実家を出て何年も経ちますが、自分のペースで自分の好きな飲み物を飲めるようになって肌の調子がいいことに今更気が付きました。
コップをすぐ洗わなきゃならないとか、冷蔵庫から出したらしまうとか、一見すると当たり前のルールなんですが、この当たり前が私には合わなかったんだなと。
飲み物もチマチマ飲みたいから、コップもいちいち洗わない。チマチマ飲みたいからいちいち冷蔵庫にしまう必要がないときがある。冷たくてもいいが常温でもOKなんですよね。私は。
冷蔵庫に入れておかないといけない飲み物もあるとは思いますし、それはやってたつもりですが、他の人から見ると私はそうでもなかったりするみたいで、イライラされてたりしました。
そうなると、あまり水分も摂らなくなるので、それがあまり体に良くなかったのかもと思いますね。
自分のペースで出来るようになったという心理的なストレスもなくなったのもかなり大きいですよね。たかが水分を摂るだけで色々言われていたらやっぱりシンドイです。
飲み物も麦茶や水を多く摂取出来るようになったのも大きい。母が麦茶が嫌いということで、あまり飲めなかったのです。ウーロン茶は家にあって、それも好きだったので良く飲んでましたが、水分補給という観点からはウーロン茶は向いてないかもなと。今は食事の時はウーロン茶にしているので、さっぱりしつつ食事も摂れて嬉しいです。
麦茶は3種類くらいで回していて、味比べをしているんですよね。それが楽しいし、体にも良いので年がら年中麦茶を飲めてるのは改めて嬉しいなって感じました。
母は自分があまり水分を摂らないことを、それが偉いみたいに言うことがあったんですよね。偉いという直接的な言葉は使ってませんが「私、水分摂らないから(どやっ)」みたいなことを事あるごとに言っていたので、私の記憶に残っているんでしょうね。
私が水分をチマチマ摂りたくて、こまめに飲もうとしているときにも言われていたんでしょうね。風の音みたいに自然に言われ過ぎて、当時は気に止めてなかったつもりですが、自然に自分を防御するために水分を摂らないようになっていたのでしょう。その風の音を聞かないために。
今思い返すとたかが飲み物なのに、何か抑圧されたような感覚を思い出すことが出来る家庭環境。私は今、水分をがぶ飲みすることでそれを浄化したいのかもしれませんね。麦茶は某スーパーのちょっと高めの麦茶が香ばしくて大好きです。それを知ることが出来ている現在がミネラルのようです。
例えば、ラーメンがあるのに箸がない。
こんな状況なら、箸を買い行ったりフォークで食べてみたり、最終的には手摑みで食べるのもありだと。 とにかく食べるために行動に移す!そうじゃないと麺が伸びますから。
そこにラーメンがあるのに、「考えてる」という体で時が経つだけなのが許せないと昔の自分が言っていて、それはまさしく今も同じような考えだなと思いました。
考えて行動に移すことも大事なんですが、結局ラーメンは伸びるから一刻も早く行動しようとする姿勢、これが大事なんですよね。どのみちラーメンは伸びるかもしれないけど、黙っているだけなら何もしていないのと一緒!と昔の私が言っていて、ああ、本当に今も同じ考えだなって思うのです。
せめて、「今考えてます」と言葉で伝えて欲しい。そういうものを私は今も昔も求めているんでしょうね。
久しぶりに卒業アルバムを見たら、裏に全員の住所が載っていて、個人情報!!って思ってしまいました。時代は良い方向にも進んでいるところもあります。
久しぶりに中学と高校の卒業アルバムを見ました。
高校は⋯私の行っていた高校というかクラスは学力が下のクラスだったんですよね。荒れている、とまではいえないけど、ととのってもいないクラス⋯勉強に対しては無気力でも許される感じですかね?
アルバムなんて一部のいいところしかと掲載していないとは思いますが、体育祭や文化祭、球技大会などで盛り上がる姿がそれぞれ載せられてて、そこにもちろん私はいませんでした。
一応、面倒でもサボったりはなかったんですが、早く帰りたいと思っていたことは思い出されます。
中学の頃もイベント、好きじゃなかったんですが、高校生のほうがより早く帰りたいと思っていた気がします。
いわゆる、ギャルと言われている人が覇権を取るみたいな感じはあったんですが、今でいうスクールカースト?とか1軍とかそんな感じの。
でも、私の行っていた学校はギャルが覇権をとっていたにはいたんですが、ギャルが覇権を自分で取っていることに気がついていない感じだったので、地味な私のようなタイプに意地悪をするとかそういうのはなかったです。底抜けに明るいギャルみたいな感じの人たち。でも、自分はそのタイプではなかったんですよね。
そのギャルタイプの人がアルバムのイベントの写真には掲載されていたので、失礼ながら見た目だけでいうと治安の悪さもけっこう出てたような気もするんですが、こういったタイプの人がいなかったら私がイベントを面倒だと思っている気持ちが守られなかったんだと思うのです。
嫌嫌に参加はしてましたが、それなりに無理もしていました。ギャル界隈たちは自分たちが本気で楽しんでるので、誰が盛り上がってないとかやる気がないとか、そういうことを考えていないんですよね。これが私には有り難く、真の棲み分けだと大人になって改めてめて思うのです。
大人になると、自分たちがやりたいからやってるはずなのに、誰がやる気がないだの、何か雑だの、色々文句を言ってる人もよく見ました。コレを考えると、本当はやりたくないのに無理してるから人のやる気のなさ雑さに気がついて苛立つんでしょうね。
あのギャルの人たち、今は何をしてるんでしょうね。自分たちが楽しければそれでいいって良い意味で体現出来ている人たちでした。今もそのノリで私のようなやる気のないタイプを間接的に守る生き方をしてくれていたらいいなと密かに思っています。
毎日苦しい。とにかく、毎日が苦しい。かなりマイナスな日記ですみません。久しぶりに来ました。しかし、なんで自分がこんなに苦しいのか、訳がわからないのです。だから、苦しい。理由がわからないから、苦しいのです。
答えは恐らく、既に持っているのだと思いますが、私は自分が今も良くわかりません。父が五年前に亡くなりましたが、それから私は変わりました。私が私でないみたいな。わかっているのは、そこだけなんです。父なんです。
私の苦しみが、私の物ではない気がしてます。人の魂はどこに行くのか。私は父が私たちに秘密にしていることが(していた)あったのかもしれないと漠然と考えています。なんとなくです。
フラチップスって知ってますか?ちょっと高いけどかなり美味しいポテチです。固さが普通のものが3種類と堅揚げのものが4種類あります。
普通タイプはスモーキーバーベキュー味が好みです。他にはない味わい。一瞬他の味に変わってしまって、もう2度と食べられないのかとショックでした。しかし、私と同じような思いの人がいたのか復活してしばらく経つのでこれからも買い続けます。
距離が近いし自分から来るのに、急に機嫌が急降下して不機嫌を撒き散らすのやめてほしいです。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
自分の体月のサイクルが早くなっているなと。
なんで早くなってるのか?年齢を重ねたほうが、そういうサイクルは遅くなっていくイメージだったので。
ちょっとネットで調べたら、年齢を重ねたほうがサイクルが早くなる人もいる、それは月のサイクルを早めることで脳が体の機能を忘れさせないように指令を出してるとか。
体の話だから広義の意味では自然なことなんだけれど、狭義の意味だと体が老化していて一部の機能が普通にしてるだけじゃ成立しないから脳の助けが必要ということです。
そのうち脳が指令すら出さなくなったときが、1つの区切りなんでしょうけどね。単純に楽になるかな?なんて気持ちもあったりしますが、それに伴う体の様々な変化がどうなっていくか怖いですね。
とりあえず鉄のサプリや鉄玉子のようなものを使ってますが、亜鉛も取り入れたほうがいいのかな?なんて思っているのでサプリを検討してます。
バカにしてやろうって目線で見ようとすると、相手がどんなに素晴らしいことを成し遂げてもバカにした言葉しか相手に返せないんですよね。
言葉は褒めてても何かざわつくようなトーンが含まれている。
それを感じる相手からは逃げましょう。
2週間ほど忌引きで休暇を取って今日まで休んでいる。実家に住んでいる弟が率先していろいろな手続きを行なったので、私は最低限のことしかせずに過ごした。不甲斐ない気持ちや、もっと相談してくれてもいいのに、というもやもやとした気持ちがしたが、なるべくストレスを与えないように穏やかに接した。落ち着いた時に何か言われたら、何も言わずに謝ろうかと思う。
父とは考え方や好みが違うし、どちらかというと反面教師にしてきたこともあって、特に涙も出ずに静かに見送った。ひどい父というほどでもないが、実家に帰る度、母や弟からはよく愚痴を聞いていたので、寿命と言える年齢でもあったし少しホッとした面もある。我ながら冷たい性格だと思う。
遺影の顔がとても穏やかな笑顔で、私の記憶に無い顔をしていて不思議な気分になる。私は身近な人にああいう顔をたくさん見せられるようになりたいと思った。