「飾り立てる(Decoration)」のではなく、「整える(Presentation)」
最近のAIっで進化してますね。こんなことをアドバイスされました。ちゃんと自分をプレゼンテーションしていきたいと思います。
そういえばマリトッツォってどこに消えたの?
もう見かけるなくなった。
定番化って難しいんですね。⠀⠀ ⠀⠀⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀⠀⠀
説明会とは、皮肉な場所だ。知りたいことを解消しに行くはずが、新たな「?」を抱えて帰路につくことになる。
発信側は「これくらい言わなくてもわかるだろう」という傲慢な自明性に甘え、受信側は「なぜ肝心なことを言わないのか」と途方に暮れる。
「言わなくてもわかる」なんていう幻想は、同じ地平に立つ者にしか許されない贅沢なのだ。立場が違えば、見える景色も、言葉の重みも違う。人間とは、どこまでも自分の物差しでしか世界を測れない、厄介な生き物である。
頭がかゆすぎる
洗ってるし、シャンプーも変えたりしたけど効果ない。
これも加齢なのか?⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀⠀⠀
難しい漢字の勉強をしてると簡単な文字を忘れる。
漢字の練習をしてると簡単な数字の計算や暗証番号を忘れる。
何かを忘れないと新しいことを覚えられないのかもしれない。
疑問を持つことで自分を守るようにしたら、あれよあれよと両親に対しての疑問が出てきます。
そもそもなんですが、なんで子供3人と作ったんでしょうね。それが最大の疑問なんですよね。
私は長子なんですけど、こんなに早く出来ると思わなかった!だから働いて出産費用稼がなきゃならなかった!入っていたサークルを辞めなきゃならなくなった!と散々聞かされてきたんですが、普通に計画的にすればよくないか?と思うわけですよ。
あの時代は女性は結婚や妊娠出産で辞める人のほうが多かったから、自分だけが苦労していると思ったのかもしれません。
父の性格からすると、自分のその時の気持ちだけを優先しそうなので計画なんか立てられなかったのかもしれませんが、それでガチャガチャ言われたのは私なのでたまったものじゃありません。
私の下のきょうだいは学年的には2学年だけど、正式には2年も離れていなくて、そのこともよくわからないんですよね。私が手のかかるタイプの子どもだったらしいので、それなのにすぐ第二子を作って産んで、ある程度子どもが大きくなったらあの頃は大変だった、あなたに手がかかるのに云々と子どもに愚痴る。
それでまた次に2年後に子ども⋯この3人目、父がきわどい冗談を言っていて、大人になってから解釈すると予想外ではあったのかもとは思う。子どもにそんな事言うなんて信じられないですよね。
子どもが大好きでたくさん育てたいタイプじゃない、うちの両親。それならそんなに産まないで出来ないことにして勝手に自由に生きたほうが楽なのにと。
手がかかる、お金かかる、と子どもに言いまくる人生。子どもに恩着せがましさを売り続ける人生。母にいたっては亡くなっても私の中で美化されない。むしろ、生きているときのほうが美化されていたなと思える。
私、まともじゃないよな。あの環境とあの両親の中で育ってるんだから。でも、それに気が付かついてる今は前よりはマトモだなと思えます。ほんの少しだけ。
「ありがとう」や「ごめんなさい」は、本来心を繋ぐ言葉だ。けれど、それを魔法の呪文のように唱えて、自分の思い通りに周囲を動かす人がいる。謙虚さを器用に演出し、誰からも愛されるその人を、私はどうしても好きになれなかった。
勇気を出して身近な人にそれを打ち明けた時、「それは嫉妬だよ」と一言で片付けられたショックは今も消えない。私の違和感は、そんな安易な言葉で処理されるべきものだったのだろうか。手作りの菓子を配り、笑顔を絶やさない彼女の「正しさ」に支配されていた日々に気づいた時、もう友達には戻れないと悟った。今は、彼女の言葉が届かない距離にいることに、心底安堵している。
「一人の時間と自分の時間、どっちが大事なの?」
そんな言葉を投げかけられて、一つの関係が終わったことがあります。
勘違いしないでほしいのは、私がただ「孤独」を選んだからダメになったわけじゃない、ということ。問題だったのは、どちらかを選ばなきゃいけないという、その極端な考え方そのものでした。
私にとって、一人の時間は自分を整えるための「呼吸」のようなもの。それは、誰かと一緒にいる楽しさを否定するものではなかったはずなんです。
でも、なんでも白黒つけたがる相手からすれば、私は自分勝手で愛が足りない、冷たい人間に見えたのかもしれません。あの時、どうしても分かり合えなかった時間を、今でもふと思い出すことがあります。そして、それは無駄だったなと。
もう何十年も前から春が近づくと
アレルギーの症状が出ていた。
自分は花粉症だと信じて疑わなかった。
先日の健康診断でアレルギー検査してみたら
「スギ、ヒノキ、ブタクサのアレルギー反応なし」
という結果に。
春が来るたびに鼻水・鼻づまりに悩まされていたのは
一体何なんだろう。謎である。
「どっちもどっち」じゃないことに、「どっちもどっち」と言う人には個人的に気をつけたほうがいいと思う。単純に中立的な立場にいる自分に酔ってるだけで、すべてのことをドッチモドッチで解決出来ると思ってるから。