堕落したとき立ち直るにはどうしたらいいか。
常に、いつかはもとの世界に戻るということを意識し続けることが、回復を早める手段なのかなと仮説を立ててみる。
お茶飲みたい。
世の中には「分かりやすく強い言葉で誰かをバッサリ切るエンタメ」を求めてしまう人がいる。
思考停止して、その「サバサバ風マウント」を「正論」だと誤認してしまう。
27歳が今月おわる。
今日もまた生きるのがだるい。
職場に恵まれて頑張れる環境になっても
自分自身がまだ変われていない。
自信が無いことの不便さは年々増すばかりで、気持ちはずっと幼少期の苦しさを覚えたままだ。
自分の面倒さに辟易する。
これでも第一印象は『明るい』以外に言われたことはないのに
きのうは、金星と木星が大接近する日だった。
それを見たくて、4月に引っ越して来てから初めて、天体観測をしようとベランダに出た。星1つ見えなかった。
駅前なのでどこもかしこも明るい。11階に住んでいるのに、周りは同じくらいの高さか、それ以上に大きい建物ばかり。そもそも建造物が多すぎて空が狭い。
今日は外廊下の方から見上げてみたけれど、同じような景色だった。そりゃそうだ。
新居は、星を見るには阻むものが多すぎる。悲しい。好きで引っ越したわけじゃないから尚更。
ここに住んでいる間は、金星は諦めるしかないか。
日付が変わる頃にもう一度外廊下に出て、北極星と夏の大三角を探してみることにする。デネボラとスピカは難しいだろな。
買い物行くか〜
今日の晩御飯何作ろうかな?
自分が何をしても社会貢献してない感じにも慣れてきた。
それならそれで〜
私は隠れてるからまあいいけど、他人の発言に楯突くのはやめてよね?と思う人が最近また見かけるようになった。
その人の戯言は好みじゃなくともほっとけばいいけれど、自分の発言にヒリヒリする言葉を上塗りされてからは、その人の戯言そのものが好きじゃない。もう2年半くらい前だけど。
私は面倒臭がりな友達が好きという発言に、第三者のその人がそれは友達をバカにしてる!と言われてからは読解力の限界というものを感じるようになった。
どれだけ仕事ができても、知識があっても、その人にとってのNGワードがあるだけで曲解されちゃうものなんだと。
だから発言するのが怖いから、相性の悪い人とは会いたくない。もう会いたくない。
超絶可愛いスマホケースを見つけて一目惚れ。
毎日持つからシンプルで飽きが来ないものを、というモットーが吹き飛んで即ポチった。
年齢や立場的に人に見られても恥ずかしくないデザイン
縦横置きできるスマホベルトを貼り付けられる
持ちやすいソフトケース
黄ばみや汚れが目立ちにくい
予算は抑えたい …etc
様々な条件をクリアして選びぬいた、ベージュに黒の縁取りのハイブリッドケースと新しいスマホをカートに入れて、後はポイントアップの日を待つだけ、と思って準備してたのに。
実際に選んだのは、
(個人的に)滑って持ちづらいハードカバー
予算は予定の倍
スマホベルトを付けると隠れるデザイン
目立つパステルカラー
そして何よりそのデザイン。
ライトグリーン背景に茶トラ猫がど横たわって白い腹を出してへそ天をしているイラストが前面に描かれているのだ。
こちらを見ているその表情もすごくいい。
うちの猫も茶トラでよくこうやって腹を見せつけてくるので、もう駄目。
吸い込まれるようにポチった。
何万円もする必需品のスマホを支えるベルトをつけられないのは痛い。
デザインを取るか実用を取るか。
悩んでいたら、キックスタンドという薄くて細いスタンドがあることを知った。
二つ折りの金具を背面に貼り付けると、縦置き横置きも自在で、スタンドに指を引っかけて持ちやすくする効果もあるらしい。
これならデザインの干渉も最小限で、ベルトと同じ効果が得られる!と感激。
こんなの待ってた。
もう年齢、立場、どうでもええ。
どう思われようとかまわない。
アイラブ CATS!!
仕事のクライアントや近所の人にバレて何が恥ずかしいのだ。
堂々と持ち歩くよ私は。
それに、こんなにワクワクする買い物は、本当に久しぶりだ。
ときめきでなく、実用性やコスパだけで買い物することが多かったけど、買い物って本来すごく楽しいものだったんだな。
親本人は冗談のつもりでも、周りからみたらそれを越えている⋯
そんな動画がニュースの一部として流れてきたけど、これを悪いことだと思わず、みんなに見てほしいという感覚⋯どうしてそうなった?と思ってしまった。
おそらくこの人の家庭環境も同じだったんじゃないのかなと。
気が付かないようにすることで、それを楽しいと思えるようにならないと生きていけない環境⋯良くも悪くも気が付かないで生きてきてしまったんだろうなと。
それが愛情だと勘違いすることで生き延びられる。そしてそのエセ愛情を自分の中に取り込んで、それをアウトプットしてしまう。
恐ろしいなと思う。だから気が付かないことは幸せではあるけど不幸でもあるし、自然に人間としての情緒を育めた人が私も羨ましいときがある。私は気が付いてしまった不幸も味わってるし、だからこそどうにかなったこともあるけど、幸福とは言い難い。
今 公園でぼーっとしている。
まるで、公園でブランコをこいでいるリストラされたお父さんのようだ。
わたしの偏見だが、ブランコこいでたらポップでいいよね。
ベンチでロダンになってたら深刻だよね。
どっちもしらんけど。
仕事サボって、今。
楽しいことは何もできてないけど、なんかさ、ほんとにつかれてるのよ。なんで?
君はずっと僕のヒカリ
彼に会って会えなくなって、その過程を経て自分が変わってきているのは事実で、会えなくなってもこの人を想う時間で自分がまた成長している気がする。
この人が私にとってのヒカリだってことは、否定できないことなの。
ありがと。