ぼけっと生活してるとつい忘れがちなんだけど
ネットやリアルでの大多数との意見や考えが、自分と全く合わないことが多い
よく思い出せ自分
学生の頃から変だの変わってるだの色んな人にさんざん言われてきたでしょう
歳食ってもそうそう人間変わらないのよ
理解の価値は、その「導き出され方」で決まることがあります。
口に出して説明し、ようやく得られた納得では、到底満足できない。なぜなら、私が求めているのは結果ではなく、「言わずとも伝わる」という信頼の形そのものだからです。「言葉」を介さない理解にこそ、真の通じ合いが存在するのだと信じています。
稀
道
掬
目
持っていきたい
漢字一文字が多いですね。手を重ねて水を汲むことを掬ぶ(むすぶ)というらしいです。全然使わないですね。
知らない言葉ばかりでもなんとか生きていけちゃうもんです。
自分の話に持っていきたいわけじゃないけど、自分の話についなってしまうってタイプの話題がやっぱりあるので、その手の話を最初から私にしないで欲しいのです。
仕切りってあるだけで精神的な安心が全然違う。
見えてると、ワンクッション置いて話しかけるってしてもらえないんだよね。
物理的に見えない自分を作るって大事。
本当の意味での再構築って出来ないと思うんですよね。
なかったことには絶対出来ないし、あったことをベースに生きていかないと傷つくのは自分なので。
あの頃、まだ20代とか30代前半で、あの感情を1人で背負ってきたことを自分だけでもいいから認めてあげないと、今の私が崩れてしまう。
もう40代になってしまって、過去を振り返らないように生きて行っているように見せないといけないのがキツイですよね。
自分から振り返ってるのではなく、追いかけてくるんですよ。過去が。未来よりも先に過去がいる。そんな感じです。
過去と伴走しながら、うまく未来へ辿り着きたいけど、この過去が、裏切るんですよ。「一緒に走ろうね」と約束したのに、途中で爆走して未来の前に立ちはだかる。
それが私の持っている過去なんです。本当は伴走すらもしたくないし、嫌な過去とは関係を切りたいけど、切ってしまえば、正しい未来に行く道でちょっと躓いただけで大怪我になってしまう。
「こんな事があったから気をつけないと。」と思っていないと悲惨なことになるのはわかっているから。
でも、そんな事を考えていない、一瞬の緩みで、過去が大暴走して現在の私を傷つけることが最近もあってですね、ずっと気を張っていないといけないのか⋯それはそれでシンドイなと思った次第です。
生きれば生きるほど過去が増えて、それが暴力をふるってくるような⋯私は普通に生きたいだけなのに。ただの細胞なのに。
なかなか帰ってこないの待ってたり、ソファで朝まで寝ないようにちょっと生活音大きめにして動きだすの待ってたり。
やっとお風呂に入ったと思ったら、洗濯物、ネットに入れて、洗面ボウルに放り込んでいた。
お風呂で寝そうだけどもう待ってられない。
酔っぱらいってやれやれだわ。
パン屋のクッキーが美味しい。
手作り感とプロの味の狭間みたいな感じ。
ケーキ屋のパンとかあるのかな?
クロワッサンとかあったような気がする。
自分の歌声、好きですね。
うまいと思います。
でもいつも1人カラオケ。
それでいいんだと思うのです。
特に低音がなかなかうまいと思う。
好きでもないものを「好きでしょ?」と言われるのは微妙だなと思います。
好きではないけど、嫌いでもない。その微妙な感じを伝えるのってなんか難しいんですよね。
勝手に自分の領域に「好きでしょ?」という言葉で入り込んでくるくせに、それが的外れって、疲れるし苛つくんですよね。