もう何ヶ月も前かな?1年前以上前かな?こういうサービスあるよってココを匿名所で教えたんだけど、1回くらいは使ってくれたんだろうか?ふとおもいだした。
私も他の人が「snsはこうだしブログはああだしnoteはアレだしnisshi2はこうで〜」と使用感を比較してた書き込みから知ったんだよね。日記サービスとしては心地良いと感じる。
問題はここの存在をよく忘れる
もう何ヶ月も前かな?1年前以上前かな?こういうサービスあるよってココを匿名所で教えたんだけど、1回くらいは使ってくれたんだろうか?ふとおもいだした。
私も他の人が「snsはこうだしブログはああだしnoteはアレだしnisshi2はこうで〜」と使用感を比較してた書き込みから知ったんだよね。日記サービスとしては心地良いと感じる。
問題はここの存在をよく忘れる
最近、微妙な頭痛が毎日あるなぁ。
薬を飲むか迷うほどの。
でも結局飲んでしまう。
なんなのか、これは。
やっぱり年齢かな。
つまらない趣味、1位コレ、2位ソレ、というのを見たんですが、そもそも趣味というのは自分がたのしければ良いので、他人がつまらないとかジャッジするのことがおかしいと思うんですよね。
高尚な趣味だろうが、自分に興味がなければつまらない。でも、その人にとってはそれがあることで生活や心が潤う。それでいいじゃないのと。
世の中でみんなが好きだと思われてるように報道されていたり、扱わられているものでも、私は興味なかったり、つまらないって思ったりはします。だから、全員が同じものを同じ熱量で好きってありえないんですよね。だから、それをつまらない趣味と自信満々に言ってのけるのが中々つまらない人だと思います。
くだらないことや役に立たないこと、誰もが振り向きそうもないことでも自分が好きならそれでいいんですよ。自分が楽しけりゃOK。
正岡子規
道
無気力
メール
森鴎外
正岡子規と森鴎外の写真が似てると思って、定期的に調べてしまうから、こんなことになっている。
見分けがつかないことが増えました。
社会に出ないほうが社会のためになるなんてチラッとぼやいたけど、コレ自分自身に対しての言葉が一番大きいのですが、社会に出ないほうが貢献出来る人ってやっぱりいるよなーと思ッてしまいます。
仕事が出来る出来ないよりも、その人の持ってる内面を社会という外界に放って欲しくないことってありますよね。
でもそれ言ったら、まあ自分も含めて半分以上は社会に出ちゃいけない人間ばかりなのかなーと思ったりします。
性格が良い悪いじゃなくて、その内面を出しすぎると誰かにとっては槍になることがある。あからさまに悪い槍なら、あれは槍だ!こわい、気をつけて!と堂々とすることが出来るけど、槍に見えない槍を持って、それを悠々と放ってくる人の恐ろしさってあります。
良いことをだからコレをやりましょう、みんなでこんな事をやりましょう、〇〇のために⋯これも実は槍ですよね。
余計なことを増やして手間を増やしてるに、善良な事だから誰も指摘出来ない。こういう人がこわいし、外界に出ないで欲しい。
余計なことに触れるのが怖くて、私は外界に出られない。私は能力はないけど余計なことをやりたがらないという能力だけは高いんですよ。だけど、それはスキルではなく怠惰と見なされるから内側にいるしかない。そんな道を歩いてきました。これからもそんな道なんだろうな。
どうせログ消えてると思ってここに来たら前の日記がのこってた。まともな言葉だった。いまは負に親しみすぎておかしいのかもしれない。悪い影響ばかり受けてる…こわいな
「悪口は言わない」と宣言して自分を縛るつもりはない。ただ、自らを苦しめるような言葉の毒からは、できるだけ遠ざかっていたいだけだ。どうしても耐えがたい悪意に直面したとき、信頼できる場所でその重荷を下ろすのは、自分を生かすための最終手段なのだから。
かつて、呼吸をするように他人を貶める人々の中にいたことがある。表では睦まじく笑い合いながら、裏では容姿や性格を冷酷に裁く。その淀んだ空気に、私の体は蕁麻疹という名の拒絶反応を示した。不思議なことに、そんな人物ほど広い人脈を持っていたりするが、私には到底理解しがたい世界だった。あの日、あの場所に染まらずに逃げ出したことは、今振り返っても自分を保つための正しい選択だったのだと思う。
過去を振り返ると、不満を口にしながらも義務感に忠実だった時期の自分が見えてきます。客観的な成果には結びつかなかったとしても、そのプロセスにおける真剣さは、現在の自分をも凌駕していたのかもしれません。
自己評価と他者評価の乖離は避けられないものですが、当時の努力を正当に評価して欲しかったという願望は、自分を大切に思うからこその感情でしょう。
現在は、社会的な評価軸に合わせる「外向きの成長」と、自分自身の納得を追求する「内向きの成長」。その両輪を回していくことが、今の自分にとっての課題なのだと感じています。
次の小説何読むかなー
現代作家の作品は面白くてサクサク読めるけど、サクサク読めるからこそ、この私でもすぐに読み終えてしまい、コストがかかるんですよねー
久しぶりに青空文庫からチョイスするか〜タダで読めて小難しいが面白いけど読了に時間がかかる作品はありがたい。
過去に書いた自分の戯言を振り返ったりしてますが、その中で印象だったのが、食欲が下がると性格も変わるってことを言っていたことですね。
自分で言っていたことに自分で共感する変な事態ですけど、それは確かに〜なんて思っていました。
あれこれ食べられる胃ではなくなって、自然にアレ食べたいコレ食べたいという気力もないもんだから、それに付随する行動が減ってしまい、動くことも減り、気力も体力もないから、変なふうに落ち着いてしまう。この落ち着きが大人になったから滲み出る風格なら良いんですけど、単純に食べ物が食べられないから、執着も減って何も漲らなくなっただけ。それが落ち着いて見えるなら得したことになりますが、ただの無気力な中年に周りからは見えている可能性が高い。ああ、でも、幸いなことに人との関わりが最低限だから、自分に対して何かを思う人が少ない。それがこんなに心を平安に導くのか⋯元々の性格もあるだろうけど、誰からと何も思われないことに幸せを見出せる。それが気力がないというか、ただ老いてきただけとも言えるのかな?