人を不快にさせないのがマナーとも思うけど、マナーだルールだとうるさすぎるのもマナー違反だとも思うんですよね。
その線引きが難しいんですけど、少しでも枠からはずれたら、育ちが知れるとか、教養がないとか、人をすぐぶった切りすぎじゃないですかね。
自分でいうのも変だけど、許容範囲はかなり広いタイプなんだと思う。だから、他ではカチカチに決まってることでも、そんなのどうでも良くないか?とすぐ思える。だからこそ、ルールやマナーをあまり守らない人みたいに思われちゃって、そこを突かれて攻撃されることも多い。
知っていたけど間違えたーというときも変な目で見られるし、疲れる。知らなかったとしても、そこまで鬼の首をとってさわぐことじゃねえですよね?と思うこともしばしはですよ。
はっきりいうと人間なんて自分が決めたことがマナーだし、ルールですから。この言葉をどう受け取られるかヒヤヒヤしますけど、私がルールだ!!
連休中に実家に帰った。父の墓参りに行ったこと以外は、特にいつもと変わらない過ごし方をした。
何事も無ければいつも年に2回、ゴールデンウィークと年末に実家に帰るのだが、母も弟ももう1回くらいは帰って来て欲しそうだった。
その理由というのも、仲がそれ程良かった訳ではないが、父という話し相手が減ったこともあって、母がボケるのではないかという心配からのようだ。
本当は言いたいこともあるけど、何も言わずに話を聞いた。
歳を取ると、新しく何かをするとか何かを変えるというのは、若い頃よりもエネルギーや勇気のいることだけど、どんどん世界を狭めてしまうのは良くないなと思う。
自分も歳を取るとそうなってしまうのだろうか。
またベランダの鍵がしてなかった。
鍵をしていないだけで、音も聞こえるし風も入ってくる。
でも、注意したら途端に私の普段いたらないところを指摘されたりして疲れるから、どうしようかな。
いいなぁと言い過ぎるとダメらしい。ネットを徘徊していて見かけた。
基本的にいいなぁって、いいねと同じで使ってるけど、ズルいというニュアンスを含めて解釈する人がいるらしい。
なんでかもかんでも、いいな〜って言われるとうんざりするらしい。状況にもよるかもしれないけど、そのいいな〜を言われないシチュエーションを作ること大事かもなと。
ただの会話だし、そのいいな〜を言うことが、その人の処世術かもしれないからね。
いいな〜以外に適切な言葉がないこともあるし、まあ、その人にとってはその言葉が嫌なんだからしょうがないけと、色々なことが嫌な人っているんだなーと思います。
いいな〜より、いいですね〜とほうが、自分は持っていないけど、心底羨ましいという匂いが消えるよう気がするので、誰に対してもいいですね〜と言うようにするのが安全なのかもしれません。
ホームパーティーの描写がある本を読んでいる。
まだ途中だけど、この家族ぐるみの意味不明な馴れ合い気持ち悪い⋯って思い出してしまった。
もうこういう付き合いがないことに安堵する。
私があの人を観察用として見てきて感じたことの1つは、なかったことにするタイプが苦手なんだな、ということです。
矛盾が受け入れられるかどうかが価値観が合うということだとは思うけど、私はあの人が、なかったことにすることに拒絶反応を示している。
こんなことをしていたのに、こんなに拘っていたのに、今はソレするんだ、こうなんだって、矛盾が受け入れられないと同時に、以前していたこと、拘っていたこと、言っていたことがなかったことになっているんですよね。だからその矛盾が際立つし、不快感を覚える。
人は生きていれば価値観も変わるし、ずっと同じなんて無理だとは思うけど、変わる前の自分や発言や出来事をなかったことには出来ないんです。土台をすぐに捨てて、以前からこの考え方でした、これが好きでした、みたいな態度をとるからあの人は私からの反感を買っているのでしょう。
現在は本人にとってはなかったことにされていることで、翻弄されたり理解しようしていたのに、そういう周りの人の気持ちが置き去りなんですよね。もう私もあの人を友人だと思って過ごした日々は、なかったことにしたいけど、それは難しいんですよね。
ただ、なかったことには出来ないけど、現在手元にないことが嬉しい。そんなところです。
裸の男に包丁を投げられる夢を見た。
なかなかにしんどい夢だったな。
ここ2、3日 変な夢、怖い夢、疲れる夢を見る。
現実ではいいことがあったらいいな。。
ゴールデンウイークに帰省する友達がいるから、良かったらみんなで会おうと言われてたけど、連絡がないのでそのまま放置してる。
会いたくないとか、連絡くれない!とかじゃなくて、もう社交辞令的な川のせせらぎと同じような流れの会話だったんだと思う。
だから私がここで思い出したように連絡しちゃったら川の流れが止まる。私自身が持っている川の流れも止まる。
だから淀むし、生態系が変わるのは嫌なので、余計なことをしない。何か聞こえてきたときだけ、喜べることなら喜ぶし、断るべきことなら断る。もうそういう感じでしか生きられない。
ただでさえゴールデンウイークが自身の川の流れを変えてるのに。
自分は大丈夫。とは思わないようにはしてるけど、やっぱりどうしても一番深いところでは、自分は大丈夫って思っちゃってるな。
自分は大丈夫?
大衆の牛丼屋に15歳年上の人から誘われたら、奢ってくれると思います。彼女じゃないと本人はのたまっていましたが、それなりにキセイジジツはありましたし。
だけど私が牛丼を驕りました。財布忘れたとか金ないとか言われて。
当時大学生のバイトの私。あれから20年以上経って、ヤツの物理的な貧しさと心理的な貧しさに改めて気がついているところです。
今50代後半くらいかな。牛丼食べてなさそうだな。
誰にでも寄生してるのかもね。