新ニンニクをゴロゴロ入れるペペロンチーノもどきが美味しい。
普通のニンニクよりほこほこした食感と爽やかな香りがたまらん。
細かく刻まないでいれるのもポイント。
動けるけど、元気が出ないほどの頭痛。
家にいたのでスマホを見て過ごした。
年齢的なものなか、周期的なものなのか、天気のせいなのかわからない頭痛。全部かも。
サーモスの保冷バック、保冷材が2時間くらいしてもカチコチなので、これならアイスも余裕で持って帰れるかも。
色々あるけど、お弁当用のトートバッグみたいな形のものです。
予算が足りなければやらなければいい。
一口で言っちゃえばこんなことを思ってます。
もちろん対象物によっては、それは暴論だ!と思われるかもしれない。
でも、基本的には予算が足りないなら足りないなりのやり方しか出来ないんだと思う。
誰かの力や時間を当たり前のように搾取して、やりたいことをやる。それが美談みたいになってるときもあるし、美談ならまだしも、呼吸をするように当たり前のことみたいにされているから厄介だ。
予算ないです、じゃあやめましょう、時間ないです、じゃあやめましょう。基本的にはこれでいいんですよ。私は誰かのために自分が納得していない時間や力を使いたくない。それはどんな立場でも一緒です。でも、私が置かれている立場は無償の何かを求められがちで、それを求められるたびお湯が沸騰直前のような沸々とした気持ちになるのです。
何気にドトールのテイクアウトを初めてしたかもしれない。
家で食べるミラノサンドも美味しい。
一駅行かないとドトールないのが残念。
ジャムの美味しさって値段に比例するような気がします。
商品入れ替えで安くなってたジャム、やっぱり美味しかった。
甘さでぎっちりとしたお手頃価格のジャムもあれにしか出せない美味しさはあるけどね。
素材の味を活かしながらジャムになるって案外難しいのかもしれません。
新たな出会いやスタートがなければ、新規の怒りや違和感にであうこともないので、その辺りが今の生活の気に入っているところ。
新たに何か始めて得る刺激や出会いよりも、負の流れが一切起こらないことのほうが私には重要なんだなーと思うのです。
今残っている場所や関係も油断すればすぐになくなってしまう。ある意味緊張感がある。油断したらなくなるかもしれないというのは、本来のまっさらな自分では誰とも上手くいかないということになって、結局自分の殻が一番の理想郷ということになってしまうんだよねー
油断しても油断しても、トントン拍子に進んだ関係もあったけど、やっぱりどこかで油断のせいで壊れる。でも、あれは油断しないと築けない関係でもあったから、最初のしっくりきた感じはなんだったの?と思ってしまう。
今は最も油断しているんだろうな。ある意味世界に向けてこんなことを言ってしまっているけど、誰もあの場所のダレダレさんってわからないから油断出来る。
どこでも何を言ってもいいわけじゃないのも、オトナのような年齢なのでわかってますが、だからこそ油断の価値をすごく見出してしまう。みんな油断出来てますか?
明日、久しぶりに旧友に会う。私以外はみんな、結婚しているし、子供もいる。定期的に集まる私たちは、今回も五、六年ぶりぐらいに会う。五、六年ぶりぐらいなら、かなり、空いてるな。全然、定期的ではないかもしれない。そんなことは、もはや、どうでも良いのだ。私は昔から、大方予測はしていた。未来は決まっているのかもしれない。だけどそれまで楽しむ。それでいいではないか。そんなこともたまに思います。
「伝える」ために言葉を磨くほど、自分自身の本音から遠ざかっていく感覚がある。相手に届くようにと工夫を凝らしても、結局、曲解されて否定されるのなら、その努力はひどく虚しいものに思えてしまう。
それならば、誰のためでもない、自分だけの言葉をそのまま置くのが一番の正解なのだろう。心の奥底にある、普段は口にできない想いを、せめてどこかで肯定してほしい。けれど、無遠慮な否定に晒されるのは、もう耐えられない。今のこの「逃げ」のような書き方は、私が私でいるための、たった一つの防衛策なのだ。そんな私の言葉を見つけ、そっと寄り添ってくれる人がいることに、今は深く感謝したい。
オールドファッション、チョコがけうまーい
スーパーのパンコーナーで売ってたものだけど、クオリティが高い。これで1個100円とは。アイスコーヒーに合う!