2026.07.02Thu
非表示 08:39

最近、音楽系のサブスクを変えました。
去年に変えたかったけど、年間契約していてちょうど更新されたばかりで勿体ないから惰性で使ってたけど、ついに変えたよ〜
あっちにはなかったら曲やアルバムが意外にもあって新鮮ですね〜
やっばりこういうサブスクサービスは快適なのが一番よね〜


非表示 06:01

夢で高校のときの友達が出てきて久しぶりなのに楽しそうに話してた。夢から覚めて、ああなんだろうこの感じ。形容しがたいへんな気持ち。
一方で観察用に見ているSNS。これも高校のときの友達だ。今日の夢に出てきた人とは違う人物だけど、私を含めて3人で仲良くしてた。もうこの子のことは嫌い。
ご多分に漏れず、SNSを観察していたら旦那さんと落ち着いた店で食事している写真をこれでもかと乗せてたなー
見なきゃいい。その一言に尽きるのかもしれないけど、こういう誰も傷つけないように見える投稿こそしないほうがいいと思った。
なんとも思っていない日常に変な刺激や記憶を呼び起こさせて、自分の生活と勝手に同期して、劣っていない部分、欲しかった部分が急に浮き彫りになって涙が出た。
じゃあ見なきゃいい。本当にその通りだけど、私は見るのをやめないと思ってしまう。夢で出てきたあの子はSNSを探せていない。やっていないのかも。でも、わからない子のほうが近況を知りたいかも。でも、会ったり連絡取り合ったりはもうしたくない。それこそSNSの距離感で知りたいくらい。

2026.07.01Wed
非表示 10:24

ちょっと遊びでAIに「この文章を村上春樹風にして」と指示したら、やれやれ⋯からスタートしていかにも感があってよかった。
7月もやれやれ⋯から始まります。


PMAとDDD

非表示 05:42

ポジティブ、メンタル、アティチュード
ようするに何でも前向きににいこう!という意味らしいです。
Positive Mental AttitudeでPMAなんて一部界隈ではよく使われてるみたいです。意味は悪いものじゃないですけど⋯
私の知ってるある人で、この言葉をよく唱える人がいるんですけど、この精神性があれば何をしても許されるみたいに思ってそうで苦手なんですよね。
観察用で見てるSNSにもよくこの言葉が出てきて、やっぱり内容も自己陶酔という自己肯定だからシンドい。自分で勝手に陶酔して自分で終るんじゃなくて、結局人を巻き込んでいるんですよね。そういうふうに言われた私!どやどやどや!なんですよ。周りにいる人はそんなどやどやどや!Doya Doya Doya!DDDを褒めないと何かが終わらない雰囲気を醸し出しているから褒める。そしてそれをPMAとして受け取ってSNSにあげる⋯
最近はこの一連の流れをPMAってる。プマってるなーなんて思っています。まだ付き合いがあったころはこの言葉を取り出してプマってたな。あの頃は今みたいにネットがそこまで発達してなかったから気が付かなかった。そんなにプマ味も感じなかったけど。
ありがとうごめんなさいが言えればそれでいいとよく言っているのもこのプマってるだけなのかなと。それを言っておけばどうにかなる。みんな自分の思い通りに出来る。このプマとDDDで生きていってる。プマに気をつけたい。

2026.06.30Tue

退職から3年

非表示 15:48

退職から約3年が経過し、当時の職場とは音信不通となっていますが、結果的に私の不在は組織にとって好ましい状況をもたらしたと考えています。
​在職時、私は「パートタイマーとしての契約(既定の業務範囲・就業規則)」を厳守して業務に臨んでいました。キャリアアップや過度な業務拡大は望まず、割り切って「時間内・規定通り」にこなす働き方を求めていたためです。しかし、そのスタンスが周囲には非協力的、あるいは不快に映ってしまったようで、私としては対応に苦慮しておりました。
​特別なスキルや高い意欲をアピールして働くつもりはなく、あくまで契約の枠内で適度に就業したい自分にとって、その最低限の境界線すら受け入れられない環境であれば、退職を選ぶほかにありませんでした。
​現在のあの職場は、業務範囲の枠を超えた柔軟な対応や、規定に囚われない進め方がなされていることでしょう。そうした空気感の中で、皆様が不満なく円滑に業務を遂行できているのであれば、お互いにとって良い結末だったと捉えています。


非表示 09:22

嫌いな人や苦手な人のSNSをわざわざ見るのは、きちんと今日もその人のことが嫌いかどうか確かめる役割があるんじゃなかろうか。
今日もムカついた〜と思うことで、自分の価値観がブレていないことを確認する。そんな感じだと思う。


非表示 06:01

自分が何かに役に立ってるという感覚が生まれてからずっとない。
育ってきた環境のせいもちろんある。両親は私を役に立たないと何度も思っていただろう。
働いても、結婚しても、子ども産んでも、誰かの役に立ってるという感覚が全然ない。
最初に書いたように育ってきた環境のせいは本当にあると思う。父親にいたっては「役に立たない!」と直接言ってきたこともあるし、母は父親のような直接的な言動はなくとも、私の物理解の悪さにイライラしていたし、私にお金をかけたくないのも役に立たないと思っていたからだろう。
両親の目の届かないところにいても、役に立たない自分がいるのだ。役に立つ立たないを考えなくてもいいのかもしれないけど、最近よく考えてしまう。私は役に立ってないなーと。
でも、ただの細胞なのになぜ役に立たなきゃならないのか。そんな気持ちを盾になんとか生きてきたけど、別に役に立たない細胞だしな⋯とまた戻ってくる
働いても社会のためになってる気はしなかった。私いらないなーなんて必ずどこかでも思って、そして辞める。
少子化。だからこども2人産んでたら、国のために産んだわけじゃなくとも、役に立っているはずなのに全然。子どもが悪いとかではなくて、私の視点で見るだけの話。この辺りの表現は難しいけど。子ども産んだのになんか居づらい感じ。けっこう体験してきた。なんだろう、あの感覚。わかる人いるかな?
まだ子育て中の身だから達成感なんてなくて当然なのかもしれないが、少子化の世の中で産んでも何の賞賛もされないし、賞賛されたいから産んだわけじゃないけど、私が勝手に産んだんだから!と言われて放置されてる感覚はずっとある。
私が親として役に立ってないって思いもある。普通に出来ることが出来ない人間という自覚はあるので、そんな私が親になっても役に立つことなんかできっこないのだ。
あー。私はずっと役に立たないまま何をしてもそう感じて生きていくのかな。別に誰かのためになりたいって思ったことがないかもしれない。子どもは確かに自分が産んだからやれることは、やってるつもりだけど、普通の親としてはたぶん足りないんだろうな。役に立つ人生とはなんなんだろう。

2026.06.29Mon
非表示 15:11

こっちから頼んでないのに「アレ、買ってきてあげようか?」と言われてお願いしたら。アレを買ってくるのを忘れてるんだよね。買って来てくれるっていうから買ってこなかったのになー。しかも私から頼んでない⋯ってなる。微妙なモヤモヤ。けっこうそんなことがありがち。


非表示 08:48

「私は温かく見守ってる」というのをわざわざ主張するところが怖いんです。
それは温かく見守ってることになるんですかね?
おなかすいたな。


非表示 08:47

どういう意味の「偏り」という意味で使っているのかわからないけど、ピザは栄養的なことなら偏ってるだろうし、大きさのことならぴったり平等なんてありえないんです。
ピザに準えてウマいこと言おうとしてるけど、それこそが偏ってます。

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