洗濯物を外に干そうかとベランダの掃き出し窓を開けたら雨が少し前まで降っていたようで、湿度が充満していた。
測れば150%かもしれない。
冷房をかけた部屋の中に干した。
あとはタオルを畳んで、流しの洗い物を片付ければ夕方にパートの仕事に行くまで特にするべき事はない。
今朝起きて左の耳の聞こえが落ちている事に気が付いた。
3年前に突発性難聴の診断で入院したあとも、度々聞こえが落ちる。
恐らくメニエールの軽いやつなのだろうと考えていて、あまりにひどい時は耳鼻科でとても味の悪い薬を出してもらってのむのだが、静かにして何日か経てばまた戻るのはわかっている。
しかし、5月から始めた週に3回の仕事には少々聞こえが悪くても行かねばならないし、あと4時間すればまた行くのである。
世の多くの人たちは週に3回どころか5回も6回も仕事に行くのである。
本当にすごいことである。
また。
最近思うことがあって、人は亡くなったらどこへ行くんだろうと思って父さんが亡くなったのをきっかけに考えてみた。私は霊感はそんなにないが少しはある方かなと思っている。こないだ父さんの似顔絵をふと描いてみたんだ。まあまあ似てたんだけど、絵に描いた父さんはそこに生きているように私には見えた。私は父さんと縁がなくて離れ離れになっている期間の方が長かったから話した記憶もそんなにない。だけど顔は覚えているから描いてみたら、紙の中に父さんがいる!!と思ったんだ。それは絵になって。それは一つのキャラクターになって。紙の上だけれど確かにそこに存在していた。紙に宿っていたんだよね。不思議な感じだけど楽しかった。生まれ変わりももしかするとそういうことなのかもしれない。姿かたちは同じではないけれども他の物、別の物に宿る。中身が物体に宿る。そうやって転々と渡り歩いていくのかもしれない。キャラクターになった父さんは、可愛かったです。
もう一つ、最近思ったことがあって私はディズニーランドが昔から大好きで大阪から頑張って通ってた時期もありました。最後に行ったのは2010年、震災前です。震災後は、行っていません。行けませんでした。行く気持ちになれなかったからです。現在もコロナで世界は大きく動いています。ディズニーランドに行く日はいつかくるのかな、それとももう、こないのかなとニュースを見ていて思います。私が昔集中的に通っていた時期は主に90年代半ばでしたが、気づいたことがあります。私が行っていた時代に働いていたお兄さんやお姉さんは、もうおそらく働いていないんだろうなあということです。
ディズニーランドのキャストと呼ばれている人たちはアルバイトが多いと聞いたことがあります。子供だった私は親切なお兄さんとお姉さんが大好きでした。今もお兄さんとお姉さんが働いているんだけど私の方が年上になった。ディズニーランドはそこにずっとあってアトラクションも動いていてパレードもやっていてミッキーマウスもいる。だけど人は変わっていく。中身が変わっていく。働いている人も来ているお客さんも変わっていく。ああ、そうやって人もつながれていくんだなあと思ったんです。ちょっと輪廻転生に近いかもしれない。歌舞伎や伝統芸能にも近いことが言えるのだけど人は変わっても受け継がれていく物があるんだなあと思ったのです。人の思いも伝承されていく。ディズニーランドにいつ行けるのかなあ、そんな日はくるのかなあなんて考えていたら、ディズニーランドはそこにあって変わらないのにそこにいる人は変わっているんだろうなということを思ったときに物悲しくなったのです。伝承されているのに、少し違う。同じ物を見ているはずなのに、以前とは違う。同じ物でも中身は別の物。別の存在になっていくのかなと漠然と思ったのです。
わかりにくい話でしたが、抽象的過ぎてごめんなさい。だけど自分は何故か物悲しくなってしまい、同じ物なのに少し違うのかなと。たとえば生まれ変わって輪廻転生があるのだとしても同じ彼と彼女なんだけど以前の彼と彼女ではなくなっているのかなと思ったのです。
何かイレギュラーなことが起こると、一旦停止して、問題があるなら取り除き通常モードを取り戻すっていうのがだいたいの人の流れだと思います。
この“一旦停止”するだけで「焦らないで、焦らなくていいから」って言ってくる人がいるんですよね。最初は優しさかと思っていたのですが、これを言われると焦りはしてないけどなぁとだんだん変な気持ちになってきて最終的にはイライラしてしまいます。
焦るってなんだろう?って思いますね。アレをやってもダメ、これをやってもダメで時間も制限されてたりとか、そういうことが重なって焦るに繋がるのかと思います。
私が普段から鈍臭いから、最初から焦るな焦るなと言いたくなるのかもしれませんが、焦るなって言ってる本人が1番焦ってフライングで焦るなコールを使っているような気がするんですよね。
あと、声質のことを言うのは失礼かもしれないけれど、高めの声でキツイ口調で言われるから余計に苛立ってしまうのかもしれません。
でも、声質は変えられなくても、言うタイミングや口調は絶対変えられるので本人が気がついていくしかないのかもしれません。
いつでも冷静だ!なんて思っていないし、焦るときもかなりありますが、あまりにも焦るな焦るな言われるからちょっと疲れてしまって書いてみました。焦って見えないようにサラッと生きたいものです。
今日はちょっと嫌なことという痛いことというかそういうのがあって、ただそれに対して文句を言うと関係ない人から、あなたは人間の心がないんですか!?とか言われそうなことがあって、言われたわけじゃないけど悲しい気持ちで帰ってきた
帰ってきて休憩しながら買ったばかりの漫画を読んでたら、恐怖とか悲しみとかそういうのは悪いものを引き寄せるとあったので、それもそうだわと思って美味しいもの食べようと思った
前に、嫌なことあった時にピザ食べたらめっちゃ美味くて嫌なこと吹っ飛んだんすよ!と会社で言ったら爆笑されたんだけど、社長の奥さんには、それが一番やでと言われたことがあった
今日も出前しようかと思ったけどピザの気分じゃないし、近くのスーパーに行って、手巻き寿司にしようと決めた
時間が遅めでいろいろ割引になってて、一人で食べる分だけカゴに入れて、レジの手前の惣菜売り場覗いたらチキンも安くなってたので、いつもなら我慢だけど買っちゃった
それで帰って、まずオヤツとしてチキンを食べた
美味しかった
それ食べ終えて、ちょっと休憩してお風呂、と思ったんだけどその時めっちゃ気分良くなってたことに気付いた
ジャンクなもの食べたら元気になるのかも
野球は負けてるけどまあしゃあないかなと機嫌良くお風呂入って上がったらサヨナラ勝ちで、すごい幸せになったよね
あと手巻き寿司美味しかった
ポジティブに生きなあかんなと思ったし、たまのジャンクフードも良い
SNSブログって場によって特徴があるので毎回読むのが楽しいです。匿名なのにその人が書いた文に返す人、僅かな繋がりを感じます。
此処に書きに来る人はほぼ先輩方が多いですが、時に懐かしさを思い起こさせてくれる話題を書いている時には、頷きながら読んでます。
早速ですが、私も勝手ながらこの場をお借りして…、
ジャングルの王者たーちゃん♡とタルるートくんは懐かしかったです。タルるートくんは原作を授業中に下を向いて読み漁り、先生に怪しまれながら全巻制覇したというどうでもいい記憶がまだ残ってます。キン肉マン、世代は違えどラーメンマンが好きでした!笑 主題歌聴くと未だに燃えます!
当時放送リアタイでよく覚えているのは南国少年パプワ君。今の時代で言うところのLGBTである鯛、網タイツのタンノくんと同じく雌雄同体カタツムリのイトウくんが好きでした。笑 あれは子供の頃アニメだしそういうもんだと思って意味がよくわかってなかったけど、そう言う話だったと数十年経って知りました。まだ男女恋愛のアニメが健全だと思われていた時代だった頃、よく放送されていたなというある意味、斬新な試みのアニメだったのだと。
でも昭和ってある意味そういうの、普通でしたよね。
令和の今、規制ばかりで昔は許させれていて普通だったことも急に誰かが奇声をあげて規制される、なにかを公に表現する事も充分に気をつけてやらなければいけない世の中になっていて、なんだか世知辛いなと思います。
深夜番組のギルガメッシュも規制されちゃったし
土曜日9時からの土曜サスペンス劇場も結構過激でしたけど、普通に放送してたのは昭和の時代まで。
あの番組を規制したのは、令和になって女性問題発言をしたあの方でした。
昭和の時代はまだ子供でしたけど、今思えば昭和ってなんだか全てが緩かったなと思えます。
そりゃ差別だの偏見だの虐待だの、っていうのは見てみぬふりで辛い時代でした。その点では今の時代は本当に改善されつつ、煩いぐらいに毎日言われてますよね。
企業にも導入されてコンプライアンスが…とかなんとか。
でも過剰になり過ぎてないかな?って少し思います。
規制が悪い事じゃ無いとは思うんです。今まで無視され続けてそれが普通だからとまかり通っていたことが、少しずつでも解かされてきたことには不満はなく、寧ろ性別関係なくもっと生きやすい日本であってほしい。
でも少しだけ、寂しさを感じるときがあります。
昭和に戻りたいわけじゃ無いんですが、
なんだか子供の頃に感じていたあの緩い感じはもう、今はどこにも落ちてないんですよね。
空気感も全然違うし。令和生まれの子達が昭和のカメラ(写るんです)でレトロだからといって写真を撮るらしいですが、そこに昭和は映るんでしょうか?
たまに昭和時代の映画背景に懐かしいセダンが映ったり街中を走ってる車がそれであったりすると心の中で(…あっ!)って思います。
思い出して語ったところで、あぁ私も歳とったのかなって。これ読んで何が言いたいのかわからない人もいるとは思いますが、なんかすいません。
ただ、形にできない言葉を同じように思ってる人がいたら少し嬉しいです。
ちなみに、私が子供の頃当時ハマっていたアニメはドラゴンボールとセーラームーン。あの頃よく『月に変わってお仕置きよ』を真似していたけどあのポーズ、もう流石に忘れました。笑
今じゃ海外に熱烈なファンがいて驚きます。
もうお昼ご飯は食べてしまいました。インスタントの塩ラーメン。もう10年くらい経ちましたか、インスタント麺なのに麺がツルツルで生麺に近い食感になったものが登場してから。
今日はそっちのツルツルインスタント麺を食べました。賞味期限が6月後半だったけど大丈夫。自分ルール適用でOKです。
今日食べたラーメンも好きなんですが、実は進化する前のペラペラインスタント麺も好きなんですよね。あのタイプも買います。ラーメン屋に行ってペラペラインスタント麺が出てきたら怒りますけど、家でしか食べられないあのペラペラ感。後世にも残したいですよ。でも、家族の若者はツルツルインスタント麺が好きなようで後世に残すのは無理なのかも?と軽い失望を覚えてしまいますね。
進化することで色々な恩恵を受けて有り難いと思う反面、以前あったものがなくなるかもしれないと思うと進化に対して、焦りや悲しみなど混ざった変な感情になりますね。次回はペラペラ麺タイプを食べましょう。どっちも残すって難しいものなんでしょうかね〜。
20歳の頃は早く40代になりたかった。
私が憧れたかっこいい大人達は、
ショットバーで語り合っちゃうような
ダンディでチョイ悪紳士であったり
クールな大人の女だった。
書いてて笑ってしまうぐらいステレオタイプだけど
18、9の田舎の小娘が想像するって都会的で
スタイリッシュな(と書いてまた爆笑したけど)大人像が
それで。
ここ読んでる人で知ってる人いないと思うけど
20年ほど前一世を風靡?!したメールマガジン
「恋愛マニアの極意」やそこから発生した
「オトナの溜り場」に当時心酔してて、一度だけ
私もそのメルマガに寄稿したこともあるのが
ちょっと自慢だったりして。
ネット上とはいえ可愛がってもらって、
君も大人になったら行きつけのバーぐらい
持たなきゃね、みたいなアドバイスを貰ったっけ。
今あの当時の彼らと同じ年代に近づいてきて
恋愛経験に関してはもちろんあの方たちの方がずっと
豊富だけど、それ以外のことをたくさん経験して
きたから今は多分仲良くなれないと思う。
恋愛至上主義にはなれないし、モテとか興味ないし、
それ以外に面白いことたくさんあるのになって
思ってしまう。
当時なりたかった大人、40代とは全く違う方向に
進んでしまったけども、それを多くの人は
後悔のニュアンスで話すけど、10代20代の自分が
考える40代になってしまうのも怖いと思うよ。
今でもバーの雰囲気好きだけど、そこに完全に
馴染みきれない自分のことを卑下することはない。
いつもの服装、なんなら今日は風呂上がりで
すっぴんだったけど、通常モードの自分で
自分のエリア外の所にも堂々と居られるくらいの
自分は持ってること。
そんな自分になれて良かった。
20年ぶりにあるショットバーに行った。
二十歳の誕生日に両親連れて行ってもらった
かなり本格的なバーで。
隠れ家的なお店なので、知る人ぞ知るという感じ。
早く大人になりたくて背伸びしてた頃なので
壁一面のお酒の瓶やグラスが眩しくて
同級生と飲む居酒屋の安いお酒と全然違うカクテルに
感動して早くこういうお店で一人で
飲みに行けるようになりたいと思って
つるっと20年経った(笑)
ショットバーでグラスを傾けるハイヒール履いたいい女
が大人だと思ってたけど、バキバキのステレオタイプ
私には合わなかったみたい。
お酒そんな強くないし、美味しいのは美味しいけど
それでもジュースやケーキの方が私は好きで
ハイヒール履いたら捻挫したし。
ただ、さすがに歳を重ねたことで図太くなって
海外旅行行ったり、
ホテルのフレンチフルコース食べたり、
気になったバーにブラッと入って気分だけ味わったり
それらのことが余裕で一人でできるようなった。
地元のホテルに泊まって、そこのバーで飲むのを
楽しみにしていたけどまさかの定休日。
あんまり飲めないけど雰囲気は好きなんだ。
ずっといつか行こうと思っていた冒頭のバーに
行ってきた。
自意識過剰は承知だけど、マスターと顔なじみの両親に
連れられて何度かそのバーに通ったので、
一人でぶらっと入って何言われるか思うと足が遠のいてて。
○○さんの娘さんなんて言われた日には引き返そうかと思ったけど
さすがに20年ぶりなら忘れてるよね。
当時40代ぐらいに見えたマスターの頭が
真っ白になってたのはびっくりしたけど
お店の内装は20年前と同じ。
当時好きだったドライフルーツとチーズも美味しくて
一見の女性客がぶらりと入っていくような
お店では決してないので、常連であろう先客のご夫婦も
怪訝そうな視線を投げてきたけど
カウンターだけのそのバーは私にはおなじみ。
見覚えはない客なのにやけに堂々としているなと
思われたと思う。
20年ぶりに来れて私は嬉しくてニヤニヤ。
個人的にはゆっくり一人でぼーっとしていたかったけど
軽めにお願いしたカクテルは喉をするする通るので
あっという間に2杯が空。
マスターが不可解な客を持て余してる感じも
微妙に感じ取ってしまったので、
おいとますることにした。
もちろん私がこの場を楽しもうとしているのを
察して一人にしておいてくれたんだけど、
他にお客さんいなかったから気まずいよね。
カクテルもすごく美味しかったけど、
でもやっぱ一番美味しかったのはドライフルーツと
チーズの盛り合わせだと感じる私の舌には
単純にお酒は合わないんだと思う。
リピはもうないと思うけど、20年間ずっと
心の隅にあった憧れをかなえたのは良かった。
ありがとう。
いやーごめん、やっぱ無理。
相手を好きになろうと努力してみたけど、やっぱり嫌い。
私にないものたくさん持っていて、ステータスも完璧。
そらそうだ、趣味嗜好、会話レベル、一緒の方が楽しいよね。
そらそうだ、だが気に食わない。
何が気に食わない。そのステータス。ここであえて詳細は伏せるが、相手のもつ社会的地位のようなステータスが気に食わない。たったそれだけの違いで優先される何かがあるこの国も気に入らない。その相手といるだろう想像にやっと耐えていたとこだったと言うのに、相手がいる場所に私を呼ぶか。鈍感なのか、希望的観測が強いのか、諦めろと言いたいのか。消してしまいたい。
記憶を消去して生まれ変わりたい。
毎日、一喜一憂している。
朝と夜に、彼から話しかけられたかと思えば、彼のお気に入りの子がいる現場に誘われる。
アレ…キミ、わしの気持ちわかっちょる???わかってない。たぶん気持ちはスルーされている。めちゃくちゃわかる。つらい。
逆に人として付き合う分にはいいよ、と言われてるようではあるが、彼の一挙一動に振り回される身としては、繋がっているSNSで思うように発言できなくなってしまった。
これを言うのはきっと嫌がる、知っている、言いたいけど、やめておこう…わし愛されたい…となる。
こうやって誰かの視点を気にして行動不可になるのは実は初めてだ。
相談した友人いはく、彼女は彼女で、今1番仲良くしている相手との関係を築くのに1年かけたそうで、自分はひたすら彼の、好きな人、もの、こと、言動を深く刻み、愛される努力をしたという。喧嘩もいっぱいしたらしいが、その甲斐あって関係は相思相愛だ。うらやましい。
ただ、努力で愛される。普段の自分なら、特定のそばにいるための努力なんて鼻で笑っているところだ。マイペースオブマイペースで生きてきた。恋愛脳、自分アホだな、自分を許せないな、と思う。だから絶対後悔するとわかっている。
だけれどやめられない。
別の友人いはく、一度縁がつながりその後連絡が来なくなると、その想いは自分にとっての呪いになるそうだ。物などもらってしまうと、ずっとそれを装備していたくなる。呪いの装備。
まさに呪いだ。けれどその呪いを回避できないでいる。
人を好きになると、脳の思考回路がおかしくなる。
まだ、恋をしている。