私にとって祖父母は、他人と同じカテゴリーだった。
そもそも家が遠くて、会えたとしても年に1回ほどだったのが、コロナの影響で数年間顔を合わせなくなった。
それが小学校高学年の時だ。
こちらからしてみれば、幼少期の記憶などほとんど無いに等しいのだから、祖父母という名が付いた他人である。
しかし、祖父母にとっては孫であり家族なのだろう。
中学生になって祖父母の家を訪ねるようになると、距離感の違いに戸惑った。
自分が許せる限界の線を、躊躇いもなく超えてくる祖父母に、嫌悪感を覚えてしまった。
丁度その頃、祖父が亡くなった。持病だ。唐突でなかったことも理由の一つだろう。
泣けなかった。
亡くなったと電話で聞いた時、姉も、母も泣いていたのに、涙なんて出てこなかった。
祖父母という名前の他人。そう長くはもたないと分かっていた。
泣くべき時だと分かっていても、葬式で何年か振りの、もう目を覚まさない祖父を見ても、揺れなかった。
中学三年生、受験生の年の夏、祖母を訪ねた。気は進まなくても、私にとって帰省は義務だ。
他人と何日も過ごす。田舎だから逃げる場所もない。
自分は気を遣って、笑顔を張り付けるけれど、相手はズカズカと踏み入ってくる。
泣きながら過呼吸になった。
きっかけはない。ふとした拍子に、受験生というプレッシャーと気疲れが押し寄せて溢れた。
それから二年。夜中に母が、妹を起こさないようにと抑えた声で、祖母が乳がんになったと言った。母は義理の祖父母を自分の両親より慕っていた。その母の声が震えているのにも気が付いた。
けれど、今度も私は何も言えなかった。
母の視線が痛かった。
祖母がどうなるかはまだわからない。母もそれ以来、触れてはこない。
しかし可能性が低いのは確かだ。
次は泣けるかな。
泣かないとだよね。
こんなことを考えなくても自然と涙が出てくるようになりたかった。