自分のものの知らなさ、無知さ。
とにかく世間知らず。
世間知らずすぎて、TwitterやYouTubeで見た知った出来事にすごくすごくびっくりするの。
世を動かす志はないけれど、
どうかどうかみんな健やかに穏やかに暮らしてほしい。
なにより私が!!
自分のものの知らなさ、無知さ。
とにかく世間知らず。
世間知らずすぎて、TwitterやYouTubeで見た知った出来事にすごくすごくびっくりするの。
世を動かす志はないけれど、
どうかどうかみんな健やかに穏やかに暮らしてほしい。
なにより私が!!
久しぶりにコンビニでおにぎりとサラダを
今回の味付けのポイントは家に誰もいないところで勝手に食べることがポイントになります。
とても美味しかったです。私が求めていた味わいでした。
旅行のときは3食全部自分達で決めるのって疲れちゃう。
一泊二食付って本当にありがたいんだなーって心底感じた。
1人なら決めることすら楽しいけど、自分以外の誰かと一緒だと決めることがシンドイ。とにかく決めることを減らすことが集団で楽しむコツなんだな
自分もそれなりに年齢を重ねて、あの頃の両親の年齢と近づいてきました。私が中学生とか高校生くらいのときに30代後半から40代前半だった両親についてはもうはっきり記憶がありますからね。
ふとそう思ったときに両親のことを素直に尊敬出来れば良かったのですが、どっちかというとこれはちょっと…的なことのほうが多いですね。そういう事のほうが記憶に残りやすいのでしょうがないです。
もし、今の年齢の私とあの頃の両親が出会うことがあっても親しくはならないだろうなと思います。親子という関係でしか付き合えないです。それだって本当はギリギリな感じです。
最近、このくらいの年齢になって親に対してのみ反抗期だなーって思うのです。中学生くらいの反抗期とかと違って自分も年齢を重ねた分、わかっちゃう部分があるんですよね。なんかよくわかんないけど反抗的という青い反抗期ではありません。確信を持った反抗期ですね。
反抗というわかりやすい反抗はしなくとも、純粋無垢な感謝は出来ない。この気持ちを持って私はこの先の人生を歩むんだなぁと思います。
配偶者、パートナーが話を聞いてくれないとか素っ気ないとかで寂しいって気持ちは理解出来ます。
ただ、だから他の人とまたどうにかなるっていうのは私はちょっと違うというか考えられない部分もあるかなーと思います。
まだ一方との関係を継続してるくせに、もう一方とどうにかなるなんて許せない!…という気持ちは第三者の目線ならあんまりないんです。(自分の事だったらやっぱり怒りはあると思いますが)
結局、最後に行き着く果てはまた同じなんじゃないかなーって思うからです。
ちゃんと段階を踏むとか踏まないとかではなくて、また別の人と一緒に階段を登っても途中で同じペースじゃなくなり、遅い方を待ってあげたりもしなくなるし、追いつこうとも思わなくなる。
同じ景色を見てる期間なんてほんの一瞬でそれ以外はずっと1人でどうにかしなきゃならない関係がまた他の人と始まるだけだと思うので、もう面倒だなって思うのですよ。
でも、また新しい人と新しい階段を登る過程が好きな人もきっといますよね。それは嫌味でも何でもなくパワーがあって羨ましいと思うのです。
同じ景色を見ている一瞬を尊い時間として何度も味わいたいなら同じ人とは難しいですよね。綺麗事なしで言うと相手にも自分にもペースがあるからずっと合わせてるのは難しいのは当たり前です。
誰かと一緒にいたとしてもいなかったとしても、最後は結局自分の目線がどこにあるかですね。それはいつも大事にブレないようにしたいものです。
今年の夏は推しに会えた夏になりました
対面イベントがありまして、数秒だけれどコミュニケートできるイベントで!久々の
コロナ禍去年もあって、去年はツーショット撮影会とお渡し会だったのですけれど
コロナの3年間
若い子達の時間を奪った世界はでかいよね、やっぱり
これで年末まで生きていけそう、頑張れそうだなって
けっこう転校をしているので、誰かと文通した経験は多いかもしれません。今の時代なら文通じゃなくてメールとかラインなんだろうなと思うけれど。
最初は続いていましたが、途中で続かなくなって終わる‥みたいな事が多かったです。
やっぱり学校が違うと話題がなくなっていくし、手紙の中だけだと相手が実際に見ているものがなんなのか肌で感じることもなくなって文通で交流している意味とかわかんなくなっちゃうんですね。
今となって言葉で表現してますけど、小学生くらいの私はそんな感じだったのかなーと思います。
もう30年近く前のことです。ここでもう一度会いたいとか文通したいとか言えればいいのかもしれないけど、もうそういうのはいいかなーと。ただ私に手紙を書いてくれてたことはやっぱりありがたいことですね。
おそらくですね、「いつもは言わないんだけどー」っていう言葉を先に言って来る人は、いつも言ってます。
「いつもは言わないんだけどー」といつも言ってます。
しかもこの台詞はだいたい反対意見や反論や説教を言いたいときに、自分側を守る言葉なんですよね。
《私は本当はいつも怒ったり反発したりしないけど、あなたのためを思って言ってます、またはあなたがあまりにもアレだから言うしかないの。》あの台詞に含まれる意味はたいたいこんな感じだと思います。
いつもは言わないんだけど、「いつもは言わないんだけどー」って発してから論点がズレてるような主張をされたのを思い出したので、本当にいつもは言わないんだけど、いつもは言わないんだけどを使ってみたくなりました。いつもは言わないんだけどね、いや、いつもは言わないんだけどっていつも言ってないですよって‥いつもは言わないです、いつも何を言ってるっけ?いつもは何も言わないからわかりません〜
さあ、今日もいつもは言わないけど、頑張ってきましょー
数年ぶりに友人Gと会った。
Gはとっても事務仕事のできる人で優しい。
その彼女が大変な目にあったので書き記しておこうかと思う。
結論から言うと営業ができる人はちょっとおかしい。
Gの知人Aさん。保険レディだ。
「イベントでパンが貰えるからいこ~!」と誘われて、Gはついてったそう。
ところが実はそれは「知人の知人を引き入れると離職率が低い」という業界知識を元にした『選別会』だったらしい。彼女は勝手に「押せば取れる」という判断のもと気に入られ、会話を振られ、いいことづくめの話をされ、気づいたら面接日を決められていたそうだ。
G曰はく、イベント=新人の狩場、のような立ち位置で、無理と判断されたら商品を進められる、そういうものなんだそう。
また彼女は子供が2人いるので土日休みでも大丈夫か?と面接で聞いたら
「土日休みでやってる人もいるよ」
と言われたらしい。つまり、土日休みにするしないを決めるのはあなた次第、というのがわかる。土日休みにしたら、客相手に土日はやりませんと伝え、それでも契約をもぎ取ってこないといけないわけだ。
別にいいじゃんと思う人もいるだろう。けれど、Gが入ったそこは「チーム制」。一緒に動くわけではないが、勝手にチームを組まされ目標値設定をされたそうだ。そのために必要なのは客に合わせる柔軟な時間があること。彼女の場合は家族の了解だ。
それをGは説明されていなかったので、数字が取れないというだけで個室に呼び出され怒られ、さらには上司の他スタッフへの愚痴を延々と聞かされ、ついには鬱になってしまった。
甘い世界じゃない、というのはわかるが、なんかそういうこと言う人って常識が違う。
Gの会社で働く人の中で3人の子持ち主婦がいるのだが、子供を連れて保険外交にいくのだという。商談中、子供どこに置くのかと聞くと、なんと車におきっぱなし。Gはそれを悪魔に魂を売ったと言っていた。私もそう思う。頭の中で車内で熱中症になった子供のニュースが流れていた。
営業ができる人達に多い、事前の説明を端折り、言ってなかったと言えば甘い世界じゃないんだよ、というセリフ。騙されたほうが悪い理論だろうけど、申し訳ないが、私たちは騙すほうが100%悪いと思う。嘘は言ってないからだましてない、と思う人は要注意。相手に不利益がないようにときちんと話せば人は入ってこない、というのがわかっているなら、言わない時点で相手にとってそれは騙し足りえる。
汚い人が世界を回しているなあと、日々思う。
Gはまた人に誘ってもらい、元の職場に帰っていった。離職者や自〇者が多い職場で有名だけど。たぶんそういう星の下の人なんだろう。
誰にでも優しいGがいなくならないでほしいなあと思う。
ストレスがすごい。
アホと戦うなっていう実用書を読んで、ストレスは書けとあったので実践。
東京経由で地元へ。トータル、片手の指で足りない移動時間。途中で東京駅のグランスタを回ったから。ホームが二階なので1つ降りたり、2つ降りたりしながら、不安にならない範囲でお店巡り。
接客も商品のおしゃれさもやっぱり東海にはないんよな。
帰りも東京の銀座まで仕事関係もあって寄り道。
ここでも嬉しかったのは駅員さんたちの対応。
新幹線の特急券と最寄駅までの乗車券往復もってるけど、東京駅から山の手でここまで行って、荷物あずけてる東京駅にもどってきたいんです、というめちゃくちゃわかりづらい説明にも笑顔でやさし~~~~く対応してくださった。そう、これが私がずっと暮らしていた世界だもんで、東海の冷たくで言葉使いの悪い対応ってとってもストレス。他人に優しくすればそれはいつか自分に返ってくるっていう感覚がないみたい。それはさておき。
東京でびっくりしたこと。誰もマスクしてない。風邪かな?って思う程度の人数しかしてない。え、マスク社会の方がめちゃくちゃ私は幸せだったんだけど・・・・・・・・。
みんなマスク外しても平気なんだね、おかげでまた一つ私がイレギュラーであるっていう感覚に。ずっとマスクしてソーシャルディスタンスしてた方が良くない?????????
会社の古き慣習である飲み会やら社員旅行やら、このネットワークの発達した世界で何の意味があるというのか。相手を知り、仕事上のわだかまりが生まれにくくなるように、っていう考えの元がわかるが、なくても問題なかったと思わない????????
必要なのは自分の自制心を保つための産業カウンセラーの配置ではないかと思うのだが。
だって学校にもあるじゃない、心のケア担当。社会人になったら不要、なんてわけがないじゃないか。不要になるように?会社の人達とコミュニケーションとっていけば大丈夫????そんな考えだから新人が育つ前に離職するって、なんでわかんないかなぁ‥‥。
ちょっとすっきりした。
アホばっかりでイヤになるよね。
ああ、黙る人になって大きいものを自分の下に取り込める人になりたい。