2026.03.13Fri
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あーまたですね、、、
ドラマチックな自分投稿、、、
観察用として見ている元友人のSNS、やっばり世間的に節目の日には大仰な投稿、あると思ってました。
「あの日を忘れない」ってよく言われますし、それは大事なことですが、「忘れない」の論点がズレると結局、自分が今幸せで⋯という話になってしまうのかもしれません。
同じ悲しみが起きないために、心構えや備えを充実させていこうというところが目的で「忘れない」ってことなんじゃないかと。
だから、悲しいけどツライけど、当時の話をしてくださる方がいる。それに乗っかって、今、自分が家族に大事だと伝えたとか、家族がこの15年でこれだけ成長したとか、イベントに友達と行けることに感謝とか、自分のそういうことを振り返って表現する日ではないんじゃないの???と思ってしまう。それを大事にするためになくさないために出来ることを考えようという日だと思うんですよね。
その家族が成長した年数や、友達とイベントに行ける日常とか、そんな普通のことが消え去ってしまって、思うように動けない人もいるとは思うんです。それを節目に便乗して自分の幸せを象ってくるだけの人間、私はやっばり好きになれないし、軽蔑してます。
楽しんでもいいし、喜んでもいいし、誰かに悲しいことがあったから自分もずっと悲しいモードでいなさいということではないんですよ。それぞれのタイミングでそれぞれ嬉しいことも悲しいこともあるでしょう。ただ悲しいことが起こった人が多かった日が節目とされているので、そこに乗っかってただの幸せアピールって何も考えていない人より立ち悪い気がします。
黙って祈る。それって大事なんだなと。

2026.03.12Thu
非表示 16:02

自分だけが集めてるおもちゃのような感情とでも言いましょうか。
それをまだ大事にとってあって、取り出しては眺めて、また仕舞い込む。
何にもなかったし、一方的なものだったけど、何にもなかったから、何年も取り出して遊べるんだよねー


非表示 15:11

どこまでもことなかれ主義
その場にいないからわかりませんだと
どちらが悪いとか判断できませんだと
ため息しか出ない


非表示 08:02

震災に託つけて、自分がどれだけ素敵なことを言ってるか、恵まれてるかをアピールするだけのあの人、今年もソレ、やってましたね。
不謹慎な人って、実はこういう人のことをいうんだと思う。


非表示 06:02

谷崎潤一郎の春琴抄を読みました。
内容は盲目の三味線奏者の春琴とそれを支える仕事(丁稚でっち)をしている佐助との2人の話ですかね?
谷崎潤一郎の小説は痴人の愛と卍を読んでますが、小説によって文体が異なるけど、同じ小説家が書いたと思われる芯の部分は変わらなくて、あの時代だからこその煩悶と現代にも続いている煩悶が繋がってるんだなーと思わせる作家かなと思います。
正直、春琴抄は読みづらくはあったんですけど、一線は越えていても、まだ一線はある2人の関係とか、単純にもどかしいっっ!て恋愛ドラマで感じるものではなくて、そういうものなんだなと思わせる関係性がリアルのようなそうでもないような⋯でも、この冷たさがある意味リアルなんだろうなとも感じるのです。
盲目ながらも周りの反応で、自分が美しいんだろうと悟っていた感覚も、だからこそ襲われて顔が酷いものになってしまっただろうけど、自分では確認出来ない焦燥感があったんだろうなと。そして、そんな春琴を見て自分も自らの手で盲目となった佐助。普通はこんなこと出来ないけど、これがあって春琴の心は佐助に一歩寄ったけど、一歩寄った春琴からは半歩は下がった佐助に人間の複雑さや面倒臭さも垣間見えました。
だけど、結局は春琴が亡くなってからも、春琴を心に置いて生涯を終えるところも通じ合っているけど、お互いにそれを確認し合うことは拒否したことにより、長い時間絶妙な距離感で触れ合ってたんだろうかと。子どもも出来ているけど、その子どもに対しては驚くほど2人とも執着していないし、絶妙のラインを引きながらの通い合いの結果、子どもが出来ただけって感じなんだろうかと。
理解しきれない部分もあるけど、深い意味で通い合うって何?と問う作品でもあったのかなと。だから、こんなことまでしてるのに?春琴のために目を潰してるのに?と私の感覚では単純に考えちゃうことをもっと広く深く表現したものが、春琴抄なんでしょうね。単純に考えるほうが楽だけど、単純じゃないってことも実はみんなどこかでわかってるんですよね。でも、落としどころをつけて納得しないとさせないと収まらないからそうしてるだけなのかもしれません。

2026.03.11Wed
非表示 15:53

悪意は、しばしば善意の形をして現れる。激昂する父よりも、その影で同情を誘いながら支配を強める母のように。朗らかさで強引さを包み隠す友人のように。彼らは『穏やかで良い人』という社会的な評価を盾に、こちらの違和感を『考えすぎ』という言葉で封じ込めてしまう。
結局、誰かの集団の一部として振る舞う限り、見えない場所から飛んでくる槍を防ぐことはできない。
でも、自分だけは自分の味方でい続けること。そして、いつでも逃げ出せる一対一の距離を保つこと。それが見えない敵に囲まれて生き抜くための、私なりの知恵なのだ。


非表示 07:03

いろいろあって寝れなくてちょっとだけ早朝のお散歩。
暦上では春のはずだけど、とにかく寒かった笑
でも、気持ちがよかった。

早朝に出歩くことなんて私にとっては滅多にないこと。
見慣れた風景もなんだか違う景色に見えたくらい、違う世界に見えた。

いつもより何倍も静かな街。冬の冷たさをまとう風。
雲一つない朝焼けが泣きたくなるぐらい綺麗だった。

落ち込んだ気持ちと、それをなんとか奮い立たせようとする気持ちに、背中を押された気がした。
はっきりとした答えはまだ見つかっていない。
本当にこれでいいのかなって迷いもある。不安や焦り、悩みは尽きない。

それでも私は変わりたいって思うんだ。
その気持ちに嘘はないし、変われるんだって、自分を信じたい。
だから私は絶対に変わってみせる。前に進んでみせる。
自分のために。自分で自分を幸せにするために。

不安になったっていい。悩んだって、泣いたっていい。
少しずつでもいいから進んでいこう。

がんばろうね、わたし。今日が本当の第一歩だよ。


非表示 05:43

要点がズレて怒り出す様子は、まるで言語の通じない異国で、こちらの挨拶を罵倒と勘違いして怒鳴っている人のようです。そう思うと、しんどさの中に「ああ、この人の翻訳機は今日も激しく故障中だな」という、一種の観察対象としての冷めた視点を持てる場合があります。

↑AIさんのアドバイスの一部です。なんかスゴイな。
翻訳機が故障中だから怒るのか、故障中がデフォルトの翻訳機が怒るのか?よくわからないけど、要点がズレている怒りというのは、どこか故障中なんでしょうね。


非表示 05:38

今の年齢での目標は、「油断しない」が広義でも狭義でもソレなんですけど、あんまり人がいないのかなーと思うとちょっと油断したくなっちゃうんですよね。
私が隠れてしまう原因になった、あの人、もう誰かのものになって大人しくなったのかな?と。それならそれで会いたくないからいいんだけど、あの自己主張の強さだと、だから私は選ばれたの!という圧と自意識過剰が折り混ざった発言を置いてくるはずだから、どこか他に居心地の良い場所を見つけて、私は凄いのに虐げられる!私はオサレを意識してるの!だから選ばれたの!私!私!私!みたいな発言をしっかり受け止めてくれる他の場所なり、人なりが出来たなら誠に良かったです。
基本的に私!私!私!だけなら、気にしないってことが出来るんですけど、誰かの発言から勝手に誘発されて私!私!私!ってなってるからメンドクサイんですよね。
こういうときうまい例えが思いつかないけど、あなたの話しじゃないのに自分に言われたみたいに受け取ってきて怒る。しかもちょっとというかかなり要点がズレていて、どうしたもんかと思うのです。
ああ、そういうことじゃないのに⋯ってことで勝手に怒り爆発されるのが一番しんどい。だからどこでも油断しないって思っちゃうんだよね。でも、本当は自分で自分の気持ちをどうにかしたいんだと思う。だけど、それが燃料になって勝手に爆発されるのが疲れるからね。今日はオブラートの中で油断しました。

2026.03.10Tue
非表示 14:16

とある検定、受かってたーー
凡ミスしてたところがあるけど、なんとか受かって嬉しいです。
どうしたら人間はケアレスミスを減らせるのでしょうね。

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