FランFランって学力低めな大学を揶揄する雰囲気あるけど、オシャレ感や最新感を出して学生を呼び込んでいる何も身にならない専門学校行くんだったら、Fランと呼ばれる大学に行ったほうが一応4年生大卒になれるからいいとは思うんですよね。
いわゆるFランのような大学出身の私が言うと負け惜しみに聞こえるんだと思うんですけどね⋯あくまで何も身につかない、お金だけ払ってバイトでも出来るような経験をさせて専門!と言ってるようなところをさしているので、ちゃんと専門的知識や資格が身について職業に直結するようなことを学べる専門学校もたくさんあるので、専門学校を一括りにしてるわけではありません。
こんなことをふと思ったのは、元友人がそういうオシャレ感だけの専門学校に行ってたなーと思い出したわけです。
目先の流行り感やきらびやかな雰囲気に流されて、そこに自分もドラマの主人公になったかの如く、入り込んでいたなーと。
先生にやんわりと反対されてたのは、今ならよくわかります。当時、私も先生寄りだったのに、友達の意見を尊重してるかのように振る舞ってて、私も悪いヤツなのかもしれません。この頃から、この友情は続かないというシグナルはあったんでしょうね。
この学校選びだけじゃなくて、この元友人の流行りのスタイルに自分を当てはめて生きたい感が、私を巻き込み出した当たりから友情に陰りが出始めたな。丁寧な暮らしとか肉、砂糖食べない謎の食生活とか⋯本人は自分の意思でやっているつもりなんだろうけど、深いところではそういうスタイルで生きていることに安心しているタイプだったから、周りから見ると一貫性がないし時には人を巻き込んでしまうんだなと。
殻が薄い専門学校の話でしたね。殻が薄い人に濃いめの光を注げば入り込んでくれるからラクなのかもしれません。元友人みたいなタイプはけっこういて、そういう"素質“のある子は高校生からずっと夢の中にいるし、その夢のために現実に金を出すのは夢を叶えてるつもりになれていいのかもしれません。
もうあれから20数年経ちましたが、まだ夢の中にいそうなんですよね。ただ、同じ夢じゃなくてその時その時代に合わせて夢の中にいる。そんな感じなんだろうなとSNSからこっそり察しているのです。あの頃あの専門学校のような時に見ていた夢は見ていなかったことになっている。そうやってずっと色々な夢を見て生きていくのも悪くないのかもしれないですが、私は現実を生きたいし、それしか出来ないですね。
集団には馴染めないことは多いです。馴染めないから1人が好きになったのか、1人が好きだから馴染めないのか?コレってどっちもあると思いますね。元々の性質が1人が好きで、合う人としか付き合いたくないかな。よくわからないけど、みんなで何かをやってれば、とりあえず楽しーー!って感情はゼロです。
もうお昼ごはんは食べました。
デザートのアイスも食べました。
お腹いっぱい、寝る〜
YouTubeで寝るか、読書で寝るか?迷います。
区で運営しているコミュニティバスに乗って、少し離れた街の大きな公園に行った。花見の準備なのか、大きな仮設のゴミ箱が置かれていた。公園を一周して何枚か写真を撮り、帰りはバスに乗らずに家まで歩いた。
家から5分もかからない所に小さな図書館があって、前から気になっていたので行ってみた。じっくり腰をすえて本を読んだりはしなかったが、何冊か面白そうな本があったのでまた今度行って読みたい。
歳をとって仕事を辞めたら、毎週図書館に行って週に1、2冊本を読んで過ごすのも良さそうだなと思った。
病気のリハビリにお絵描きを始めたけれども、その後オタク文化に対する拒絶反応がまた強くなってしまった。
しかし、この反応は特定の人物たちを思い起こさせるものにだけ出ているようだ。
自分はそこまで追い詰められていたのか~、まっこと酷い仕打ちを受けていたことを数年かけて理解する。
然らば! 行動するしかあるまい。
(*6ω6)認知行動療法よ☆
予定が合わないというのはシンドいというのが改めてわかりました。それが合わなかったときに調節するのも負担だなーとも。
基本的に自分は予定が少ないほうだと思っているので、それでも予定が合わないとなるとモヤっとしてしまうんですねー。
こういうのも相性だなってやっぱり思ってしまいます。
それなのに予定が合わないと、こちらが忙しいことにされてしまうことにもモヤっとしてしまいます。
見えない力やスピリチュアルを信じているわけではありませんが、相性だと思わないところに相性の良さって隠れていて、それは偶然じゃなくて予定が合わないことで色々なことを顕にしてるだけなんじゃないかなって思うのです。
同級生とか同年代より20年くらい遅れて生きている感覚がある
障害物を取り除くのに時間がかかってアイテム拾いが遅れたみたいな感じ
今からでも自分なりの良い道を歩いていけるといいな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
調べ物していたら、日本最後の色々をまとめたウィキペディアが出てきて面白かったので、お時間のある方はどうぞ。
気がついたら私しかいないというのも中々好きな展開です。
誰かに何かを聞いてもらいたいっていうのももちろんありますが、自由でいたいっていうのも大きいのだと思います。
だから1人でいる時間が苦にならないし、むしろそれを求めている部分があるんですよね。
だから私しかいないという状況でも、それはそれでって思えていたりするのが私の強味なのかな?ということにしておきます。
少人数制とか利用人数が少ないとか、一見良さそうに思えるんですけど、その中で合わない人がいたら大勢いる環境よりも疲れるのは確かですよね。少人数だからこそ合わない人とのセッションが長くなり、最後までハモらないままお互いの存在を煙たがってすごしていくのは苦の中の苦ですね。
だから誰もいないという状況は感情は自分のままに放出する解放感を味わい続けることが出来てお得なんですよね。
こんなに誰もいない状況なら最初から表に出てゆっくりしてもいいかな〜なんて油断したいんですけど、本音は餌食にされやすいので今のままが丁度いいんでしょうね。
そういう場所を自分が経営者でも管理人でもないけど、守っていこうと思っているのです。
そこにいる周りの誰にもトゲを刺さない本音で、付近の人の本音を餌に食事しないのであれば、他の人の本音にたまに触れたい部分もあるんですけどね。とりあえず今の感じは今の感じで良いと思うのです。
歌は、私の生活に欠かせないもの。プロを目指すわけではないけれど、歌わないと、私の歌声は確実に衰えていく。
時の流れと共に声質は変わっていくけれど、歌い続けることで、今の私にしか歌えない歌がきっと見つかる。歌うことを辞めてしまえば、また一から始めなければならない。それは、あまりにも大変なことだ。