浮気を隠すために優しくなるという「罪悪感ゆえの配慮」は、皮肉にも相手への一定の敬意や執着を物語っている。映画の定番シーンを観て私が感じたのは、その最低限の配慮すら受けられなかった自分への失望感だった。
嘘をついて場を凌ごうとする努力すら放棄され、むしろ逆の態度を取られた。
それは、相手にとって自分が「繕う必要のない存在」に成り下がっていたということであり、その残酷な事実が、今さらになって涙となって溢れ出したのだ。
今日から徐々に普通の日に戻します〜
晩御飯は何を作ろうか?
ハードなもの以外が食べたい。 ⠀⠀⠀⠀ ⠀⠀ ⠀
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見たいテレビがないのにテレビをつけておく心理がわかりません。
自分は面白くなくとも、“観ている"という事実があれば許容出来るのですが、観ていないのにつけておくというのが、どうも苦手で消したくて消したくてイライラしてしまいます。
ニュースとかは、ながら見ができるのでいいですが、他はなんかイライラしてしまいます。
一曲だいたい5分だとしたら、それを一曲聴き切る自由っているのが私にはないときがある。
この年末年始もそうで、テレビの音を遮断したいから自分の好きな音楽をボリューム高めで聴いていると、話しかけるられたり、阻まれたり、それがシンドかった。
年末年始などの時間の流れはいつもと違うから、小さな苛立ちやストレスがどうしても溜まってしまう。それを自分なりに消化したくて試みても阻まれる。そもそも大した見ていないスポーツ中継とか消してくれたら、私もここまではイライラしないのだけど、見ていないのにつけるということが無駄に思えて、でも、私の5分間の自由もくれないでなんなんだと思うのです。
今回は体調の波などもあって、我慢出来なかった部分もある。爆発すると私に1人の時間をくれるけど、爆発前に出来れば欲しい。でも、爆発前は爆発していないから大丈夫だと思うらしくて、対応してもらえないことがほとんど。以前、1人の時間が欲しいから限界でお願いしたことがある。でも、相手には落ち着いてお願いしているから大丈夫だろうと思われたみたいで、叶えられなかった途端に大爆発してしまったことがある。
だからどうお願いすれば、私がシンドイということが伝わるのかわからない。落ち着いて頼んでいるのもギリギリ保ってやっていただけなのに伝わらない。
家族がいることと、1人の時間は私には別物で1人の時間は栄養素だ。だけど、それを補給出来ずに毎年毎年毎年毎年ストレスを溜めては爆発してる。でも、私が希望する1人の時間さえくれたらいいのに。私のことを家族として大事ならその時間をキチンと用意して欲しい。私のことを雑に扱わないで。私は1人で自分のケアをしたいしやるのだから、キチンとほっといてほしい。毎年同じようなこと思っています。
せめて、5分間の自由を奪わないで欲しいのです。
書くことなんて何もないかもしれない、と思っていたけれど、いやいや、そんなんいっぱいあるでしょうという気もしてきた。今手がかじかむような寒部屋にいること、10年以上前の加湿器が唸りを上げていること。外は、少し暖かったこと。買い物に行ったけれど、そこですれ違った人のことをなにも覚えていないということ。床暖は温かいけれど、一人で過ごすためには少し贅沢が過ぎるということ。明日は面談があるということ。恐れているということ。それは、このまま時間が過ぎていってしまって、衰えて、それでも私の知覚するいっさいは強制的に先に進んでいって、それから何もかもに手が届かなくなってしまうこと。言葉が必要だとかいいながら、必要なくても日々をやり過ごせてしまうかもしれないこと。追われるように自分の周りを固めて、でもそれは、ある意味人の人生を生きていたということ。その先に、結局私は何も見つけられていないということ。
こんなに怖いことがたくさんあるのだから、それを語る言葉を持たないというのは、それは嘘でしょう。
頑張っ
銀座
狂っ
結構
ご飯
何をしたんだかわからないけど、銀座ナントカってついてる店で買った煎餅が美味しかったのは確か。
毎年年末は大晦日に実家に帰って、年明け3日に戻ってきていたのだが、今回は30日に帰って父の墓参りに行った。母と弟は父のいない生活に慣れつつあるようだ。
実家に帰るといつもそれぞれからお互いの不平不満を聞いていたので、父が亡くなったことで一時的な喪失感はあっても穏やかな生活ができていればいいと思っていたが、喪失感の克服とひとりの時間に慣れるには、まだ時間がかかるようだ。
今はまだ寒いけど、もう少し時間が過ぎて暖かくなったら、母も何か新しい楽しみでも見つけてくれるといいなと思う。
体調のリズムと年末年始のリズムが狂っていて、体調が悪いとまで言い切れない微妙な違いを感じていて、ちょっと疲れています。
変な言い方をすると腸の中に何か逗留している感じです。
普段、自分が惰性で作っている料理って、惰性だとしても野菜もそこそこあったりとか頑張ってたんだなと改めて自分を褒めておきます。でも、料理は面倒です。
待てない人ってシンドイ。
待たされるのは嫌だし、待たせてはならぬとは思うけど、どうしても待ち時間って発生してしまうんだよね。
正直、なんでこんなに待つの〜?とか病院の待ち時間とか電車が遅れたときとか思うけど、イライラ全開は恥ずかしいと思うんですよね。でも、イライラ全開で周りに圧をかけている人、結構います。はっきりいうと遅れて待たされているストレスよりもそういう人を見るのほうがストレスなのです。
意外と普段は温厚な人が待たされるとイライライライラとしていて怖いときがあります。私って意外と気が短いようでそうでも無いかも?とそんな人と自分を比べてきて考えたりもします。
この手のイライラって待たせた張本人ではなくて、周りの関係ない人が巻き込まれていくんですよね。まあ、張本人にぶつける姿を見るのも嫌なんですが。
待たせるのはダメなんですよ?ただ不可抗力ってやっぱりあると思うんで、そのときにイライラ花火を打ち上げないのは正しいとは思います。
年末年始、もう爆発したのでパフェ食べることにした。
私が小さな我慢をしていることに気がつかないなんて。
だから高いパフェ食べる