2026.03.14Sat
非表示 09:32

今日ライブでーす
何気に対バンライブに行くのは初めてです
たのしみー
そして場所も初めてで楽しみー
体力だけが心配〜


非表示 06:24

まあ、やられたらある程度やり返すのは効果ありますよね。
やり返されないと思ってやってくるんだからね。
いい感じでやり返しましょう。


非表示 06:19

人にキツくあたってきたり、酷い言動をしてきたり、そんなことして来てるんだから、私のことが嫌いだし、私に嫌われても構わないと思ってそんなことをしてきているのに、私がホントもう嫌いだわ、無理だなと思って、それを態度に出すと焦り出す変な人を何人も見てきました。
それで、なんで嫌われたのかわからないということを宣うんですよね。
自分が嫌われることを恐れているのに、人に辛辣な態度をしてきてその構造が謎です。
身近な人でいうと、父ですね。私から嫌われてると悟ったら、距離を置いてくれました。なんか私に対してヒビってるんですよね。あんなに怒鳴ってバカにしてきたのに、私にビビってる。これも私の主観といえばそうですが、なんか人って変な言い方すると面白いなーと。
このビビリってなんですかね?私には何を言っても大丈夫と思っていたのに、それに気がつかれたことに恐怖を感じているのかもしれません。そして、正しい態度で接していない自覚があるから、何か起こされて、自分の悪事や立ち位置が崩れるのを恐れているのかもしれません。
そう考えると、とても弱いなと。可哀想なくらい弱い。べつに私は強くもないし、自分で自分のことを出来が悪いと思うけど、それを材料に威圧されたくないんですよね。バカは自分のために使ってるので。私のバカはあなたが私をバカにするための素材じゃないんです。そんなことにも気がつかないなんて、あなたも違う種類の馬鹿なのかもしれません。

2026.03.13Fri
非表示 15:55

どこかで楽しくやってるんだろうとは思ってるよ

あなたに教えてもらった世界だから
あなたの存在はこの世界に重なっていて
いないとぽっかり穴が空いたみたい

この世界をわたしも楽しみ続けるよ

穏やかな時間が流れますように。

ありがとう


非表示 11:33

今日の晩御飯、どうしたらいいのか
何も浮かばない
何も浮かばないのに浮かび上がらせなきゃならないのがしんどい。
勝手に天ぷらとか浮かび上がって、そのまま食べたいよ


非表示 05:38

あーまたですね、、、
ドラマチックな自分投稿、、、
観察用として見ている元友人のSNS、やっばり世間的に節目の日には大仰な投稿、あると思ってました。
「あの日を忘れない」ってよく言われますし、それは大事なことですが、「忘れない」の論点がズレると結局、自分が今幸せで⋯という話になってしまうのかもしれません。
同じ悲しみが起きないために、心構えや備えを充実させていこうというところが目的で「忘れない」ってことなんじゃないかと。
だから、悲しいけどツライけど、当時の話をしてくださる方がいる。それに乗っかって、今、自分が家族に大事だと伝えたとか、家族がこの15年でこれだけ成長したとか、イベントに友達と行けることに感謝とか、自分のそういうことを振り返って表現する日ではないんじゃないの???と思ってしまう。それを大事にするためになくさないために出来ることを考えようという日だと思うんですよね。
その家族が成長した年数や、友達とイベントに行ける日常とか、そんな普通のことが消え去ってしまって、思うように動けない人もいるとは思うんです。それを節目に便乗して自分の幸せを象ってくるだけの人間、私はやっばり好きになれないし、軽蔑してます。
楽しんでもいいし、喜んでもいいし、誰かに悲しいことがあったから自分もずっと悲しいモードでいなさいということではないんですよ。それぞれのタイミングでそれぞれ嬉しいことも悲しいこともあるでしょう。ただ悲しいことが起こった人が多かった日が節目とされているので、そこに乗っかってただの幸せアピールって何も考えていない人より立ち悪い気がします。
黙って祈る。それって大事なんだなと。

2026.03.12Thu
非表示 16:02

自分だけが集めてるおもちゃのような感情とでも言いましょうか。
それをまだ大事にとってあって、取り出しては眺めて、また仕舞い込む。
何にもなかったし、一方的なものだったけど、何にもなかったから、何年も取り出して遊べるんだよねー


非表示 15:11

どこまでもことなかれ主義
その場にいないからわかりませんだと
どちらが悪いとか判断できませんだと
ため息しか出ない


非表示 08:02

震災に託つけて、自分がどれだけ素敵なことを言ってるか、恵まれてるかをアピールするだけのあの人、今年もソレ、やってましたね。
不謹慎な人って、実はこういう人のことをいうんだと思う。


非表示 06:02

谷崎潤一郎の春琴抄を読みました。
内容は盲目の三味線奏者の春琴とそれを支える仕事(丁稚でっち)をしている佐助との2人の話ですかね?
谷崎潤一郎の小説は痴人の愛と卍を読んでますが、小説によって文体が異なるけど、同じ小説家が書いたと思われる芯の部分は変わらなくて、あの時代だからこその煩悶と現代にも続いている煩悶が繋がってるんだなーと思わせる作家かなと思います。
正直、春琴抄は読みづらくはあったんですけど、一線は越えていても、まだ一線はある2人の関係とか、単純にもどかしいっっ!て恋愛ドラマで感じるものではなくて、そういうものなんだなと思わせる関係性がリアルのようなそうでもないような⋯でも、この冷たさがある意味リアルなんだろうなとも感じるのです。
盲目ながらも周りの反応で、自分が美しいんだろうと悟っていた感覚も、だからこそ襲われて顔が酷いものになってしまっただろうけど、自分では確認出来ない焦燥感があったんだろうなと。そして、そんな春琴を見て自分も自らの手で盲目となった佐助。普通はこんなこと出来ないけど、これがあって春琴の心は佐助に一歩寄ったけど、一歩寄った春琴からは半歩は下がった佐助に人間の複雑さや面倒臭さも垣間見えました。
だけど、結局は春琴が亡くなってからも、春琴を心に置いて生涯を終えるところも通じ合っているけど、お互いにそれを確認し合うことは拒否したことにより、長い時間絶妙な距離感で触れ合ってたんだろうかと。子どもも出来ているけど、その子どもに対しては驚くほど2人とも執着していないし、絶妙のラインを引きながらの通い合いの結果、子どもが出来ただけって感じなんだろうかと。
理解しきれない部分もあるけど、深い意味で通い合うって何?と問う作品でもあったのかなと。だから、こんなことまでしてるのに?春琴のために目を潰してるのに?と私の感覚では単純に考えちゃうことをもっと広く深く表現したものが、春琴抄なんでしょうね。単純に考えるほうが楽だけど、単純じゃないってことも実はみんなどこかでわかってるんですよね。でも、落としどころをつけて納得しないとさせないと収まらないからそうしてるだけなのかもしれません。

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