2026.09.16Wed
非表示 18:48

公私共にそれぞれの方面から 心乱されることが重なったので、自分を励ますべく、梨買って帰った。
あったかい鍋焼きうどんも一緒。

体が冷えてて、外出先のトイレの便座の暖かさにふわぁっと心が解けたし。
あったかいものが食べたかったんだよ。

梨は子供の頃、祖父が毎年ダンボール いっぱいに購入していた。
それをまあ、毎日ガツガツ食べてたわけで。

今スーパーで梨は安くても200円ぐらいするのを見ると、買えなくはないんだけど、思わず小松菜とか代わりに買っちゃうよね。

あー、当時の私を叱り飛ばしてやりたい。
物の価値 お金の価値がわかるようになる頃に、祖父はもういない。
本当に可愛がってもらった。

おじいちゃん。
もうすぐ誕生日だね。
また会いたいよ。
梨、一緒に食べたいよ。


非表示 17:40

Nisshi 難民が生息している場所として https://sizu.me/ を見つけた。
「しずかなインターネット」という名称の通り、ひっそりとした雰囲気。
Nisshi II ほど極端な匿名性ではないのもかつての Nisshi に近いかも。


非表示 17:36

気になるけど、味もわからないし買っても使いきれるかわらないスパイス、結局買わなかったんだーって話したら、次の日買ってきてくれた。優しいけど、それは違う、あまり嬉しくなかった。


非表示 11:23

冷蔵庫が壊れた方の日誌を読んで、「うわー、奇遇ぅぅ」と思った。

うちも。

正確には壊れかけのレイズォコ。(伝われ~)

なんかね、ときどき「あれ?氷がちょっと緩んでるかんじ?」とか「ちょっと飲み物汗かいてるな……」とかあったの。

やばいんじゃない?これカウントダウンはじまってない?って。
製造年見たら「2007年」……うん。よく頑張った。世の中にはもっとご長寿冷蔵庫もあるだろうけど、うちはもうよぼよぼだったね。

んで、某家電量販店に行ってわりとさっくり「あらいいじゃない」っていうのが見つかったんだけど、搬入見積りで発覚したのは「入らない」という無情の宣告。

狭小住宅が牙をむくぅぅ。
二階のリビングまでの狭い螺旋階段がね最終ダンジョンでね。
目の前に電線あるから、クレーンも使えない。

わたくし、この日から電線地中化派に転向しました。ええ。今までは中立派でした。

容量、サイズを加味したら、一種類しかなかった。

需要の低いサイズも作ってくれてありがとう某メーカーさん。
我が家にはピンポイントでした。

これより下は単身者サイズになってしまう。
食べ盛りの子がいなくてよかった……。食べ盛りのおじさんとおばさん二人で良かった……。

お店に実物がなかったので、一旦保留して、ご近所の別の量販店へ。
実物発見。うむ。使い勝手もそう悪くない。

と、一軒目の量販店に戻る。

先ほどの店員さんに「恥ずかしながら戻ってまいりました」をして、購入。

だって、なんかご機嫌な店員さんで楽しそうに商品探してくれてさ。パンフレット漁りまくって「これだぁ!」って見つけてくれたからさ。
その人から買いたいなって。

新婚時代から使ってる冷蔵庫だったので、搬出日は夫しんみりして、冷蔵庫に抱擁してねぎらってた。
私もあらゆる角度からその雄姿をフォトにおさめ、夫ごと冷蔵庫に抱擁。

果たしてこの冷蔵庫が壊れた時、ちょうどいいサイズは売っているのでしょうか。

その答えは20年後。


非表示 10:57

金縛りにあった時は「んんぬぬぬぬぅぅんつぁぁぁ!!」と無理やり体を動かす。
私は、金縛りに関しては心霊的原因は信じていない。頭覚醒、身体就寝説推し。

そして、隣で寝ている夫の手を繋いだり、肩に触ったりしてもう一度寝る。
そうすると再発しない。
身体が「休んでいいんだ」と判断するんだと思う。

出張で夫が不在の時は、何度か金縛る。

来月の出張時、金縛りませんように。


非表示 10:29

あー食材が無駄になる⋯
もう胃が限界なので食べられません。
冷蔵庫カムバック
罪のないアイスが溶けるのが悲しい


非表示 06:05

ここを使ってる人の何人かはかつてあったNisshiというところに書いてた人たちだと思う。
Nisshiがなくなる時に代わりとなる場所をみんなで探して散って行ってしまった人たちの何人かはここに戻ってきているのかも。
ShortNoteがNisshi難民を受け入れてくれたけど、そのShortNoteもnoteに移管されて今は消滅してしまったし。
静かに言葉を綴りたい人の居場所は案外少ない。


非表示 05:59

よくわからないけど、不意に思い出した。
小3くらいのときに母と何か言い争いになって、お決まりのうちの子どもじゃないとか、産んでないとか言われたんだと思う。ハッキリとは覚えてないけど。それで、私が反抗して、ここの子どもだもん!と主張して、母にその証拠は?と問われたときに「アルバムだ!」と言ったのをなぜか思いだした。
確かにアルバムにはわたしが赤ちゃんの頃からの軌跡が乗ってますが、アルバムにいるからって、私がホントの子どもだという確信なんてあるわけないのに、なぜかあの頃はアルバムが一番強い証拠だと思ってたんですよね。
アルバムの中では、私はとても良い可愛がられて愛情込められて育てられてるようにみえる。待ち望んで生まれてきたように見える。
でも実際は違うんだよなー。育てにくい子どもだったとか、弟はぴったりくっついてくるけど、私は逃げまくって泣いて疲れたとか。そもそも、まだ子ども出来ると思わなかったからドーノコーノとか⋯ある程度大きくなったころは金がかかる、お金がない、アンタなんか別にどこの高校でもいいでしょ?は?大学?あんたが?⋯みたいな感じだったし。
アルバムには、それが残っていないんですよね。残したい部分を残したいようにしかしていないから。
こんなに大切に育てられたんだ〜と思う人はアルバムを見て、今までのことが答え合わせのように浮かび上がってきているだけです。それはたぶん幸せなんでしょうね。


非表示 00:20

別にいいねを求めて日記を書いてるわけではないけど。
個人的に有意義に使えなかった、怠惰な一日を共有する。
後日覗きに来る。
いいねが1つでも、2つでもついてたら、やっぱりちょっと嬉しい。
意味のなかった一日に、少しだけ意味を見出して、色を付けれた気分。
結局は自分の心を少しでも軽くしたいのです。


非表示 00:12

ふと思ったんだけど、ここを使っている人って、たぶん思っているより多くない気がする。
文面から見える癖、雰囲気、似通っている。
どこにいる、何歳の、どんな人がこの文を読んでいるんだろう。
想像して、心がふわふわして、今日も寝れない。

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