私がやってる仕事ぶりは自分でも冷めてると思う。「全力」ではない。
そこにかつて彼女のように【一生懸命】教の信者だった過去の私が、私の心の奥底で自分を詰る。
ただ今の私は、このプロジェクトを最後までやりきることだけを目的に考えてる。
後の二人がちゃんと働くように使いたくもない気を使って、同じことをして自分は感謝されなくても相手には感謝を表明したり、休日出かけて嫌な顔されてもお土産買って帰ってご機嫌とったり。
自分一人で完走できないのが分かっているから。
プロジェクトのクライアントはシニア犬。
今朝もずっと家の中で吠えまくってた。
介護はいつまで続くかわからない長期戦。
24時間体制だし、理想なんか言ってられない。
いかに自分がつぶれないように気分転換しながら、周りを巻き込んで、最低限のシニア犬の安全と健康を維持するのが私の命題。
愛情とか可愛がりとか、多分あったんだけど今それどころじゃない。
義務感責任感。
それがなきゃ続けられない。
愛情だけで接してたら辛くて見てられないし、愛情だけで接してたら結果的に冒頭の彼女つまり母親のように力尽きてしまう。
愛情を注げばいいってもんじゃない。
どこかでその愛情を線引きして続けられるシステムを作らなきゃ。
私もかつて一生懸命教の信者だった。
職場で私の名前を聞いた人が真っ先に思い浮かぶのが、一生懸命、という評判だと思う。
要は仕事ができなかったってことなんだけどね。
一生懸命って美徳のようで何の役にも立たない。
無駄に力が入りすぎて効率が悪くなっているし、本人が全力でずっと頑張ってるから途中で必ず力尽きる。
で成果が出なくて、こういうのだ。
「こんなに頑張っているのに!」
愚かな上司の中には○○さんはあんなに頑張ってるんだから皆も頑張れと発破をかける。
周りにとってもいい迷惑。
周りの人々がちゃんと自分のペースで成果を出しているのに。
一生懸命はスタンドプレーとして目立ちすぎる。
聡い上司は肩の力を抜くようにと言う。
70%の力でも十分だと。
それに対して一生懸命教の信者は
「私100%じゃないとできないんです!」
「一生懸命しないと生きてる気がしない」
とか言い出す始末。
手段が目的になってしまっている最悪なパターンの一つ。
しかもうまくいかないとこうも言い出すのだ。
「こんなに一生懸命やってるのに【誰も私を認めてくれない】」
はい来ました。
これが一生懸命教の信者の本音。
もし周りから疎まれて上司から注意されても止めないのか。
一生懸命やってればきっといつか認めてもらえる。
という間違った前提条件。
そこに義務も責任もない。
ただ自己承認欲求を他人に暑苦しく押し付けてるだけ。
それが透けて見えるから、美徳とされがちな一生懸命な人を嫌う人がいるんだよね。
その人の方が賢いんだけど、なかなか口には出しにくい日本。
仕事も介護も責任が前提。
それを全うするために人は働いてる。
そこで成果が出れば評価されるし、感謝されることもあるかもしれない。
正直その渦中がどうであれ、結果が大事だよ?
一生懸命教は、その渦中の努力がすべて。
結果が出せなくても「最後まで全力で頑張ったので悔いはありません」とか言っちゃう。
全部自分に突き刺さってるけど、今は信者をやめたので反省も込めてこの文章を書いてる。