まあ、大人としてはやっぱり字は綺麗に書けたほうがいいのかもしれないが、そうすると、また努力することが増えちゃうから疲れちゃうんですよね。
「大切な人との今」を慈しむべきだという言葉は、痛いほどよく分かります。でも、同じように「今の自分」だって、今この瞬間にしか存在しません。自分が自分をないがしろにしたまま、誰かを本当の意味で大切にすることなんて、きっとできないのだと思います。
以前、自分を置き去りにして周囲に尽くしていた時期がありました。心は悲鳴を上げているのに、無理をして「良い自分」を演じていた。けれど皮肉なことに、自分を犠牲にすればするほど、周りからは大切にされませんでした。
自分を削っているという自覚があるからこそ、相手の反応をすべて「対価」として求めてしまい、少しでも期待が外れると苛立ちが募る。そんな殺伐とした空気を纏った人間に、優しく寄り添ってくれる人なんて、そうそういないのも現実です。
それでも、ただの他人ではない「特別な誰か」には、その手を掴んでほしかった。一番助けてほしかった瞬間に、その手を振りほどかれた記憶は、今も消えない棘のように胸に残っています。
結局、自分を守れるのは自分しかいない。それを教えてくれたのが、あろうことか「ずっと一緒にいたい」と願っていた人や場所だったというのは、あまりに皮肉な話です。
世間一般の「正しい在り方」から見れば、今の私は冷淡で、悪い見本のように映るかもしれません。けれど、誰かのために自分を擦り切らせていた頃より、今のほうがずっと幸福を感じている。そして不思議なことに、適切な距離を置いた今のほうが、周りの人たちも以前より笑っているように見えるのです。それが私の思い込みだったとしても、密着しすぎてお互いが苦しかったあの頃より、ずっと健全で楽しい時間が流れています。
結局、物理的な距離や一緒に過ごす時間の長さが、愛情の深さを決めるわけではないのでしょう。
そんなことを考えながら、今日もひとりでコーヒーを飲んでいました。
こっちの説明が悪いから理解できなかったみたいなオーラ出してくる人いるんですけど、結局、自分の聞きたい情報だけ聞いて他は聞いてないから理解出来ないんですよ?って思うことがある。
とある同じ商品、2.5倍!という表記のものを以前買っていて、また同じ物を買ったつもりが、同じレイアウトで2.5ヶ月分!になっていました。2.5倍の方が量は多く、以前いくらで買ったか忘れましたが、ああ、なんか騙されたのかもしれないと感じてしまいました。
バレンタイン催事で買ったチョコレートが美味しくて、もう食べ切ってしまいそうです。
自分のために買って食べるというシステムだとバレンタインは好きですね。あげなきゃならないとなると、シンドイけれど。
大学生で就活をしていたとき「転勤出来ますか?」と聞かれたことがあります。
「私自身、親の仕事の都合で引っ越しを何回も経験しております。環境の変化には強いと自負しておりますので、転勤は出来ます。」
こんな感じのことを言ったと思います。ただ、これは嘘です。
「私自身、親の仕事の都合で引っ越しを何回も経験しております。そのためは人一倍環境の変化に弱くなってしまったと理解しております。ですから、転勤はしたくないです。」
本当を述べるなら断然こっちですが、それだとうまくいかないからね〜
結局はその会社は不採用になったけど、間違って採用されて転勤をバンバンしているような自分だったら、今の生活はないだろうな。いいように変わるよりは、心身ともに擦り減っているだろうと思う。もう子どもの頃で引っ越しのHPは使い切って回復しないんですよね。環境の変化に恐怖を覚えるのは、間違いなく転校が多かったことに起因してるので。それでも大丈夫な人もいるだろうけど、私の性格だとこうなってしまったということです。
だからもう決まったところで適当に暮らしたい。
最近買った豆乳とかスープ作れる家電が毎日フル稼働してる。
そんなにいらない家電だと思ってたのに、休む暇なしだ。
思ってたより5倍くらいポタージュスープが好きらしい。
豆乳も飲むというより食べる感じになってる。
出来立てがあつあつなのでふやかしておいたゼラチンと混ぜるだけで豆乳ゼリーが出来る。
ただ固めておいて気分で甘くしたり辛くしたりしてる。美味しい。
豆丸ごと豆乳にするタイプなのでどうしてもざらつきがあるからコーヒーや紅茶に入れるのにはちょっと向かないんだよね。
豆そのものを食べてる感があっていいんだけど。
豆乳買わなくなったから買い物が少しだけ楽になった。
Amazon
イカ
ウザい
英語
面白い
Amazonプライムの来月の配信は何かな?と検索しました。
特にこれ!というのはありませんでした。最近は画面を2時間近く見るのがキツイです。そんな中で3時間の国宝を観れたのはすごいなと自分で褒めておきます。ただ、あれは映画館だからどうにかなった。
最近、人会うのが億劫なのは年齢のせいもあるんだろうな。
元々交友関係も狭いし、自分の性格上、1人の時間は好きだし必要だから年齢のせいなんて考えたこともなかったけど。
狭い交友関係ながらも、会うと楽しいし、それは今でもそうなんですが、それでも会うことを決めるところから、ご飯を決めて、話す内容もところどころセーブしてって疲れるのは当たり前らしいです。脳にとってはそれは疲れることらしいです。若い時は回復も早いけど、年齢を重ねると回復が遅くなることは普通なので疲れることは異常ではないそうな。
自分比で見ると…確かに若い時はそれなりに交流するようにしてたことはあったかも。それでも疲れてたけど。変な言い方をすると疲れを実感するエネルギーがあったということですね。疲れたーーー、楽しかったけど、アレは疲れた、コレはシンドイ、疲れたーーーと疲れもテンション高くいられたんですよ。
でも、今は疲れに向き合うエネルギーがなく、でも疲れているから本気のシンドさを感じますね。経験値だけは増えてるから、じゃー疲れるから何もしなくていいや、会わなくていいや、寝る!みたいになってます。
昔と比べるとやっぱり変わっていないようで変わっていて、それなりの自分も若かったんだなと思うのです。
不惑を迎え、知命に向かって毎日息をしてるだけの状態ですが、何のために生きるのかを知ることなんてこの先本当にあるのか疑問ですね。ただ食べて寝てる。それが出来ているだけで私は満足したいです。
新しい布団を買ったんです。それが明日届くから楽しみです。
今の布団はもらったものだけど、もう15年以上経っていて解れて中身がときどきでてくるので買い時かなと。
最高級ではなくとも、良いものを選んだつもり。昔は布団にお金かけるなんて考えられなかったな。