谷崎潤一郎の春琴抄を読みました。
内容は盲目の三味線奏者の春琴とそれを支える仕事(丁稚でっち)をしている佐助との2人の話ですかね?
谷崎潤一郎の小説は痴人の愛と卍を読んでますが、小説によって文体が異なるけど、同じ小説家が書いたと思われる芯の部分は変わらなくて、あの時代だからこその煩悶と現代にも続いている煩悶が繋がってるんだなーと思わせる作家かなと思います。
正直、春琴抄は読みづらくはあったんですけど、一線は越えていても、まだ一線はある2人の関係とか、単純にもどかしいっっ!て恋愛ドラマで感じるものではなくて、そういうものなんだなと思わせる関係性がリアルのようなそうでもないような⋯でも、この冷たさがある意味リアルなんだろうなとも感じるのです。
盲目ながらも周りの反応で、自分が美しいんだろうと悟っていた感覚も、だからこそ襲われて顔が酷いものになってしまっただろうけど、自分では確認出来ない焦燥感があったんだろうなと。そして、そんな春琴を見て自分も自らの手で盲目となった佐助。普通はこんなこと出来ないけど、これがあって春琴の心は佐助に一歩寄ったけど、一歩寄った春琴からは半歩は下がった佐助に人間の複雑さや面倒臭さも垣間見えました。
だけど、結局は春琴が亡くなってからも、春琴を心に置いて生涯を終えるところも通じ合っているけど、お互いにそれを確認し合うことは拒否したことにより、長い時間絶妙な距離感で触れ合ってたんだろうかと。子どもも出来ているけど、その子どもに対しては驚くほど2人とも執着していないし、絶妙のラインを引きながらの通い合いの結果、子どもが出来ただけって感じなんだろうかと。
理解しきれない部分もあるけど、深い意味で通い合うって何?と問う作品でもあったのかなと。だから、こんなことまでしてるのに?春琴のために目を潰してるのに?と私の感覚では単純に考えちゃうことをもっと広く深く表現したものが、春琴抄なんでしょうね。単純に考えるほうが楽だけど、単純じゃないってことも実はみんなどこかでわかってるんですよね。でも、落としどころをつけて納得しないとさせないと収まらないからそうしてるだけなのかもしれません。
悪意は、しばしば善意の形をして現れる。激昂する父よりも、その影で同情を誘いながら支配を強める母のように。朗らかさで強引さを包み隠す友人のように。彼らは『穏やかで良い人』という社会的な評価を盾に、こちらの違和感を『考えすぎ』という言葉で封じ込めてしまう。
結局、誰かの集団の一部として振る舞う限り、見えない場所から飛んでくる槍を防ぐことはできない。
でも、自分だけは自分の味方でい続けること。そして、いつでも逃げ出せる一対一の距離を保つこと。それが見えない敵に囲まれて生き抜くための、私なりの知恵なのだ。
いろいろあって寝れなくてちょっとだけ早朝のお散歩。
暦上では春のはずだけど、とにかく寒かった笑
でも、気持ちがよかった。
早朝に出歩くことなんて私にとっては滅多にないこと。
見慣れた風景もなんだか違う景色に見えたくらい、違う世界に見えた。
いつもより何倍も静かな街。冬の冷たさをまとう風。
雲一つない朝焼けが泣きたくなるぐらい綺麗だった。
落ち込んだ気持ちと、それをなんとか奮い立たせようとする気持ちに、背中を押された気がした。
はっきりとした答えはまだ見つかっていない。
本当にこれでいいのかなって迷いもある。不安や焦り、悩みは尽きない。
それでも私は変わりたいって思うんだ。
その気持ちに嘘はないし、変われるんだって、自分を信じたい。
だから私は絶対に変わってみせる。前に進んでみせる。
自分のために。自分で自分を幸せにするために。
不安になったっていい。悩んだって、泣いたっていい。
少しずつでもいいから進んでいこう。
がんばろうね、わたし。今日が本当の第一歩だよ。
要点がズレて怒り出す様子は、まるで言語の通じない異国で、こちらの挨拶を罵倒と勘違いして怒鳴っている人のようです。そう思うと、しんどさの中に「ああ、この人の翻訳機は今日も激しく故障中だな」という、一種の観察対象としての冷めた視点を持てる場合があります。
↑AIさんのアドバイスの一部です。なんかスゴイな。
翻訳機が故障中だから怒るのか、故障中がデフォルトの翻訳機が怒るのか?よくわからないけど、要点がズレている怒りというのは、どこか故障中なんでしょうね。
今の年齢での目標は、「油断しない」が広義でも狭義でもソレなんですけど、あんまり人がいないのかなーと思うとちょっと油断したくなっちゃうんですよね。
私が隠れてしまう原因になった、あの人、もう誰かのものになって大人しくなったのかな?と。それならそれで会いたくないからいいんだけど、あの自己主張の強さだと、だから私は選ばれたの!という圧と自意識過剰が折り混ざった発言を置いてくるはずだから、どこか他に居心地の良い場所を見つけて、私は凄いのに虐げられる!私はオサレを意識してるの!だから選ばれたの!私!私!私!みたいな発言をしっかり受け止めてくれる他の場所なり、人なりが出来たなら誠に良かったです。
基本的に私!私!私!だけなら、気にしないってことが出来るんですけど、誰かの発言から勝手に誘発されて私!私!私!ってなってるからメンドクサイんですよね。
こういうときうまい例えが思いつかないけど、あなたの話しじゃないのに自分に言われたみたいに受け取ってきて怒る。しかもちょっとというかかなり要点がズレていて、どうしたもんかと思うのです。
ああ、そういうことじゃないのに⋯ってことで勝手に怒り爆発されるのが一番しんどい。だからどこでも油断しないって思っちゃうんだよね。でも、本当は自分で自分の気持ちをどうにかしたいんだと思う。だけど、それが燃料になって勝手に爆発されるのが疲れるからね。今日はオブラートの中で油断しました。
とある検定、受かってたーー
凡ミスしてたところがあるけど、なんとか受かって嬉しいです。
どうしたら人間はケアレスミスを減らせるのでしょうね。
もうパートすらしないで3年経とうとしているけど、正直、今が楽だなーと思ってしまった。3年の間に多少は面接やら応募もしたけど、不採用だったりで働くにいたらず。
色々あってフルタイムは無理なので、パートを希望してますが、4時間や5時間働くだけの労働と思いきや、その4時間5時間のために1カ月単位で調整し、そして1日を調整する。でも、働いているのは4時間..
なんかこれが割に合わないなーと仕事から離れてみてジワジワと実感したのです。みんな、それを受け入れてやっているのですが、受け入れているというよりは仕方なく合わせてるってだけなような。まあ、それをみんなやってる!と言われたらそれまでですが⋯
家を出発する時間にまだ家にいるのが不思議でしたが、今は本来の姿に戻ったという感覚です。あのセコセコした気持ち、もう戻りたくないなー。働くことより、それに付随する色々がシンドイのかも。私にとっては相当な努力で家を出ても、職場ではどうしても人間関係がシンドイし、そしてシンドさを抱えたまま家でまたセコセコと⋯10日までに来月のシフトださなきゃならないけど来月の末のことなんかわかるかよ〜も思いながらなんとか提出したのに、シフトが出来るのは月末。10日からひどいと3週間ちかく予定がちゅうぶらりんで、そのモヤモヤがまたシンドかった。
どこにいってもこんなことあるってしんどい。不惑をちょっと過ぎて惑わない変わりに嫌なことも受け入れられない。でも、みんなそれをやっている。私、その“みんな“から脱落してるんだな。でも、自分がキツくない道を選びたいのです。
研修中マークの若いバイトの子のレジで買物して、レシートを受け取ろうとしたら、パラっと籠の中に入れられたことがあって、さすがにコレは⋯とは思った。
バイトの仕事は初めてでも、買い物は初めてじゃないと思うんだよね⋯なぜあんな事をしたのか謎だな。
自転車、自転車用レーンを走っていて右折したいときはどうするの?もやもや気になっていたので検索した。
二段階右折するんだと。ペーパードライバーではあるが辛うじて自動車の免許を持っているのでなんとなくわかる。
方向変えるときに、その方向にも信号待ちしている自転車がいたら、チョットごめんなさいねって割り込んで待つってこと?曲がりたい人がいっぱいいたらゴチャつきそう。
最近怖いから自転車あまり乗らなくなったけど、ますます乗らなくなりそう。
その夜、ペーパードライバーのわたしが車を運転していて曲がるときにここは二段階右折だから止まらないと、と思うけどアクセルとブレーキどっちがどっちかわからなくなってあわあわしてたらクリープ現象でゆるゆると植え込みに突っ込んでいく夢をみてしまった。
気にしすぎ。いろんなことを気にしすぎて我ながら嫌になる。
なかったものを作り出して、その後残る人に手間を残していく人が嫌いなんだと思う。⠀⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀⠀⠀