母方の祖父が亡くなって14年経ったのか。
これを思い出すのは、今は付き合いがないSNSだけ観察している人の子どもが14歳になったという投稿で毎年思いだす。
通夜や葬式でいつもと違う雰囲気のときに「生まれました」と来たからよく覚えている。
その時は付き合いもあったし、葬式と重なることは何の問題もないのだけど、付き合いがなくなってSNSを観察用にしてからは、毎年祖父が亡くなったのを思い出すことになってしまっている。
まあ、しょうがないよね。毎年毎年なんだもの。何を思うかは人それぞれだし、それは自由。距離があって直接ぶつからない距離で直接ぶつからない言葉なら何を思っても何を言っても自由なんだから。
もう14年も経ったのか。その時にいた母も2人の祖母ももういないんだな。そして、おめでとう〜なんて声をかけていたあの人とも疎遠で⋯14年ってそれくらいの日々だな。
誰かがいなくなれば誰かが生まれたり、それが当然なんだから、誕生日なのに亡くなった側のことを思い出す自分を責めたりしない。何を思うかは自由なのです。そんな自由が一番です。
昔はクリエイターや芸能人とかとお近づきになって、いろんなことを知りたいという欲があったけど
ネットで距離感バグってるファンを目撃したり、好きだった人の知りたくなかった一面を見てしまうことが増えたせいで、逆に距離保った方がいいなと思ってしまった
近づきすぎず遠すぎず、何かあったらいつでも離れられる距離感がお互い傷つかずに済むよねーって思ってしまうんです
東京駅のビアバー。
レトロな食事と、70年代の懐メロがかかる店内。
でもお客はみなオシャレで洗練された雰囲気。
それと同時にオシャレなビルなのに、ピンクのダウンコートに白のスリムジーンズという出で立ちの外国人が、大きな声で携帯を使っていたりする。
なるほど、このチグハグさが今の東京か、と思った。
相変わらずショップ店員は質が高く、ディスプレイもハイセンスで、服の合わせ方もかなり参考になったけれど、割と前向きなゆるさを感じた。街ゆく人々から全体を感じる、そんな楽しみ方をする人間なのだが、今回の新しさはそこだった。
排他的を貧乏がゆえに緩めつつある国だと思っているが、実際にそれを目の当たりにできた気分だ。やっぱり帰省途中で東京に寄れたのは良かった。
ただ排他的を緩めることに対して、良い面ばかり見てはいけない。まず現状を見て、自分がどう思うか知りたかった。田舎にいては外の風は、やはり感じられない。
ちょっとヒヤッとするLINE誤送をしてしまった⋯
おそらく読んでいないだろうけど、内面の闇を吐露した内容だから相手への罵倒じゃなくとも読まれたくはない⋯
あるところで書いたものをコピペしてAIに読んでもらって内容が伝わるかどうかを最初はメインに使っていたんですが、今は聞いてもらう目的にも使ってますが。
そういった経緯のコピペなので、内容が重く、いつも見せている私とは違うのでヒヤッとしたものです。送ろうと思っていた本来の内容がコピペされておらず、その前にしてた重コピペが載っかってしまったというわけです。
「メッセージの送信を取り消しました」
あまり使わないけど、誤送、誤爆とか自分には関係ないと思ってたところがありましたが、気をつけないと。だけど、この現代で重い気持ちをかかえないというのも無理だしな。重コピペした後は、お菓子のニュースでも適当にコピーするクセをつけようかと思うのです。
予約していたヨガの講座に行けなくなった。
ラインで欠席の旨を伝えたら
「キャンセル待ちの方もいらっしゃるので
早めに欠席連絡をお願いしたいです。」
と返信があった。
参加するつもりだったけど体調不良だったから、
こっちとしては泣く泣く欠席だったのだけど、
ヨガの先生からしてみたら、
一人でも多くの人に参加してもらいたいよね。
先生の感じ悪いなって思った。
これ、口頭だったらイヤな思いしなかっただろうに、
ライン上での言葉のやりとりは難しい。
裁縫苦手だなー
100年くらい前なら、女なのに裁縫も出来ないのか⋯と生きていけなかったかも?
今もそんな目線は多少ありますが、ネットもあるし、既製品も素晴らしいし、ありがたいな。
寝具にちょっと穴が開いていたので、縫うか⋯と思って、重い腰をあげて縫いました。そろそろ買わないとダメかな?
寝具ってピンきりで安くも買えるけど、それが睡眠の質にも影響するから、なかなか踏み切れないでいる。
この縫う作業をしていて、母のことを思い出して苛立ってしまった。母は裁縫が得意なのに私は本当に裁縫が苦手で。
「こんな縫い方⋯」と蔑むように笑いながら言ってくるだろうなと予想できてしまって腹が立った。
母はもう亡くなっているし、その場にいるわけでもないのに、生きているような感覚で、その嫌味を放たれたような生っぽい苛立ちを覚えてしまった。
なんかいつもこうだったよなと。私が出来ないことに対して母は苛立ちもしただろうけど、同時に嬉しかったんだろうなともおもう。
自分が出来て娘が出来ないのは何故?という疑問の苛立ちと、同時に優越感を覚えて、バカにする材料を得ることが出来る。
親だから、親が普通に子どもにするダメ出しの如く、バカに出来るから罪悪感もなく、それはバカにしているのではなく、親としての意見として言えるから気持ちが良かったでしょう。
この寝具、母がくれたものではあった。高いものを安く買えたからといってくれた。確かにそうかも?でも、もう解れてきているんです。色々と。母は現物支給が多い。押し付けたいんだと思う。布団は長年持ったけど、コレ、買ってくれたというか、強引に買ってくれたものは安い家具だったりして、あまり質が良くない。買ってくれたら感謝しなきゃならないのかもしれないけど、だったらもう少し質のよいものが良かった。ケチだけど、ケチだと思われたくないんだと思う。
これが記憶が解れてきて自分なり縫い合わせた結果なのです。
年齢的にリタイアについて考え始めたりしている。今のところ、このまま家庭を持たずに、ひとりで老後を過ごすことになるだろう。自分ひとりなら、何かあって経済的に厳しくなったときでも、自分の判断で生活レベルを下げたりもできるし、何とかなるんじゃないかという気がしている。
今考えていることをAIに相談してみたところ、少し安心できるような回答が返ってきた。説得力はあるけど、やはり漠然とした不安はある。
仕事を辞めてリタイア後の生活はストレスが減るのではないかと思うのだけど、仕事をしないと不安になってそれがストレスになったりするのかな。
誰もいないと思って油断していると、どこからか学級委員のふりした宇宙人が来るから油断出来ないけど、本当はめちゃくちゃ油断したいです。
「そうこうしているうちに⋯」のそうこうって漢字で書くと、倉皇なのを知って驚愕しています。
"そう"したり、“こう"したりしているうちにみたいに、アレコレしているうちにと同じ類だと思っていました。
慌てふためく事という意味らしいですが、倉にも皇にも、慌てるという意味があるらしいです。