何か買うとついてるときがある鈴のマーク。ものによって点数が違ってくるあのマーク。それを集めるように言われてるけど面倒だから、ゆるく不買運動をしている。絶対買わないというわけじゃなくて、鈴がついてるお菓子とついていないお菓子で迷ったら、鈴がついていないほうを買うとか。
キレイに切るとか面倒だし、集めたそれをキレイに台紙に貼る係っていうのもあって、係になった人は集まってその作業をやる。
この社会状況でそれらもやりたい人だけやるみたいになっているからホッとしているけど、正直面倒。だから枚数がないほうが楽かなと思って買わない。
しかし、某パン会社がやっている点数シールを集めてお皿をもらうとか、そういうのは集めていたことあるのに同じような作業でも強制されると面倒でしょうがない。そういうものだよね。
鈴のマークをつけることに協賛している会社も良かれと思ってやっているハズなのに、ついていることで買わないって言われたり中々うまくフィットすることってないのかもしれない。
そういえば、某コンビニのおにぎりは前は鈴がついていたけど、つかなくなったな。だから安心して買える。気がつかないふりして捨ててたことも多いけど、変な罪悪感があったからよかった。
誰かに合わせれば誰かが不満を持ったり吊り合うって難しい。
超少数精鋭の職場で、来週の連休の予定を尋ねたところみな特に予定は立てず、近所で過ごすと言う。
みな外交的でなく、家でやることがあれこれあり、昨年から「人の多いところに行かなくて済む」という安堵感を持って生活している。
気持ちよく生活するために互いに気遣うことに、重きを置いてきたのも確か。
おかげで穏やかな日々。
我が上司と先輩は、だいぶ家族に近い。
目が見えないから言葉で言って欲しいなんて、ひとことも言っていないくせに、「目が見えないから聴いてんだろうが!」と怒鳴る。普通にここまで来た人が目が不自由だなんて初めてお会いした人ならわかりません。
「耳が聴こえないんだから!」って怒る人もいます。初めてお会いしたのだからわかりません。
目や耳が不自由でも来てくださって結構なんです。それがわかれば自分なりに考えて接していきたいと考えています。
ただ、こちらはパッと見だけじゃわかりません。目や耳が不自由でも伝え方が不自由でないのなら、もう少し考えていただきたいと昨日は仕事で感じました。
何かが普通に作動しなければ、イライラもするでしょう。普通に出来ることが出来なければ悲しいかもしれません。
人間生きていれば何が起こるかわかりません。明日、当たり前に持っていた自分の機能がなくなるかもしれません。それに生きていれば老いるし、それだけで今まで出来ていたことが出来なくなることもあるでしょう。
そんな時に自立しろ!なんて言いません。ただ自分の事情を押し付けるのではなくて、ただ伝えるって大切だなと思います。
自分が何か出来なくなったときに、ただ伝えるってことも出来なくなるのかな?と思うとちょっとコワイです。
今のところ何の不自由もなく生きている私が色々言うのは違うかもしれないけど、何かを失ったときにまだ持っているものまで失いたくないなと思いました。それはどんなときも意識し続けないと消えてしまうものなのかもしれません。
不安だとか、自信がないだとか、怖いだとか
それまでのプロセスって、自分を好きになりたかったのかもしれない。
夏休みの宿題って自分の内面をさらけ出さなきゃならないものが案外多いんだよね。
一行日記とか、読書感想文、自由研究とか。
ドリルもなども面倒ではあったし、頭がよろしくないので嫌ではあったけど、ただやればいいという点では楽かな。
自分が何をして何に興味があってとか極力知られたくなかったな。それプラス能力もないから余計に億劫に感じてたあの宿題たち。それらを総合して面倒臭いって思ってた。今思えばだけど、あの頃は単純に自分の自堕落から来る面倒臭さだと思っていたんだよ。なんで面倒なのかって大人になってハッキリわかるけど。
現代の子どもたちの味方をするわけじゃないけど、言葉に出来ないだけで内面を知られたくないって子はいると思うからこれらの宿題は少し考えて欲しいなぁと。
もちろん、それらの宿題の効果はあるのは理解するけど、知られたくないって思いにもう少し寄り添ってあげて欲しいなぁと昔の子どもが勝手に言っておくよ〜
簡単にできることを、周りにはファインプレーに見せる。
野球でいうと、
外野へのライナー、でも余裕でキャッチ
すかさず自然にでんぐり返し
グローブ内の捕球を掲げる
仕事でもそんな振る舞いのヤツは、そのチャップリンなセンスは笑ってあげている。
これ悪口言いながら作ったんだろうな〜って作成メンバーから容易に想像出来るものが完成して、それが私の手元に届いた。
このメンバーと関わることがなければ、作ってくれてありがとう。だけで済んでいたのに、余計な感情が1番先に来る。
人と関わらなければ悪口だって言いようがないのに、わざわざ関わって少しでも悪口言えそうな人を見つけて、それを肴に周りとの結束を固めるタイプの人たちだった。関わらなきゃならなくなったときはキツかったなぁ。
自分もその雰囲気に飲まれるかと思ってたけど、拒否反応が出ただけで同調しなかったのは自分偉いよね。
そういうこと言っちゃダメだよ!キリッと言ったわけじゃないけどね。そこまでは強くないですよ。
悪口を言わない、いい人なわけじゃなくて、納得出来ない悪口に同意出来ないだけなのよ。だからこうやってあの方たちから見たら悪口だと思われることをツラツラ私もここに書いてるからね、やっぱり自分は偉くないか。
あの人たちから見たら私のほうが性格悪いんだろうな。みんなから好かれることなんてないんですよね。生きるって大変。
あれだけのひどい悪口を言いながら、心が籠もってそうに見える作品を作れることは才能があるとしか言えないよ。生きるのお上手ですね、と思いながら届いたソレを見ていた。
ものすごく気になっていたこと。
副業している人のこれ興味ない?と言う勧誘?について。
気軽に聞いてほしいと言いながらも、それはワンコインかかるらしく、気軽には聞けず。
販売を始めたということを押し気味に言われ、質に目を瞑り「友人としての応援」なんて曖昧な感じで一度受け取ってみたけれど、なんだかやっぱり苦しく、何度目かに今は必要ないと伝えた。
それは、お互いうれしくないだろう。
曖昧なことをする自分が寄せ付けた出来事。
ひとからお金をいただく、払うということが、その人の感覚と大きく異なっているのだと実感した。
それまではよく遊びに出かけていたけれど、違和感が拭えず、世間話さえ緊張してしまうようになったこと。
信頼関係を結ぶって、本当に尊いのだと思う。
先々週くらいからいろいろ行き詰まってたことが今日でとりあえずの方向性が見えてきた。
それまでとは気持ちの在り方が全然違うし、物の見え方まで明るい。何とわかりやすい私。
毎日PCにへばりついてもぜーんぜん取れなかったワクチンの予約も何とかとれた。
これは先人がTwitterで教えてくれたコツみたいなものが大変参考になりました。
どこのどなたか存じませぬが、おかげさまです。感謝感謝。
前から気になっていた目の違和感。念のための精密検査の大きい病院の予約も取れた。
たまたま行ってみた眼科の先生が大きい病院の予約をさくっと取ってくれた。感謝感謝。
このさきもありがたやの気持ちを忘れずに無事に物事が進みますように。