人に面白いと言われて、ジョジョと、スパイダーマンと、アイアンマンを見た。
うーーーーーーん。
私、やっぱすずめの戸締まりみたく、知識があって楽しめる映画が好き。
東日本大震災のこともそうだけど、地に住む者、裏の世界、扉、鳥居、言霊、そういう、なんていうか、そういう染みついた知識があって初めて理解できる作品。
言外にそういう知識や情報があって、作品に深みのあるもの。
そう、そうそう、深みがない、見た作品全部。表面的。頭使わなくても見れる作品。
芸人の漫才みたいな感じ。
ごめん、好きじゃないなー。世の陽キャたちが好きっていう作品。
彼氏、マジで私が崖とかから落ちそうになってても
ちょっと心配して大丈夫?とか遠目から言うだけなんじゃない?と思うことが度々あるな。
だから嫌だったんだよ、最初から予感はしてた気がする。
最初勢いがある人って絶対失速するし、こっちがその気になった頃には飽きたりしてるよね。
潮時か?
お酒が好きで、よく嗜む(飲み過ぎる)
酔うと、人恋しく、、、人寂しくなるから、飲みの誘いをしてしまう。
それが、減った。
律することができるようになったのかな。
約束が嫌いなのに約束する矛盾。
これから、ちゃんと減らしていきたい。
ひとりでいることを受け入れていきたい。
むやみに誘わない。
クイニーアマンをお昼に食べた。
ここで初めて知って、もう10年近いのか??と、思いながら。
いろんなことがあったはずなのに、今もそれほど変わらずの暮らしぶり。
いつも初代nisshiの頃を思い出してしまう。
頑張っている人は報われて欲しいなぁと思うようなことがありましたね。
結局「頑張ってる」なんて、他人の主観でしかないのですが、私には頑張っているように見えてたので。
報われるって何だろうなぁとも思います。褒められるとか報酬を得るとか様々な形の報いがあると思うんですけど、それがなくとも今いるところから突き落とされるような理不尽なことがないことが報いでもあると思うんですよね。
毎日続いていく報いを、そこにあることをやるべきときにやっている人に与えて欲しいなぁと思っています。私が与えるとか与えないとかいう立場じゃないし、ただの傍観者なんですけどね。それでもちょっとコレはないなーと思うことがあったので、陰ながら応援してます。
毎年スケジュール帳を買っていた時期もあった。
その後、スマホで管理している。
でも、書くことから離れすぎると漢字が書けなくなったり
文章をまとめるのが下手になっていく気がして
一昨年くらいにスケジュール帳を買ってみた。
余白を愉しむダイアリーというスケジュール帳?日記帳です。
とてもシンプルで余白が多く、メモを書いたり、イラスト描いたり好きに使えるのが便利です。
マンスリー部分としてはもう使えないですが、この日記部分を全部書き終わるまで使う予定です。
紙質がよく書き心地がいいのがとてもいい。
同世代の人と何を話せばいいのか逆にわからなくなってました。
というか、誰とも話すのが苦手だなー。明日も仕事か
ストレスになるものから距離を置く。
数日前にそう考えたのに、暇になると癖でネットを見てしまう。
面白くもないのに毎日同じサイトを巡って地味にストレスをためる。
今度からはストレスを避けたいときはこれをする、これを見るってものを事前に用意しておこう。
意識して行動を変えていこう。
一桁 覚えてない。覚えていても悲しい記憶。武勇伝はないし、未熟すぎて痛い記憶のみ。
10代、これまた 痛い記憶が99パーセント。
20代、黒歴史ながら自由でよかった。
30代、しんどかったーーーー!何もしていないが、何も得ていないが、振り返ればアンハッピーだった。
アンハッピーだけれど、不幸ではない。
でも、しんどかった。楽しくはなかった。
40代、どうなるのだろう?ゆるく、やわらかく生きていきたい。
社会の変動についていける耐力はない。
でも、生きていかないといけないから、踏ん張るしかない。
それが、またしんどい。
みんな、どうして頑張れるのか。
逃避してる奴の言い訳!ごめん!
意外と長いね、ひとりの一生は。
それは有り難くも60年間もこの世で生き、生かされた者の実感だ。
それでいてお仕舞いの時には意外にあっという間だったな、と思うのだろう。
そんな事を思う暇があればの話であるが。
身近な方が事故でお亡くなりになった。
何度か行事で一緒の時間を持った事があるくらいで、普段交流があったのではないが、自分よりも若く、残念である。
そして今、近い身内が闘病中だ。
離れているので見舞いなども行っておらず、様子はメッセージのやり取りで聞いている。
少し深刻なので予断を許さない状態なのだが、これからどうなるか本当にわからない。
そういう自分は体調も、家族の状態も、悩み始めればキリが無いし、何とかなるだろう、流れに任せよう、と思えば思えない事もない。
まあ、ひとりの人間が長いこと生きて生活していれば色々なことがあって当たり前である。
いつからか、今日と言う日だけを手に持ってやって行こうと考えるようになった。
昨日のことは覚えている。
もっとずーーーっと前のことも覚えている。
先の楽しみも不安も当然ながらある。
そんな中で出来ることは、とりあえず今日いちにちならば何とか制御可能な範囲のことだよなあ、今日出来ることはまあやろうか、と言うような感じだ。
そんな感じを積んで行けば、ヨロヨロとでも一日ずつ歩んで行けるんじゃなかろうか。