「悪口は言わない」と宣言して自分を縛るつもりはない。ただ、自らを苦しめるような言葉の毒からは、できるだけ遠ざかっていたいだけだ。どうしても耐えがたい悪意に直面したとき、信頼できる場所でその重荷を下ろすのは、自分を生かすための最終手段なのだから。
かつて、呼吸をするように他人を貶める人々の中にいたことがある。表では睦まじく笑い合いながら、裏では容姿や性格を冷酷に裁く。その淀んだ空気に、私の体は蕁麻疹という名の拒絶反応を示した。不思議なことに、そんな人物ほど広い人脈を持っていたりするが、私には到底理解しがたい世界だった。あの日、あの場所に染まらずに逃げ出したことは、今振り返っても自分を保つための正しい選択だったのだと思う。
過去を振り返ると、不満を口にしながらも義務感に忠実だった時期の自分が見えてきます。客観的な成果には結びつかなかったとしても、そのプロセスにおける真剣さは、現在の自分をも凌駕していたのかもしれません。
自己評価と他者評価の乖離は避けられないものですが、当時の努力を正当に評価して欲しかったという願望は、自分を大切に思うからこその感情でしょう。
現在は、社会的な評価軸に合わせる「外向きの成長」と、自分自身の納得を追求する「内向きの成長」。その両輪を回していくことが、今の自分にとっての課題なのだと感じています。
次の小説何読むかなー
現代作家の作品は面白くてサクサク読めるけど、サクサク読めるからこそ、この私でもすぐに読み終えてしまい、コストがかかるんですよねー
久しぶりに青空文庫からチョイスするか〜タダで読めて小難しいが面白いけど読了に時間がかかる作品はありがたい。
過去に書いた自分の戯言を振り返ったりしてますが、その中で印象だったのが、食欲が下がると性格も変わるってことを言っていたことですね。
自分で言っていたことに自分で共感する変な事態ですけど、それは確かに〜なんて思っていました。
あれこれ食べられる胃ではなくなって、自然にアレ食べたいコレ食べたいという気力もないもんだから、それに付随する行動が減ってしまい、動くことも減り、気力も体力もないから、変なふうに落ち着いてしまう。この落ち着きが大人になったから滲み出る風格なら良いんですけど、単純に食べ物が食べられないから、執着も減って何も漲らなくなっただけ。それが落ち着いて見えるなら得したことになりますが、ただの無気力な中年に周りからは見えている可能性が高い。ああ、でも、幸いなことに人との関わりが最低限だから、自分に対して何かを思う人が少ない。それがこんなに心を平安に導くのか⋯元々の性格もあるだろうけど、誰からと何も思われないことに幸せを見出せる。それが気力がないというか、ただ老いてきただけとも言えるのかな?
何もしてなくて社会に貢献もしてないけど、私の場合何もしないほうが社会のためになりそうな気もする。
そんな人生よ
最近本は割とKindleで買ってしまうんだけど、スマホから買うのがとても難しい。
わざわざブラウザからAmazonにインしてるのに自動的にアプリに飛ばされちゃうからわざわざ解除しなきゃいけないのがダルい。
結局iPadから買う事が増えてる。iPadにはあえてアプリ入れてないから。
スマホの方も削除すべきか…でも今度はそれも面倒。iPadから買えるからアプリ解除方法もわざわざ調べてない。
結局いつもiPadからまとめ買いみたいになっちゃう。
やっとファミレス行こと昨日何食べたの新作読めるぞ!
誰かを慈しむことも、疎ましく思うことも、今の私には少し荷が重すぎる。
人の心に触れるということは、自ら進んで感情のジェットコースターに乗り込むようなものだ。
期待という頂上へ向かってゆっくりと昇り、裏切りや失望という重力に引かれて一気に突き落とされる。
その落差に、もう心は追いつかない。
スリルを愛するほど若くもなければ、無謀でもないのだ。
遊具など何ひとつない、静まり返った遊園地。
そこをたった一人、自分の歩幅だけで歩く時間は、何よりも贅沢で、凪のように穏やかだ。
最近、蕪にハマって食べている。
大根とは違ったホクホク感が美味しい。
なんで今まで食べてなかったのかな。
実家で出たことがなかったからかも。
ある事柄を15歳のときから好き〜と四半世紀以上好きなことをアピールしてるけど、そういえば私たちもその年齢で出会ったけど、友人関係は続かなかったね〜と。
好きなものは永く愛していくみたいなアピールをしたいんだろうけど、肝心の人間関係は無理だったみたいね。まあ、無理だよね、何にも合わないんだから。
最近読んだ小説で、その時が楽しかったならそれで満足することも大事という箇所があったのだけど、私もあの時のあの人との日々はそう思うようにしている。確かにあの時は楽しかった。でも、あの時の楽しさって同じ学校にいて、同じ生活をして、同じ人を嫌いで⋯そんなもので紡がれていただけだったから、糸が解れてしまうのも当然。
その時の最大風速が高い関係はずっと何年も続けていくことは不可能。その時が楽しかったというだけの人間関係が長年生きているとあるということに気がつく。
一方でその人より3年後に出会った人とはまだ関係が続いているので、四半世紀以上続く関係もあるにはあるんだなと。
その時と楽しかったし、その時以外も楽しかった。そしてまた数日後に会うので楽しかったと思えたら嬉しい。
あの人のSNS、長年の友達が出てこない。そうだよね。まあ、当たり前だよね、会ってないんだから。そこは流石に嘘つけないか。でも、もう一人との関係は続いているのかもね。3人組だったからね。私は抜けただけ。なんか、長年の付き合いがある友達ってパターンのSNS、やりたいたろうに出来ないんだろうなと考えるの楽しいな。性格悪いかもしれないけど、総合的には昔より今のほうがマシです。あの時のあの人との付き合いで私は良くはならなかった。ほっこり温かなことばかり書いてるあの人といても私は良くならなかった。そういうことです。
腹をくくった、全部できるようになってやる
後出しジャンケンで週1でも居座ろうって考え方、図々しい、気にくわん、そのうちやめるんだろ
昔から負のパワーがわたしの原動力だ