自分が何かに役に立ってるという感覚が生まれてからずっとない。
育ってきた環境のせいもちろんある。両親は私を役に立たないと何度も思っていただろう。
働いても、結婚しても、子ども産んでも、誰かの役に立ってるという感覚が全然ない。
最初に書いたように育ってきた環境のせいは本当にあると思う。父親にいたっては「役に立たない!」と直接言ってきたこともあるし、母は父親のような直接的な言動はなくとも、私の物理解の悪さにイライラしていたし、私にお金をかけたくないのも役に立たないと思っていたからだろう。
両親の目の届かないところにいても、役に立たない自分がいるのだ。役に立つ立たないを考えなくてもいいのかもしれないけど、最近よく考えてしまう。私は役に立ってないなーと。
でも、ただの細胞なのになぜ役に立たなきゃならないのか。そんな気持ちを盾になんとか生きてきたけど、別に役に立たない細胞だしな⋯とまた戻ってくる
働いても社会のためになってる気はしなかった。私いらないなーなんて必ずどこかでも思って、そして辞める。
少子化。だからこども2人産んでたら、国のために産んだわけじゃなくとも、役に立っているはずなのに全然。子どもが悪いとかではなくて、私の視点で見るだけの話。この辺りの表現は難しいけど。子ども産んだのになんか居づらい感じ。けっこう体験してきた。なんだろう、あの感覚。わかる人いるかな?
まだ子育て中の身だから達成感なんてなくて当然なのかもしれないが、少子化の世の中で産んでも何の賞賛もされないし、賞賛されたいから産んだわけじゃないけど、私が勝手に産んだんだから!と言われて放置されてる感覚はずっとある。
私が親として役に立ってないって思いもある。普通に出来ることが出来ない人間という自覚はあるので、そんな私が親になっても役に立つことなんかできっこないのだ。
あー。私はずっと役に立たないまま何をしてもそう感じて生きていくのかな。別に誰かのためになりたいって思ったことがないかもしれない。子どもは確かに自分が産んだからやれることは、やってるつもりだけど、普通の親としてはたぶん足りないんだろうな。役に立つ人生とはなんなんだろう。
こっちから頼んでないのに「アレ、買ってきてあげようか?」と言われてお願いしたら。アレを買ってくるのを忘れてるんだよね。買って来てくれるっていうから買ってこなかったのになー。しかも私から頼んでない⋯ってなる。微妙なモヤモヤ。けっこうそんなことがありがち。
「私は温かく見守ってる」というのをわざわざ主張するところが怖いんです。
それは温かく見守ってることになるんですかね?
おなかすいたな。
どういう意味の「偏り」という意味で使っているのかわからないけど、ピザは栄養的なことなら偏ってるだろうし、大きさのことならぴったり平等なんてありえないんです。
ピザに準えてウマいこと言おうとしてるけど、それこそが偏ってます。
いつ?が決まらないと、どこ?も何を?どうやって?を決めることが出来ないことってたくさんあるよね?と実感する。この順番を変えると結局いつ?が合わなくて疲弊する。
いつ?が決まらないのはなぜ?なんだろう。という疑問が多く残る。
昔、友達3人で1泊2日の旅行に行くことを決めた。どっちかというと私は誘われて、いいね〜と同意した感じだった。どこ?と何を?が先に決まり、そこで着る水着も一緒に買いに行こうということで買いに行った。
でも、いつ?が曲者でなかなか決まらなかった。他の2人が他の友達と旅行やら何やらあって決まらない。
私はというと、調整出来そうな予定ばかりだったが、1日だけ観たいライブがあって、もうチケットも手配していた。
そのライブ以外ならいつでもOKと言っていたのに、そのライブの日を出発日にすれば、皆の予定が合うという状況になった。
正式には友達の他の旅行があるから、空いてるといっても旅行から帰宅して次の日にまた別の旅行に行くことになるからという理由だった。
あの時の微妙な雰囲気、もう20年以上前だけど物凄く強烈で忘れることが出来ない。もう水着も買ってしまったし、私はほとんど予定がないのだから、じゃあライブ行くのやめるね?なんて絶対言いたくなかったから引かなかった。
結局、友達が次の日も過密スケジュールで旅行に行くということで落ち着いたけど、なんか後味悪かったなーと。
今も連絡は取れるけど、あれが最初で最後の旅行かな。もう私もあんな思いするなら行きたくない。
で、最初の話に戻ると、いつ?を最初に決めておけば発生しなかった靄だったよなと思う。何かを誰かとするときは、いつ?が最優先されるの、こんな経験からも来ているのだろう。
いつ?がスムーズに決まることが一番相性を探る上で参考になるし、大事なんだよなーと。なぜ?が増えない関係。どんな関係もそれを一番大事にしたいので、いつ?を先頭に考えていきたい。いつ?をどう調整するか?合わないときもどう対応するか?が一番見えやすい⋯。今度はいつにする?
土日 私は引きこもっていた。
同居人は土日でかけていた。
土曜日は趣味。
日曜日は仕事。
出張も兼ねているので、いただいたお土産を渡された。
帰ってきたとき、私はキッチンにいて、おかえりーと声をかけた。(姿は見ていない)
そのまま自室へ行き、荷物を片付け お風呂へ直行。
なんかさ、私の顔を見ずにお風呂へ行かれたことが悲しいのよ。
玄関へ出迎えればよかったのかな。
お風呂から上がって、お土産の話したけど、
そういえば 彼の顔見てないや。
ずっとそんな感じ。
なんのための夫婦なんだろうね。
彼にとっては、今の生活は快適なんだろうな。
私は消えたいよ。
なんかずれてるんだよね。
問題はそこではない、そういう話じゃないんだ。
どうにもあわない。
井の中の蛙って感じだな。
先週、髪切ったら前髪がちょうど目にあたるのでかゆい。
でも、すぐにはそれのせいだとは気が付かなかった。
そういうもんである。
オンラインで仕事してるけど、待機時間が長すぎてウンザリ。
お客さん 誰も来なくても時給は発生するし、監視されてるわけでないので 自由に過ごせばいいんだろうけどいつ 呼ばれるかわからないので 落ち着かない。
忙しいのも辛いけど、私は暇すぎる方が辛いことを久々に思い出した。
在宅だから同じ 暇でもオフィスで 待機よりはずっと 楽なんだけど自分の存在意義 まで 疑いそうになってしまう。
病みかけてる。
お客さん来てくれればいい仕事するよー?
cutesyってわざとらしい可愛さ、みたいなニュアンスで使う言葉らしいです。
あざといとか、ぶりっ子とか冷ややかな意味で使われることが多いみたいですね。
なんでも過ぎると、キューティジーに見えちゃうから気をつけないと。まあ、大丈夫か、心配しなくても。