自由に発言をしている人たちを見てやっぱり羨ましいなとは思うけど、昔からそうだから。同じようなことを言っても私だけが揚げ足を取られて追いやられるってのは。40年近く生きてきて、どこに行ってもそうなんだから、自分はそういうサガだと諦めるしかない。顔が見えなくてもそうなんだからもう文章にも染み付いちゃってるんだろうね。アハハ。
とはいえ、この山はやっぱりいいなぁと。みんなが思い思いの日常を落としてる。だから私もそれを素直にやりたかったけど、他の人は自由に色々落としてるのに、自分の落とし物だけがぐちゃぐちゃに踏みつけられたらシンドイよ。
そんなことも思いつつ今日も山ごもり。誰もいなくなっちゃうと流石に冬眠から1ヶ月後に落とし物が出来ないから、昨日ちょっと短い文を落としていきました。拾ってくださった方には感謝です。
冬眠する場所を探したい…とは書いたけど、同じ場所に6年間くらいいて自分の気持ちをポツポツ落として来たんですよね。
だから、冬眠しつつ気が向いたら冬眠を終えて世に放つみたいなやり方に変えようと思います。
以前は人がそこそこいたんですよね。だから私の言葉も埋もれていたけど、その埋もれた中からも拾ってくださる方もいて、その塩梅が心地良かったのです。
一応、自分の立場とか伏せたりして言いたいことだけが届くようにしていました。それはこれからもやるつもりですが、冬眠中なので、前よりは自由かもしれません。
あんまり外では言わないこと、言えないことを落としていたりするので、自分とは意図のしない受け取り方をされて相当堪えました。ある立場の人を批判したりそういう内容でもなかったので、これがダメなら私の言いたいことって書けないなってずっと思っています。だから冬眠するのですが…
居場所がなかった〜♪なんて歌ありましたけど、居場所って本当にないですね。40が近づいてきて居場所がないと言ってるとイタイかもしれないけど、今冬眠中だから。今までもわかる人にはわかってもらって嬉しかったけど、さらにそのモードを上げていくという感じです。見つけてくれて共感してくれたら嬉しいし、それは必然だったとなんかのセリフみたいなことを言って締めたいと思います。
地方の何にもない観光地の観光案内所で、バス停の場所を聞いて、時間が迫っていたので 大急ぎで駆け出した。
したら 案内所のお兄さんが後ろから追いかけてきて息切らせながら 落としましたよって渡してくれたのが、リュックにつけてたちっちゃい 缶バッチ 1つ。
慌てて ドアにリュックが当たった感じはあったけど、落としたのは気づかなかった。
好きな絵本作家さんの美術展で、ご当地限定オリジナルのものだけど、知らない人が見たらきっと安物のどこにでもあるような バッジだと思う。
それを あんなに走って結構な距離 追いかけてくれたなんて。
びっくりして、ありがとうございます としか言えなかったけど、すごく好きなバッジ だったので嬉しかった。
お兄さん すぐに引き返してしまったのは、仕事中だったからかも。
なんかもう 感無量です。
今年に入ってたて続けに人の財布や新幹線の切符を拾って届けてたけど、その善行が戻ってきたのかも。
普段は忘れ物や落とし物しないように確認するけど、慌てるとやっちゃうんだよね。
人によっては こんな バッチ ひとつならほっといてもおかしくなかったのに。
限定のバッジで、お気に入りであるだけでなく、お兄さんの優しさも 追加されました。
家に帰ったら絶対に外れないように工夫してつけようと思います。
人恋しい。誰かと一緒にいても。からからに渇いてしまっている。さみしい。一人のさみしさよりもっとさみしい。
単純だ。愛されたい。
誰でもいいわけなんてない。あなたに。
それだけ。
実に39年振りに彼女に再会
あの頃は好きだったけど本質に気づいていなかったな
おしゃべりも変わらぬ軽快さ
そしてスポットライトを浴びながら、歌で心を鷲掴みされた夜だった
中島みゆき、圧巻!のひと言
トマトを美味しいと言って食べる子供を見て、昨年亡くなった父(子供から見た祖父)はトマトが嫌いだったなと思い出す。
私が子供の頃、父は特に食べ物の好き嫌いはなく、ああでも地域と世代的に白米が貴重だったそうで炊き込みご飯はあまり好きじゃなかったな。
でもそれくらいだと思ってたんだ。
大人になってから、母に聞いてすごく驚いた。
食べられるけどそんなに好きじゃないくらいの程度だったのかもしれない。
私ら子供の前では普通に食べてたんだ。
父が生きていて、元気だったなら孫である私の子の前では普通に食べてたのかな、なんて考えても仕方ないけど。
コーヒーと生チョコレートとパンが今日の朝ご飯。ナッツも食べます。
誰も私を気にしていないと思うけど生きてます。コーヒーは苦いのが好き
鉢から植え替えた枝垂れ梅がきちんと蕾をつけ、花を咲かせてくれた。徒長した枝があるから、花が終わったらちゃんと整えてあげたい。
秋に2年目のチューリップを地植えした。小さい球根をダメ元で庭の隅に埋めておいたら、こちらもきちんと芽を出してくれている。きちんと観察できるのが土日になるから、毎週小さな芽を発見するたびありがとうって気持ちになる。ちゃんと肥料をあげて育てたい。
徐々に暖かい日が増えたこのごろ。庭が浮かれた色になるのももうすぐ近いよ。淡いピンク、みずいろ、きいろ、みどり。イースターの色。
春がくる。いまはそれが楽しみ。
夫が退院したらしい。らしいってのは別居中なので見てないから。
珍しくここのところこまめにまともな連絡が来る。
入院までの経緯を聞きにお見舞いに行ったら、ありがとうって言われた。
話をしてみたらめちゃめちゃ普通に話が出来た。
何よりなんかスッキリして見えた。綺麗なジャイアンレベルになってた。びっくり。
なんで??と思ったら物理的に完璧に酒が抜けてたんだね…
最近喋り方がドロっとしてて呂律が回ってなくて、全く話が通じないのは年のせいだと思ってたら、普通に酒のせいだったとは…
浴びるように飲んでたもんなぁ。止めても聞きゃしなかったからほっといたけど。
そしたら体調崩して入院しちゃって、びっくりよりも「そりゃあんだけ飲めばね…」って全く動じなかったもんなぁ…
病気はかなり悪いらしい。投薬と手術が待ってる。医師にも説明受けた。
かわいそうだとは思うけど、だからってまた同居して支える気にはならないな。
帰り道の電車の中でLINEが来て「今日は来てくれてありがとう」ってメッセージ入ってた。
別居前にこの程度の気遣い欲しかったわ。一度粉々になると難しい事って世の中にはあるよ。
退院したし多分また飲むだろうからね。今後には期待してない。
先日、良いよと聞いていた映画「吉原炎上」を見た。
美しい文化と裏腹に、あまりに惨い世界。
様々な遊女たちの生きざまが描かれていて、壮絶だった。
映画なので美しいけど、それでも、女性たちの苦しみや時代のえぐさが伝わってきた。
一方で、テーマ的に仕方ないのかもしれないけど、映画が制作された時代にも、不信感を抱いた。
必要以上に女性が肌を出している印象を受けたのだ。
男が作った映画、という感じ。
映画「さくらん」はもっと後に女性監督によってつくられた作品で、こちらは映像美の印象が強いけど、素晴らしかった。
そして、女優さんたちが丁重に扱われてるように見える。
昭和のバラエティを子供時代は見て育って、そんなものかと思ってたけど、若い女性たちが全国区のテレビ番組で水着姿でプールに入って騎馬戦するとか、生放送中にカーテンの中で着替えるとか、今思えば正気の沙汰じゃなかった。
そうでもしなければ、女性たちはチャンスがなかった時代。
画面越しでこんな扱いだったら、裏ではどうだったのか、と思うとつらすぎる。
ドラマ「大奥」に、「源氏物語」など。
千年以上も前から、女性は女という道具として生かされてきた。
眩暈がしそうになる。
一方で、今アマプラビデオで「男たちの大和」を見ていたのだが、これはこれでもう(涙)
冒頭の仲代達也さんが出ただけで泣けてきた。
公開当時、映画館で見たのだが、大和ミュージアムに行ったのをきっかけに、また見たくなったのだ。
今でも大活躍中の役者さんたちの若さに驚きつつ、男たちの命を懸けた戦いにまた涙。
女だから、男だから、どっちが辛いわけでもない。
女も虐げられてきたし、男も、別なところで大変だったのだ。
(戦時下の女性も同様に命がけで苦労してたけども)
それに、今まで言われなかっただけで、昔から春を搾取されたのは女性たちだけでなかったのも事実だし。
忙しさで疲れて、うまくいかないことが立て続けにあって、自己否定感にさいなまれてたけど、映画見てたら、申し訳なくなった。
辛さ苦しさを人と比較するなんて意味がないけど、でも、自由である時点で、私は幸福なのだと強く思う。