最近返信がめんどうくさい
ラインとかは遅かったけどSNS返信ははやくて、むしろ話してばかりでねれない!時間取っちゃった!ってことがおおかった
話しかけてくれる内容も嬉しいし返せないものでもなくて話しかけられるのも嬉しい。でも、あとにしようーとおもったら一週間とか経ってんの
返す義務はないけどそんなことしてたら機会なくすよね。すごく自分から話しかけてるわけでもないし。仲良くなろうとしてくれててこっちもその気なのに、そもそもSNS開くのがめんどいっていうか…。独り言用はいえるからせめて見えない垢で言ってるんだけど…。
こうなる前に人とたくさん遊びたいってすごく思ってて、ずっと活動的だった。それで筆まめな活動をみて、ほかのひとがとうとうよってきてくれたんだよね。でも活動を頑張る裏で飲み込んだ不満や悲しいこと蔑ろにされたり踏みにじられる事が、本当に関係も活動も諦めてしまうことがあって、ちょうどよってきてくれたときには擦り切れてしまった。頑張ってたから見てくれる人がいて、それで人が寄ってきてくれたのに、いま事切れてるって。なんだかうまくいかないよねー
でもその活動そのモノをやめたいわけじゃないんだ。YouTuberやアイドルでいうなら演者同士で揉めて疲れたがその活動はやめたくないってかんじ。
はーーーー、細々とやっていこう
久しぶりにドトールのミラノサンド食べたいんだよなー
美味しいのはもちろんだけど、会社員時代によくドトールに逃げててお世話になったから、もう20年以上経っても逃げ場をくれて、美味しい食べ物をくれてありがとうって思っちゃう。
生い立ちに問題があっても、自身が40近くになれば親のせいにしてはいけない、環境のせいにはしてはいけないと言われる。
確かに自分の背負ってきた過去を盾に周りに迷惑をかけたり、犯罪なんてご法度。
しかしながら、この子どものときに背負ってきたものって、40代が迫っていくにつれて、再び抉られていくのは事実だと思う。
簡単にもう30代40代なんだからいつまでも昔のことを言ってるなとと言われても、私は10代20代より今の40代のほうが苦しいよって思うことがある。
子どものときの環境で、そのときは苦しいし嫌な思いをしてきたけどそこにいるしかなかったし、自分でどうにかするなんて出来なかった。20代では、燻っているとはいえ、こんなものなのかな?と思うようになっていたし、植え付けられた負に気が付かないことで自分を守っていたからどうにかなった。
30代から40代にかけては、その歪に気がついてきた。普通の生活を送ろうとすると、自分が今まで経験してきたことがやっぱり普通じゃなかったとどうしても気付かされてしまう。それが現在なのです。
みんな色々ある。だからそれを乗り越える。みたいな台詞が本当に響かないなと。ちゃんと子どもの頃ベースを整えて大人になれていたら私はどんな人生だったんだろうかとよく考える。
無駄に生きているように見えるけど、無駄ながらもの年月を過ごすと自分とは違うものがそこらじゅうに溢れていて、もう自分には手に入らないもの、最初から大切にされていないと辿り着けないものがあることには気がついてしまう。
気がついた私はこれからどうすればいいのだろう。無駄に1日を過ごし続けていくことだけでも偉い気がする。そんな感じ。
❨ねえ、聞いて!私ね、どんなにどん底でも「あ、これって最高のチャンスかも!」って思っちゃうポジティブ脳なの。世の中がどんよりしてても、私一人がキラキラしてれば、きっと誰かの明日のヒントになるはず!そう信じて突き進むのが、私のミッションだし、なにより最高にハッピーな生き方なんだよね。
言葉選び?そんなの、愛しかないでしょう!私の発する言葉のシャワーで、周りのみんなをハッピーの渦に巻き込んじゃうよ。えへへ、ちょっと勢い余っちゃうこともあるかもだけど、それも私流の「愛の伝道」ってことで、温かい目で見守ってくれると嬉しいな!
ね、暗いこと考えるのは卒業して、一緒に世界をキラキラに塗り替えちゃおうよ!ほら、もっと笑って!人生楽しんだもん勝ちだよ!
すごい爆弾だなと思う。
なんか色々億劫だなー
誰とも話していていないこの時間は絶対に嫌な思いをしないし、させないから楽なんだよなーと思ってしまう。
なんで私、こんなふうになったんだろう
茹でたタケノコをごま油で炒めて鶏ガラスープで味付けしたメンマのようなもの美味い。
もうこれだけ乗せてラーメン食べたいわ
鮭と春キャベツと新玉ねぎの味噌蒸し
ほうれん草のナムル
かぼちゃのポタージュ
今日のご飯はこんな感じかな〜
書いてたらポタージュが煮立って泡立っていて、危うく吹きこぼすところだった。
長年、共に歩いていくために昔の思い出や相手との良きシチュエーションを敢えて脳が忘れたんだと思う。
覚えていたら、あの時はこうだったのに⋯とことある事に思うのは心の摩耗に繋がるので忘れて正解。
極稀にあの頃は良かった⋯と思いますが、すぐ現実に戻ってきます。自分も含めてあの頃と全部同じじゃないから、もうどうでもいいんでしょうね。どうでもいいけど、これはあくまでポジティブなどうでも良さなんです。
あの頃はきっと自分で気がついていない自分の良さがあったんでしょう。それがなくなって、というか、その良さは幻だったことに相手も気がついたのかもしれません。
魔法がかからないと人と歩いていくなんて決めることは難しいと思う。今は違う魔法をかけている。そんな感じ。
世の中の状況が毎日毎日変わっているのに、私の周りはそんなことはお構いなしなのかな?
会社や職場の人のことなんて私にとってはどうでもいいこと。
気にする時間ももったいなし、私たち下っ端が議論しても何も変わらないでしょうに。
そんな生産性のない時間が私にはもったいないのです。
付き合ってられません。
誘われても誘われても断っている私はコミュニケーション能力がないのでしょうか?
筍を茹でてます〜
自宅で一番大きい鍋に入るか入らないかを考えながら筍を買い、パズルのように鍋に入れ込みながら、筍が浮かないように考えて⋯
毎年、この時が一番頭を使ってるような気がする。