先週、髪切ったら前髪がちょうど目にあたるのでかゆい。
でも、すぐにはそれのせいだとは気が付かなかった。
そういうもんである。
オンラインで仕事してるけど、待機時間が長すぎてウンザリ。
お客さん 誰も来なくても時給は発生するし、監視されてるわけでないので 自由に過ごせばいいんだろうけどいつ 呼ばれるかわからないので 落ち着かない。
忙しいのも辛いけど、私は暇すぎる方が辛いことを久々に思い出した。
在宅だから同じ 暇でもオフィスで 待機よりはずっと 楽なんだけど自分の存在意義 まで 疑いそうになってしまう。
病みかけてる。
お客さん来てくれればいい仕事するよー?
cutesyってわざとらしい可愛さ、みたいなニュアンスで使う言葉らしいです。
あざといとか、ぶりっ子とか冷ややかな意味で使われることが多いみたいですね。
なんでも過ぎると、キューティジーに見えちゃうから気をつけないと。まあ、大丈夫か、心配しなくても。
「ありがとう自動応答システム」って言われて、お得意のポジティブさで喜んでいるけど、それ、もしかして、嫌味かもよ?なんて思っちゃいました。
肯定的に受け取ってるなら、それ以上は言う事ないけど、なんでも過ぎるとウザいんだよねーと。
感謝を伝えることは大事だと思うし、私もしていきたいと思ってるけど、それが大事なことだから私はやっていくの!みたいな主張めいた姿が散見されると、それは一気に圧迫への道に近づいてしまうのです。
ポジティブな精神性をアピールしてるけど、なんでもポジティブに言えばいいってもんじゃないと思う。
ポジティブも投げすぎれば爆弾。
雨つよーい
梅雨だし、天気も台風が来てるからしゃーないのか。
セイロンばかりだと正しくても嫌になっちゃうんだよねー
そんなに自分で納得してるなら他人に納得させようとしなくていいのにって思っちゃう。
簡単なチーズケーキの作り方探して焼きたいけど、私は本当は食べるだけがしたいんだよねー。じゃあ買ってくればー?と言われたらそれまでさ。
喧嘩腰のところには喧嘩腰の言葉が集まる。
柔らかい言葉でも喧嘩腰で来られることもまあまああるけれど⋯素直に味方してあげれらないのは、あなたが喧嘩腰だからだよーって思うからです。まあ、本人は気がついていないだろうけど、一生気がつかないだろう、おそらく。
先日、「完璧な防犯リュック」という記事を別媒体で書いた。
高価なブランドバッグの自慢ではない。むしろ逆である。試行錯誤しながら、自分なりに工夫を重ねて育ててきた、ただのリュックの話だ。
ところが、挨拶もなく現れたコメントが、真っ向からそのリュックを否定してきた。
「もっと防犯性の高いリュックがありますよ。」
そういう提案なら何も気にならなかっただろう。「そんな商品もあるのか」と思って終わりである。
しかし、そのコメントは私の記事の文脈を読んでいるようには見えなかった。積み重ねてきた工夫も、使い方も、用途も関係なく、「それよりこちらの方が完璧」と言われた。
妙に後味が悪かった。
そのせいか、「新しいリュックを買おうかな」と思い始めた。
私はバッグ選びにはかなりうるさい。
軽さ、肩紐の太さ、大きさ、防犯性、デザイン。条件が多いため、探すだけでもかなりの労力を要する。
実際、何時間も探した。
「これはいいかも」という候補も見つかった。
しかし、そこでふと立ち止まった。
今使っているリュックを手放してまで欲しいほど、ときめくだろうか。
答えは、そこまでではなかった。
私はミニマリスト思考なので、買い替えるならワンイン・ワンアウトが基本である。
メルカリで売るか、リサイクルショップへ持ち込むか。
そこまで考えたとき、「そこまでして入れ替える理由はあるのか」と思った。
改めて今のリュックを眺めてみる。
すると、本当の違和感はリュックそのものではなかった。
私はサイドポケットから物が落ちないよう、ストラップを垂らして工夫していた。
便利ではある。
しかし、そのストラップがせっかくのシンプルなデザインを少し崩していることに、朝になって気づいた。
そこで考えた。
ポケットの内側にリール付きカラビナを安全ピンで固定し、スマホや鍵をつなげばいい。
落下防止の機能はそのまま。
見た目はすっきり。
これで十分ではないか。
その瞬間、「買い替えたい」という気持ちは消えた。
結局、私が欲しかったのは新しいリュックではなく、嫌な記憶を上書きすることだったのである。
このリュックは一生物ではない。
いつかもっと気に入るものが見つかれば買い替えるだろう。
だが、それは「コメントにケチをつけられたから」ではない。
自分で納得して、「今度はこちらを使いたい」と思えたときでいい。
今回は、今のリュックを改めて選び直した。
そして少しだけ手を加えて、また使い続ける。
それで十分なのである。
6年間同じ小学校に通うってどういう感覚なんだろう?と転校が多かった私は何十年経っても考えてしまうことがある。
大人になったら関係ないとは言われつつも、どうだったんだろう?と思うことはやめられない。
小学校のとき、転校先の学校ですぐに修学旅行があったので、私も参加した。
そこで出た食事。残さず食べた。嫌いなものが出なかったし、残す理由がなかったから食べた。
でも、私に向けられた視線は、全部食べたんだ⋯みたいな冷たい視線⋯
この学校ではガツガツ食べるのカッコ悪くて、不味い!とまで言えないものも、ちょっと美味しくないよねぇ?残すわ。というスタンスがカッコいいとされていて、トレンドだったみたい。
私がその流れを無視して全部食べてしまったから6年近くかけて積み重ねてきた微妙な空気の変化を無視するスタイルになってしまったらしい。
それなりに友達も出来たは出来たけど、あの微妙な空気感に慣れないまま卒業した。
小学校6年っていう絶妙な時期に引っ越してきて、6年間築き上げてきた空気を壊す存在が私だったんだと思う。
相手の視点から見たら後から来た変なヤツだったのかもしれないが、私も私で馴染むのに懸命だった。でも馴染めなかった。中学校もそれほどメンバーは変わらないけど、そこでリセットされたの良かった。今も残さず食べられるなら食べると思う。空気は読まない。もう大昔の話だもの。