最近本は割とKindleで買ってしまうんだけど、スマホから買うのがとても難しい。
わざわざブラウザからAmazonにインしてるのに自動的にアプリに飛ばされちゃうからわざわざ解除しなきゃいけないのがダルい。
結局iPadから買う事が増えてる。iPadにはあえてアプリ入れてないから。
スマホの方も削除すべきか…でも今度はそれも面倒。iPadから買えるからアプリ解除方法もわざわざ調べてない。
結局いつもiPadからまとめ買いみたいになっちゃう。
やっとファミレス行こと昨日何食べたの新作読めるぞ!
誰かを慈しむことも、疎ましく思うことも、今の私には少し荷が重すぎる。
人の心に触れるということは、自ら進んで感情のジェットコースターに乗り込むようなものだ。
期待という頂上へ向かってゆっくりと昇り、裏切りや失望という重力に引かれて一気に突き落とされる。
その落差に、もう心は追いつかない。
スリルを愛するほど若くもなければ、無謀でもないのだ。
遊具など何ひとつない、静まり返った遊園地。
そこをたった一人、自分の歩幅だけで歩く時間は、何よりも贅沢で、凪のように穏やかだ。
最近、蕪にハマって食べている。
大根とは違ったホクホク感が美味しい。
なんで今まで食べてなかったのかな。
実家で出たことがなかったからかも。
ある事柄を15歳のときから好き〜と四半世紀以上好きなことをアピールしてるけど、そういえば私たちもその年齢で出会ったけど、友人関係は続かなかったね〜と。
好きなものは永く愛していくみたいなアピールをしたいんだろうけど、肝心の人間関係は無理だったみたいね。まあ、無理だよね、何にも合わないんだから。
最近読んだ小説で、その時が楽しかったならそれで満足することも大事という箇所があったのだけど、私もあの時のあの人との日々はそう思うようにしている。確かにあの時は楽しかった。でも、あの時の楽しさって同じ学校にいて、同じ生活をして、同じ人を嫌いで⋯そんなもので紡がれていただけだったから、糸が解れてしまうのも当然。
その時の最大風速が高い関係はずっと何年も続けていくことは不可能。その時が楽しかったというだけの人間関係が長年生きているとあるということに気がつく。
一方でその人より3年後に出会った人とはまだ関係が続いているので、四半世紀以上続く関係もあるにはあるんだなと。
その時と楽しかったし、その時以外も楽しかった。そしてまた数日後に会うので楽しかったと思えたら嬉しい。
あの人のSNS、長年の友達が出てこない。そうだよね。まあ、当たり前だよね、会ってないんだから。そこは流石に嘘つけないか。でも、もう一人との関係は続いているのかもね。3人組だったからね。私は抜けただけ。なんか、長年の付き合いがある友達ってパターンのSNS、やりたいたろうに出来ないんだろうなと考えるの楽しいな。性格悪いかもしれないけど、総合的には昔より今のほうがマシです。あの時のあの人との付き合いで私は良くはならなかった。ほっこり温かなことばかり書いてるあの人といても私は良くならなかった。そういうことです。
腹をくくった、全部できるようになってやる
後出しジャンケンで週1でも居座ろうって考え方、図々しい、気にくわん、そのうちやめるんだろ
昔から負のパワーがわたしの原動力だ
ここで私も愚痴ってるから同類なのかな。
友だちが、会社の人の文句をLINEで送ってくる。
大変なんだろうな。と思うけど、
愚痴を投げつけていいと思われていることが何よりも悲しい。
宅配便、トイレ行っているときに来る問題はどうにかならないもんか。
こうもいつもピンポイントだとこわいよ
最近、会社の情報を漏洩する新任社員が話題ですけど、意識が欠けてるとかコンプライアンス教育が云々とか、そういうタイプの話は他で出尽くしてると思うのでしないんですけど、まあ、なんというか、そこに添えられている言葉がおや?って思う感じというか、若いだけじゃない本人の持ってるものが周りを苛つかせていた場合があるよなと。だから周りの心を不穏にして拡散という制裁を与えられたのかなとは思ってしまいました。
漏洩どうのこうのの是非は置いておいて、そこに書いてある言葉は悪いことじゃないんですよ。やる気に満ちあふれていて、眩しいくらい。
でも、あまりにも太陽の光が眩しいとサングラスしたりカーテンをしたりして、光を遮る作業をしますよね?だから、遮られたんだと思います。
単純にそれ、嫉妬!という言葉で括ることも出来ますが、単純に嫉妬でしょ?という砲弾を投げられて終わりにされそうなことがもう不快というか⋯そっちがギラギラ太陽で来なければ何も思わないのに、光に詰め寄られて遮ると、単純に嫉妬してるということにされるもどかしさ。
光って閃光が過ぎると害にもなるんですよ。だから光っていても意識して光らせないっていうのも大事なことだと思うのです。
私は最初から光がないので、放つ光がないのはある意味楽です。調整しなくていいから。
感情や精神論は一旦横に置こう。今の自分というシステムを、次のフェーズで動かすためのパッチを当てているだけだ。バグが出るのは承知の上。効率良くアップデートを済ませて、さっさとこの面倒な作業から抜け出したいだけだ
ある小説を読んで、人に執着するとやっぱり怖いなって思ったんですよね。
私は自分自身に執着してるから安心といったことを昨日書いたんですが、この私自身に執着出来なくなったとき、自身が壊れたとき、どうすればいいのかな?と考えました。
人は自分が壊れないように、自分以外の誰かに執着して自分を保っていく部分がある。小説に出てきた登場人物も自分を守るため、存在価値を見いだすため、自分以外の誰かを使っている。主要な登場人物だけじゃなくて、全員がその手段を何かしら使って、自分を保って生きているところに人間を感じました。
そして、結局は帰っていくところは自分自身なんですよね。
帰っていくところは自分の中だけなのに、どうにもこうにも人と関わってしまうし、そこから何かを得たいという欲望をどうにか排除したいなと思うけど、人間である限り難しいのかもしれません。