丁寧な食事がしたい。
お箸、ナイフとフォーク、どれを使うでも良いのだけれど、
繊細なご飯を食べたい。
ゆっくり順番に出てくる食事。
美味しいものが食べたい。
丁寧な食事がしたい。
お箸、ナイフとフォーク、どれを使うでも良いのだけれど、
繊細なご飯を食べたい。
ゆっくり順番に出てくる食事。
美味しいものが食べたい。
連休明けからパートさんが体調不良でお休みして、その間2週間。文字通りの2人分働いた私はめちゃくちゃえらい。
まじのまじでシャカリキに働いたので本当にえらい。
ポジティブがネガティブかって言われたら、絶対ネガティブだと思うけど、だからといってネガティブな言葉だけを垂れ流しているわけでもないので…
表面しか見ないで、自分に言われたかのように反発というか感情移入しすぎる人が増えたと感じます。
そういう人って、内容じゃなくて単語に反応するから疲れてしまいます。
私自身のことは都合よく何処かに置いておいて、読解力というのでしょうか?そういうのがあまりにもない人を見る機会が増えましたよね。ネット社会で余計にそう思うのかもしれません。
嫌な言葉はミュートしちゃうこともブロックすることも出来ちゃうから、単語に過剰に反応しちゃうんでしょうね。だから間違った感情移入で謎の主張を始める。そういうのを見てるだけで疲れました。
本を読むとか大事とか言いますけど、別に本を読んだからって本当の意味での理解力って上がらないんだと思います。結局、自分の思ったような解釈しかしようとしなければ、どんな本を読んでも何冊読んでも変わらないと思います。
でも、自分の思ったような解釈を自由に張り巡らせるのはいいと思うし楽しいですよね。その張り巡らせ方が度をすぎでしまうことが謎の主張に見えるのかもしれませんね。
色々書いてきましたけど、自分でも起承転結が曖昧でおかしな文章を書いてる自覚はあります。でも、これを本当の意味で理解してくれる人がたまにいたら嬉しいなぁと思って書いてるのもあるのかもしれません。私の微弱な承認欲求って書くと堅苦しいけど、化石になる寸前の生の気持ちをちょっとだけわかって欲しいのかもしれません。暑くて化石寸前の毎日ですよね。今日もなんとか生きた化石をやろうと思います。
可愛い可愛い学生の話。
レベルとしては1番低いクラスにいる学生さん、最近アルバイトに受かって挨拶の練習をしている。
「いらっしゃいませ」「しょうしょう おまちください」って。
読み・書きを含めて話すこともあまり上手ではなかったけど、最近本当に本当に頑張っている。
「わたし ともだち ちょっとまって いいます。
わたし 先生 ちょっとまって OK?
しょうしょうおまちください?」
こんな質問もできるようになったの!? すごーい!!ってたくさん褒めた。まだ"敬語"という認識はないのだろうけど、相手を敬う表現を学びとろうとしていて素晴らしいと思った。
私が帰りに「お疲れ様です、また明日」と挨拶することに対しても、
「先生 先生 しごと おつかれさまです いいます。
先生 わたし おつかれさまです いいます。
わたし 先生 おつかれさまです OK?」って。感動しちゃった。
教員の仕事が忙しくて、授業以外では学生と話す時間がなかなかとれない。でも朝と帰りはなるべく出入口で学生を出迎え、見送って、たくさん話したい。学生の、こういう素敵なところをたくさん見つけたい。
怖っ!
マチ針刺さったまんま!
Nisshiに書いた自作のペチパンツ履いて
犬の散歩済ませて、お風呂に入る時に初めて
気づいた。
よく今まで刺さらなかったな。。
自分の確認ミスを反省すべきか
ここまで刺さらなかった自分の悪運の強さを喜ぶべきか。
今どうしようもなく気分落ちてるから判断しかねている。
まち針の数数えとこうかな。
二度あることはって言うけど、一度目で再発防止の
仕組み考えとかなきゃ繰り返す羽目になるんだから。
某チョコドリンクを欲して、美味しいと思うときって疲れてるときなんだろうな。
昨日、まさしくそんな感じで飲んだチョコドリンク美味しすぎてクラクラした。
そんなになるまで疲れたくないけど、自分で調節できたら苦労しない。遊ぶのも楽しいけど、遊ぶために疲れた時間を癒す時間が夏はなくなっちゃうのが私の生活スタイルなのです。
楽しい時間と引き換えに今日は頭痛を引き受けた。少し寝る時間があったのがマシか。それだけでもラッキー。明日は仕事なのです。嫌だわ
年齢はただの記号だけど、でもやっぱり
ある程度の指標として意識するのも大事かもしれない。
いくつになっても元気な人はいるけど、一般の人は
ある程度年齢を重ねると体力も気力も衰えてくる。
それを見越して、年代ごとに「旬」な時期にできることを
十分楽しんでおくことって、すごく大事。
大人が「20代のころ勉強しとけば」というのもそう。
いくつになっても始められるのは正しいけど、
「効率」が俄然下がるんだよね。。
記憶力、体力、社会的な責任(時間がない)、など、同じ量の学習であっても
20代には敵わない。
逆に、小さな子供がやたら都会的で洗練された服を着ているのを見ると
「大丈夫かな」と思うのは、
大人になったら何十年もそんなシックな(要は地味な)服を着続けるのに、と
思うから。
小さな女の子が無地のカーキとか選ぶとは思わないのよ。
母親の服とリンクしてて、すごくオシャレで「映える」wとは思うけど
私が子供の頃はアニメのキャラクターのトレーナーとか、似合わないのにピンクの
フリフリとかすごい着たかった。
母親に着せてもらえず、自分で服を選べるようになった学生時代は
肥満児で別な意味で服を選べず、社会人になって少しスッキリしてから
フリフリ欲が爆発!
25歳くらいまで、フリフリのレースとかリボン付けてたなぁ(丁度流行ってたし)。
写真見たら全然似合ってない。
本人は満足げだけど。
「旬」な時期に何でも味わうって大事だと言いたい。
本人の意思でしないのなら、自己責任だけど、子供の場合は、
可哀そうだよ。
私の場合、20代―30代前半は、仕事と勉強でお金も時間もなくて、
ほとんど遊ぶことがなかった。
その溜まったツケをアラフォーの今、清算中。
遊園地とかプールスライダーとか、海とか、旅行とか。
全部、体力と時間が十分あった20代のうちに楽しみたかったな、と思う。
せっかく来たのに体力が持たなかったり、次の日動けなかったり。
無理が効かないから、旅行も格安バスでなく新幹線になったりと
コスパが悪い。
20‐30代で頑張ったから今があるし、他人から見れば、その間、
何度も転職しながら海外旅行しまくったじゃない、と言われるけど
その分、普段は貧しくて靴下さえ繕ってたくらい。
所謂普通の楽しい青春ではなかったから、今、青春してる。
まぁ、結構ハードな海外旅行だったから、順番は間違ってなかったと
思うけどね。
でも、普通に青春チックなこともしてみたかったんだよな。
わがままなもんです。
とにかく、旬はあるということ。
いくつになっても、というけど、特にこだわりがなければ、出来るときに
やっておくことが大事、と言いたい。
これから人生折り返しなわけで、増々できないことも増えてくる。
だからチャンスが来たらすぐに掴んでやれることをやっておくこと。
年を重ねて増えた知識と経験で、減った分を上手く補いつつ、楽しく生きていくこと。
一部の異様に若くて元気な人に憧れないこと。
その人がしている努力を自分はできるとは思えないなら
一般に言われる「旬」は固執しない程度に、でも、先人の知恵として参考にして
タイミングを逃さないようにしたい。
合わない人ってどこにでもいるんだなーと思いました。
ただ気に入ってる場所で遭遇しちゃうとガッカリしちゃいますよね。
私のことが嫌ならスタコラサッサッサのサーと逃げてくれたらいいのにと思うけど、何かしら爪痕を残してモヤモヤさせてくるってタイプが合わないタイプなのかもしれません。
「お嬢さん、お逃げなさい」
こちらはもうお嬢さんという年齢でもないので、たまにはクマさんになりたいです。どうかあなたが逃げてください。