ラベルレスのペットボトルを買ってるけど、楽ですよね。
ラベルを剥がすというのがこんなに手間だったのかと思い知らされます。
ラベルがないとなんの飲み物かよくわからないことがありますが、ラベルがないほうが中身を飲んで納得するしかないのです。
ラベルで最初からイメージ付けされないのは楽ですね。
私もラベルレスです。
あと1カ月耐えて⋯みたいになってます。
毎年毎年この時期は耐えに耐えまくってるけど、今年の耐えは一味違って、また別の耐久戦を強いられてますね。
簡単に書くと、私と話したくないみたいなオーラを感じとって、それに耐える。だけどご飯は作るといったところでしょうか。
あーこれが本当に本当にしんどいです。鉄板のセリフ「私、なんかした?」と何度もいいたくなりますが、それも飲み込んでおります。
言葉に他意を持って受け取られるので、あまりこちらから発信したくないんですよね。まだ年齢的に大人じゃないから、経験値がないからとか色々理由付けして納得してきたけど、これ、もう相性じゃない?なんて思ってますね。なんでこの言葉をそう受け取るの?が増えすぎて、私も話したくないし、向こうも向こうで傷つけられてると思ってるんだろうから。
例えば、無理して食べなくていいよ〜と声をかけると、私には食べさせたくないんだ?と受け取られる。そんな感じなんですよ。終始。こちらとしては言葉通りの意味しかないのに、常に被害者なんですよね。意識が。だから全部自分に向けらている言葉を悪く受け取る。そんなことばかり何年も続いてると、さすがに会話したくない。早く夏が終わって欲しい。助けて欲しいです。なんか私なんかいなくても〜と常に思ってしまって、メンタルが不調です。
かつては「サボる」という行為自体、実行する余力がありませんでした。サボるには「何をやめ、何を優先するか」を判断・決定する思考コストがかかるため、当時の私は「考える」というタスクそのものを拒絶していたのだと考えられます。
私にとって一般的な標準レベルは非常に高く、他者が無条件で達成できる50点に対し、私は相応の努力を投入して初めて到達できます。そのため、一度コントロールを放棄するとパフォーマンスが完全にゼロになってしまい、一般的な「適度な手抜き」の調整が極めて困難です。
しかし、常時フル稼働を続けることには限界があります。いくら努力して50点を確保しても、評価されるのは未達の50点に対する指摘ばかりでした。そのため現在は、不要な消耗を避けるべく過度な行動を控える戦略をとっています。
今後リソースを割く対象は、自分が自発的に取り組みたい領域のみに限定する方針です。それが最も時間を有効に使う方法だと考えています。
やっぱり殺風景でも、自分の気に入らないものがないほうが良い景色に見える。
ただの草木にみえても自分にとって毒草ならそれは猛毒。
一番疲れることって気を使うことじゃないんだよね。
気を使ったのに相手に届いていない、気を使えないと思われていることなんですよね。
人生を振り返ると、結局そこに行き着きます。
だから簡単に言うと、「気を使うから疲れる」とみんな口を揃えて言いますが、その中身は気を使ったのに身になっていなくてシンドいだと思うのです。
あー
頭痛い。
最近頭痛が多いなー
自ら把握してるストレスと把握出来ていないストレスもありそう。
そこまではわかってるけど、何のストレスなのかはわからない。
コンビーフにマヨネーズと山葵をまぜて、ご飯にのせると美味しい。
コンビーフが高いから時々しか出来ない。
ツナくらいの価格帯になって欲しい。
あー夏がはじまってしまった。絶望しかない。
今年は特に家族との時間が増える。私にはシンドい。
ここだけでは言わせて欲しい。なんだかうっすら機嫌悪い人と一緒にいるのは疲れる。この"うっすら“が嫌なんだよね。
自分にしかわからない微妙な感じ?明らかに以前とは違って消耗する。というか、もう既に消耗しきってる。
普通の会話をしていても、それを本人が普通に受け取らない、以前は楽しく話でいたことも乗ってこないし、別に乗りたくなきゃ乗らなくていいのだけど、そこの「私はその話に乗りません」の空気感重たい。
別にバカにしてるとかそんな話でもないのに、パリっとした重さが漂う。暑いねーレベルでも私だけ喋ってる感じになる。
幸いなことに、誰かと喋りたいタイプじゃないから諦められるけど、こんな空気感があるなら一刻も1人になりたい。
何時に起きてくるかもわからない。わからないから何時から空気が重くなるのかわからない。だから気合いを入れる時間がわからない。
あーシンドい。夏シンドい。緊張の夏、日本の夏。
サラッと先頭に書いてみたけど、私、なんで怒ってるかわからないという状況が本当に苦手なんだなと。まあ、そういうの得意な人いないと思うんですけど、解釈の感覚が合わないっていうのが本当にストレスになるんだと思う。
実際の会話でも、ネットでチラッと解釈の感覚が合わない書き込みや投稿を見ると、ストレスになってしまう。
解釈が合わないなってなると、その人の他の発言も嫌になってしまう。特に最近は某所で見かけるあの人がまた発生してるようで嫌だなーと思っている。文字の羅列や単語や量で文章を読まなくても、アイツがきたなってわかるから即座に消している。なんか芸能人がドーノコーノ、顔がイケてるかとか、そういう話なんだろうけど、もう面倒くさい。私の話に一度でも爆弾を投げてきた人の話なんか面白くないんで。
どうせ、自分にしか出来ない感覚考察、どう?みたいなのを長々と主張してるだけの自意識過剰な文章だろうから読まない。視界に入ってきたら消す。一瞬でも視界に入ることがストレスなんですよね。この人、まだいるんだ⋯ってテンションがさがる。
この人のせいで後ろにさがる投稿スタイルになったのに、自分は堂々と上からの主張してるんだろうな。もう無理だー。でも、だからといって自分が消えるのは嫌だし、徐々に駆逐されるまでボソボソとやっていきますか。侵略的外来種。比喩的にも使えるな。コレ。生態系をこわさないで。
油断出来ない相手がどんなシチュエーションでも苦手なんだと思う。
つまり、なんでこれで怒るの?みたいなことが起こる可能性の高い相手の話や言葉は自動的にに聞けないんです。
どこに地雷があるかわからないと怖い。だから、地雷そのものがもう怖い。地雷がただの雑談をしていたとしても、もう地雷だから目に入ってきて欲しくない。それだけで恐怖を感じてしまう。
そんな日々です。