相手に期待しなくなったのも、変な言い方すると愛ですよ。
面白くなくとも、話し聞いてなくとも、そんなものかと割り切ってあげてるのは、愛がないと出来ませんよ
好きな画家の個展に行った。青を基調とした色合いで、映画の中のワンシーンを切り取ったような絵を描く人の作品。たまにSNSで作品の写真を見ることはあったけど、実物を見るのは久しぶりだった。
結構昔からお気に入りの画家で、いつか1枚買って部屋に飾りたいと思っている。
週末、天気が悪かったせいかずっと頭が重かった。休みの日もしばらくはやることがいろいろあり、落ち着くのは夏が終わる頃になりそう。
気分転換ができてない訳じゃないけど、心の片隅に常に気になることがあるというのはあまり良くないなと思うので、早く楽になりたい。
歯医者さんは就業時間後に行こうと思っても
診察時間が過ぎてしまっている。
美容院も同じく。
休みの土曜日か日曜日に予約をしようとすると、
かなり先の予約になる。
役所や銀行もそう
お昼休みは窓口閉まってるし、
就業時間後ももちろん閉まっている。
有給使えばいいか。
私の有給は歯医者さんか美容院に行くため。
なんだかなぁ。
外、空いてる気がする。
ワールドカップのおかげか。
これくらいの人ごみならいいのに〜
週末はカフェもすんなり入れないし疲れる。
久しぶりにふたりで出かけた。
ランチをした。
もうキスもハグもない関係。
あなたはいつもたくさん話してくれる。
わたしはそれを聞く。
きっとそれは、とてもしあわせなこと。
でも、あなたは、わたしのこと見てくれてますか?
わたしはずっと孤独です。
でも、今日ランチできてうれしかった。ありがとう。
ADHDのパワー系ソリューション というタグを先日知って遡って読んでいたが、非常に有益な情報が多くて感動した。でも同時に、こんなソリューションにたどり着くまでの試行錯誤や苦悩を思うと胸がギュッとする。
私自身がADHDなのかは分からない。ただ、子供の頃から「他の人が当たり前にできることが自分にはできない」感覚はよく知っている。忘れ物常習犯で、部屋はカオス、制服はいつも汚れていて、髪もろくに整えられず、臭くなった体操服を洗わずに周囲から非難されるような子供だった。
自分でも何とかしたいけど、どうしていいか分からなかった。大人になってから少しずつ、洗い替えを用意する、ウタマロ石鹸を使う、脱いだらすぐハンガーにかける、靴下は同じもので揃える、必要な物はバッグに固定する、みたいな自分なりのソリューションを身につけてきた。今では遅刻もしないし、時間より早く着いて待つ側になった。
でも、子供の頃にそれを教えてくれる人がいたら、と思うことはある。母子家庭で余裕がなく、母もいつもテンパっていたから仕方なかったのかもしれない。でも、洗濯された制服やハンカチが用意されていて、髪を結ってもらえる同級生が羨ましかった。
だからこのタグを読むと、人ごとに思えない。私よりずっと生活しづらい方も多いのだろうし、その中でこれだけ多くのライフテクニックを生み出して共有していることが本当にすごい。苦労を想像してしまうからこそ、余計にこのタグの価値を感じる。
私が好きだったアニメが再放送するらしい。もう30年前近くの作品。でも、もう観ようとは思わなかった。あの頃のあの時じゃないと意味がない。
当時、野球中継があって、父親にチャンネルを奪われゆっくり観ることが出来なかった。「どこが面白いの?」という圧迫もセット。
逆に弟たちが観たいものは、それほどの圧迫をかけてなかったように思える。
あの頃、当たり前にゆっくりと観たかった。CMになったら変えられちゃうからCMになるな〜とも思ってた。
でも、そのCMも私は観たかった。そのアニメが載ってる月刊誌だったり、その世代向けの玩具やお菓子のCMを観ることが出来るので観たかった。
私は子どもだったから、アニメを観たいことを猛アピールした。
みたぁい、みぃたぁい〜〜。アニメのタイトルを連呼したりもした。
その姿を弟たちは真似した。でも親は注意しない。そういう家だ。
この事を何年も経って大人になってから弟に謝罪されたことがある。あの真似は確かに嫌だったけど、周りの大人、つまり両親が作り上げたものだからしょうがないのだ。そういう意味では弟も被害者かなと。
単純にあのアニメ懐かしい〜って思うだけの感情をくれなかった家庭環境を私は今でも好きになれない。好きなものだけど負の感情、記憶も付いてくる。そんなことがよくある。単純に好きだけでいたかった。
何も
苦手
抜け
年齢的
飲ん
年齢的に何も苦手じゃないといえば苦手じゃないけど、全部苦手といえば苦手だし。抜け出したいし、お酒は飲んでないけど麦茶とコーヒーくらいなら好きなときに飲んだりしたい。
と無理矢理、予測変換に出てきた言葉から文をつくってみた。
善意という綺麗な包装紙を剥がすと、中から身勝手なエゴが顔を出すことがある。こちらの都合などお構いなしの押し付け。断れば、なぜかこちらが薄情者として仕立て上げられるあの理不尽な息苦しさは、今でも忘れられない。私の状況を勝手に決めつけ、都合のいい免罪符にして踏み込んできたあの人の言葉は、何年経っても心の底に苦い澱のように沈殿している。
だからこそ、その人に唐突で凄惨な悲劇が起きたと知った時、世間並みの同情や悼みの感情は湧き上がってこなかった。真っ先に胸をよぎったのは、かつて傷つけられた記憶の反射であり、「因果が巡ったのだ」という冷徹な事実の確認だった。
道徳的な正しさを演じる必要なんて、もうない。相手がどれほど大きな悲劇に見舞われようと、私が受けた理不尽な痛みや傷跡が帳消しになるわけではないのだから。
他人の領域に不躾に踏み込み、自分を正当化する盾を振り回す人。そんな歪んだ熱量に巻き込まれ、悪者にされる場所からは、ただ静かに、全力で距離を置きたい。自分の平穏と境界線を守るために、あの時感じた冷ややかな違和感を、私は静かに抱えて生きていく。
子どもが通っていた幼稚園で担当の先生が急遽辞めてしまって、それで退職した他の先生に臨時で3ヶ月だけいてもらったという経緯があったんですけど。
この3ヶ月いてくれた先生のために壮大なお別れ会をしたり、色紙書いたり⋯なんか疲れたなーという思い出。
それを企画する他の保護者がいるんですが、その流れを書いたプリントの一文に「先生にプレゼントがある人はこのタイミングで渡す」とか書いてあるんですよ?え?もう色紙も書いて、合同のプレゼントのために少額だけどお金も出してるのに、個人でプレゼント???と疑問に思ったんです。
ちょうど近くにいた違う保護者が小声で「これってみんな渡すのかな?自分だけ持ってきてなかったら、なんかきまずい⋯」みたいなことを言ってきたので、それは確かに私も思ったことなんで、企画の保護者にその旨を伝えたんですよ。私が。その個人的なプレゼントはなしってなったんでホッとしたんです。
ところがその保護者がそれからしばらく数ヶ月が経って、他のことを私に手伝って欲しいというから、まあ、渋々引き受けてたんですけど、その時にボソリと、あのお別れ会、一生懸命企画したのに個人のプレゼントに意見されて悲しかったみたいな趣旨のことを言い出したんですよね。私に代表して言ってるのか、私だけが文句を言い出したと思って、こことぞとばかり言ってくるのか謎でしたけど、変な苦さのお茶を飲んだような違和感はありました。
子どもが幼稚園のときって、こういう面倒なこといっぱいあったな。勝手に企画されて付き合わされて、ちょっとでも合わないと微妙な空気感になる。その保護者も役員をやっていたから、その仕事として全うしようとしてたのかもしれないけど、ちょっとやり過ぎだし、面倒な企画を役員の仕事の範囲をこえてやってたなーという印象。やってくれたことに感謝しなくてはならないから誰も何も言えないけれど、私はあの人が苦手だったな。嫌いになれない人を、自分だけにわかる理由で嫌いになるときってツライですよね。大人になると、いい人を嫌いになる機会がけっこうあって、それに息苦しさを感じますね。キツイ香水嗅がされてるのに、高級品だから褒めなきゃいけないような、そんな感じです。