高齢者(恐らく認知症発症)の方が、電気代が滞っただけで、「ルールだからシねばいい」という大量のリプ。世界で最も弱者に冷たい社会、ニッポン
あんまり詳細は書けないけど、誰かに聴いて欲しい気持ちもあるので…
昔、イトコと距離が近すぎて同じ学校に通っていたことがありました。そのイトコが私の学校での様子を逐一自身の親に報告してたみたいなんですよね。で、それを私の親がイトコの親から報告を受けるみたいな流れがあったみたいでシンドかったです。
なんでイトコはそんなことをしたんだろう?とかなり月日が経ってから思うのです。おそらく、私の報告をするとイトコの親が喜ぶんでしょうね。親の喜ぶ顔が見たくて、そんなスパイのようなことをしてたんだと思います。
報告の内容は私がヘマした内容ばかりだったので、イトコ親がそういう内容を把握することで私の親に対する優越感とか、自分の子どもより私が劣っていることを知ることで安心感も得たかったのかもしれませんね。私は頭も別に良くなかったし運動も出来なかったから、私より何か勝っていても何の意味もないんですがね。
普通に過ごしていたら親が知ることもない学校での出来事とかも報告が行っていたみたいで、母はさすがにそんなことまで報告される私に同情していたみたいですけど、父はしょうもない失敗ばかりする私にイライラしてたでしょうね。それは今となればわかります。母は報告されることに同情はしていたでしょうが、報告される内容にイライラはしてたかもしれないです。私がちゃんとやればそんなこと言われることないのに…という怒りの矛先が私になってしまうこともあったでしょうね。
そんな感じで小学低学年を過ごした私ですが、もうかなり昔のことですけど、こういう時代がなければもっとポジティブな鈍感さはあったかもしれないなーって思います。ネガティブで鈍感なので救いようがないと自分でも思ってますけど、なんとかそれから30年近く生きてるからそれだけでも大成功なんでしょう。
自分のものの知らなさ、無知さ。
とにかく世間知らず。
世間知らずすぎて、TwitterやYouTubeで見た知った出来事にすごくすごくびっくりするの。
世を動かす志はないけれど、
どうかどうかみんな健やかに穏やかに暮らしてほしい。
なにより私が!!
久しぶりにコンビニでおにぎりとサラダを
今回の味付けのポイントは家に誰もいないところで勝手に食べることがポイントになります。
とても美味しかったです。私が求めていた味わいでした。
旅行のときは3食全部自分達で決めるのって疲れちゃう。
一泊二食付って本当にありがたいんだなーって心底感じた。
1人なら決めることすら楽しいけど、自分以外の誰かと一緒だと決めることがシンドイ。とにかく決めることを減らすことが集団で楽しむコツなんだな
自分もそれなりに年齢を重ねて、あの頃の両親の年齢と近づいてきました。私が中学生とか高校生くらいのときに30代後半から40代前半だった両親についてはもうはっきり記憶がありますからね。
ふとそう思ったときに両親のことを素直に尊敬出来れば良かったのですが、どっちかというとこれはちょっと…的なことのほうが多いですね。そういう事のほうが記憶に残りやすいのでしょうがないです。
もし、今の年齢の私とあの頃の両親が出会うことがあっても親しくはならないだろうなと思います。親子という関係でしか付き合えないです。それだって本当はギリギリな感じです。
最近、このくらいの年齢になって親に対してのみ反抗期だなーって思うのです。中学生くらいの反抗期とかと違って自分も年齢を重ねた分、わかっちゃう部分があるんですよね。なんかよくわかんないけど反抗的という青い反抗期ではありません。確信を持った反抗期ですね。
反抗というわかりやすい反抗はしなくとも、純粋無垢な感謝は出来ない。この気持ちを持って私はこの先の人生を歩むんだなぁと思います。
配偶者、パートナーが話を聞いてくれないとか素っ気ないとかで寂しいって気持ちは理解出来ます。
ただ、だから他の人とまたどうにかなるっていうのは私はちょっと違うというか考えられない部分もあるかなーと思います。
まだ一方との関係を継続してるくせに、もう一方とどうにかなるなんて許せない!…という気持ちは第三者の目線ならあんまりないんです。(自分の事だったらやっぱり怒りはあると思いますが)
結局、最後に行き着く果てはまた同じなんじゃないかなーって思うからです。
ちゃんと段階を踏むとか踏まないとかではなくて、また別の人と一緒に階段を登っても途中で同じペースじゃなくなり、遅い方を待ってあげたりもしなくなるし、追いつこうとも思わなくなる。
同じ景色を見てる期間なんてほんの一瞬でそれ以外はずっと1人でどうにかしなきゃならない関係がまた他の人と始まるだけだと思うので、もう面倒だなって思うのですよ。
でも、また新しい人と新しい階段を登る過程が好きな人もきっといますよね。それは嫌味でも何でもなくパワーがあって羨ましいと思うのです。
同じ景色を見ている一瞬を尊い時間として何度も味わいたいなら同じ人とは難しいですよね。綺麗事なしで言うと相手にも自分にもペースがあるからずっと合わせてるのは難しいのは当たり前です。
誰かと一緒にいたとしてもいなかったとしても、最後は結局自分の目線がどこにあるかですね。それはいつも大事にブレないようにしたいものです。
今年の夏は推しに会えた夏になりました
対面イベントがありまして、数秒だけれどコミュニケートできるイベントで!久々の
コロナ禍去年もあって、去年はツーショット撮影会とお渡し会だったのですけれど
コロナの3年間
若い子達の時間を奪った世界はでかいよね、やっぱり
これで年末まで生きていけそう、頑張れそうだなって
けっこう転校をしているので、誰かと文通した経験は多いかもしれません。今の時代なら文通じゃなくてメールとかラインなんだろうなと思うけれど。
最初は続いていましたが、途中で続かなくなって終わる‥みたいな事が多かったです。
やっぱり学校が違うと話題がなくなっていくし、手紙の中だけだと相手が実際に見ているものがなんなのか肌で感じることもなくなって文通で交流している意味とかわかんなくなっちゃうんですね。
今となって言葉で表現してますけど、小学生くらいの私はそんな感じだったのかなーと思います。
もう30年近く前のことです。ここでもう一度会いたいとか文通したいとか言えればいいのかもしれないけど、もうそういうのはいいかなーと。ただ私に手紙を書いてくれてたことはやっぱりありがたいことですね。
おそらくですね、「いつもは言わないんだけどー」っていう言葉を先に言って来る人は、いつも言ってます。
「いつもは言わないんだけどー」といつも言ってます。
しかもこの台詞はだいたい反対意見や反論や説教を言いたいときに、自分側を守る言葉なんですよね。
《私は本当はいつも怒ったり反発したりしないけど、あなたのためを思って言ってます、またはあなたがあまりにもアレだから言うしかないの。》あの台詞に含まれる意味はたいたいこんな感じだと思います。
いつもは言わないんだけど、「いつもは言わないんだけどー」って発してから論点がズレてるような主張をされたのを思い出したので、本当にいつもは言わないんだけど、いつもは言わないんだけどを使ってみたくなりました。いつもは言わないんだけどね、いや、いつもは言わないんだけどっていつも言ってないですよって‥いつもは言わないです、いつも何を言ってるっけ?いつもは何も言わないからわかりません〜
さあ、今日もいつもは言わないけど、頑張ってきましょー