お腹が空いたけど、調子が良くないから食べるのが不安。
腹に何かを溜めないほうがいいんじゃないかと思うときってありますよね。
あーあ、でもお腹すいた
*すべてに感謝*
*今日もみなさんに幸せが訪れますように〜*
*毎日の出来事に感謝して*
↑15年くらい前まで一部ブログ界隈でよく見た構文
絶滅したのかな
あの頃、10年くらい前かな?ほっこり系みたいな言葉が一部では使われていたように、ムズムズっとするような言葉の羅列に、〇〇に感謝して⋯みたいな定型文がありました。
そんなブログとは正反対な適当さを売りにして、映えない料理、日々の疲れを堕落した明るさと言うんでしょうか?そんな空気感で纏ったブログが好きで良く読んでました。
今読んでいる小説がそんなズボラさを売りにしたブログが出てくる話で、真っ先にあの時のあのブログ、どうなってるかな?と思い出したのです。
更新は2013年で止まっているので、今その方がどうしているのか知る術もないんですが、当時は励みになったなーと思い出しました。緩くて適当で、私もこっち寄りの人間だし、こっち寄りの人間でもいいんだな、むしろこっち寄りのほうが楽しいし人間らしいよなと強く共感したものです。
というのも、当時の友達がやっていたブログがいわゆるほっこり系のブログで、やっぱり感謝していました。〇〇に感謝、すべてに感謝。のあの文体。当時、その界隈の方では流行っていたんですかね?
友達がほっこり系に傾倒するようになってから、関係がうまくいかなくなったなー。別にブログが原因というわけでもないけど、こんなほっこり文体を書いているのに?ほっこりしておけば赦されると思ってるの?みたいなことを考える一因にはなったと思う。今は他のSNSに移行してるけど、それもこっそり見てますが、あの〇〇に感謝みたいな定型文はなくなったなと。何でも飾り立てドラマチックに仕立てるのは継承されてますが。
そういう系の人には、そういう系の流行りってあるんでしょうね。時が流れたからといって、基本的に合わないなと1回でも確信したらもう合わないんですよね。
昔は仲良かったから⋯またいつか⋯なんて気持ちにならないように今もインスタグラムとか見ちゃうんだろうなと。
時間が流れて発信媒体が変わっても、発信者が同じなら結局は同じものしか出来ない。だからあのズボラで緩いブログの人、今はどうなってるか知りたいのもあるけど、そこで止めたというのが答えなんでしょうね。なんからしいですよね。知らない人だけど。このまま知らないままでもいいのかもしれません。それがほどよい距離感というものなのです。
すべてに感謝、毎日に感謝、もうこれは古文なり。
雨好き。(天災ではなく、普通の雨)
でかけるときに降ってたら、やだなーとなるときもあるけど、
基本的には好き。
友だちは雨がきらいなんだって。
いろいろだね。
私が好きなもの、あの子はきらいなことが多い。
あの子が好きなもの、私は苦手なことが多い。
そういうことなんだろうな。
食事して話して終わりでいいんだよね?
大人の友人関係って。
誘ったはいいが何をしていいのかわからない。
みんな何してるの?
思えばタイミングが合う友達だと思う。
もう付き合いは20年以上になる。
予定も合うし、会いたいときに会えるというか。
そこまで頻繁に会っているわけじゃないのに、タイミングの良さを感じる。
タイミングっていうと偶然のものと定義されがちだけど、私は偶然じゃないと思っているんですよね。合わせようと思っているから合うものだと思ってます。だから、タイミングが合わなかったように見えることでも、瞬時にその穴を埋めるような行動をお互いにするから、結果的にタイミングがあってるかのように事が運ぶ。
友達以外の人間関係でもタイミングって最初のうちは合ってたのに、なんか宙ぶらりんになってる⋯って時はだいたいどちらかが、もしくはどちらも合わせようとしていないとき。そんなこともたくさんありました。
たた単純に合わなかっただけと思えるときと、もうなんか疲れたなと思うときってあると思うんですけど、疲れたなってときは自分は頑張って合わせようとしているのに相手がそこに力を注いでいないときですね。だから、そんな疲れを感じたらこっちも合わせるのをやめます。それでなくなった関係やしなくなったこともありますが、今の私が物凄く楽です。
例の友達は、こういう疲れを感じたことがない。それだけで貴重な存在だと思う。なんかありがたいですよね。
「弱ってる時くらい優しくしてよ」
仕事から帰ってテレビ見ながら私の作ったご飯を食べて、
私が用意した1番風呂に入って寝るだけのあなたに、
なんで私が優しくしなきゃならないの?
図々しいにもほどがある。
こっちはフルタイムで働いて、家事もして、
あなたより遅く寝て、早く起きて、
体調管理もしてるのに、
人に優しくできないあなたを
なぜ私が優しくすると思うのか意味がわからない。
嫁だから?
嫁を都合よく解釈するな。
義母のところへのしつけて送り返したいくらいだわ。
褒めてるのに茶化してるように聞こえるみたい⋯
ああ、私、親から褒められたことないから褒め方がわからないんだと思う。
貶さないようにしなきゃいけない。しか頭になくてしんどい。
約4年前のあの熱狂から、もうそんなに月日が流れたのですね。時の速さには驚かされます。
「何の話?」と思われるかもしれませんが、これは自分の中の「変わらない部分」と「変容してしまった部分」を静かに受け入れるための、ある種の儀式のような時間なのかもしれません。
正直なところ、昔の方がもっと純粋に物事を楽しめていたという感覚はあります。今はもう、メリーゴーランドのように記憶の中を巡りながら「あの時は良かった」と回想することしかできません。過去に戻ることは不可能ですから。けれど4年前のあの瞬間は、現在と過去が不思議に溶け合い、まるでサーカスの中にいるような高揚感に包まれていました。
「くだらない言葉で、揺るぎないものを示せ」
25年前から大切にしているこのフレーズを、今の私は体現できているでしょうか。耳ざわりの良い、それらしい言葉で自分を飾り立てるのは容易なことです。しかし、自分の中に確固たる信条や意志が根付いていれば、何気ない日常の会話の中にこそ、その本質を忍ばせることができるはずです。
四半世紀を経てようやく、「一見くだらないように聞こえる言葉の裏にある真実」を理解してくれる人の尊さに気づけるようになりました。若い頃の私には、そこまでの視点はありませんでした。同じ言葉が自分の中で呼吸し、経験と共にアップデートされていく。そのプロセスが、今はとても愛おしく感じられます。
だからこそ、今日もまたあの場所へと歩みを進めます。ただ、ゆらゆらと漂いながら。
うっすら頭痛。
微妙な寝坊。
そんな1日のスタートですが、3月も終わりで、またなんとなく過ごしてきたのを実感します。