朝早くから 這いつくばって雑巾で床磨き。
中性洗剤で拭いたあと、さらに ワイパーで水拭き。
気がついたら玄関とトイレの床も磨いてたわ。
だいぶ すっきりしたかな。
片付けは得意でいつでも綺麗にしている。
が、掃除はあんま好きでない。
猫の毛が 綿ぼこりのように固まって舞うため、毎日フローリングワイパーで乾拭きをしてるけど床は汚れるんだよね。
何箇所も ゴシゴシ磨く羽目になって大変だった。
定期的に磨かなきゃいけないんだろうな。。
対策考えなきゃ
朝早くから 這いつくばって雑巾で床磨き。
中性洗剤で拭いたあと、さらに ワイパーで水拭き。
気がついたら玄関とトイレの床も磨いてたわ。
だいぶ すっきりしたかな。
片付けは得意でいつでも綺麗にしている。
が、掃除はあんま好きでない。
猫の毛が 綿ぼこりのように固まって舞うため、毎日フローリングワイパーで乾拭きをしてるけど床は汚れるんだよね。
何箇所も ゴシゴシ磨く羽目になって大変だった。
定期的に磨かなきゃいけないんだろうな。。
対策考えなきゃ
炭酸水って美味しい。
ただの水でも炭酸が入っているだけで美味しい。
自分にも炭酸を入れたら万能になるのかな?
ならないか。
以前父と会ったとき何気ない会話で「(子どものために)学資保険貯めてたよ〜」なんて言い出したけど、え?と思ったんです。貯めてたの?母が私への辛辣なお金ない〜あんたが大学に行くなんて〜居候!!という態度はなんだったの?本当に貯めてたの?と。
もちろん、学資保険だけで賄えるほどの金額ではないともわかってます。貯めてたから足りるというわけでもないけれど⋯
おそらく、途中で解約したか、それを教育以外の何かで使ったんだろうなと私は直感的に思ったのです。
確かに私は途中までは就職するかも?とも言っていたけど、それか短大か専門かな?といったように、まったく進学しないとも言及していなかったのですが⋯四年制大学とは考えていなかった時も正直あったけど⋯
「〇〇(私の名前)なんて、どこでもいいだろ?」「なんだっていいだろ?」こんなことも父はよく口にしていたし、私のことはどうだっていいと思っていただろうし、子どもにお金を使うくらいなら自分で使いたいタイプだから⋯
それと母の私への辛辣な態度は、結局は父に「〇〇なんかどうでもいい」の雰囲気に押されてしまったんだろうと。母もお金がかからないことが正義だし、教育にお金をかけるという価値観がない人だったから。
ここには書ききれないような、細かいエピソードが繋がって、直感的に思うことなんですよね。学資保険を貯めていたのは事実だから、そこはちゃんとアピールするのは父のやりそうなことだ。
確固たる証拠がなくとも、直感で思うことってだいたい当たってるんですよね。直感というと不思議な見えない力と解釈されそうですが、そこに辿り着くベースがあってそうなっているのです。
直感は正しいなんて言いますが、その直感、ちゃんと道筋ありますよ?なんて思うのです。
ネットが今ほど普及していなかった20年くらい前は、よく剥き出しの悪意を直接食らっていました
若かったし、太っていたのもあってか凄く舐められてて、知らない人にすれ違い様に笑われたり、同じ学校の人に「デーブー、デーブー、デーブーぽっちゃりー♪」なんて揶揄われたり…
悔しかったし、悲しかったし、辛かったですよ
ダイエットしたのは大学卒業する頃…遅すぎましたね
いま思うと、太っていなかったらいい青春送れていたのかなと思います
よく耐えていたなぁ…
もっともっともっとだらけたい。もっとだらけたいということは一応生きたいということになるのかな。生きるためにどれくらいの力を配分をしていけばいいか?ということをだらけたいという言い方にしてるだけ。私がキチンとしたいといったら自分を犠牲にして命を削ると言っているのと同じだから気を付けてあげてくださいって誰が見てるわけでもないんだけども。
ダラシなさを堂々と宣言するだけで心が軽くなりました。ダラシなさは生きることなのです。
現実を生きるといえば、昨日ライブに行ったんですよ。
MCでジョーク的なニュアンスで「みんなで歌いましょう」という話になったら、もう一人の演者が「いやいや、そういうのいいから」「現実を生きてるから」って言って否定してました。
それも全部MCのトークの予定調和のかもしれませんが、私、基本的にライブで歌わされたくないんですよね。曲が好きだし、口ずさみながら頭の中では歌いながらライブを鑑賞はしていますが⋯演者の歌唱を遮るようなデカい声では歌いませんよ、もちろん。
ただ、演者から歌わされるのは嫌なんですよね。だって、こっちはお金を払ってあなたたちの演奏や歌唱を聴きにきてるのに、なんで歌わなきゃならんのよとは思ってます。正直。
何組か贔屓にしてるバンドありますが、歌わされるバンドもあってちょっとそれはとは実は思ってました。掛け声とかゴー!とかイエー!とかそういうのはいいんですけど、けっこう歌わせてくるのは嫌だなーとは実は思ってるバンドがいます。曲も好きだし基本的にはライブパフォーマンスも好きだけど、ところどころ、そこも歌わせてくるんか?みたいのはある。さっきも書いたけどお約束のお約束のコーラスくらいはいいんですけどね⋯
で、昨日のバンドはそういうのいいからと言ってくれて全部自分でやってくれてて、ありがたいなと。そういえばあのバンドもあんまり歌わせることがないよなーとか自分の中で好きなバンドのパフォーマンスを振り返ったりしてました。
何を持って一体感なのかとか楽しいとか人それぞれですけど、私基本的に楽しくても距離感必要なのかもしれません。だからライブと友達のような感覚では付き合えないし、無理なのに歌わされるのが嫌だな。バンドと客。そこのみの関係。何組かライブ見てるとただ好きだから何やられてもOKじゃないって見えてきますよね。でも現実逃避したいからライブにも行くし、現実を生きてるには生きてるけど、そこにぴったり合う感覚が難しいですね。
で、今いらなくなったサコッシュを切り刻んで捨てた。
名前の刺繍されちゃってるから売れないし。
売るほどの高いものでもないんだけど、近所のショッピングモールに服など売れるところがあるからたまに持っていってるんだよね。稼ぐというか処分のつもりで。査定で待っている間に買い物出来るし便利だから。
だから刺繍されちゃってると困る。1人1人丁寧に感謝をこめてやったつもりなんだろうけど、そういうのいいから。それをやったら面倒なことこちら側にやらせてもチャラになる、チャラにした雰囲気が出せると思われてるところがイヤなんよ。
とにかく面倒なことをなくせば解決するの。何もないことを保ってくれるのが楽であり平和なんですよ。
私、薄情に映るのだろう。でも、これがリアル。私は現実を生きてるから使いやすいサコッシュにすぐ乗り換えるし、いらなくなったら捨てるんです。
さっそく新しいサコッシュ買って使いましたー
なんでもっと早く買わなかったんだろう⋯
コンパクトであることは正義みたいに言われるけど、小さすぎて使いにくかったら意味がない。
新しいものはサコッシュ独自の薄さと財布スマホ飲み物は入るくらいの余裕と仕切りがあるから良い。
やっぱり、こういうのは自分で選ばないとな。
腫れ物に触るように扱わないと言われても、腫れ物には腫れ物に対する扱いしか出来ないと思うんですよね。
勝手に腫れておきながら、いつも通りに接してあげるのが最適ってワガママすぎ。
いつも通り接しても、いつも通り返してくれないのに、なんでこちらばかりいつも通りにしなきゃならないのかな。
疲れる。
実際の物理的な腫れ物が出来たときは、触らないとか冷やすとか言われるのに、比喩的な腫れ物はいつも通りに接してあげてってアドバイスが多いの不思議。
比喩的な腫れ物も触らない、冷やすのが正解だと思うのです。
私、1人のときが一番ご機嫌かも。
ご機嫌になりたい。
あー自分のご機嫌をとりたい