2021.09.16Thu

偉そうに言ってるけど、私もたいていチキンですわ。

非表示 16:54

youtubeを眺めていたら、youtuber(仮にA氏)が、パワハラを受けて退職した友人(B氏)の話を聞いているという構図。
A氏は「こんな方法もあった」「こうすればよかったかもね」と柔らかく話していた。多分、次に同じようなことがあったらその時にこういう対処もあるよ、というお話なのだろう。

それはさておき、私が気になったのは、B氏の「自分にも悪いところがあった」という発言。

「悪くないよー!!!」と聞きながら言ってしまった。

確かにもっと良い対処法、立ち回り方はあった。あったけど、渦中でそんなこと思いつかなかっただろうと思う。
もし、わかっていても、追い詰められた状態で的確な引出しを開けられるだろうか?開けられたとしても取り出すことができるだろうか?
それに、良い立ち回りができなかったからといって、「悪い」とはならないはず。

不幸話に点数をつけるという企画なようで、「その不幸話は何点?」と聞かれ「話す前は10点満点だと思ってたけど、自分にも悪いところがあったので3点」と。

なんで7点もひいちゃうのーーー!? それとこれとは別ーーー!!

とまたも声に出して言ってしまった。

「自分にも悪いところがあったから、つらいなんて思っちゃいけないんだ」は間違ってる!!
「つらい」と「反省点(改善点)」は別々のもの。合体させて「つらい」を矮小化させちゃいけない!「つらい」は「つらい」、「改善点」は「改善点」!別々のもの!

「自分も悪かった」は、ある意味、現実逃避な面があるとは思う。
「ちゃんと行動していれば、不幸はやってこない」という考え方が前提にあって。
「ちゃんと行動していたのに、不幸になった」よりも、「ちゃんとしてなかったから、不幸がやってきた」の方がちょっと気持ちが楽になることもあって。
けど、そういう考え方ははどんどん自分を追い込んでいってしまうんじゃないだろうか。

「自分の行動」・「不幸」・「改善点」・「つらさの大きさ」
それらをすべてを一本にして評価するのはちょっと違うのではないかと思う。
評価するなら別々に評価するべきだと思う。

……ということをコメントに書きたいんだけど、あまりコメントの付いていないチャンネルで、自分のコメントが初コメントになるのはすごく勇気がいるため、ここに吐き出してみる。


非表示 14:47

古民家が大好きだけど、古民家を改装した
カフェはあまり好きじゃない。
オープンしたと聞けば喜んで行くんだけど
いつもその一回で満足してしまう。

なんか、入った瞬間に「リピは無いな」と
思ってしまうんだよ。

気に入った古民家は何度も訪れるのになぜ?
メニューが今時の若者に迎合したやたらおしゃれで
料金が高いものだから?
インテリアも似たり寄ったりで面白みがないから?

古民家に一番合うのは、やっぱり当時使われていた
ちゃぶ台だったり、おしることかだったり
そういう懐かしいものが似合うと思う。
わざわざ築何百年の古民家でどこでも食べれるような
シフォンケーキとか食べたくないんだけどな。

でも最近気づいた一番の理由は、
古民家は店に向かないということ。

作られた当時は住むための家として作られてる。
だから当然だけど、カフェとして機能させるために
机や椅子を入れてお客さんが飲食できる場を設けても
落ち着かないのだ。

大抵そういう店は、ふすまを取り払って
何部屋かをつなげて店舗スペースに変えた上で
ほどよい距離感でテーブルや小さなちゃぶ台を
並べているけど、ぱっと見た瞬間にやっぱり
違和感がある。
座った時の景観も落ち着かない。

本来ひとつの和室に、大きなちゃぶ台が一つ
そこが食卓だったり客間だったりするはずで、
こんな3、4人がけの小さなテーブルをいくつか
並べるために作られた部屋じゃないから。

かといってそんなちゃぶ台に他人と相席する気は
ないけど。。

どんなに建物が素敵で縁側の庭が素晴らしくても
カフェいらねって思ってしまう。
ただの家のまま残してくれればいいのに。
もちろんそれじゃ利益にならないけどさ。

入った瞬間リピはないなーって思う店に
そもそも入る価値は少ない。
無理やり自分の興味を満足させれた、と
思うようにしてるけど、やっぱりどこかで
お金と時間無駄にしたと感じる。

それならドトールとかサンマルクで
いつものコーヒー屋モーニングと一緒に
図書館で借りた本をじっくり読む方が私は満足。

カフェ巡りが好きなんじゃなくて、
気に入った場所でほっと一息つくのが好きなの。
新しいお気に入りを増やそうと思って探してるのに。

古民家改装って言われるとつい行きたくなるけど
要注意だわ。

んなわけで今日はドトール行ってきます。


非表示 11:54

自分が何に怒っているのかわからないのでよく考えてみた。
・みんなの前で名前は出されてないけど注意されたこと
→ちがう
・自分がやったミスで、チームのみんなが無能みたいな扱いされたこと
→ちがう
・違うグループの上司に注意されたこと(直属の上司は何も言わなかった)
→ややあてはまる
・初見の不具合を自己判断で処理してしまったこと(自分への怒り)
→これかも
・私が判断ミスしないための基準がそもそも社内にないこと
→これかも

違うグループの上司は、ぶっちゃけ直属の上司よりも優秀で有用だから、悔しいってのもある。
そしてすごくその違うグループの上司を尊敬しているから、自分へのマイナスイメージをつけたくなかったという、プライドもある。

結果、自己保身てことだ。


非表示 06:04

「すき焼きだから帰ってきなさい」
と親から連絡があって友達とフラついていたけど帰ったんです。高校生のときの昔すぎる昔話ですが。
で、すぐ帰ったのにも関わらず、すき焼きは食べた後でした。
私の分の食材はとってあったので食べ尽くされたというわけではないのですが‥
私なんか待っていなくてもいいだろう?ってそんなひと言があったらしいです。そうです、待っていなくてもいいです。じゃあ連絡しないで欲しかったなと。私自身も友達と遊んでいるほうがよかったのにと。
こんな感じで家庭でも軽く扱われることが多かったなぁと大人になった現在、ちょっとしたことを思い出して感じることが多くなりました。
外でも軽い扱いを受けると感じことは多かったのですが、家庭でもそんな扱いをされていたんですよね。当時は気が付かなかったんですけど。そういう家庭での扱いが染み付いていて外に出たときも同じように扱われるというループだったのかぁと今では思います。
私だけすき焼きを食べさせないとか露骨すぎる扱いじゃないぶん、やっている方もやられている方もその時は気がつかない小さな毒だったんだと思います。
小さな毒って後からジワジワ来ます。あの頃から時は流れて高校2回は卒業出来る年齢になったくらいですけど、だからこそ毒に気がついて痛みを感じるのかもしれませんね。
でも、今の年齢になって距離をとるって出来るようになってそういう意味では幸せなのかもしれないです。

2021.09.15Wed

curry

非表示 21:45

かなり疲れていた今日でしたが、家の掃除に励んで気持ちはスッキリしました。
一見平穏に生活していても色んな事があります。
各家庭でも、一人一人の個人でもそうだと思います。
子供の頃からテレビだったり映画だったり、漫画や本の中のおはなしに親しんで来ていると、現在の自分の現実の暮らしがあまりにもしょうもなく思えて「いくら何でもどうしてこうなんだ?」と思わずにはいられない事もしばしばです。
ストレスになっている事と離れられないのは事情で仕方がない、ただ、あんまりにもその事ばかり考えてしまっていると気が付いているのにやめられない止まらないのは、そう言う性質でもあるし、先日ある記事を読んで、これはある種の適応障害なのかもな、と思いました。
もうちょっとウキウキワクワク楽しい気持ちを持ちたいのになあ。
まあ、気が付いてるのはいい事です。
目指したい、お気楽極楽、辛〜いレトルトジャワカレーをヒーヒー言いながら美味い美味いと食べて、ヤな事は華麗にスルー、スルッとスルー。
これが理想 笑


非表示 18:50

メガネにして髪型変えてから服が似合わなくなった。
手持ちの服は全部自分に合うように厳選してたのに
T シャツが絶望的に似合わなくなった。
元々 T シャツは苦手だったけど、部屋着として着るのも
無理がある感じ。

年齢的にも限界だったんだろうな
まんまカジュアルな格好がきつい。
綺麗目に振ってもしっくりこない。

一方でシャツやジャケットがめちゃくちゃハマる。
今は一切着ないから持ってないけど
パンツスーツが似合う自信がある
どこで着るんだか分かんないけどね

もうめんどくさいから毎日シャツ着ておこうかな
自分の年齢相応の格好にアップデートするのも大変だわ


非表示 10:54

カップラーメンはしょっちゅう食べるくせに、インスタントラーメンだと頭痛くなるっていうんだよね。なんだそれ?と思うけど本人がそう言うならそうなんだろう。
それは良くてコレはダメなの?って思われることって誰にでもあるんだと思う。でも、それを目の当たりにするとコイツメンドクサイナ‥‥ってやっぱり思ってしまうんだよね。
インスタントラーメンも一緒に食べなきゃ解決するし、1人で食べればただ美味しかったで終わる。
自分なりのメンドクササがあるのはみんな一緒。だからこそ無理に一緒に何かしないって大事なことなんでしょう。
一緒に何かしたがるのに自分の主張を目一杯する人が1番メンドクサいよね。その手のメンドクササは持っていないと自負出来る!なんてね。


夢日記

非表示 02:44

夢を結構覚えてるほうで。かきとめる事が多かった
けど、夢を記録することは、よくないことって知った
なんでだろね?足元の影が薄くなるとかほんとなのかな
誰が出てきたとか、こんな夢見たとか、そんななんだけどね

2021.09.14Tue
非表示 21:18

前に うっせぇわ のことを書いて、若い人の歌だなと思ったと書いた。
好きな歌ではないが、言っていることはすごくわかる。
わかる、、、と思うから、やはり 自分は歳をとったのだなと思うし、歌に対して、なんともやらせない気持ちになる。

ギラギラを聴いた。

「神様が左手で描いたみたい」という一言で やられました。

uglyと歌詞にあるので、容姿の美醜がメインとは思う。
でも、なんだろう、なんだかね、左利きの神様が私のことを描いてくれていたら少し違ったのだろうな と思う。
ギラギラの神様はきっと右利き。

そんなことをパートナーと話した、そんな夜。


非表示 20:34

過去を引きずりがち。
私の場合、過去の人たちを「見返してやる」という気持ちを
前に進む力に変えてこれまで生きてきたから。

ただ、過去の自分からどんなに変わっても、その当時の彼らを
見返すことはできないんだよね。
今の彼らにあったとして、私のこと自体忘れられてたら目も当てられないし。

過去に私を傷つけた人たちに今の私が執着するほどの価値はない。
「なんでこんな人たちに?」と思うくらい、どうでもいい存在。
ただ、過去の自分はずっと私の心の奥にいて、当時からずっと変わらず
その場で泣き続けているのだ。
その私のために、私はあんな奴らの鼻を明かしてやりたい。
当時の私はそれが精一杯だったとしても、私の実力はそんなじゃない、と。

ちなみに、私が過去から成長したように、彼らもまた成長するんだぞと
いう人もいるけど、そこは私の中でどうでもいい。
私が当時傷ついたのは、当時の私より彼らが数段優れた素晴らしい人たちだと
思い込んでいたから。
でも、今思い返せば、当時から私が彼らより劣っていた部分もあったとしても
そんな大差はなかったと今は思う。
ただ、互いが得意とする分野が違って、私が苦手なことが得意だった彼らに憧れ
彼らが私を馬鹿にしただけのこと。

そもそも、今の私は当時憧れた彼らの能力に、何の価値も置いていないのだよ。
私より英語ができる、私よりセンスがいい、私より経験がある。
そりゃ今もそうかも知れないけど、帰国子女の彼らに英語で敵わないけど
英語指導や文法知識は私の方がぐっと上で、それを活かせばいい。
センスや経験も、あれからたくさん身に着けて、自信もついた。

何より、自分よりある部分でだけ劣っているからと、人を馬鹿にして傷つける人間に
私は価値を置かない。
憧れて信頼できる仲間だと心から信じてた私を、馬鹿にして、蔑ろにしたよね。
みんなが好きだったから、傷ついたし、そんな人だと知ったのはショックだった。
だから、そんな彼らを見返そうと思って頑張ってきて、気が付いたら6年たってた。
さすがに昔ほど思い出すことはもうないけど、不意に当時聞いてた歌とか聞くと
キュっと胸が締まる。
過去の私はまだそこで泣いている。

だから、過去の私に手紙を書いた。
どうやっても届けられないけど、今、私の心の奥でまだ泣いている私。

辛いし、悔しいし、仲間ですらなかったのかとショックだったし。
でも、あの人たちはそんな価値のある人じゃない。
私たちは、偶然その場に寄せ集められてチームになっただけの関係。
憧れの仕事だったから、見る目が完全に曇って妄信してしまったんだよね。
仕方ないよ。

でも、今、私はあの人たちなんかメじゃないの。
全く違う分野で、でも、自分だからできる仕事について幸せに働いている。
憧れの仕事には就けなかったけど、天職に出会えたと思う。
あの時辛いけど頑張ったから、今の私がある。
ずっと迷走して苦しかったし、何度も悔しくて思い出したから
タトゥーみたいに心に刻み込まれてしまったけど、でも、だから今がある。

あなたは、今も昔も、素晴らしい。
誰にも負けないくらい頑張ってる。
見返す必要なんてないよ。皆、嫉妬してたんだよ。
誰よりも、あの仕事で目立って、一番楽しんでいたから。
今なら分かる。
一番地味で、力不足だった私が、他の人たちから支持されてた。
誰よりも一生懸命やってたからなんだけど。

私はもう傷つかなくていい。
私は今、すごく幸せだから。
あの時、頑張ってくれてありがとう

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