例えば、自分はコーヒーだとします。それなのにコーラの味わいを求められたら混乱します。
何をしてもコーヒーはコーヒーのままでしかないんです。
だから、どんなに色が似ていても私はコーヒーの味しか出せないんです。勝手にガッカリされても私はコーヒーだから。
そんな日々です。
自分がそう受け取ったなら、受け取ったままでOKだと思う。
相手側そういうつもりじゃなかったと言っても、投げられたのは自分だから自分の思うままにしたらよいと思う。
対価を払えば何をしても何を言ってもいいと思っている。そういう人種は存在します。私はそういう人種に育てられたので、自分の人格に自信がありません。
もう私にひどいことを言ったあの人はもういないけど、まったく美化されない。存在していたときのほうが美化されていて、私って優しかったんだなと思うだけです。
ここではないSNS
好きじゃない表現する人 ひたすらブロックしてる。
アルゴリズムで出てきて好みのはずなのに。
ちょいちょいきらいを混ぜ込んでくるのなんで。
好きな人が欲しいって口走ってる時は、絶対に好きな人作らないべき。
目がくらんでるから。
それはわかってるんだよね、、
母に「親のすねかじり」と言われた。
高校生の私にはすごくショックだった。
辞書的な意味ではあっているのかもしれないけれど、その奥に「金がかかって迷惑してる」というニュアンスを感じて、すっと熱がさめるような感覚になった。
あの日から母とは無意識のうちに他人の様な遠さを感じる。
どういうつもりだったのか知らないけれど、きっと一生忘れられない。
毎年、7月8月の目標は「気を確かに」です。
既に気がなんだか優れないです。
暑さと人との距離が近いこの季節。
私にはダメージしかありません。
気を確かに頑張りましょう。
自分に比べたら子どもたち、恵まれてるなーって思うんですよねー
それなのに、これしきのことでイライラされたりするのムカつくなーって考えちゃいます。
こういうこと考えちゃうのって夏休み及び、その手前の午前授業早かったりで、距離感近いからこんなことか考えちゃうんだろうだろうなー
暑いし逃げ場もない。
自分は親が家にいないほうが嬉しかったから、今の私は子どもにはウザがられてるかもしれないけど、働きたくはない。
色々理由はあるけど、母みたいにパートに出て、イライラしたくないからってのはある。別にパートに出なくともあの人は別の種類のイライラしてたとは思うけど。
私、母みたいになりたくないんですよー
なんかあの人本当に苦手。
もういないのにどんどん苦手になってくる。
母がやってたことと全部逆のことをしないと、母みたいになってしまうんじゃないか?という恐怖がずっとある。
もう子どもたちもそこそこ大きいし、私いなくともどうにでもなるし、なんなら御飯のときだけ作ってくれればって感じなんだろうけど、母みたいになりたくないから働きたくない。
母嫌い。
ついに夏休みが始まります。
もうゲームとか動画とかお菓子とかコーラとか好きに過ごしてもらえればと思います。
もう、あれこれ考えるのが疲れました。
開き直らないとキツイことってあると思います。
もう本当に最近、なんか、色々疲れた。
感情のタイミングが、どうにも噛み合わない。
ピンチの時こそ面白がって乗り切ろうとする私の手を、少しでいいから握り返してほしいだけなのに、向こうは100%不機嫌なまま。その温度差に、正直もう疲れてしまった。
時間が経って相手が機嫌を直したところで、それは私の働きかけが届いたわけではなく、ただの自己完結。その頃にはこちらのエネルギーが切れて、今度は私がイライラする番になっている。この、遅れてやってくる「すれ違いのバトンタッチ」はなんなのだろう。
かと言って、相手に寄り添うつもりで一緒に怒ってみせれば、「なんであなたがイライラしてるの?」と煙たがられる理不尽。
打つ手すべてが空回りするくらいなら、もういっそ、何もせず放っておくのが正解なのかもしれない。