菱の実がスーパーで売ってた。
人生で初めて遭遇したので軽い驚きを感じつつ、調べると茹でて中身を食べる、栗や芋みたいで美味しいとあったので好奇心で買ってみた。
ちなみに1パック298円(税別)で思ったより安かったってのもある。更に2割引き品を買った。
最近は何でもかんでも蒸してるので今回も蒸してみた。
まずは塩水に漬けて30分あく抜き。その後30分位茹でるとあったので、とりあえずそれプラス10分位蒸してみた。
熱々のものは割と皮がペロリと剥けたし、中身も火が通ってたから冷めるの待ったらそれが失敗だった。
かったいのなんのって!! 全く包丁通らない!
さっきのペロリは何だったんだ…熱いうちじゃなきゃダメだった?と思い蒸し直し。
熱々だと殆ど手で2つに割れたけど、そうじゃないのもあった。
2つに割れたら中身押し出し。あの最初のペロリと剥けたの何だったの?ってくらいとにかく皮硬い。
それに反して中の実の柔らかさとホクホクさと言ったら! 私は好きだわこれ。
水栗との別称があるくらいなので確かに食感は栗に似てた。
栗? 芋? 百合根? くわい? なんかどれとも似てるようで違うようなホクホク食感。
癖もなくて食べやすい。これはいいな!
まあ若干手間はかかるけど蒸したらいいだけなので私は平気。
栗食べるより断然楽だし安いから。
ただ、出会えない。ホントに初めて見かけたからなぁ。採って来れる池もないしね。また見かけたら買いたいな。
あ~~~~~~~~~~~~~~~やっと!!やっと!!やりました!!
モラハラ男と本当に切れました!!!
理想像を押し付け合ってると気づいた。
人を貶す傾向が強くて、自分を愛してくれる人じゃないとイヤイヤ!!みたいな素振りを「言葉」じゃなくて「態度」で表そうとする人だった。
離れようとすれば、駄々をこねる。
攻撃する。
話し合いの末に「じゃあ合わないね、そっと離れて、遠くからお互いを見守るような、そういうフレになろうね」と伝えたけど「わかった!!!」と言った口で「連絡や反応がないじゃないか!!!!」と切れてきた。わかったとは?
どうやら彼の中にある「理想像」とは、そばにいて話さなくても自分の動向がすべて把握できてかつ束縛もせず利用できる価値のある人、であるようだった。
もうパンクした。
大人な距離の持ち方をぜんぜん理解しようとしない。
利用できなければ繋がる価値なしと思うようだった。あんなに心を砕いて尽くしたのに、それも彼の中では「俺が好きなら当然」とばかり。たまにプレゼントはくれたが、今思えばモラハラ男特有の「俺の選んだもので満足して最高に支配欲を満たしてくれる瞬間」がほしいだけだった。その証拠にあまりに高いものや、節目として渡されるものについても、金銭的理由でお返しができないからいらない事や、平等な気分ではなくなってしまうことや、お返しをしないのは大人として礼儀に欠ける自分を見ることになるから嫌だ、と何度も伝えたにも関わらず、何も理解してなかった。
何度も何度も、私の気持ちや考え、価値観を理解して、私を道具のように扱わないようにしてくれと懇願したけど、だめだった。最後の最後まで。
貰ったものが山積みである。
キャンドルに、かわいい紅茶缶に入った紅茶、入浴剤、シーリングスタンプセットに、高価なデジタル機器。
でも何だろう、物を貰ってもちっとも満たされなかった。
人間性がモラハラ気質であることを認めて反省してほしかったから。
でも人間性のコントロールというのは非常に難しいから、普通は諦めて離れるのだということもまた学んだ。
人間性って何を悪とするかの基準性?のような気がする。
転売も良しとしてたし、過去のいじめに対して笑いながら俺は遊んでるつもりだったと言い、相手が転校までしたという事実を重く受け止めてないような人だった。
年齢、たしか37くらいだった思う。逮捕されなければいいと思ってた気がする。
4年も何をやってたんだ私。
いま少しずつ自分に戻る訓練をしている。頑張ります。
ミス自体に怒っているわけじゃないんです。仕事に失敗はつきもの。それは重々承知しています。
でも、本当に不満を感じるのは、その後の対応なんですよね。
周りの皆さんはミスした人に対して「一人で色々抱えすぎだよ」「やり方が違う業務を同時にこなしてるんだから、ミスがあっても仕方ないよ」って、優しくフォローしていますが。
ただ、私が伝えたいのは、そこじゃないんですよ。
必要なのは、「それは間違いでした。次回からはこの手順でお願いします」という、たったそれだけの、シンプルで明確なフィードバックなんです。
正直、何度間違えてもいいんです。その代わり、その都度、必ず私に教えてほしい。
ミスが原因で仕様や手順が変わることなんて、どんな仕事でもありますよね。なのに、その変更をいちいち報告してくれないと、こっちは状況が全く把握できないままなんです。
それをまるでエスパーみたいに察して動かなきゃいけない今の状況に、本当にものすごくストレスを感じています。
きっと、ミスをしても、誰かが当たり前のようにカバーしてくれて、特に苦労せずキャリアを積んできたんだろうなぁ…と感じてしまうと、正直、苛立ちを通り越して、ちょっと羨ましい気持ちになります。
私は地道にやるべきことを確実に進めていくしかない人生なんだろうな、って思うんです。でも、本当は一度でいいから、適当にやっても、周りの優しいエスパーみたいな人たちにフォローされながら、気楽に仕事をしてみたいですね。
私は、残念ながら、そんな優しいエスパーにはなれそうにないんですけどね…。
距離感がオカシイ人って妙にフレンドリーだったりしますよね。
フレンドリーだから良い人ってわけじゃないのを改めて実感しました。
近所で働いていたときに一緒だったバイトの子が、また近所の別の店で働いている。それは別にいいとして、私、このバイト嫌いというか、苦手なんですよね。
それで、あのバイトが働いている近所の店に行ったら、ヤツがいる日だったんですよね。うわっと思ったけど、目も合わせず欲しいものだけ買ってセルフレジにしたのに、わざわざセルフレジ周辺に溜まったカゴを1個だけ回収するという謎行為に出てきました。自分からは声をかけないけど、私から存在に気づいてあげて「久しぶり〜」とか言って欲しかったのだろうと推察してしまいます。違うといいんですが。
そうそう、そういうところが苦手だったんです。謎に距離が近くてフレンドリーさを勘違いしてるところが。
もちろん、私は一切目を合わせず気がつかないふりして帰りましたけど、あのわざわざそのタイミングでやらなくていいことをやってきて、こっちが避けてるのに来るところが一緒に働いているときもすっごい苦手だった。
私よりは若いといっても、大学生であの距離感の取れなさ。若さを差し引いてもちょっと気持ち悪くて。淡々と仕事以外の話をしないようとすると、こっちから話しかけませんから!と謎の宣戦布告?をされるというめんどくささ。そんなこともありましたね。
最初気がついたとき、また近所で働いているのかと。近所で働くのは私もやってたことだからあまり悪くは言えないとはいえ、アイツがいると買い物したくないな。店自体は気に入ってるのに。
こっちから話しかけませんから!という宣戦布告を覚えていて、私から話しかけるようにまだ待っているとしたら控えめに言ってキモチワルイな。大丈夫、私からは話かけることはありません。ただ気に入っているものが売っているので行きますが。
振り返ってみると、うちの両親は、一見すると「子どもの意見を尊重する」という体裁を取り繕っていたが、実態はただの「放任主義」だったのではないかと、この歳になってつくづくそう思う。
そして何より、単純にケチだった。子どもに対する金銭的な投資を極力避けたい、という意志を当時の自分は肌で感じていた。
だからといって、塾に行きたいと「言えなかった」わけではない。それは自分の意思だったのだ。
もし強く要望していれば、多分行かせてくれただろう。ただ、問題はその後だ。もし塾に通っても目に見える成果が出なかった場合、「金をかけたのに」という呪いの言葉を、それこそ呪文のように聞かされ続けることは容易に想像できた。
そう考えれば、結果的に塾に行かなかったのは、今でも正解だったと確信している。
なぜ、今さらこんな昔話を引っ張り出してきたかというと、先日、たまたまこんな会話を耳にしたからだ。
「うちの子は、塾に行っても成績が上がらないし、本人にやる気もないから、お金を溝に捨てているようなものだ」
耳の痛い話だが、ふと変なことを思った。
子どもが勉強して点数が上がるということよりも、親が塾に行かせ、成果がすぐに出なくても「辛抱強くそのお金を溝に捨ててくれた」と、何十年も経った後に子どもが感謝の気持ちを抱いてくれたならそれこそ親の勝利なのではないか、と。
親にとっての教育投資とは、即効性のあるリターンを求めるものではなく、子どもへの信頼と忍耐を形にしたもの。その「忍耐の証」が、後に子どもの心に響けば、それで十分なのではないか。
心配だから隠すのは正解だと思うけど、赤ちゃんの顔をスタンプで隠された途端、なんか可愛さや成長ぶりがこっち側には伝わって来なくなってしまってもう見なくていいかな?と思ってしまいました。
やっぱり表情を知るって大事ですよね。でもSNS上にあげるなら隠すのが正しいと思うし、難しいですね。
意味あるのかわからないけどインフルエンザの予防接種を毎年してます。
ちょっと高いんだよねーでも、なんか毎年してるしな⋯
予定合わないのはしょうがないことなんですが、私に対する優先順位が低いんだなーってわかる予定の合わなさってわかりますよね。昔はそんな雰囲気に気がついたら悲しかったですけど、もうそれなら誰とも約束しなくていいか〜なんて思っていたら自然と楽になりました。
現在シジュー近辺の年齢ですが、約束するって、本当に疲れるんですよね。だからこそ予定が合わなかったときの態度とか雰囲気とかすごく大事なんですよね。
今まで色々な約束をしてきましたけど、絶対この日しか無理!で言葉は柔らかいけど合わせようという気のない子や、私が決まってた予定が空けばみんなぴったり合うのに⋯という誰も言わないけどその重苦しいオーラがメール上に漂っていたり⋯
私、あまり予定がなくて、予定の門扉が広いほうなんですよ。1カ月でいうと1日とか2日しか予定がない感じ。だからこそ予定が合わないとシンドくて。こんなに空いてるのに合わないとかシンドい。さすがにここまできたら私以外の人がどうにか調節してね⋯って思ってしまう。その1日や2日の予定さえ空けば⋯って私に調節させようとしてくるのもしんどいです。
自分が調節してまで私に会いたくないのかーその程度かーじゃあなんで誘うのー?とか色々考えるの面倒になってきて。私は予定の門扉は広いのでこれ以上合わせようがないし、シンドい⋯
だから予定がすぐ決まるとそれだけで嬉しい。この会合は幸先が良い、絶対楽しいって思えるのは、こういう経験から来てますよね。ヒッシにやり取りしてようやく決まった会合がなんか微妙だった⋯ってこともけっこうあります。労力かけたのに楽しくない⋯って⋯
楽しいことってトントン拍子なんですよね。だからこそわざわざ約束がしんどい。もうグループで予定合わせてとか本当に無理だと思います。数少ない予定がすぐ決まる友達に連絡したい気持ちもあるけど、それでもアクションおこして約束取り付けるまで何があるかわからないから動けない。1人遊びで満足しちゃうのはこういうことのもあるからだなと。でもちょっとは気になってます。元気ですか?
感情を抑えるのが大人。なのかもしれないですが、やっぱり自分を守るためには有害さも出していかないといけないよね?と自称無害の面倒な私が言っておきますよー