女性の皆様へ
質問させてください。
カップルでレストランに入った場合、女性を奥に座らせるのって当たり前?
という書き込みを見た。
その時に、最近の私は、殿方に対して、奥に座りなよって言ってることに気付いた。
私は通路側に座ることがほとんど。
女性扱いされるような立ち振る舞いを身に付けたいなと思った。
支払いに関しても、払ってしまう。
情けないな、、
女性の皆様へ
質問させてください。
カップルでレストランに入った場合、女性を奥に座らせるのって当たり前?
という書き込みを見た。
その時に、最近の私は、殿方に対して、奥に座りなよって言ってることに気付いた。
私は通路側に座ることがほとんど。
女性扱いされるような立ち振る舞いを身に付けたいなと思った。
支払いに関しても、払ってしまう。
情けないな、、
ひとりで食べると美味しい
食べ物とマンツーマンの感じ良い。
ドラマ、孤独のグルメの功績って、ひとりで食べることの美味しさを一般的にしたよね〜
需要と供給が一致しないのは、市場も人間関係も同じだ。
欲しい時に限って空振りし、いらない時に限って押し売りされる。
エゴのぶつかり稽古に付き合うのは、ほとほと疲れる。
だが、それが「人間」という規格なのだろう。
文句を言っても始まらない。熱いコーヒー⋯じゃなくて、今日はミロでも飲んでどうにかするか。
中年と言われる年齢ですが、この歳になると中途半端な知り合いを増やしたくないんですよね。
元々の性格もあるとは思いますが、何も知らない人のほうが楽なんですよ。
中途半端な知り合いになると、挨拶はしなきゃらならない。
この挨拶がもう面倒。だから中途半端な知り合いがいないほうが楽。すれ違う人、みんな知らない人って素晴らしい。
自分が選んだ人だけで人間関係を作りたい。自分は選ばれないかもしれないけど。それならそれで。
厳密に言えばダメなことなんだろうけど、そのダメなことが直接自分に被害がないことでも、ルール違反、マナー違反ってうるさい人が多い気がするんだよね。あれはなんなのか
新型コロナウイルスの時代をベースに書かれた小説を見て思い出したこと。
当時やっていたパート先にいた大学生、コロナが怖いということで来なくなった。距離感が妙に近いフレンドリーさを勘違いしてる感覚が好きじゃなかったから正直良かった。コロナが落ち着いた頃、シレッと客として来ていたけど、気が付かないふりした。
この大学生、コロナがいかに怖いかをお得意の距離なしエセ親近感で熱弁をふるっていたように思う。ニュースでここでクラスターが発生したとかなんとかを、その話題が仕事に関係あることかのように話していたので、あれは“仕事の話“の一部だったのかもしれない。
その“仕事の話"の中で、大学生は一人で居酒屋に食事に行ったとのこと。あんなに怖がってるのに居酒屋⋯しかも一人なら家で食べればいいものを⋯という心の声がするのを抑えて聞こえてくる“仕事の話"に耳だけは傾けていると、その居酒屋で飲んでいたグループと仲良くなってなんちゃら⋯と話しだして、ああ、こうやってクラスターという集団感染って発生していくんだなーと理解した。
怖がっているから対策している気になってしまう。そんなことは他のことでもあるのかもしれない。コロナは恐ろしいものだと理解しているし、ニュースで動向もチェックしているから大丈夫。だけど怖い。それはそれで居酒屋に行こう。ご飯を食べよう、なんか他の客と仲良くなってしまった。ああ、これ、何話しても興味なさそうなパート先の人に話そう。自分はこんなにフレンドリーになのに話が盛り上がらないからバイトが長く感じるし。
こんなところだろう。
コロナが怖いから来なくなった⋯でも本人が怖がってたものって本当はそれじゃない他の何がだろう。
母の日に売っているカーネーションの花びらを模したチョコレートが乗ってるケーキ食べたいんだけど、自分で買ったらあてつけみたいに見えるから出来ない。
母の日はいかなる場合も日曜日だから平日にそれを食べることが出来ないのがもどかしい。
歩調を合わせようとしているとトラブルに巻き込まれやすいのがわかった。
私は私のペースを絶対変えない。スタスタ歩く人に合わせているだけだど、それしか出来なくなる。
現代人はみんな傷つきやすいとか言われますが、その中には傷つきたがっている人もいて、そしてきちんと傷ついて、その傷を見せてくる人も随分いるんじゃないかな?と考えたりしました。
私も傷つきたがっていないか、それは振り返りたいなと思います。
綿矢りさの「嫌いなら呼ぶなよ」を読んで
同タイトルの短編小説集の中にある、この話です。
今回読んだ小説は妻の友達の自宅に呼ばれて、妻の友達とその配偶者たちという家族ぐるみで自分のしでかした悪事、つまり不倫をホームパーティーという場所で家族ぐるみで弾圧されるという展開でした。
男性側の視点で妻の友達との付き合いを心の中では嫌がっているというのがまず新鮮でした。まあ、性別問わず苦手な状況、人っているもんだからなと考えると普通か。ある意味無理して来てるのに、突然、裁判が始まると。
この男性が悪いんですけど、やってることは全然共感出来ないですけど、誰も味方がいない状況、全員が妻側の人間で、しかもただのホームパーティーに付き合って来ただけなのに、唐突に始まる裁判⋯実際の裁判のほうが自分側にも弁護士もいて、日時も決まっていて、マシなんじゃないかと思われるほどでした。
不倫とか全然共感出来ないのに、この状況のせいで男性側の視点になっちゃうのが面白かったです。
やっぱり、配偶者や恋人の友達って、自分の友達じゃないよなーと。配偶者の友達に会う状況って、小説やドラマでよく出てくると思うんだけど、ぴったりハマらないパスルのような状態になるから物語として成立するんだろうなと。
長所も短所も繋がっているから、短所を直したら長所も自然と無くなるみたいな表現も、自分もそれは常に思っていることで、バランスの取り方が難しいなと感じている部分のひとつですね。だから不倫を止めたら今までの自分の良さも消える⋯そんなところかもしれません。
タイトル通り、「嫌いなら呼ぶなよ」なんですよね。大人になると嫌われてる、または好かれていないのに呼ばれてお互いに疲弊するってやっぱりあるんですよね。それなら仲間外れのほうがマシ、子どもがよくやる仲間外れのほうがわかりやすくて良いなんて思う感情も共感出来てしまった。
共感出来てしまった⋯なんて書かなきゃならないのは、やっぱり不倫してるし、ちょっとナルシストで自己愛が半端ないし、共感すると自分もそっち側の人間と思われてしまう?という不安から、そんな書き方になってしまう。表面に出ている悪事は共感出来ないけど、その内面は共感出来てしまったり、人間は難しいですよね。とりあえず嫌いなら呼ばないでって私も思う。そういうお呼ばれがないのが平和かも。