明日退院。
3回くらい、リハ転院が必要だとか、ほんとはもうちょっと入院しといてほしいと言ってた。笑
先生が今までの頑張りをねぎらってくれたのと気持ちを汲んでくれたのと、(多分)私がいるから許可した感。
私来週から仕事ですけど。って言えない~
夫が先生にすごく謝っていたのが印象的だった。
私の元に返してくれてありがとう。すでに夢みたいで涙が出る。
明日退院。
3回くらい、リハ転院が必要だとか、ほんとはもうちょっと入院しといてほしいと言ってた。笑
先生が今までの頑張りをねぎらってくれたのと気持ちを汲んでくれたのと、(多分)私がいるから許可した感。
私来週から仕事ですけど。って言えない~
夫が先生にすごく謝っていたのが印象的だった。
私の元に返してくれてありがとう。すでに夢みたいで涙が出る。
話を聞いていて、私が同じことされたら許せないよなぁということがありました。が、その人は今まで築きあげてきたものがあって、そこにある絆みたいなものを大事にしたいから、されたことを盾にどうこう言いたくないそうです。
あー、そうか、それならそれでどうぞーってサッーと感情が引いてしまったんだけど、ちょうどそこでお開きの時間が来てホッとしてしまいました。
生きてると色々あります。だから私にも色々ありました。どうしても許せない!という気持ちを武器をしてる部分もあります。
以前なら、そんな話を聴いたら許せない私が悪いのかな?なんて思っていたかもしれません。でも、許さないと思い続けることで許したふりが出来るんだよなーって思うのです。だから、この武器を放棄することは私には出来ないんだなーと感じた出来事でした。
愛猫が病気で明日検査だ。
検査といっても輸血と全身麻酔が必要。
リスクもある。
その検査自体の金額も高いし、その検査で病名が分らないかもしれない。
つまり治療法が分からないこともあり得る。
そうなると、最悪今月持つかどうかと言われて。
先日、高熱で危なかったけど、今はすっかり元気で、煮干しをバリバリ食べてるのに、血液が作られてないのだという。
どういうことなの?
それを調べるための検査だという。
これまでも何度も採血して調べてみたけど結果が分からない。
骨髄をみるという。
いつかは別れがあるのはもちろん知ってた。
これまで3匹の愛犬たちを見送ってきたから。
だけど、初めて飼った猫で、犬とは違う、対等な関係が相棒のような、大事な存在で。
いつもの風邪だと思ってたら、危ないとこだったと言われて、やっと元気になったと思ったら別の病気が分かって、なんでこんなことになるの。
私のタミー。
無理な延命はしないと最初から決めている。
ただ、それ以外でできることはする。
私を置いていかないで。
ちゃんと寿命を全うして。
まだ長生きできるはずでしょ。
私のそばにいて。
ずっと一緒だっていったじゃん。
タミー
このまま一生終わるのかな。
わたしには何もない。
特技も趣味も。
人に話せることがなにもない。
ギブアンドテイクが難しい。
私は、まわりに何を渡せるのだろう?
楽しい話題提供できない。
なにか知っているわけでもない。
知りたいわけでもない。
家から出たくない。
外の世界 こわい。
言われて嬉しい言葉ってすぐ思いつかないです。
例えば「優しい人」っていい意味だとも思うけど、とりあえずなんて言っていいかわからないときに言っとく言葉でもあると思うんですよね。
それが『とりあえず』なのか『心から』なのかがよくわからないけど、同じ言葉で表現出来てしまうところに曖昧さを感じでしまって素直に受け取れないみたいのはあります。
でも、もし言われたら、とりあえずでも本心でも私に悪意を持ってないんだってわかるから、それはありがたいですよね。
でも、言われて嬉しい言葉ってすぐ思いつかないです。今、目の前にあること取り組んでる鮮度があるタイミングで具体的に何か肯定的なことを言われれば嬉しいかもしれないです。
言葉も大事だけど、鮮度も大事です。後から「あの時は〜」と声かけてくれるのもありがたいけれど、その瞬間がやっぱり大事で自分の中で言葉が生きてきますね。
私は誰かにそれが出来ているんでしょうかね?変なことを言わないことに精一杯で何も言えてないだろうなと思います。でも、言われたい言葉は言えなくても、言われたくない言葉も言っていないということなら、それもアリかなと思うのです。
これいいねーとかカワイイーとか気軽に言いますよ。だって相手が好きだって言ってるものを、別にーとかどうでもいいーとか言えないですもん。それに本当にいいねとかカワイイって思ってることは思ってたりするんですよね。ただ温度差があるというだけで。
それを都合良く解釈して自分の世界に引きずり込もうとする人が多いんだなーというのが最近の私自身の周りで起こった出来事で感じたことですかね。
じゃあ否定し続けていればいいのか?という話でもないんですよね。温度差があるっていうことを理解していない人、理解出来ない人が多いんです。
この温度差って疲れますよね。何も話せないし何も聞きたくないって思います。最近の疲れってそういう温度差からも来ているのかもしれないです。ちょうど今の気候と似てますよね。シンドイけどアイス食べて冷えたら毛布にくるまっていきたいですね。そんなふうに勝手に生きたいなー。
人といるの苦手。
一緒に行動するのも苦手。
会社の人、なぜ気軽にお茶いけるの?
何話すの?
人と居る楽しさがわからない。
なんだかイライラしてるの自覚ある
美味しいもの食べても、きれいな景色見ても、マッサージ行っても、なんだかもやもやと残ってる
もうどうしたらいいんだろう
間違ったり、ミスが多いことに対して怒っているんじゃなくて、それが発生したときの対応がすごく嫌なんだよね。
「1人でたくさんのことをしなくてはならないから大変。」とか、「やり方が違うものを同時進行で担っているから間違えるのもしょうがない」とか他の優しい方はそんなフォローをしてるいるけど、そうじゃないんだよね。
間違ったら、それは間違いだったのでこうして欲しいです。という言葉が欲しいだけなんですよね。だから何度でも間違ってもいいので何度でも連絡して欲しい。
間違いだったから色々変更ってどんなことにもあると思うけど、その都度連絡くれなきゃわからないです。それをエスパー並みに察して動かなきゃならないのがストレスですね。
この人、ミスしても誰かが当たり前のようにフォローして、すんなりと人生過ごしてきたんだなーと思うと正直イライラしますね。なんだか羨ましいと思いつつ、私はそういう人生は送れないんだろうからやることはやらないとダメな人生なんでしょうね。でも、適当にやって周りに優しいエスパーさんにフォローされたいなぁ。私は優しいエスパーにはなれないけどね。
本当に自分がやる気なかっただけだから、親のせいではないけれど。
『「○○(私)さん、やれば出来る子なんだと思うのー」△さんのお母さんから言われて、なんちゃらかんたら‥』
というのを中学生くらいのとき親が私によく言ってました。それでやる気が出たらOKくらいに思ってたんだと思います。
でも、まあ、何十年も経って思うのが、△さんのお母さんは私に言ってないで、私の親にどうにかしてあげなさいって意味で言ってたんだと思いますね。
塾を行かなかったのも自分の意思だし、そこを親を責めるつもりはないです。
ただ、子どもの意見を尊重する系に見せかけた放任主義だったのかなーと。今ではそう思います。あと単純にケチですね。お金を子どもにかけたくないってのは当時からすごく感じてました。だから塾に行きたいと言えなかったんじゃなくて、それは自分の意思なのですけどね。塾に行きたいと言えば行かせてくれてたと思います。ただ、塾に行って効果が出なかったら「オカネカケテルノニ」って呪文のように絶対言われてたと思いますね。そういう意味ではやっぱり塾行かなくて正解だったと思ってます。
なぜ、こんな昔のことを書いてるかというと、「塾に行っても効果出てないし本人のやる気もないからお金を溝に捨ててる」みたいな会話を聞いたりしたりしました。でも、塾に行って勉強して点数あがるってよりも、塾に行かせてもらって辛抱強くお金を溝に捨ててくれたって何十年も経って子どもが思ってくれたらいいんじゃないかな?と変なとことを思ったのです。