用事があるから大掃除の日は早く帰るとか、そんなに大人数出てもすることないんじゃないかって、わたしに言わないで。意見があるならしかるべき人に言ってくれ。わたしだって出たくて出るんじゃない。
去年の年末の大掃除の日あなた出なかったじゃん。しかも来年年明け休むんだから、文句たれてないで気持ちよく今年を終わろうよ。こういう人ってとことんこういう人だな。
最近小松菜のソフトふりかけにハマってる。
小松菜は買ってきて茹でてもさほど人気がなく、麺つゆと油揚げで作る煮浸しならまあ何とかみたいな感じでワンパターンになりがちだった。
ネット記事か何かで「秒で消えた」と書いてあり、ちょうどふりかけ的な何かが欲しい時だったので作ってみた。
小松菜ふりかけは割と各所で作られてるみたいで、複数レシピが存在した。
その中で大体家にあるからすぐ作れる鰹節とゴマのレシピをチョイス。
ちょっと味付け濃いめの炒め物なのでとても簡単。
細かく刻むのがちょっと面倒だけど、個人的にはまるまる茹でたりレンチンして後処理する方が面倒くさいと思ってたのでそっちの方がありがたい。
作ったふりかけはふりかけとしても美味しいんだけど、調味料的にも使えて便利だった。
釜玉うどんやラーメンに入れるとほぼ味付けになって美味しいし、卵に混ぜて焼くのもいい。
なくなったら作る、ヘビロテ作り置き(と言いつつ置いてる暇ない)になった。
レシピは半束で作られてたけど、そんなの本当に秒で無くなるから2束で作ってる。
今回気付いたんだけど、小松菜は濃い味付けの方が食べやすいかも。
おひたしとか煮浸しの時には感じてたクセみたいなものを感じない。
今度は釜揚げしらす買ってきて違うバージョンも作ってみたいな。
ケーキに乗ってるサンタクロースの砂糖は、サンタクロースのチョコレートにしてくれたほうが嬉しいけど、砂糖サンタクロースがほとんどなところを見ると、コスパの問題なのかもしれない。
ケーキに乗ってる家はチョコの家だったりするから不思議だ。
ぶっちゃけ、「色々あったけど絆が深まった」系の話って、色々ないに越したことないよね。
喧嘩も苦労もしたくないし、ずっと相手の良いところだけ見ていたいし、自分の良いところだけを見ててほしい。
猫かぶってるとか言われてもいいから、お互い一番いい状態をキープしたまま、ずっと「好き」のままでいられたら、それが一番平和で幸せじゃないかな
夏の疲れが取れないまま、冬がやってくる。
冬に体調を崩すのは夏の疲れのせいだと個人的には思うのに、冬の寒さが堪えるからみたいになってるのは、冬が可哀想だなと。
他にも元を正せば、コレのせいなのに⋯ってこと沢山ありますな。
とある売店というかコンビニというか⋯そんな場所で働いていたことがあります。自分もそんなに若くなかったのに、一番若かったくらい年齢層が高かったです。
そこで働いてしまったせいで、年配の方と働くのが嫌になってしまいました。そこで働いていた人がおかしかっただけとも思いたいんですが、年配者特有の強引さはあって、そのマイルールを押し付ける感じがキツイなと感じました。
そのマイルールの中に、自分たちが働いているように見えるように、私に働いて欲しいということがあったように思います。
だから「やっといてくれなかった」という言葉をしきりに言っていたんだと思います。この言葉には“自分が楽出来るように“やっといてくれなかったという意味が強いんですよね。
それは私の仕事でもあるかもしれないけど、あなたの仕事でもあるのに“やっといてくれなかった“と言う事で、こちらに罪悪感を植え付けながら、自分は楽をすることが出来るんですよね。
都合良く、年だから労ってくれオーラを出してきて、加齢を使って楽をしようとするところも、もう嫌になってしまった。
年齢によって体力がなくなることは悪いことじゃないですけど、それを巧みに使って楽をして、仕事してる風味にするくらいなら辞めて欲しかったです。
そんなこんなで私のほうが耐えられなくて辞めましたが、あの人達、何歳まで生きる設定で雇われているのでしょうか。あんな感じだと新しい人が入っても続かないし、世代交代なんて言って私に色々やらせようとしてましたが、あなたたちがまず去ることが大事なんじゃ?と厳しいことを考えてしまったのは事実です。
今日もまだ元気に仕事風味の日々を過ごしているのでしょう。私はあんな年齢の重ね方はしたくないので、辞めてよかったです。
ただ、またあのような状況で働きたくなくて、ぼんやり過ごしてしまっています。でも、無で生きられるなら、それが一番正しい幸せなのかもしれません。
最近、全身の強張りと特に肩甲骨の間がずっと痛む感じで調子が良くない。
ちょっと体捻ってみてて、あれ?これ、いわゆるダンスで言うところのアイソレーションってやつなのでは?と思った。
動画で初心者のためのアイソレってのを見つけて、首、胸、腰のアイソレしてみた。
やってみたら、まあ出来ない。どうしても頭が付いて行っちゃうね。難しい。早くなんて無理。
でも全部終えたら肩甲骨間とか胸の真ん中の鈍痛が軽減してた!
やっぱり凝り固まってたんだな。
立ったままその場で出来るからラジオ体操より手軽だし、出来たらなんかカッコいい気もするし、しばらく続けてみようと思う。
生きてるのに生きてる感覚がなくなる。
日常は当たり前じゃない。
私の価値観に合わせてくれた周りの人達に感謝する。
年末に思い出すようにしている。
ありがとう。
私は平日の夜に都会の高いケーキセット食べるような多幸感を味わってないからなー
でも多幸感だけは味わいたい
母は娘に対する愚痴や気持ちやを娘に愚痴るタイプでした。
小言とは違うんですよね。例えば、友達とかに言うような言葉を子どもに直接言ってしまう。
だから色んなことがややこしく作用してしまい、私もややこしく傷ついてきたということになります。
それ、直接本人に言わないよね?ということを言われてきたのは、私を友達扱いも兼ねてたからなんだろうなと漸く理解出来ました。
ふと、交通事故で子どもが亡くなったニュースを見ていたとき「あなたがしんでも、お金では困らないのよね〜」とさらっと言うんですよね。本当に悪意もなく、雑談の一部のようにサラッとです。友達どうしで本音トークみたいな感じのニュアンスで言ってくるんで、その内容に衝撃を受けつつも、即効で傷つくことの出来ない複雑さがあったんです。
他にも、何でそれを直接私に言うんだろう?ということは、けっこうあって、それで私はえ?と理解しようとすると傷ついて⋯みたいなことは多くありました。
友達じゃない人を友達のように見ると、境目が曖昧になって関係がおかしくなっていく。娘という立場をやりながら、娘の愚痴を言いたい本音を聞いて欲しいという母の友達やカウンセラー役もやっていた私、偉いなと褒めておきます。
家族は家族として、友達は友達として、その立場から逸脱させないってことを意識しないと、私の育ってきた環境と遺伝子が思わぬ作用をしてしまうかもしれません。意識に意識を重ねるのは疲れるけど、そうしないと変なループを断ち切れないからやるしかないのでしょうね。