ようやく涼しくなりましたねー
もう二度と夏には会いたくないけど、来年になったらまた来るんだよねー
嫌いだけど向こうから来る人みたいだな
毎日毎日、人のことばっかり気にしてさ。
人と自分は違うんだって認めたら済む話じゃないの?
いちいち「自分の意見」を主張されてもさ。
知らんがなって思っちゃう。
最近のSNSもそうだし、会社の人もそうだし、
自分軸で生きてたら「人のこと」で
時間費やしてる場合じゃないやん。
いつになったら気がつくの?
久しぶりに人に会うと楽しみもあるにはあるけど疲れます。
嫌いとかじゃなくて人に会って話すことは何かのワザなんじゃなかろうかと思うのです。
会社に出勤してるけれどすることがない。
仕事がない。
うらやましいと思われるかもしれないけれど、
この拘束されている時間イコール対価、給料。
私の人生の時間ってこんなに安価なのかと思って
絶望的な気持ちになる。
私のように生産活動していない社会人がいて、
大手企業さんは中高年の希望退職募ってて
⋯人手不足じゃなくて安価で人を雇いたいだけやん。
何の期待も希望もない。
今日は久しぶりに会う人がいるけど、会うまでに頭をスッキリさせたいと思って二度寝を試みたけど無理だった。
何もないと寝てばかりなのに。
何かに投稿されていた言葉で「おそらく一昔前はなんとなく生きてるだけでもなんとなく幸せだったのに、この現代はなんとなく生きていては幸せにはなれない」みたいな内容だったんですけど、あ〜なんかわかります〜なんて思ってしまいました。
おそらくと書いているのは、今のガツガツ生きて幸せ掴んでみたいな時代しか知らないからでしょう。私もそうですが。
その一昔前が具体的にいつを指すのかわからないし、その時代で大変だったこともあるんだろうなとは理解していますが、なんとなく生まれて、なんとなく生きて、それで人生終わるほうが幸せかもしれないです。
考えて選んで努力してってシンドイ。掴み取るとかキツイなって。だって、私、生まれてきたのは、なんとなく世代の両親からで、そのままなんとなく子育てされて今に至るのに、なんかここから急に自分の努力が足りないとか能力がないとか気付かされて、それなりに生きていくにも変な罪悪感がを覚えたりすることありますよね。
もっと気楽に生きたい。そのままでいい。ありのままでいい。という言葉はあるにはあるけど、結局、自分の思っているそのままとありのままは否定されているような。
だからもう誰にも見えないように、自主的になんとなく生きてなんとなく人生終えるみたいに生きていくしかない。
この時代はなんとなく生きることも、ある意味努力が必要かもしれないですがね。
最近、たまたま動画で流れてきた「野菜の低温蒸し」にハマってて、買ってきた野菜は手当たり次第に蒸してる。
やり方は簡単で割と何でも丸ごとフライパンと蒸しプレートで蒸すというものなんだけど、うちはたまたま無水鍋持ってるので、その鍋でひたすら低温蒸ししてる。
基本は箸がスッと通るくらい柔らかくして皮があるのは剥いて、好きな大きさに切ったり潰したりして塩と塩麹で薄味つけて完了。
そこから何かの料理を材料足して作ったり、そのまま食べたりお菓子に展開したりする。
私はほぼそのまま適当に食べるけど、料理するにしても肉焼いて軽く味付けして最後に炒め合わせるみたいにしたりしてる。
時間はかかるものの蒸してる間はほったらかしに出来てるから料理してる感が殆どない。
そして今回の事で私は素材切るのがすごく嫌いな事に気づいてしまった。
蒸してからなら硬いカボチャも滑る里芋も普通に切れて気持ちがいい。
こいつらに何度も指を切られたからちょっと避けてたんだよね。
作り置きほど肩肘張らなくていいし、大好きなポタージュを適当に選んだ野菜をガーして何なら毎日飲めるのも嬉しい。それにカレー粉入れてカレーにするのも簡単。小腹が空いたらすぐ食べるれるのも素晴らしい。
萎びる前に全部蒸すから、今野菜室はタッパーだらけ。しばらく続けようと思う。
紙と一緒に洗濯してしまったらしい。
紙をポケットに入れるのは禁止ーーー!
でも、今日もやる気がなくなった理由が出来て良かったと思うようにする。
お弁当作りって同時進行の極みだなと。
これを作りながら、こっちも加熱して、詰めて⋯って。
このルーティンが一部の失敗によって崩れて、軽いパニックに。
でもブツブツネガティブなことを言いながらなんとか乗り切ったのスゴイと自分を褒めておく。ネガティブは自分を救う。
いわゆる、「普通」の人より能力が低いところにいるとは思う。
普通ってハードル高いよなーと。
昔から普通がこなせない。平均点以下の人生。
努力すれば平均点のところまではいけても、それは普通だから努力したことにはならない。
あ〜疲れた。でも自分のペースなら努力はできる。それは大人になってようやく与えられた自由なのかもしれない。
自分で自由の速度を決められるって大人にしか持っていないものかもしれません。私は大人なのか。