心が落ちた瞬間の言葉が絶対あったというのは覚えているんだけど、それが具体的になんだったのかを全然覚えていないのです。
もう20年近く前のことなんで、忘れてもしょうがないんですが、節目となった言葉であるはずなのに忘れるとは。
でも、なんで忘れてしまったのかもわかるんですよね。もうそのシチュエーションは絶対に訪れないから。相手にとっては刹那的な感情だったけど、私にとっては、その言葉があっただけで報われたような肩の荷が下りたような、そんな言葉だったはずなんです。
だけど、20年近く共に時間を重ねて、その感情や言葉が私に向けられることはないんだろうなと実感しております。言葉は覚えていないのに、もう二度とそれは訪れないというのがわかるのがなんともいえませんが。
もう訪れないからこそ、忘れてしまったんでしょうね、本能的に。だからといって何かが終わるわけでもないし、はじまるわけでもない。もう惰性で歩き、期待したいことは覚えない、でも、して欲しくなかったことは覚えてるくらいが、これから先の20年にはちょうどいいのでしょう。
いつも紅茶はストレート無糖で飲みますが、砂糖を多めに入れて、途中からミルクも入れてみた。
これだけのことだけど、美味しかった。
コーヒーもブラックだけど、明日は砂糖やミルクも入れてみようかな
果物が食べたいと連絡が来た。
彼は、朝から病院や役所巡りで疲弊したようだ。
私は、買って帰るね。と、返事した。
ありがとう。と、返事があった。
こころが悲しくなった。
私も仕事してるんだけどな。
なんで私ばかり。となってしまった。
買って帰ると言ったのは私だ。
買って帰ってきてなんて頼まれてない。
逃げ出したいな。
彼を労いたい気持ちはあるし、だからこそ買って帰ると言ったが、モヤモヤしてしまっている。
どうしてだろう。
久しぶりにちゃんぽん麺食べたら美味しかったなー
母がちゃんぽんマズイって言ってたから、私もそれに合わせる感じだったけど、今はちゃんぽん好きですね。自由になったな。
人生は顔に出るっていうじゃないですか。顔の美醜ではなく、表情とか、目つきとか、口元とか⋯生きれば生きるほど刻まれていくというか⋯
昨日、久しぶりに全然会っていない父のSNSをこっそり見たんですよ。そうしたらやっぱり顔が近寄りがたいタイプの人間になってました。
私の表現力が乏しいのがもどかしいのですが、一目でああ、ダメな人だ⋯とわかる感じというか私以外にも父から離れていった人はたくさんいるんだろうなと思うような見た目⋯
私は父がどんな人間かを知っているから、余計にそう思うのかもしれないけど、怒鳴りそうな顔って思ってしまった。
人相なんていうけど、結局自分の知っている情報を付け足して判断してしまうのかもしれないけど、全然会わなくて正解だったなと自分には言ってあげたくなった。
早退して呑みに行く。(早退と言いながらも事前申請の正規手続済)
夫の食料を調達しつつ飲み屋さんへ。
いつもの終業時刻に 夫から 遅くなるとの連絡がきた!
モヤモヤが晴れたよね。
楽しく過ごしてくれればうれしい。
健やかに過ごしてくれることが一番の望み。
そこに私がいないだけの夫婦関係。
よし!晩御飯のこと気にせず飲むぞ!
ホッとした気持ちとこのままで大丈夫なのだろうか が入り混じっている。
否定されていないからって肯定されているわけではないことは肝に銘じたい。
でも、けっこういませんか?それ、肯定は別にされてませんよ?ってことを、私の気持ちや意見は肯定されてる!正しい!ってタイプの人⋯
休憩室でしか会わない人がいる。
挨拶だけの関係。
会話ゼロ。
狭い休憩室で少し離れて、おのおのスマホみたりボーッとしたり。
ただ、その方のにおいが鼻につく。
口臭なのかな?でも、マスクもされてるし。
不潔な感じもない。
どこかお身体悪いのかなと勝手に心配してしまっている。
三
しか
好きな
善良
それも
全然意味わからないな⋯
善良だけはわかる。傲慢と善良というタイトルの小説をAIが勧めてきたけど、それもう読んだよって会話してました。
みんなはいい人って言うけど、私はそうは思わないという展開の小説教えてって聞いたら、勧めてきた中の一部にその小説があった。確かにそんな感情がベースにあったような内容だった気がする。
どうしようもない会社で働いている自分にイライラしている。
そこを選んだおまえが悪い、自己責任と言われてしまえばそれまでなのですが、そう思うからこそ自分が情けなくて腹が立つ。
会社が悪い、働いている人が悪いというと人のせいになるし、辞められない自分も悪い。
ここにいても何の成長もしてこなかった10年間。
置かれた場所で咲くんじゃなくて、できることなら自分の置く場所を探してくださいね。