2026.02.28Sat
非表示 09:35

いつか家を買う時は、キッチンはガスでと思っていたけど
IHのコンロで、ガラス?のやかんでお湯を沸かす写真を見て、いいなあ、IHも悪くないなあとなって影響されやすいな自分とか思う
まあ持ち家に住めるかわからんけど夢を見るのは悪くない


非表示 06:09

「私は悪くない!」ってばかり言うと精神年齢低いのか⋯
でも、私は悪くない!って主張まではしなくとも、私は悪くない!って感じることばかりなんだよね。
大人になってからの方が、私は悪くない!って主張が多くなった気がする、そうしないと悪者にされちゃうからさー


非表示 06:06

昨日は頭が痛かった。
毎月のリズム的の中の一部だろうからしょうがないけど、毎月毎月いらんリズムだなーとは思う。
元気な日が本当に少なくて、どこかしら不調を押さえつけて生きているような?そんな感覚になることはあります。
もうそろそろ新たな年齢になるので変に振り返りたくもなるんでしょうか⋯
変わらないけど体調だけは変わっていくだろうし、それに付随してメンタルも変わっていくのかもしれません。
精神的な進化も退化も体調に左右されてるよなーと感じます。

2026.02.27Fri
非表示 08:38

なんか色々と不調というか、みなぎる気力みたいなのが最近ないなと思ったら、年齢が7の倍数に当てはまってる。
楽しいことも無理矢理に組み込まないと何もしたくない


非表示 05:54

中途半端に自立させようとすると失敗するような気がする。
実家に住んでいるのに洗濯物をやらせるとか。料理をつくらせるとか。もちろん、出来る範囲で家族の一員としてやっていくことは大事なんですが、同じ家に住みながら1つの世帯のような自立を求められるとうまくいかないよね。
友達の子どもが寮に入って洗濯もなど自分でやるようになって、家事の細かいことを自分で学んでるみたいで、自立の過程ってこういうことだよねと感じたんですよね。
寮だから全部自分のペースとはいかなくとも、自分で今までやってもらっていたことに自分で触れていくって大事だなと。
自分のことを思い出すと、実家にいたころは中途半端に自立をさせようとしていた空気感があって、何かやると失敗したり、わからなかったりすると、それをあげつらわれて心が疲弊したりあったなと。失敗してもわからなくても、そこに自分だけの気持ちで向きあって解決していくことが経験値になって、力となり知識となるのかなと。
実家でもそれ、出来るじゃん?と思う方もいるかもしれないけど、それが一番難しい。誰かの家事のペースに合わせながら自立していく、させていくって大変ですよ。親という立場なら、子どもに教えていくことは大事だとも思いますが、日常を敢えて教えるって簡単なような難しい。だから母はよく私に「私は教えてもらったことない、男の子たち(私の下のきょうだい)には教えたことないとか言いたくなるのかなと。まあ、私の母の場合は本人の人格の問題もかなりありますが、こんなにわかりやすくなくとも衝突ってやっぱりおきますよね。どうしても。
だから、本当の意味で自立させるなら自宅から出したほうが一番効率が良くて、平和だと思う。ある程度子どもも大きくなったらお互いの目が触れないほうが成長出来るって最近よく感じます。自分のときみたいにはならないようにとりあえず意識はしてますが、実家にいる旨味みたいのはないのに、親の目線があるって一番ツライですよね。

2026.02.26Thu
非表示 15:47

コミュニティには、必ず「賞味期限」のようなものがある。昨日まであんなに馴染んでいた空間が、ある日突然、異物のように自分を弾き出す。そんな時、私は迷わずそこを去ることにしている。
​世の中には、誰かを「調子に乗っている」と決めつけ、標的を探すことに腐心する人々がいる。悲劇のヒロインのように「美しすぎて嫉妬される」なんて華やかな理由じゃない。現実はもっと泥臭く、残酷だ。「こいつなら反撃しないだろう」「消えても誰も困らないだろう」という、加害者側の身勝手な計算によって、私はターゲットに選ばれる。排除される側のプロとして、その冷徹な視線には嫌というほど敏感になってしまった。


非表示 11:18

アイシャドウに色があると 老けて見える気がする。
そんな40代。

サッと色のない?(ベージュ?オフホワイト?)明るめのアイシャドウをサッと塗るだけで充分になってきた。

ピンクとかブラウンとか好きなのになー。

残念である。

健康的に見せたいから アイメイクは控えめにしよう。

年齢を重ねても メイクがとっても似合って素敵な人いるよね。うらやましい。


非表示 08:49

人と会ったらその次の日は休みたい。
つまり、社会的に生きるのが向いていないということかな。
生きるって大変。


非表示 05:57

「ありがとう」にやたらこだわる人って面倒。
それを言われたがるから、その仕掛けをそのへんに張り巡らせている。
誰かが誰かに「ありがとう」を言ってるのを見るだけでも、しみじみしちやって「ありがとうって言うのって大事だよね」と悦に入っていた人もいた。
この人が言うように、確かにありがとうを伝えることは大事なんですが、そこに拘りすぎて執着してる人に、ありがとうと素直に言えなくなってしまうような気がするんですよね。
こういうタイプの人に、ありがとうを言っているところも見られたくない。当たり前のことを言っているだけなのに、急にほめられたり、しみじみモードに入られるとシンドイ。
子どものころ、父がお土産を買ってきて、厳しめに「ありがとうは?」と言っていた。ありがとうの強要をされてきて、自分で勝手にしたことに「ありがとう」を求める行為がどうも受け付けない。教育だ!と言われておしまいだろうけど、大人になっても違和感しか残っていないのが答えなのかなと。
「ありがとうとごめんなさいが言えればそれでいいと思う」昔付き合いがあった友達もそんなことをしょっちゅうSNSにて主張してましたね。でも、これって言っとけばいいと思うとも取れてしまったんです。元友人、この言葉で人を支配してたから。
感謝を述べる言葉に変なしがらみがつくと、自然な"ありがとう“が淘汰されてしまう気がします。ああいうタイプの人たちは自分たちが良いことを主張してると思って発言されてると思うのですが、その主張、しなくてもいいんじゃない?って思ってます。
最後に⋯ありがとうは?
これ、やっぱり良くないよね。頼んでないしって誰もってなりますね。ありがとうって言われたい。ありがとうって大事だよね。⋯⋯
やっぱり違和感。最後まで読んでいただきありがとうございました。

2026.02.25Wed
非表示 05:57

今日はランチに行きますが、何を食べるか決めるのが地味に面倒なのわかりますか?
一緒に行く人が嫌いなんじゃなくて、むしろ好きだからランチ行くのにもう決めるのが本当に本当にめんどくさい

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