田舎町へ引っ越すことが決まった。仕事上の命令だ。
私の住まいは都心から少し離れた、所謂郊外の住宅地にある。こことは幼年期からの付き合いである。車で30分もしない場所には別の都市とも1時間経たず繋がるほど大きな交通の中心地があり、物を得るにはほとんど困ることなどなかった。大抵のものは調べれば少し近くにあるのが、良いところだ。町の中にも店があり、何かを手に入れる勝手がわかっている。私は読書を趣味の一つとしているが、町の中には車で10分もしないところに図書館が3つほどあって、大抵の本は手に入る。朝夜は誰もが静かで、騒がしい所からは離れているというのも住み心地がいい。
引っ越し先は、町の背後に山が聳え立っている。少し地図を広げてみれば、背後だけでなく別の町に続く道をも山が塞ぐ。地図の中で山の次に範囲を占める田んぼの、その間にポツポツ家が立っている。山と山の間をぬって30分ほどかけてようやく少し大きい街がある程度だ。その街も今の場所とは比べものにならないほど小さい。観光地になるレベルで、人々の生活とは少し離れた構造をしている。 以前、会社の同僚の故郷をインターネットで調べてみた。その人はそんな自然との距離が近い町の出身で、地図を見れば殆どが濃い緑色の山である。川が境界線となって、小さな町と田んぼの列をわけていた。自分の住む街とは支配する色が全く違っていて、大いにバカにして笑ったものだった。 そんな私も、とうとうそのような場所へ住まいを移すことになった。あれだけ指差し笑ったような緑の多い場所へと移動である。動揺するのは言うまでもなかった。一件の図書館まで行くのに車で30分。今の町なら都心まで向かえる時間だ。私には趣味に特殊な道具がいるが、それを調達するにはこっちに戻ってくるほか無さそうだった。生活が大いに変わることは想像がつく。本も、趣味の道具も手に入りにくくなる。それがどんなに私の心に影を差すか。
話は少し変わるが、9月に入ってすぐの頃。家を出てから風が一つふいた。その風が肌に当たった時、「もう秋だ」と瞬間的に感じた。季節を感じたのである。またある時、トマトを一口食べて甘味に驚いた。これも季節である。トマトの時期が来ていたのだ。調べれば、トマトは強い日差しを好むらしい。そこで栄養の高まったものが収穫され、秋の頭に出回ったわけである。人類は技術と科学の発展で、季節のものを自由自在に扱う事ができるようにはなったものの、やはり自然に即した物の形の、その美しさには叶うまい。 そうした季節に想いを馳せさせられると、引っ越し先の町を思った。私は今より格段に自然との距離が近づく。コンクリートに囲まれて、季節を感じないわけでは決してない。しかし土との距離が近づけば、今より四季を折に触れ感じる機会は増えるだろう。そうした季節への敏感さ、親密さは、情緒を育てると聞いた事があった。本が趣味の一つであるのは、元よりそういった情緒の鈍さゆえだった。 私は季節の勉強をしに行くのかもしれない。それは本などで読むよりもっと色濃く心情へ訴えかける、情緒の勉強になるのかもしれない。 まだまだ図書館の距離に対して感じる嫌気が消えたわけではないけれど、少しだけ楽しみになった。