youtubeを眺めていたら、youtuber(仮にA氏)が、パワハラを受けて退職した友人(B氏)の話を聞いているという構図。
A氏は「こんな方法もあった」「こうすればよかったかもね」と柔らかく話していた。多分、次に同じようなことがあったらその時にこういう対処もあるよ、というお話なのだろう。
それはさておき、私が気になったのは、B氏の「自分にも悪いところがあった」という発言。
「悪くないよー!!!」と聞きながら言ってしまった。
確かにもっと良い対処法、立ち回り方はあった。あったけど、渦中でそんなこと思いつかなかっただろうと思う。
もし、わかっていても、追い詰められた状態で的確な引出しを開けられるだろうか?開けられたとしても取り出すことができるだろうか?
それに、良い立ち回りができなかったからといって、「悪い」とはならないはず。
不幸話に点数をつけるという企画なようで、「その不幸話は何点?」と聞かれ「話す前は10点満点だと思ってたけど、自分にも悪いところがあったので3点」と。
なんで7点もひいちゃうのーーー!? それとこれとは別ーーー!!
とまたも声に出して言ってしまった。
「自分にも悪いところがあったから、つらいなんて思っちゃいけないんだ」は間違ってる!!
「つらい」と「反省点(改善点)」は別々のもの。合体させて「つらい」を矮小化させちゃいけない!「つらい」は「つらい」、「改善点」は「改善点」!別々のもの!
「自分も悪かった」は、ある意味、現実逃避な面があるとは思う。
「ちゃんと行動していれば、不幸はやってこない」という考え方が前提にあって。
「ちゃんと行動していたのに、不幸になった」よりも、「ちゃんとしてなかったから、不幸がやってきた」の方がちょっと気持ちが楽になることもあって。
けど、そういう考え方ははどんどん自分を追い込んでいってしまうんじゃないだろうか。
「自分の行動」・「不幸」・「改善点」・「つらさの大きさ」
それらをすべてを一本にして評価するのはちょっと違うのではないかと思う。
評価するなら別々に評価するべきだと思う。
……ということをコメントに書きたいんだけど、あまりコメントの付いていないチャンネルで、自分のコメントが初コメントになるのはすごく勇気がいるため、ここに吐き出してみる。