可哀想だなと思う。
1人でいることじゃなくて、そこに溌剌さや凛々しさをあえて意識して生きていかなきゃならない感じが痛々しいと思う。
それならそれで私には関係のないことだけど、私の言葉を踏みにじってきた人と同一人物だと思ってるので、あーはいはい、またハジマッターと思って見てます。
もちろんその人の言葉は消してますけど、消すためには見ないといけないからね。あーこの人また来たわでテンション下がる。
また1人で凛として生きてるの!私は!という暴力のような言葉の羅列。あーシンドい。
好きに呟くのは他人の言葉に寛容な人だけ。寛容と言う言葉の意味だとすべて受け入れてあげなきゃならないみたいだけど、この場合の寛容って簡単で、何も言わないだけでいいのです。
もう2年以上経ったけど、私はまだあなたに自分の言葉をぐちゃぐちゃに料理されて、披露されたのは忘れてないのです。
凛として生きたいなら、見た目よりも気を使うことありますよ。
たぶん私が嫌なのは「幸せアピール」そのものより、日常の出来事を全部、自分の人間性の証明に変換する感じなんだと思う。
昨日推しが出る講演会に参加して、ホクホクしながら帰宅。
次は来月何かのイベントでお目にかかればラッキーだなと思ってたら、今月も別な講演会にゲスト登壇とのこと。
キャアキャア言いながら申し込み。
誰でも参加可能な 講演会とはいえ、テーマは割と真面目。
こんなテンションで参加する聴衆って私ぐらいかもしれない(笑)
心の中に邪な狙いがあるからこそ、余計、外見だけは取り繕っておきたい。
現地で一人で浮くのだけは絶対嫌!と、申し込んでからは何を着るかで頭がいっぱい。
ゆるっと着れるので重宝している、ベージュのジャケットなら真面目すぎず緩すぎないだろう。
外でのワークショップもあるから、上着は必須。
マウンテンパーカでいいかな。
移動もあるし スニーカー
…等々、AI相手に相談しまくり。
こういう他愛のない、誰も見てねえよ おばさんの服 なんか、と言われそうな話もちゃんと聞いてくれるのでありがたいね。
自意識過剰なのは分かってる。
でも、一人で行動する時こそ、みすぼらしい格好は絶対にしたくない。
数で埋もれないから、ごまかせないのだ。
しかも今回 定員50人ぐらいだし。
昔やった婚活パーティーやそこで知り合った男性とのデート服を選ぶ時よりずっと楽しい。
男ウケを意識して選んでも全然似合ってないし。
推しは男性だけど、女としてみられたいとかでなく、ただ失礼がない様にしたいだけ。
真剣に話し合ってる場を見させてもらうのだから。
そもそも、推しに認知されるのはものすごく恥ずかしいので嫌なのだ。
だから服装だけでも他の聴衆に馴染めればと。
推しもだけど、お店も、何十年通っても一見さん扱いして欲しい気持ちわかる方います?
ファンサとか本当にいらない。
物陰からそっと見させてもらえれば 私は満足なんです。
でもおしゃれしていきたいおばさんの乙女心よ。。
自分でもまさか この年で推しができると思わず、すごく 戸惑ってる。
が、気持ちだけ若返った 気持ちがする。
暴走しないように大人の節度を持って静かに見に行こうと思う。
今日は何もやる気が出ないので、こまごまとした家のことをした。エアコンや換気扇のフィルター掃除と窓とベランダの簡単な掃除。金曜の夜に玄関のドアを拭いたので、いつもの掃除とあわせてひと通り綺麗にはできたかなと思う。
家の中に小さな蜘蛛がいる。小さい虫とかを食べてくれるらしいので、そのままにしているのだけど、できればあまり姿を見せないで欲しい。
来週末は3連休なので、何をするか考えよう。
今日はとりあえずダラダラダラダラしますかー
ダラダラはエンターテインメントなんだよなー
でも自分以外に油断はしない〜
「私の知っている範囲では」
「もちろん全員ではありませんが」
「一部の人についてですが」
「これは私個人の経験ですが」
「すべてのケースに当てはまるわけではなく……」
保守的な文章を心がけると、上記の言葉まみれになって、結局何が言いたいんだよになりかねない(笑)。
主語がデカいのは嫌がられるけど、例え主語がデカくと必ずしも、それが自分のことに言及してるわけではないと思うんですよねー
女とは、30代とは、独身者ってさ、子持ちってさ⋯とか色々主語がデカいことってたくさんあると思うんだけど、そのカテゴリーに自分が当てはまっていたとしても、自分のことではないと思う鈍感さ、変な言い方をすると寛容さも必要なのかと。
もちろん、内容をもっと咀嚼すれば、キッーとなる内容もあるにはあるんだけど、それを自分に直接言われてると受け取らないようにするしかない。
直接対面での会話か、名指しされてるかどうか、ネットだったら引用されてるかどうかでしか、自分に言われてるかどうかなんてわからないことにしないと、この世の中では生きていけないんですよね。
主語の大きさをもっと小さくすると、つまりもっとわかりやすくすると、それはそれで争いが起きるんじゃないですかね?それはそれでメンドクサイですよ。
あと、自分が発信者側になったときに、主語の大きさに気をつけてたら言いたいことが伝わらないときもあるんじゃないかと。
完璧な文章や言葉なんてないんですよ。だから、そこにある他の要素を使って、誰かの言いたいことを理解していくしかないんです。主語以外の言葉、会話ならニュアンスや抑揚も拾える。文章だと難しいかもしれないけど、その他に散りばめられた言葉を拾えたりはするんじゃないでしょうか。
主語の大小じゃない何かを見つける。それが一番ですけど、この主張の多い時代で、ソレって難しいのかもしれませんね。
プラネタリウム、想定外にめちゃくちゃ良かった。
「流星群のひみつ」
今回は2回目。
前回は途中で寝ちゃったけど、今回は少し理解しながら観られた。
特に心に残ったのが、南極観測船「宗谷」の船上で、1956年に中村純二さんが観測した「ほうおう座流星群」の話。
1956年12月5日、南極へ向かう宗谷がインド洋上で遭遇した、幻の流星群。
そして58年後の2014年、再び観測されたという。
その中村さんの当時の写真やコメントが出てきて、それだけでもう泣けてしまった。
さらに最後には、プラネタリウムの映像が、まるで自分も宗谷の船上から流星群を見ているような演出になっていて……また泣いた。
私自身、南極に行ったことがある。
流星群ではないけれど、南半球の船の上で皆既月食を見た夜があって、満天の星空と、たくさんの流れ星を見た。
だから余計に、あの場面に感情移入したのかもしれない。
流星群がなぜ起こるのか、という解説は、正直もう一回観ないとちゃんと理解できなさそう。
でも、それでも「もう一回観たい」と思った。
何度も泣くつもりなんて全然なかったのに、ちょいちょい泣いてしまった。
疲れてるのかな(笑)
でも、すごく良かった。
あー食べ過ぎたー
珍しい肉を食べたけど、全部豚肉に感じてしまう自分の味覚が単純で驚きますよー
だけど食べ過ぎたー
昨日に引き続き、今日も天気がいい
風に運ばれてきた金木犀の香りが鼻を抜ける
秋って感じがして嬉しい
なんだか少し頑張れる