「あぁ、私しかいない」そう気づいた瞬間の、あの胸がすくような感覚。結局、私は一人が好きなのだ。寂しさよりも自由が勝る。独りでいることを「強味」だなんて言い張って、自分を納得させている部分もあるけれど、あながち間違いじゃない。
「少人数でアットホーム」なんて言葉に騙されてはいけない。そこで合わない奴と二人きりになったら、それこそ地獄だ。ハモらないメロディを延々と聞かされるような、あのじっとりとした疲れ。それに比べれば、誰もいない静寂の中で自分を解き放つほうが、ずっとお得で、ずっと健全だ。
本当はもっと油断して、日向ぼっこでもするみたいに本音を広げたい。でも、不用意にさらした柔らかい部分は、すぐに誰かの獲物にされてしまう。だから、今のこの「少し壁を作った状態」がちょうどいい。私はこの静かな場所の、名もなき守護者でいようと思う。誰かを傷つけず、誰かの心を奪いもしない、そんな綺麗な本音にだけ会える日を心の隅で期待しながら。
ああ、昔こんな依存したことあったかもなと。
ある本を読んでそう思いました。
私の中で、その人や出来事は汚点と呼んで消化しているので、なんともないですが。
ただなんで、あんなに執着していたんだろうと思うと自分が気持ち悪いです。
ある小説、まだ読んでいる途中の感想だけど、家族との関係って結局は外との関係に影響を及ぼすんだなと感じてしまった。
家族との関係性をトラウマのように思っていたとしても、それを吐き出すと周りからは"終わったこと“とされてしまう無情さ。
以前、同じ作家の他の小説も読んだことがあるけれど、自分の苦しみを自分のペースで苦しむことを周りは認めない、それが結局は一番苦しいという表現が秀逸だったような。
病気になったことをいつまでも言ってるな、もう終わったことという表現だったかな?確か。一字一句正しく覚えているわけではないけど⋯
終わったことがどうかを他人が決めることの残酷さってありますよね。私も両親に対して思うことがたくさんあるし、年齢的には人生あと半分くらいのところまできたのに、まだ終わらないし、むしろ自分の年齢をかさねたからこそ本当の意味での答えが出ることがあって苦しいですよ。
きっと人間は自分で苦しみが終わったかどうかを自分できめられないことが一番苦しいんじゃないのかと感じます。
“終わったこと"なんて、ないのかもしれない。
食べ過ぎて腹痛に⋯
久しぶりに正露丸飲みました。
独自の匂いだ。
治った気がする。
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知らないうちに寝てしまった。
これが最高。
でも、一人で家にいたい。
なんか疲れた。
やることはあるけど、それはやりたくない
・私がこうなったのは突き詰めれば親のせい
・人のせいにするなと言われても、原因が人のせいだからしょうがない
・人にしょうもない冗談を言って不快にさせてくる奴ほど、冗談が通じない
・愚痴を聞きたくないのではなく、"あなた“の愚痴は聞きたくないということ
・読書していても視野は拡がらない。解釈したいように解釈するだけ。
・ちなみに本を読むのは好きだけど、解釈したいようにするから楽しいのよ読書は。
・あの頃良かったなーと思っても、あの頃と同じことを現在してもつまらない
・男に媚びてると言うやつほど女を使って生きてる
・そもそも、そこまでみんな媚びてない
・勉強が出来なくても生きて来られたと思うのは勉強してこなかったから周りに見えていない
・私も勉強できないけど、そこは区別してるからマシかな?
・私のどこが良かったんだろうね、どうせ他に目移りするくせに。
・自分が嫌いな人を好きな人は要注意
箇条書きするとナンノコッチャ?だけど、思っていることをポンポン書けていいなとも思う。
とりあえずまだ脳は忙しい
そういえば最近、スマホのあのゲームやってないな⋯
単純に飽きたというのあるけど、LINEをいれてるだけで同じゲームをインストールしてる人がわかってしまって、ゲームのエナジーみたいなのを送り合うのも面倒だし、関わりたくない親戚のオバサンもゲームをやっていて、勝手にエナジーを送ってくるのが嫌だった。
でも、もうゲームやめたから関係ないか。まだインストールしたままだけど。アンインストールしても別にももういいかな?と思ってる。広告出てきたありがちなゲームのほうが楽しい。自分のペースで出来て誰かにエナジーを贈るとか、誰がゲームやってるやってないかとかわからないほうがいい。
勧めてきたきょうだいももうやってないだろう。久しぶりにログインだけはしてみるか。
寝すぎて頭痛かったのかと思ってたけど、体調悪いから寝すぎただけなのかもしれない。寝ても寝なくても頭痛はやってきたのかもしれない。
最近、体調悪いのか通常のダラシなさなのか判断出来ないときがあるなー
「お父さん、機嫌悪い」
こんなメールが母から送られてきたことが何度かある。
昔は父が機嫌悪いから気をつけてって意味だけだと思っていたけど、これ、本当は「お父さん、機嫌悪いから怒らせないで」って意味のほうが大きいんだと思う。
普段、意味不明な理由で父から怒鳴られていて、家庭の雰囲気も悪くなることがたびたびあった。下のきょうだいよりも私がそのターゲットになることがほとんどだ。
意味不明な理由で怒っているから、私が怒らせているわけではない。私を怒りたいから理由をつけて怒っているだけだった。
周りはそんな父が一番悪いと感じつつも、どういうわけだか、私が父を刺激して怒らせているという空気感を纏いだす。
だから父が理不尽の理由で私に怒っても、私が怒らせたとしてしまったほうが楽だからだ。
この空気感、家庭以外でも起こりやすいなって思う。悪いのはあなたじゃないけど⋯あなたがうまくやればここは平和なのに⋯と言いたい感じの空気感。
こうやって家庭で染み付いたターゲット感は外でも継続されて、居場所がなくなるんだよね。
それがわかってるから新しい人間関係や、複数の人間関係を築くのが億劫。もう、わかってるから。でも私はターゲットではありません。
自分が高校生のころはテスト終わったらカラオケとか行っていたけど、そんなの全然しない子はしないんだろうね。
高校生のころなんて四半世紀前だけど、まあ、人それぞれなんだろうね。毎日遊んでたわけでもないのに、毎日遊んでたみたいに記憶が残ってるのが不思議。
よくよく思い出したら、1秒でも早く帰宅するために頑張ってたわ。それが私の本質かな。