どんな場所でも人がいない場所は落ち着いてしまいます。
先日、自分へのご褒美!と電子マネーのポイントもたくさんあったので、パフェを食べました。
案内されたゾーンに誰もいなくて、ラッキー!と思ってしまいました。その後何人か入ってきたのですが、全員1人客だったので、話していないのに妙な結束感を勝手に感じて帰って参りました。
ちょっとお高めのパフェなんですよね。なので誰かを誘うのは勇気がいります。相手はパフェにそんなにお金かけたくないかもしれないし。私にとっては時々の贅沢なのにお金を持ってると思われるのも微妙なのです。でも、だからといって安めの店に誘うのもこれまた勇気がいる。「せっかくの機会なのにそんな安い店‥」と思われてたら嫌だなーとか考えてしまいます。
色々考えないで、直感とタイミングで決められるのはやっぱりいいです。且つそこに従業員以外誰もいなければスペシャルな空間になります。
常に誰もいない場所を探してるような気がします。本来なら誰かいるはずだけど、そこに誰もいないからこそ出来る表情だったり感情を好きなタイミングで巡らせるのが自分にとっての癒やしなのかもしれません。誰か来たら来たでお互いに勝手に何かをして帰っていくのを見るくらいの人との関わりが理想なのでしょう。
パフェは高いだけあって美味しかったです。顔が美味しさを隠しきれてなかったと思います。でも誰も見ていないのです。
職場の人ではなかったらそんなに嫌いになってないだろうとか、逆に職場を離れたらこの人とは友達にはなれないだろうとかもある。
作品を通してとか何かの媒体を通してだから、好きだと思っていた人も、それが相手の性格や考えを薄めないまま知る機会があったら苦手になることもある。
この人好きだったのに‥とか苦手だなーとか、逆にこの人良いなーとか素敵だなーとか色々な感情があるけれど、自分の置かれてる場所や相手の立場やいる場所で、見え方が変わってくるもんなんだなーと最近よく思う。
好きだったのに変な部分が見えちゃうのは本当に残念だけど、変な部分が見えないフィルターがあるなら、そればかりを使い続けるのも1つの手段だと思う。
好きでも嫌いでもフィルターは外さないようにするのが最善ということかな。全部知らなくていいんだからって本当にそう思う。
今度友達の結婚式に行くけど、もしかしたら1人かもしれない。結婚式に1人で参加したことはない‥
共通の友達は来れるかわからないし、「行く?」の連絡がないから1人だろうと思っている。(自分から聞けばいいのだろうけど聞くほどの余力がない‥)
今まで色々なことや場所に1人でしたり行ってきたけど、今回1人参加だとしたら、また初めての1人体験が増えるということになって、そこに謎のワクワク感を覚えてしまっている。
こじんまりとしたお食事会メインのパーティーと聞いてるから、余計に1人で行ったらどうなるのかな?と想像してしまう。ただひたすら食べて時々ニコニコする。こんなこと書いてるけど、お祝いの気持ちはかなり持っているので、それだけで充分でしょうか。もちろんご祝儀は持っていきます。3万って高いけど今回は高いと感じなかった。以前あるところでプレゼントを買うために1人200円徴収されたときは高い高い高い!って不満だったのに不思議だ。
私が就活していたのは大昔ですが、難航してました。
まあ、就活なんでそれぞれ自分なりの難航があると思います。
で、昔親に言われたんですが「もっと相談してくれれば」と。
そうですよね、それが出来ればしたかったとは思います。でも、あれからかなり時間が経って思うのは「相談しなくて良かった」ということですね。就活が成功したからそう思ったわけではなくて、相談していたら確実に変な方向に行ってたと思うからです。
シジュー目前くらいまで生きるとある程度今までしてきたことや言われてきたこと、されてきたことの答え合わせが出来るようになってくるとここ最近は思っているのです。その答え合わせが「親に相談しなくてよかった」なので、自分にとっては正解なのです。
親に相談しなくても大した道には行ってないのですが、親に相談してしまうと最終的に自分で決めたことであっても、純度が淀む気がするのです。それまでに親が私にしてきた言動が時間を経てそう思わせてるんだからしょうがないのです。
「あの時、親の言う事を聞いていれば‥」ってどんなことにでも思えてる人って、それだけでも幸せだと思いますね。羨ましいですよー。でも、「あの時、親の言う事を聞かないでよかった」という幸せは私しか持っていないと無理矢理ポジティブにしてみます。
気をつけてたつもりだったのに風邪ひいた。
なんか鼻が詰まるなぁと思ってたら案の定。
でも体感で分かる。コレはコロナではないと。
年末に罹患したコロナはマジキツかった。
しかも夫からうつされた。夫は風邪症状程度だったので、本人の自覚も薄く、私もちょっと油断してた。
あの時の夫の対応思い出すとイライラするので考えない。
早く風邪から回復したい。
今日は仕事休みだったからひたすらゴロゴロしてた。
この人誰??って思うことが多かったので
ワンピースの新しい映画は
あまり楽しめなかった
多分コナンの新しい映画も似たようなこと
思いそう
初見でシンプルに設定が
頭に取り込めるって大事
見てないとわかんないってのは
ちょっとずるいなあ〜
入社式って特に思い出ないですねー偉い人と高そうなランチしたのは覚えてるくらい。
まあ会社にもいい思いを持ってないからしょうがないか。すぐ辞めちゃったしなー。
もう十数年前の出来事なんだなー。やる気がなかったわけじゃなかったんですよね。それなのに2年そこそこで辞めたのが自分でも驚き。すぐ辞めるタイプの人間だって思ってなかったんですよね、自分のことを。
辞めたのは色々あったからなんですけど、まあ本当に色々ありました。新しくやりたいことが出来た!とか前向きな感じなら良かったけどそうでないですねー。
それでも私より先に辞めた人はいました。1人は前向きな感じ。もう1人はどうだったか忘れたけど合わないからみたいな感じだったかな?もう同期と言われてる人とも交流がないのでわかりませんね。次の年に入ってきた人も私より先に辞めてた人もいたような。部署が違うから何でやめたからわからないけど、たぶん前向きじゃない理由かもしれません。
自分より早く辞めた人と比べれば、長く働いてたほうに感じてしまうけど、別にそうではないか。早く見切りをつけるのも大事だし。私はなんだか中途半端な短さだなと。短いならもっと短いほうがカッコイイのにと今更変なことを考えますよ。
色々書いて思ったけれども、入社してずっとその会社で働くってことが出来るだけでその人ってスゴイんだと思う。同じ場所でやるべきことをやるって簡単なようで難しい。長くいればいるだけその場所の嫌な部分が見えてきたりするのに、それを含めながら働けるってやっぱりスゴイことだと思うのです。
中途半端な短さで辞めた自分がなんだか1番ダメに感じますね。
あの入社式のランチを偉い人ナシでもう1回食べてみたいかなーとそんな変なシメで終わる。
春で、やっとマスクも外せるようになったのに、家に引きこもっている。
病気の猫と介護中の犬を自分で最後までお世話する。
愛する彼らの傍にずっといると自分で決めたこと。
その先のことも考えていて、家を出て自活するための物件探しや、インテリアの勉強にも
余念がない。
猫はおおよその余命を聞いているけど、犬の余命は分からない。
いつ寝たきりになるかもしれない。
寝たきりのまま何年も…という話も聞く。
長生きしてほしいと犬にも猫にもずっと願ってきたけど、その時が来るのを恐れているけど
ずっとこのままも怖くて。
二匹がいなくなったら、私は立ち直れるのかという不安もある。
残ったあと二匹の猫を育てる責任があるから、大丈夫だと思いたい。
インテリアの勉強はすごく面白くて、時間を見てはニトリとか行くのが楽しい。
イケアにも行きたいんだけど、隣の県まで出ないとないのが悔しいな。
そうやって未来の自分の生活を夢見ることは、今いる二匹への裏切りのようにも感じる。
でも、そうした楽しみがないと、人生の足踏みしてるような焦燥感と、いなくなるその日を
おびえる恐怖でつぶれそうで。
あと、介護、大変だし。
そのせいか知らないけど、外に出るのが最近おっくうだ。
コロナ禍ではあんなに旅行したくて地団駄踏んでたのに、今はすっかりインドア派。
部屋のインテリアを少し変えたら居心地よくなって、ソファ代わりのベットでゴロゴロ。
毎日のようにカフェに行ってたのは、家が居心地悪かったからなのかも。
このままじゃ太る一方なのも怖い。
介護で夜中にパジャマのまま外に犬を連れだしたりするようになって、他人の目を気にする
気力がなくなった。
どんな着飾ったって、どうせみんな私のパジャマ姿見たんでしょ、という開き直り。
若いころは、だらしない格好で外に出てる年配の人たちを見て恥ずかしくないの?と思ってたけど、そんな余裕なかったんだろうな、と思う。
着飾らなくなったら、体型維持の気力もなくなって、何なら髪もとかさずにキャップかぶってごまかしたり、顔も洗わずコンビニ行ったり。
人として堕落していく。
なのにインテリアはどんどん凝り始めてるという、もはや何が何だか。
今日もダサい格好で、お洒落なインテリア本を図書館で10冊くらい借りてきた。
客観的に見たら「インテリアよりその格好何とかしろよ」という感じかも。
冷静な自分が突っ込みをいれるけど、それももうどうでも良くて。
バランスを欠いている。
分かってる。
足踏みしてるより、後退してるのかも。
とにかく、将来の一人暮らし計画やインテリアの勉強と、
今の私の身だしなみや美容と、
犬猫の介護の不安や大変さは、
別の問題として考えよう。
誰に何を思われようと、今目の前に来たボールを打ち返して、
興味があることを勉強して、
不安になる隙を自分に与えずに、毎日ただ、彼らと向き合おう。
犬も猫も今この瞬間だけに生きてる。
今これを書いてる私の手元を枕にゴロゴロ言ってる若猫もそう。
私はちゃんと生きてる。
それで今はいいのだと思おう。
小学校に入ってしばらくの間、午前で授業が終わり家に帰っていた。
授業ではなくて、健康診断や、先生と一緒に校内を見て周ったりしていたのかもしれない。
給食はまだ始まっておらず、色も模様もつかない小さな白い紙の袋におやつが入ったものが配られた。
何が入っていて、何日配られたのだったか。
からだが小さく、食も細かった七つのわたしは、それをしっかり握って落とさぬように持って帰った。
決まったおやつの時間のなかった、学校に上がったばかりの小さな子供に、それは帰ったらこれを食べるんだとささやかな楽しみをくれた。
54年前の4月。
お菓子の豊富な今の世にはまだ少し遠かった昭和44年。
舗装されていない土の道を重い革のランドセル背負ってカサカサ鳴る袋を持ってひとり帰った。
家は郵便局員だった父と母と姉との4人家族で住んでいた小さい官舎。
真ん中の壁で隣の家と半分半分になっている長四角の家。
汲み取り式で茶色い蠅取りリボンがぶら下がるお便所と製氷室が無くアイスを入れておけない低い冷蔵庫と身の丈に合わない新品のピアノと石炭を燃やすストーブ。
じいちゃん、ばあちゃん、遠くと近くの親戚と親の知人がしょっちゅう遊びに来る煙突のある官舎。
父が時々煙突を外して煤掃除をする日は寒くても終わるまでは我慢。
極寒の北の街の家々の窓は、冬の前に寒気をしのぐために外側からビニールでしっかり覆われ、春まで閉じられる。
父が近所の人に頼まれて局で買う記念切手をわたしがお使いで届けに行く。
近くだがよく知らない家に、少し緊張して。
無事に届けたらちょっと誇らしかった。
官舎はとうに無くなり、あの辺りはすっかり変わり、もう夢の中で歩くだけだ。
友達の家がある崖のそばまでゆくとオホーツク海が見渡せる。
帰りたい、帰りたくない。
六つ上の闘病中の姉はもう長くないのだろうか。
「あの映画見た?」
という連絡が久々にきて
久々に昨夜遊びにきた友人。
正直、先月に余計なことを相手に言ってしまい怒らせて
謝って和解はしてたのだが
もう家には来ないだろうなあと少し寂しい思いをしていたところだった。
コーヒーを淹れて2人で飲みながら感想戦。
結局明日も仕事だから、まだまだ話し足りないところではあったけど日付が変わる前に解散。
簡単には、手放さなかったんだなと思うと不思議な気分で、友人ではあるけど
少しまだこの歪な関係は続きそうだ。