フィスラーのステンレスフライパンを買った。
今使ってる安物のテフロンフライパンがちょっとくたびれてきてたし、文鳥によくないと言う噂を聞いたし(うちは文鳥飼い)
たまたま行った先でフィスラーコーナーがあって、少し安いテフロンのもあったんだけど、いつか鉄フライパンみたいな、ちょっと扱い難しくても長持ちするフライパン欲しいなと思ってたので、思い切って買った。
重さに若干の不安があったけど、杞憂に終わった。
鍋振り系の必要性を感じる事があまりないからかも。火の通りもゆっくりなのか、焦らなくても焦げない。
最初とりあえずキャベツ炒めてみた。
カンカンに熱して油敷いて10秒冷やすという、最初の儀式(ちょっと面倒だけど怠ると焦げつき確定)ののちあまり食材を動かさずに炒める。
熱伝導が良くて均一だからか、あまり動かす必要ない。
しばらく置いてちょっと混ぜるを繰り返して出来上がり。
シンプルにシーズニング系スパイス塩かけただけで食べたんだけど。めちゃ美味い。
何だろう、シャキシャキと柔らかさの狭間のいい感じに仕上がって、単なる付け合わせのつもりで作ったのに食べ終わるまでに「え、美味い!」って三回くらい思った。
それから何かと炒めてる。楽しい。
炒めるのが楽しいなんて初めて思ったかも。毎回焦げるかもと言う地味なストレス感じてたんだろうな。
このフライパン使って、いい焦げ目が付く事と焦げ付く事はイコールではないと知ったかも。
どんだけ失敗してたんだ私…
儀式を怠ってめちゃめちゃ焦げついた事もあるんだけど、たわしとかスポンジとか洗剤駆使したらバッチリ綺麗になった。どうしても落ちなかったとこはクリームクレンザーで落とせた。
思ってたよりお手入れ楽。鉄と違って洗剤使えるのも良かった。
まず自分を疑う。
これって大事なことだと思う。
自分の思い込みかもしれないし、価値観の押し付けかもしれない。一方的に人のせいにするのはよくない。
その情報が自分の中で正しいか、自分に寄り添ってるのかを考えることをしないと「ChatGPTがそう言ったから」「ネットでそう言ってたから」って踊らされる老人になりそうな気がする。
思考のクセ付けは大事。
元友人のインスタグラム。
作った料理を載せてるけど、言いたいことはそれじゃない。
自分が家族を思ってますっていう事を必ず添えるから、それを言いたいんだろな、本当はと思ってる。
そんな人格者じゃないと思ってしまうんだけど、こんな風に生きていけたらいいんだろなと参考にはなるから見てる。
鬼滅の刃の話になったときに、
私は 胡蝶しのぶ の話をしたかった。
なのに、あなたは、煉獄さんの素晴らしさを被せて嬉々と話したね。
私の話は誰が聞いてくれるのだろう。
話すのが下手くそなのがいけないのかな。
どう頑張ればいいのだろう。
わたし、ずっと泣いてるよ。
あなたは、妻がずっと泣いていることを知っていますか。
半年前から予定していたこどもの手術、旦那は海外出張、父は入院中&コロナ、毎日お見舞いに行っていた母もコロナ。
びっくりするほど全てが重なった。
仕事のすきをみてできる限りの対応した。
全て無事終了した。
わたし頑張った。
病めるときも健やかなるときもっていうのは嘘で、病めるときは逃げられますよ。だから全力で健やかでいられる方法を見つけたほうがよい。
明日、ライブ行きますが、ライブも楽しみですが、何か食べようかなと思っていて、とんかつかうどんか悩んでます。
あの人、付き合って3ヶ月で結婚したらしい。聞いてないのに勝手にしゃべってきたから。
まあ、要するに出来たかららしいけど、意図的なのかなとは思ってます。
「大袈裟だと思われるかもしれませんが⋯」
「こんな表現、大袈裟かもしれませんが」
自分が何が伝えたいときってこの「大袈裟かもしれませんが」をつけることが多いことに気がつきました。
これは父の影響が大きいです。私が何か説明したり、嫌がっていたりすると、「大袈裟〜」「話、盛ってない?」とか言われてきたからだと思います。
だから自分の感情に深いところで自信を持てず、否定されるかもしれないと心の底で思ってしまっているのでしょう。
だから、「大袈裟かもしれない」と最初に自分で保険をかけて、話してしまうクセみたいなものが染み付いているのでしょうね。
「大袈裟かもしれませんが」と付けているのに、自分では本当は大袈裟だと思っていなくて、言葉に出すからには感情や状況を理解して欲しいと思っているのに、それが子どものときからずっとされてこなかった。だから、最初に言うしかなくなって、父以外と話しているのに、大袈裟〜とつけないと会話や文章が作り出せないのかもと。ここでも色々残してきましたが、振り返ると使っているんですよね。"大袈裟かもしれない“という枕詞を。
きっと、これを父が読んだら「大袈裟〜」と言い、怒鳴るでしょうね。だけど、これが大袈裟ではなく、私の真の気持ちなんです。なるべく、「大袈裟かもしれませんが」を意識して減らしていこうと思います。大袈裟かもしれませんが。
とにかくお金がかかることが許せない親だったな。要するにケチ。実際、余裕があったわけじゃないと思うけど、子どもにお金かけるのが嫌だったんだろうなと思う。お金に余裕あったとしてもケチってただろうな、あの様子じゃ。