昔のまだ賑わっていた頃のある場所を見たら、ポエムばかりと嘆く言葉にポエムはいいぞ〜という呼応があり、そして誰かが意図的にポエムを作りだし、なかなか混沌としていた。
ポエムってなんだろう?なんかよくわからないけど、私にもポエム臭いって思う文があるにはある。そしてそのポエム臭さがどうも苦手だ。
でも、苦手じゃないポエムと括られるものももちろんあるわけで、ポエムが嫌いなわけじゃないんだよな。
スタ場のカード貰ったから行こうかなと考えてるけど、考えれば考えるほどドとーるに行きたいとと思ってしまって申し訳ない。
普通の人にとっては簡単なパーセンテージの計算なんだけど、私には難しく感じてAIに聞いてしまった。
思いの他わかりやすく教えてくれたのでありがたかった。
なんでもAIに聞くなという意見もあるかもしれないけど、実際、こんな簡単だとされてることがわからないと思われて、それにイライラされたりするということがないというのが快適だった。
思い出せば「こんなこともわからないのか」という感想を添付され続けてきた人生だった気がする。
そんな感想を付けられるだけで終わり。肝心のわからないことを理解するということにまでは至らなかった。
わからないことへの感想ではなく、わかるための導きをしてくれるAI、またはそのような大人が子どものときからいたら良かったのになんて考えた。そうすれば簡単なパーセンテージの計算をAIに聞いてしまうような現在にはなっていなかった気もする。
バカだということは自分が一番よくわかっているから、そこを二重になぞらなくてもいいんだよね。
でも、世の中には二重になぞりたがる人が余りにも多い気がする。あの頃にAIがあったらな。
夜にこってりラーメンとか食べたくなるけど、そうすると朝ごはんやよるお腹空いたとき面倒なんだよね
朝も夜食も米たいときゃとりあえずなんとかなる。小腹満たすのが面倒なんだよなぁ。こってり食べたいけど昼間は面倒だし食べたいのはやはり夜
3時間超えの映画観たらやっぱり疲れた。
でも、今日は配信で自宅鑑賞だったので自分のペースで観られたからなんとかなった。
飲み物も自由でトイレに行っても一時停止が出来る。
家で1人で観ることが出来るなら映画館よりも自由でありがたいと思った。
巨大スクリーンで⋯って気持ちもあるけど、制約が多すぎると疲れるんだよね。
友達多い人と付き合いたくない。
単純に予定が合わないから疲れるし、そんな予定がありすぎるのもよくわからないからこちらも寄り添えないし、疲れる。
半年後に予定が延びてしまった⋯とか言ってるけど、予定が合わないのはあなたのせいだろうなーとすぐ思いました。
付き合いあった頃、あっちの予定が多すぎて予定が合わなかったから疲れた記憶がある。こちら側が予定少ないのに合わないってストレスだよね。
自分が合わせてもらうのが当然だから、合わせようとも思わないんだろう。それなのに、また次の約束をしたがる。今回も次の約束を取り付けたって喜んでたけど、それなら歩み寄りなさいよ〜たまには自分からさ〜なんて余計なことを思ってしまった。
よく疲れないよね、周りの人も。私はこういうところも疲れてもう付き合いきれなかった。
今日は11時ごろ起床。
だし巻き卵がうまく作れなかった。だけど美味しかった。
料理をする元気がまだあるんだな。
猛烈にポテチとドーナツがたべたい
こんな朝から
ずっと食欲なかったのに
ポテチとドーナツ、たべたい。ナトリウム不足だろうか
大学をサボってスノボに行ったことがある。
私はスキーは超苦手だから、スノボも案の定大惨事だった。
当時のバイトの人に誘われて、数人で行った。今思えば何で行ったのだろう?と思うけど、その中のメンバーの1人とちょい親密だったから。向こうは気が向いたら私に会うという感じだったけど。大学生だからしょうがない。変な盲目性があった。
でも、理由はそれだけじゃない。私は大学をサボりたかった。ヘラヘラしたしょうもない理由で大学をサボりたかった。
これは母への反抗として。私が大学生という立場に納得していなかった母は、家にいても嫌味や文句、家にいなくても嫌味や文句を言う矛盾を絵に描いたようなことを私にしてきた。
ある日、私が昔から仲良くしている友達と比べてきて、「〇〇さんは、大学生って感じでいいよね〜」と。私と比べて家にいつもいなくて充実してるよねと。もちろん、これは母の都合の良いイマジネーションなんだが。でも、その友達、大学をサボっていたんです。大学サボりすぎて親にバレたらどうしよう?なんて聞いていたので。
だから、大学をサボりました。スノボに行く、大学は休むと親に告げてはいたけど。やはり母はイライラしてました。お金払っているのに大学休むの?と。そうです。でも、あなたが良いと言っている、〇〇さんは大学をさぼって大学生らしい生活をしてるんです。だから、私が1日大学を行かないでスノボに行くのはいいでしょう?と心の中で反抗しておきました。
スノボには行かなくても良かったけど、堂々と大学をさぼって大学生らしさを見せつけられたのは良かったです。
もう20年以上前の出来事ですが、矛盾を浴び続けると人って狂っていくのかもしれない。あの何をしても嫌味の日々は私を確実におかしくした。スノボなんか出来るはずもないから絶対断わるのに。そもそも私のことを好きでもなんでもないのに暇つぶしにされているだけの人もいたのに、そこに気持ちを奪われてしまう。
あの頃全部おかしかった。それは若さ故の痛みじゃなくて、母に作られたものであるのは明確だ。家庭で矛盾のない安心感を得られていたら、私はもっとあの頃、正しい若気の至りを出来ていたのかもしれない。