水出しのコーヒーも水出しの紅茶も美味しい。煮出したわけじゃないけど、お湯出しって言うのかな?それで作った麦茶も美味しい。
麦茶は色々飲み比べるのが好き。意外と同じようで違うんだよね。
水出しコーヒーも同じコーヒーなのに、お湯から抽出するのと味が違うんだよね。
同じようで違うことってまだまだこの日常には溢れてるのかもしれないです。そういうのを見つけて過ごしていきたいですね。
朝、犬の散歩途中で家から離れた場所で
宅配便男性に呼び止められた。
名字で呼び止められてギョッ。
わざわざ荷物の名前確認して、フルネームまで
読んでくれたけど。
いや、怖いから!
いつも置き配にしてて、配達員の方の顔なんて
もちろん私は知らないのに。
何回か顔を合わせたことあるかもしれないけど
すれ違っただけで名前まで認識できるって…
私が芸能人だったり絶世の美女ならまだしも
普通のちょっと歳を重ねた女性なんだけど。
いや、ほんと怖いから!
自意識過剰上等。
自衛が最大の防犯。
エレベーターで女性1人と一緒に男が乗り込んだら
嫌な顔をされるとちょっと前話題になったのを
思い出した。
家に帰って同居の弟にとくと語った。
女性一人のエレベーターには絶対一緒に乗るな!
嫌な顔されても諦めろ。
めちゃくちゃ怖いのだ、と。
嫌な顔することに弟は拒否感示したけど
それだけ怖い思いしてきた女性の気持ちを考えなと
説教。
弟にはとばっちりかもだけど、身近な存在から
啓蒙活動しておこうと思った。
出社病に患っていて、謎の出社信仰や出社義務、リモート差別で謎にマウントとってくる症状でてる奴多くない?
弊社Web界隈の会社なので完全リモートでも大丈夫な会社
です
熱あるんですけど多分大したことないんで来ました!とか
今日はタスク多いんで朝7時半に来ました!とか
昨日は仕事で終電逃したんで会社泊まりました!とか
お前ら出社病か
やる気の方向が間違ってる
会社に出社する事が仕事になっている
辛いけど頑張って来ました、とかしょうもねーよ
十分体調整えて最高のパフォーマンス出せる状態で適切なタスク量で仕事しろ
昨日は朝からカラオケに行った。フリータイムに慣れちゃうと3時間は足りなすぎる!
その後は第2の目的、モンブラン買って帰るというミッションを果たした。
誰もいない部屋で1人でモンブランを食べることがやりたくてしょうがなかったのだ。
買ったらそそくさ帰宅して、家でガツガツ食べたモンブランは美味しかった。
家族は昨日の私の出来事は知らないけど、ここで書くことで私の知らない誰かは私の一部を知ってることになるのが不思議ですねぇ。
「まあ、これが幸せなんでしょうね」と言い聞かせてるときは不満があるということ。そうだよねぇ、確かにそうだとは思います。だから、不満をチカラに変えるのが吉みたいなことが先週の占いでみた言葉です。スゴイ信じてるわけじゃないけど、見てしまう占い。もう先週の話ですね。
でも、この不満が世の中に対してなのか、周りにいる人間に対してなのかわからない。自分に対しても不満はあると言えばあるけど、それも漠然としていてよくわからない。
不満をチカラに変えていくって言われても、なんかよくわからないけど不満側ににも行けるし、満足側にも行ける状態。
不満をチカラに変えるって、そもそもなんでしょうね?それが出来ていたら不満なんかない人間になるだろうし、難しいです。
声を上げればいいとも聞くし、スルーする能力も大切だと説く人もいるし。
もう。わかりません。思春期みたいなモードですが、それは遠く遠く昔のことです。本当の思春期のときのほうが何も考えていませんでした。不満は数学って何の役に立つの?とかそんなレベルのことでしたね。
ちゃんと数学を勉強していたら、複雑な方式を解くみたいに漠然とした何かじゃない答えを導き出せてたかもしれませんね。
まあ、これが幸せなんでしょうね。
色々、岐点とか転換期とか人それぞれあると思うけれど、良くも悪くも小2でだいたい決まるのかなぁと最近の考えです。私の小2なんて、もう30年は前ですけどね。
小2の強烈な思い出といえば、給食を残さず食べるために先生が立つ教壇と同じ位置でみんなに見られながら食べたことです。あれは小2でした。残さず食べないと班のポイントが貯まらないのでなんとか食べないといけなかったのです。でも、時間までに食べられなかった私はみんなに食べてる姿を公開しながら立ち食いしました。なんとか食べきったけど、あれが人生の中で一番不味い食べ方だと記憶しています。メニューは何か覚えていないのに胃に押し込んで無理矢理フタをする感覚は今でも鮮明に覚えています。
私が1人で食べるのが好きなのは、この出来事が起源なんじゃないかと思っているのです。その他にも食事中によく怒る父親とか、楽しくないバーベキューとか子どもながらに色々あって、今の考え方にはなっていますが、一番思い出せる古い原因はコレだよねと思うのです。
他にも自分の視点だけじゃなくて、他人の小2で思うことも色々あって小2がまずポイントだと思うのですが、書くと長くなるのでまたの機会にします。
小2で告げ口したり、他人を陥れるようなことをする人は大人になっても基本そのままですって話ですけどね。まとめる能力がないので…
こんな感じで、ゴチャゴチャ言いたいことを纏められず、纏められないから逃げるのも小2のままなのかもしれませんね。
まだ小2だし、ずっと小2です。
誰もいない道路とか一人きりの車の中でも
マスクつけてる事を
「思考の停止」
という人が居て、うん、そうなんだけどねと思った。
その人曰く、人がいるところでだけちゃんと
マスクしてればいいじゃないかと。
アメリカやイギリスじゃノーマスクが当たり前になったと。
一理あるのですが。
まず私は花粉症なので外でも外さないのと
一人の車の中でもつけっぱなしにしてるのは
いちいち周りを確認しながら判断すんのが
面倒くさいから。
あと、鼻出しも顎マスクも、
どんなイケメンや美女がやってもダッサイのよ‥
見るたびにいたたまれない気持ちになる。
隠しときなよって。
ノーマスクだと落ち着かないことはないけど
絶対に人に会わない場所に行くとき以外は
基本つけっぱなし。
外すときは医療従事者さんの真似して
腕につける。
いちいちケースにしまうのも荷物が増えるし
ケースの消毒もしなきゃいけないし。
生きてるだけでストレスがたまる今、
マスクの上げ下げでいちいち悩みたくないわ。
思考の停止上等。
私服の制服化と同じ理由でつけっぱなんだよ。
愚痴というか、ちょっと辛辣な意見とか、そういうタイプの会話に発展したときに話を逸らされるとやっぱりイヤだなと思ってしまう。
相手にとっては私が勝手に話してきた、メンドクサイ…なんだろうけど、私にとっては相手に話かけられて、その話題が出たのに何で話を逸らすんだ!という認識なのです。
私の持っている本質は基本的にネガティブなので、突くとそれが出てしまう。だからこそ、最初から突かれないように漏れないようにしてるつもりではあるけれど、本質だからなぁ…
ここんとこのバランスをとるのが凄く難しくて、負を纒うことを言わないように、批判的に聴こえないように意見として言う。って振り返ってるけど、それをしながら会話するのが最早シンドイ。やっぱり1人でアレコレ思ってたほうがラクだし、自由を感じる。何か言いたいときはこういうところを使うのが私らしいのかもしれない。このシステムがある現代に生まれてきたことだけはありがたい。
もしピアノを弾くなら、
誰かのがんじがらめに縛られた心をゆっくりと、
そのキツすぎる紐を解いていくような、
そんな曲を、そんなふうに弾けるようになりたい。
わりと、自分のためにそういう曲を求めて、そしてピアノを練習しているところがある。
懺悔のような音色、鎮魂歌とかが、昔からなぜか好きだった。
今年に入ってから仕事があまり忙しくなくて、時間に余裕ができたらやろうと思っていたことをやりつつも、多少の後ろめたさを感じていたのだが、先週くらいから本来の仕事ができてきたので、金曜日はやり切ったという満足感を持って週末を迎えられた。
明日から Amazon のセールでポイントアップキャンペーンがあるので、欲しかった機材を買ってしまおうと思う。これでもうこの種の機材を買うことは無くなるのではないか。
もう来週末はゴールデンウィークだ。そろそろ冬物をクリーニングに出しに行かないと。