お菓子がどんどん小さくなっても「食べやすいサイズに改良しました」って言われると、私は食べにくいとか、そんな事言ってませんとなります。
でも、自分の都合を押し通すために、相手のことを慮るように見える言葉を持っておくのは生きるスキルなのかもしれません。
自分もそこそこ生きてきて思うこと。
若い時に出会った大人って大人だけど、変な人も多かったなということです。
自分がまともな大人になったからと言いたいわけじゃなくて、「大人」というフィルターがかかっているだけで、大人の人と見ようとしてあげてたことに、昔の自分の優しさを感じます。
もっとも身近な大人は親ですが、私は親をマトモな大人だとは思っていません。学校の先生も人たらしの元友人のえこひいきしてたなと。私もあの頃はたらされてるなんて思わないで仲良くしていたし、あの子が先生に好かれるのも当然なのかな?と納得していたのに。今ではあの子をひいきしていた先生に大人としての経験知が足りないから人の本質を見抜けなかったのでは?なんて思います。
その他、高校時代のバイト先の店長もだし、大学時代のバイト先で出会った年上のあの人、かなりキモいなと。あえて当時の私が使いそうな言葉でキモいと言ってみました。
大人で働いていて、その時だけ優しい言葉をかけてきて、あとは私を排泄物の処理のように使われてたという言い方にしときます。あの頃、親がマトモなふりをして理不尽な態度を私にしてきていたから悩んでた時期だったからな。
そんな感じで、今自分がマトモになったわけじゃないけど、あの頃出会った大人たち、今の年齢で出会ったら本当に受け付けないだろうなと感じます。
あの頃、ただ大人という服を着て世に放たれてた人たちは、今何をしているんでしょう。ただ、私の目の前には現れないで欲しい。でも、今の私なら現れたことにも気がつかないでいられそうです。違うタイプのマトモじゃない大人になりました。
『俺は何も思わない。
俺はもう自分から関わろうと思わない。
他の女と話してみて、情は消えた。
だから気を配る必要性はない。
たとえそっちが俺に情があろうが、感謝も関係を作り直す気持ちも何も。
だからそっちが勝手に消えればいい。』
5年、5年の終わりがこれ。
私以外の人と仲良くしないで、という危機感フラグをしっかり回収して、私たちの関係は実質おわった。
すぐに新しい人ができるよ、違う方へいってくれ。
そればかり言われた。
消えてやるっていう優しい選択はしてやれなかった。
生まれ変わったら、魅力ある人間になる努力を怠らない人生を歩みたい。
そうして彼に追われる夢を見る。
愛していた。私に生きる力をくれた君を。
愛を失ってばかりいた私に、愛を教えてくれた人。
さようなら、もうどこにもいない、私だけの人。
いつか、名前も忘れてしまう日が来るのを待つ。
飛行機には乗らないけど、空港付近で用事があったから、それまで空港の施設を見ていました。
外国人向けに抹茶関連のものがたくさんあって、お菓子を購入し、その場で抹茶ラテを飲みました。
旅行じゃないけど非日常感があって楽しかったです。
今日は久しぶりに寝坊した。寝坊と言ってもこの時間なんですが。
最近思っていることは、昔よりやっぱり老けたよなーと。出かけるのが面倒なんです。ドコドコ行こうとかあまり思わないし、食べてみたいものがあっても昔より食べられないし、とびきりマズいものもないけどとびきり美味しいものもそこまでないのかなと思ってきているところです。
でも、たまに珍しいものを食べると嬉しいし、美味しいのでほんのりと食べたい気持ちは持っておきたいと思います。
この間は、麺の面積が広めのうどんを食べました。つるつるとした喉越しで出汁も優しく美味しかったです。
そうそう、この店に辿り着くのにすごい時間を要しでしまった。
徒歩3分なのにわからなくて、地図難しいなと思いました。
あの頃は全部あげたいと思ってたけど、相手に対して受け取るなよ!と思ってしまう。
私は若かったけど、相手は若くなかったから、断われよ!と思ってしまう。
すごく昔のことだけどね。
最近、空きスペースがガチャガチャコーナーばかりになっててつまらない。
そればかりだとつまらないんですよねー
あー、もう、言葉が滑っていく感じが本当に疲れる。
こっちは「言葉そのもの」を投げてるんじゃなくて、その場の空気とか、ちょっとしたニュアンスを分かってほしいだけなのに。
「結局、独りで考えてるのが一番マシ」って結論になっちゃうけど、それって強がりなのかな、それとも諦めなのかな。
でも、誰にも邪魔されずに自分の言葉を大切にできる場所が、今は一番落ち着くんだよね。
その人が子持ちというだけで、論点が変わることが多くあるよね?と改めてて感じました。
子どもがいるのに、そんなところに行ってたんだ、そんな事をしてたんだ⋯とか平気で言う人がいる。
子どもを放置してるのではなくて、然るべきところに預けたり手配をしてるのに、大人が大人だけで楽しむことを非難する人がいるんですよね。
「子どもが可哀想」と言えば、何を言ってもいいと思っている。この層がとても厄介で絶滅してくれないかなと密かに念じています。
読んでみようかな?と思って途中まて読んでいた、とある児童向けの小説があります。
文章がやっぱり子ども向け過ぎて、逆に脳に入ってこないんですよね。
読んでみたかったけど、子ども向けのものは子どものときに読まないと意味ないのかなと思いました。
でも、子どもの頃、読書するタイプじゃなかったからなー