地域のクリスマス会とかて貰うプレゼントって、その場では嬉しいけど、あくまでその場限りなんですよね。
大人が予算内でやりくりして考えてくれてたって今ではわかりますが、わかるからこそ無理してやらなくていいよって思うのです。
「子ども会、入っていないのにクリスマス会に来る子がいて賛否両論が飛び交っている」なんて記事をどこかてみました。
シンプルに子ども会の会員のみ参加にすれば解決だと言うコメントがあったのですが、私も概ね同意ですね。
子どもが介入すると、どうしても慈悲深さを通したくなる層がいて、シンプルに考えられるものが考えられなくなるんですよね。
例えば、某夢の国も夢とか言っておきながら高い入場料を払って、その夢の恩恵を受けてますよね?子どもが行きたいと言ってもタダで入園することは出来ないと思います。
でも、それが当たり前だし正解なんですよね。だからシンプルに子どもが可哀想とかそんな感情に寄りかからないで、入会している人のみ!にしてしまえばいいのです。
ただ、自分も子育てをそれなりにしてきて、理屈じゃなく子どもって、そういう会に行きたがるんですよね。それはわかりますけど、だから、可哀想だから子ども会入ってないけど参加させて!とはなりません。参加させたかったら入会するか、不参加しかない。それしかないんですよね。子どもだから⋯という感情に振り回されると何も回らなくなってしまうので⋯
個人的には子ども会とかいらないとは思います。こうやっていらんトラブル起きるし、結局、何故そのいらんトラブルが起こるかというとその後ろにいる大人が嫌々やっているからなんですよね。だから入っていない子が来ることに腹が立つ。慈悲とは関係のない気持ちで仕方なくやっている人も多い。だけど、慈悲深いふりをしているから疲れるのでしょう。
だからこそ廃止にしちゃって、みんなで楽になったらいいのにって思います。あれば行きたがるけど、なければそれなりに過ごすでしょう。子どもって柔軟ですよ、思ったよりも。
書道習ってたことあるけど、別に字は綺麗にならなかったな。引っ越しで辞めたけど。
あくまで自分にとってはなのですが、この「自分にとっては」が多すぎるような気がする。
数年前、子どもが習い事していたときにお迎えしていたけど、その後、子どもどうしで遊ぶんですよね。それが地味に嫌だったのです。夕方から夜にかけてくらい?に近所の公園で遊ぶんです。
それをやられちゃうと、夕飯だったりその後のスケジュールが押すので、本当にシンドかったです。
一緒に遊んでいる子の保護者の方は余裕がある方で、どんどん遊びなさいって感じだったんですよね。これも地味に困った。忙しいから遊びは程々にして帰るよ?って気持ちが共通していれば、なんとかなったんですが、子どもに付き合う系の方で、私とは違うなと思ったものです。
おっとりとした雰囲気の方で良い方だったとは思うけど、とにかく私は早く帰りたいからあの遊び時間、待っている時間が疲れる。お迎えに行く時間、その他諸々の時間を足すと物凄い時間を無駄にしてしまっていた感覚があります。
そんな保護者の方をたまたま近所なので見つけることがあるんですが、お互い知らないふりをしています。相手は本当に私に気がついていないだけかもしれませんが、知らない人どうしになれて嬉しいです。
嫌な人じゃないけど、なんか違う。この感覚は大事にしていきたいですね。
職場に平気で嘘をつく人がいる。
すぐにバレるのに嘘をつく。
最終的には人のせいにする。
こっちは真面目にコツコツやってるのに、この人は嘘ついてもクビにもならず、給料ももらってるんだよなぁ。
やる気もなくなるし、自分がイヤになる。ずっと気分が悪い。
他人のことだから関係ない!この人が自分の家族や友達じゃなくてよかったと思うことにしている。
その人に対して注意しようとか、説教しようとは思わない。
だって私は他人だもん。私は冷たいのかな?
その人の生き方を否定なんてできない。
きっと彼には彼を擁護してくれる人がおるでしょう。知らんけど。
風邪ひいてもう23日経つ。
病院は行ってるし薬も飲んでるけど全然治らない。
公共の場や職場ではマスクしてるし皆コロナで防御力鍛えてきた歴戦の猛者達だから誰も私ごときの風邪なんか伝染らない。
伝染らないから意固地に居座り続けてるのか?
独身で極端に交友関係狭いワイに宿ったのが運の尽き。
お前の風邪菌としての繁殖の終焉地、それがワイや。
お前の最後はワイが見届けたる。
発熱でも咳でも鼻水でも来いよ。
体調不良からまだ万全じゃないけど、ハーゲンダッツを食べてみて体の様子見をしようと思う。
とりあえず美味しかった。
なーんか、なんだかんだで情報、情報、情報のためにみんな仲良くしようって輪はあるんですよね。
やっぱり情報のために仲良くするってどうしても苦手で昔から出来ません。
その結果、何も知らない自分が出来上がってますが、情報を得るためにすり減らすことすら最早出来ないんですよね。
幸いにも、この時代はネットがあるのでどうにかなっている部分はあるのですが、それでも私はローカルな部分には疎いほうでしょう。
それでも、もうこのままで行くしかない。色々疲れます。
J2優勝・J1昇格
今日は会う人たちみんな異口同音に
「生きてるうちにこんな日が来るとは!」だった
J2加盟前の旧JFL時代の28年くらい前からいろんな場面で関わってきたサッカークラブ
同じ県内に最強クラブが存在しているから関心度は低かったし何より弱かったけど
ここ数年は成績が芳しくなくてもフロントはしっかり先を見てスポンサー集めに成功し資金的に少し余裕が生まれ
少しずつ雰囲気が良くなってきたかなって感じてたけど...
まさか!? マジかよ!!
J1はそんなに甘くないけど来シーズンが楽しみだ
感謝は感謝として独立させるというのを、最近改めて思っています。
してもらったから、これをされても言われても我慢するという構図を私の中では受け入れないということです。
意外としてあげたんだから、受け入れろ!みたいな圧ってそこら中に溢れているんですよね。
それは小さなことから大きなことまで本当にありとあらゆるところに⋯
私は自分の育ってきた環境が、まずそんな雰囲気だったので⋯
働いてやってる、ご飯作ってやってる、育ててやってるみたいなあの空気感。あの妙な圧はなんだろう?と言語化出来なかったけど、たぶんこれなんだろうな。感謝を盾にやりたい放題、好き放題言われてきた部分、絶対にあった。
実家を出て、新たな家族間でも、細かいことかもしれませんがありますよ。パンの上に他のものを入れたら潰れちゃうのは当たり前じゃないですか。それでも、買ってきたことに感謝してパンの上に商品を置いて袋詰めしたことに目をつぶらなきゃならないのはおかしいんです。
ご飯、温めてくれるのはありがたいけど、電子レンジにかけすぎるとカチカチになると言っても、なぜかそれを強行されて、カチカチになったご飯を私が食べなきゃならないとしても、温めてもらったからなかったことにする。
してもらったから、なかったことにする。私、それやっちゃうとモヤモヤしちゃうのでしません。最初にパンは荷物の上に入れたけど何らかの原因で潰れてしまったとかなら、しょうがないのです。敢えてソレをやってるのに、注意したら買い物をしてきたことでチャラにしようとする、その精神性は受付ないんです。
ただ買い物に行ってくれたことだけは独立させて感謝する。そういう風に生きていきます。