司って便利だなと思います。
カフェタイムにスシ□ーのようなチェーン寿司屋で寿司は食べずにコーヒーとデザートだけっていうのをやってみたいなと密かに思っています。もちろん空いてるという前提ですが⋯
某ファミレスでお茶しに行きました。お茶だけど、お茶請けはチキンです。それにドリンクバーをつけて。トータルで500円って安すぎるので気に入っています。さすがにお茶請けはデザートにすることが多いですが⋯
で、そんな場所で1人で楽しんでいたのですが、案内された席が男3人女1人のグループの隣で年齢はいくつかわからないけど、たぶんシジューアラウンドの私よりは若いかなと。失礼ながらオサレ感はないけど、普通に服を着て普通に過ごしていそうなグループの雰囲気でしたね。
特に話を聞いていたわけではないですが、グループの1人の男が自己主張をしてそれに周りが同調するってタイプの会話が展開されていました。内容は全然わからないのですが、主張することってたくさんあるんだなと思いました。みんながウンウン聞いてくれると嬉しいし自分が正しいと思わせてくれる仲間がいて羨ましいなと感じたりしてました。
そんな主張も終わりを迎えたのか、そのグループは帰って行きました。いなくなって初めて、ああ、あの主張は音だったんなと思いました。そして音が消えると違う音がまた聞こえてくるのです。違う音は私の席の通路を挟んで向かい側から聞こえてきました。男3人組できっとまた私より若いです。チキンを食べながらなんとなく見えました。他のお客さんも減ってきたのもあって、主張という音がまた聞こえてきました。たぶん仕事での出来事で主張だと思います。愚痴のようにも聞こえますが、主張要素が強いなと音から判断しました。
なんだか主張したいことって、この世には沢山あるものなんだなと感じた日曜日でした。私もあのくらいの年齢のときは信頼出来る誰かにはなんらかの主張をしていたかもしれないなと思い出していましたが、今はこういう場所で主張というよりは出来事を置き去りにして何事もなかったかの如く過ごすようになりました。
チキンを貪るように食べられたことが嬉しく感じるようになって無気力さと生命力の狭間にいるようなそんな気分になったものです。
信頼出来るから一緒にいようと決めたけど、もう信頼しないと決めたからこれからも一緒にいられるんだよなと。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
食べようと思って冷凍しておいた筍御飯がチャーハンにされてて悲しかった。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ