「ポリシー」と 言挙げせねば 折れるほど 脆き芯なら 持たずともよし
これが私の矜持なの、ポリシーなの、誇りなの、と言いまくるあの人に違和感を覚えたな
「ポリシー」と 言挙げせねば 折れるほど 脆き芯なら 持たずともよし
これが私の矜持なの、ポリシーなの、誇りなの、と言いまくるあの人に違和感を覚えたな
福袋の開封の記事、見ちゃうよね〜
色々買ってみたいなと思うけど、1年後は忘れちゃうんだよね〜
毎年同じこと言ってる〜
自分の都合に合わせてくれる人がいい⋯
この一言だけだと、色々誤解を招くとは思うけど、とどのつまりは、みんなそうだとは思う。
適当にネットを流し見していたら「親になって、子どもが幼稚園に入り、親同士、話したことがないのに嫌われる世界があることを知った」みたいな書き込みが流れてきたのですが、これ、ホントあるんですよね。
幼稚園に子どもを入園させた4月の時点で他の保護者をメタメタに言っている人がいて、もう1人もそれに同調しているのが怖かったです。
上の子の保護者ネットワークで、悪口を言われている保護者を下の子もちょうど入園するから、そのままスライドして悪口入ってやろうみたいな感じでした。
自分が接して感じたものが負の部分だったから、悪口にも共感出来るとかじゃないんですよね。誰かが悪口言われいてたら、自分が何もされていなくても本気で嫌いになれる。それがなぜか子どもを通しての保護者どうしで起こってしまうのが不思議でした。
言ってしまえば自意識過剰と言われてしまうかもしれませんが、話したことがないに等しいのになんか嫌われているな⋯というのも肌でわかりますよね。私もそれも感じたことあります。
だから、誰かが言っているんですよね。私の悪口を。それで話したことがないのに、微妙な感じの視線や、先生と話しているのに横入りとか、まあ偶然かな?と思われる微妙なヤツの繰り返しをされる。
まあ、保護者どうしじゃなくても、どこの世界でもこういうことはありますが、子どもを通してのサブ的要員の親どうしでこんなこと起こるのが疲れたなと。子どもが先頭にいるから、自分の考えだけで動けないところがツライですよね。その割に幼稚園は保護者どうしの距離感が近い。ああ、もう戻りたくない世界。未だに何かのキッカケであの世界、嫌だったなと思い出すから、こうやって浄化出来るのはありがたい。
洗脳のように人を嫌いになれるって怖いなと思います。接した人だけ嫌いになるほうが心地よいなと変な書き方をしておきます。
ちゃんと自分の意思で人を嫌いになるって大事。そんなことを習得した大人の幼稚園でした。
年賀状、どうしても1枚だけ来るんだよね。
たぶん返して欲しいんたと思うけど、私はもう年賀状終いしたいから返信しないときもあるし、寒中見舞いで返すときもあるけど⋯その1枚のために色々モヤモヤするのが嫌なので、もう終いましたと添えるしかないか。
みんな自然な形で辞められたから微妙に鬱⋯
仕事中、揺れた。
島根県で震度5。
こちらはその影響で揺れた。大きな被害はなさそうだ。
揺れたとき、夫にすぐLINEした。
ふと気付く。そういうときに一番に浮かぶのは夫ということを。。。
はぁ。これが愛情なのかただの習慣や情なのかはわからない。
でも、間違いなく 夫のことが一番に頭によぎり、連絡をした。
なんなんだろう。かなしい。
気に入ってるある店のチョコがけのサブレ⋯
久しぶりに買ったら5枚入りから4枚入りになってて引きました。
私は量を減らされるより、値上げのほうが受け入れやすいタイプです。
家に帰ってきて、容器を開けるまで気がつかないなんて、なんか騙された感があるので⋯
相変わらず味は美味しいのに、量を減らすなんて⋯そういうタイプなのか⋯が拭えないのです。
ご祝儀とかお年玉とか、新札じゃなきゃいけないって辞めればいいのにって思うんです。だって一万円は一万円でしょ?明らかに破けそうとかボロボロ以外は許容範囲にしていかないとと思うんですよ。なので、私はお祝いとかあげるときはわざわざ新札であげるというのを辞めようかなと思っています。
お金をあげないとは言ってない。お祝いしたい気持ちもある。すぐにに色々なところで辞めるのは難しいし、勇気がいることだと思うけど、いつまでも手間をかけることが普通であってはいけないと思うので。
以前コンビニで働いていたとき、「一万円札の新札ありますか?」なんて聞かれたことがあるんですよ。これから結婚式に向かう人なのかな?と思いましたが、新札を用意出来なかったんでしょうね。もちろん、おつりで一万円は用意しませんし、新札のようなお札を使うお客さんもいませんでしたが、ないと伝えました。
働いていて休日に時間作って結婚式に参加してご祝儀まで持って来てくれるのに、新札じゃないと⋯というマナーがあるせいで少し煩わしいものになってしまう場合があるんじゃないかなと思います。
わざわざ新札を用意したという手間が伝わることが大事⋯という考えもあるかもしれませんが、人から手間を搾取するのが当たり前の感覚は私は怖いです。
省ける手間は省いていく。そういう轍が出来ればいいと思うし、自分もその轍を作るのは協力したいです。
平野レミさんの破天荒な料理が好きです。
私はいつも牡蠣が破けないようにそっと扱ってたのに、レミさんはまさかのグチャグチャにぶっ潰してパスタソースにしてて、度肝抜かれたけど作ってみたら美味しかったりとか、料理の可能性を見せつけられっぱなしです。
今日たまたま見た番組に出られてたから、もしかして今がシーズンなのでは?と思って検索してみたらビンゴ。何番組か平野レミさんが出演される料理番組見つけたから録画予約しといた。
何となく春夏秋冬に集中的にレミシーズンが来るイメージ。
またどんな料理に出会えるか楽しみです。
浮気を隠すために優しくなるという「罪悪感ゆえの配慮」は、皮肉にも相手への一定の敬意や執着を物語っている。映画の定番シーンを観て私が感じたのは、その最低限の配慮すら受けられなかった自分への失望感だった。
嘘をついて場を凌ごうとする努力すら放棄され、むしろ逆の態度を取られた。
それは、相手にとって自分が「繕う必要のない存在」に成り下がっていたということであり、その残酷な事実が、今さらになって涙となって溢れ出したのだ。