一生、整理整頓していたい。
高校まではぜんぜんしなかった。でも引き出しの整理をしたり、服を整理したり、物の管理は自然にできていった。大学は一人暮らしだったが、そんなに部屋が荒れた記憶がない。久々に来た親類には「ちゃんときれいだ」という今思えば私への評価が大変低かった発言をもらった。その時は何も思わなかった。ふふんそうでしょう、綺麗でしょう、物がないでしょう、理想の「必要な物だけの暮らし」を漫喫していた。そのころにはすでに本当の私と、親類から見た私には相当な乖離が出ていたのだと思う。
時系列は覚えてないが、花屋の倉庫整理を頼まれた時は、とってもきれいだったらしく上司からわざわざ褒める電話が来た。同じものをまとめて、道を作って、少し掃除をした。それだけでこんなに褒めてもらえるのかと人生で初めて充足感を感じた。
大学を経て、暫く経ってから本多さんの「片付けたくなる部屋づくり」を読んだときは衝撃だった。これだ、理想の暮らしはこれだ。そう思った。それからは整理収納アドバイザーの資格を取ったり、断捨離と整理整頓を繰り返したり、物の量を「自分にとって本当に必要な物」だけにすることが趣味になった。優先したい価値観などにこだわるようになったのもこれがきっかけな気がする。
逆に好きなものが増えていったが、それでも引越をする時も物が少ないことに驚かれた。
よく「引越しは作業が大変。有料で梱包も頼んだが高い」という話を聞くが、数が少ないので梱包も苦ではないし安上がりだ。自分で選んだものが間違ってなかったと一層思える。
今の会社では倉庫整理と物量管理に自信を持たせてもらった。前任者からのぐちゃぐちゃ倉庫を、自分がいなくても物の場所がわかるように変えた。
そうして今、会社の備品倉庫整理を任せてもっている。販促でもない、売上に直接結びつくでもなく裏でごそごそしている私を苦笑いで何か言いたそうに見送る仲間たちを後目に、それでも作業時間の短縮に結び付くプラットフォームづくりは必須だと信じているので手をとめないでいる。一部の人は褒めてくれるし感謝もしてくれる。
本当に楽しい。最期は物が少ないといい。物が多いと処分に時間もお金もかかる。それをするのは自分ではない。私が持つ「人に迷惑がかからず感謝もされるもの」は整理整頓じゃないかなと思うようになった。
これでお金を稼いでるわけではないので実際そうかはわからないけれど、そうであったらいいなと思いながら今日も整理整頓している。
母親のことも、祖母のことも、怖いです。なんでなのかな。昔は怖くなかったのだけど、ある日を境に怖くなりました。なんでなのかな。わからない。
帰り道、あの人から連絡が来たらうれしいなー。
来て欲しいなーと思っていた。
もちろん、来なかった。
ホッとしているし、さみしい。
会いたかったな。
でも、もう会うことないのかな。
さみしい。
会いたいな。
でも、会う自信がない。
可愛いくなりたい。
可愛いね、好きだよって言われたい。あの人に。
可もなく不可もないことは可だ!と思っていたほうが、自分も周りも楽ですね。とちょっと前の自分が言っていたようです。
そうですね、これからもその精神貰っておきますと過去の自分にお礼を言っておきます。
札幌在住の姉が大阪在住の私の家に年1遊びにくる。
というか私が空港へ迎えに行って合流したらそのまま近隣エリアを旅行しに行く、という習慣がある。
私に拒否権はなくて絶対参加の体で話が勝手に進む。
そのうえで旅行先で私の知らない人とやたら会おうとする。
全員ネット上の知り合いで、私は1mmも知らない人。
姉1人で勝手に行って会いに行くか最悪別行動させてくれたらいいけど、何故か強制的に連行されて挨拶させられる。大抵相手も気まずそう。
福井を旅行したとき、めがねミュージアムに行きたいと提案したら知らない人含めて満場一致で行くことになった。
ミュージアムだけど販売もしていて鯖江ブランドの取り扱いが豊富で、私はここで眼鏡買うのを目的にしてたし、道中でもそう話してた。
結局私は2本、姉も1本買ってた。
他にも観光巡りして知らない人とお別れしたあと、
姉に「空気読まずに高い買物するなよ」と文句言われた。
知らない人はハロワの職業訓練に通ってるらしく、収入ない人の前で見せびらかすように高い買物するな、と言われた。
マジで、心の底から、知らんがな。
私はその人のこと何も知らないし、姉が勝手に合流させなきゃよかっただろ。それか単独行動させてほしかったよ。
私は私で旅行先では惜しまず必ずお金使うというポリシーでやってんだわ。
人のこと非常識と言う前に自分の非常識さにも気付いてね。
ある嘘を隠すために本当のことを混ぜているのかもしれないなーって思ってます。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
今日は珍しく昼食を一般的な昼食の時間に摂りたいと思います。
いつもお腹が空き過ぎていましたが、体調の波の変化で落ち着いたようです。
齢シジューを越えますと、トントン拍子で進む何かにとても良い価値を見出すようになります。言い方を変えればトントン拍子でいかないものには価値を感じないともいえます。
この年齢まで生きていると、思えばアレ、テンポよかったなと思うことが現在の自分にまで続いているような気がするんですよね。
そのテンポの良さを感じるのが、人との予定の決まり方ってあるんですよね。 りんご、ゴリラ、ラッパ、パンダ⋯みたいに予定調和のしりとりみたいに間髪入れずに色々決まっていく。
そういう感覚を私に今だにくれてありがとうと感謝したくなっちゃいます。そういうリズム感をセッション出来る誰かがいるのは嬉しいです。
りんご、(1時間経過) ゴリラか胡麻とかじゃなくてゴジラしか無理なんだ⋯ラッパ、(2時間経過)パイン!、えーっとパイナップルじゃダメなの?、(2時間経過)うん、パインしかダメなの、ごめんね。
こんな感じのリズム感もテンポも着地点も悪いしりとりのような予定調整をしてたこともあったから、テンポの良いしりとりが出来るような関係は本当に貴重だな実感するのです。
誰かとの関係だけじゃなくて、トントン拍子で進むことはやっぱり貴重でそれがあったら飛びつくというか、自然に流れたいけど、その流れ⋯どこにあるの?とも思います。リズム感の心地よさを感じる一方で塞がっている川や道もたくさんあると気づくのが最近ですね。
テンポ良いけど予定調和なしりとりをした後に、初めてクセの強い捻ったしりとりが出来るのです。
ゴリラ、雷鳴、意味不明、イソギンチャクの巾着、食いしん坊、ウーバーイーツ、使ったことない⋯
みたいに。これはトントン拍子のご褒美なんですよね。だから最初からクセ強くて、テンポ悪いのは無理なんです。ちゃんと積み重ねて始めてクセになるんです。そうやって作られたクセは価値ですよね。
夏じゃなくても麦茶は美味しい。
自分で勝手に飲みきって自分のタイミングでポットを洗い、自分のタイミングで作る。
これが一番麦茶が美味しくなる秘訣です。
実家を出て何年も経ちますが、自分のペースで自分の好きな飲み物を飲めるようになって肌の調子がいいことに今更気が付きました。
コップをすぐ洗わなきゃならないとか、冷蔵庫から出したらしまうとか、一見すると当たり前のルールなんですが、この当たり前が私には合わなかったんだなと。
飲み物もチマチマ飲みたいから、コップもいちいち洗わない。チマチマ飲みたいからいちいち冷蔵庫にしまう必要がないときがある。冷たくてもいいが常温でもOKなんですよね。私は。
冷蔵庫に入れておかないといけない飲み物もあるとは思いますし、それはやってたつもりですが、他の人から見ると私はそうでもなかったりするみたいで、イライラされてたりしました。
そうなると、あまり水分も摂らなくなるので、それがあまり体に良くなかったのかもと思いますね。
自分のペースで出来るようになったという心理的なストレスもなくなったのもかなり大きいですよね。たかが水分を摂るだけで色々言われていたらやっぱりシンドイです。
飲み物も麦茶や水を多く摂取出来るようになったのも大きい。母が麦茶が嫌いということで、あまり飲めなかったのです。ウーロン茶は家にあって、それも好きだったので良く飲んでましたが、水分補給という観点からはウーロン茶は向いてないかもなと。今は食事の時はウーロン茶にしているので、さっぱりしつつ食事も摂れて嬉しいです。
麦茶は3種類くらいで回していて、味比べをしているんですよね。それが楽しいし、体にも良いので年がら年中麦茶を飲めてるのは改めて嬉しいなって感じました。
母は自分があまり水分を摂らないことを、それが偉いみたいに言うことがあったんですよね。偉いという直接的な言葉は使ってませんが「私、水分摂らないから(どやっ)」みたいなことを事あるごとに言っていたので、私の記憶に残っているんでしょうね。
私が水分をチマチマ摂りたくて、こまめに飲もうとしているときにも言われていたんでしょうね。風の音みたいに自然に言われ過ぎて、当時は気に止めてなかったつもりですが、自然に自分を防御するために水分を摂らないようになっていたのでしょう。その風の音を聞かないために。
今思い返すとたかが飲み物なのに、何か抑圧されたような感覚を思い出すことが出来る家庭環境。私は今、水分をがぶ飲みすることでそれを浄化したいのかもしれませんね。麦茶は某スーパーのちょっと高めの麦茶が香ばしくて大好きです。それを知ることが出来ている現在がミネラルのようです。