最近、仕事がとても楽です。パートなんだけど実質仕事してないかも。雇い止め状態で週一しか仕事してない。
それで時給もらえるのはありがたいんだけど、そろそろ仕事みたいな事を探してやるのも限界に近くなって来た。
いや、ありがたいけど不安でもある。難しいね。
昨日の夜、認知症の父が大声出して暴れてると連絡あった。
すぐには行けないので今週末に様子見に行くとは伝えたものの、
私も休みが1日しかないから、これで休みつぶれちゃうなって思うと気持ちしんどい。
冷たいかもしれないけど親といえど勘弁してほしい。
休みの少ない職場にいます。
給料サブスクだなと気がついて、
ま、適当に仕事して帰ればええかと思うようになりました。
がんばったところで手取りが増えるわけもなく、
増えたと物価高に追いつかん。
適当、適当。
会社は私のもんじゃないから知らん。
読書をしている期間は、自分のなかで言葉遣いが丁寧になる。その感覚が好きだ。
5分でもいいから、毎日続けたいと思う娯楽の一つ。
今餃子焼いてる。
これは昼ごはんです。
朝ごはんは食べてます。
お腹すいた。
もう我慢できない。
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洗濯物を干すのをテキパキ出来ない。
雨降ってなくとも乾燥機能使うこともしばしば。
本当は洗たく機の乾燥機能ではなくて、ガスの乾燥機がほしいわ〜
ネットを見てると、どうしても他人の争いが目に入って来てくる。これは違うだの、間違ってるだの。
当然、なんてことない普通の投稿も攻撃対象になる。“何が"悪いのじゃなくて、“誰が"言ってるかが極めて重要視されてるなと感じる。だからこそ、なんでこれがダメなの?という投稿にも当然槍が入れられる。最もらしい理由つけて。
最近だと、〇〇出来ない人の気持ち、考えたことあるんですか?という構文。これは例えになるけど、りんごの投稿をしたら、歯がない人の気持ち考えたことありますか?という槍を投げる。
正直、害がないからって何を載せてもいいとは私も思わないし、誰もモヤッとしない部分でモヤッとしてしまう気持ちもわからなくはない。だけど、この構文の槍を投げられたら人は本当に何も言えなくなってしまうなと。
でも、今日言いたいことはそれじゃない。
みんなその槍はおかしいと守ってくれていた。最初の投稿主の前に盾を持ち、それはあなたの解釈がおかしいと槍を投げ返す。多くの人が味方だ。「ソンナコトイッテタラナニモトウコウデキナイ」という言葉を添えながら。
そしてやがて、「ガンバッテルノニ」「ヤワラカイフンイキニナッター」「ムカシカラスキダッター」「カワイイシャシンダネー」とか今回の内容とは関係のない賞賛が加え始められる。
最初に意味不明な槍を投げてきたほうが悪いのだが、その結果、投げれた側評価がなぜか上がる。そういう評価益ってやっぱりあるよなーと。もちろん、不快な気分にさせられたことには同情するし、お気の毒とは本当に思うけど、思いがけない利益は羨ましいと感じてしまった。私が理不尽な槍を投げれても誰も気が付かず、「そうそうそれはあんたがわるいー」という場面しか記憶がない。だから、私も被害者になるなら旨味が欲しい。そうすれば理不尽さにも耐えられてきたんだろうな⋯
そんなことを考えてしまうくらい理不尽さにつきまとわれてる。
今日はいないみたいで嬉しかった。
嫌な人はスルーってわかるけど、やっぱりいるだけで嫌な人っているもんね。
不穏な空気は早めにキャッチ!
この行き場のない感情どうしたものか。
わたしは何者?
何者でもない。
ただ、いる。
大切にされたい。
されてるのかな。
されてるのだろうな。
わたしのわがままなんだろうな。
靴の裏に塗る靴補強材なるものを塗ってる。
見た目は悪いけど、靴の裏だからまあいいか。
靴の裏ってすぐにすり減る。