明日、ライブ行きますが、ライブも楽しみですが、何か食べようかなと思っていて、とんかつかうどんか悩んでます。
あの人、付き合って3ヶ月で結婚したらしい。聞いてないのに勝手にしゃべってきたから。
まあ、要するに出来たかららしいけど、意図的なのかなとは思ってます。
とにかくお金がかかることが許せない親だったな。要するにケチ。実際、余裕があったわけじゃないと思うけど、子どもにお金かけるのが嫌だったんだろうなと思う。お金に余裕あったとしてもケチってただろうな、あの様子じゃ。
今日は焼きそば(マルちゃん)を作った。焼きそばって言いながら、あの麺はすでに蒸されており、ほぼ焼いてない。フライパンに水も入れるし。ペヤングのこと焼きそばじゃないと思ってたけど、マルちゃんの焼きそばも焼きそばじゃないことに気づいた。
成就しなかった関係、あるいは言葉を交わしきれなかった空白。その「未完成」こそが、誰かを一生、心の中に住まわせるための余白になるのかもしれません。
誰かの記憶に自分が残っているかを問えば、きっと答えは心許ないものです。記号としての「知人」ではなく、体温を感じるような記憶として誰かの中に存在し続けるのは、容易なことではありません。けれど、それでいいのだとも思います。
記憶の温度を誰にも邪魔されず、自分だけの適温に保つこと。時折それを取り出しそっとなでるように思い返す。そんなふうに誰かを自分の一部として保存しておくことは、何にも代えがたい贅沢な孤独なのかもしれません。
会社の上層部が無能過ぎて呆れる。
提案された手法はもうとっくに現場では実践してて「今からやります」と高らかに宣言されてもこっちは今更感。
気分次第で現場に口出ししてくるわりには、決定事項にスピード感がない。
お客様のためにという大義名分で経費を湯水のように使う管理部門。
利益どっから出てると思ってんの?
数字を生まない管理部門が利益食うなよ。
もしこれがRPGゲームなら詰んでるよ、ゲーム終了。
正直ある人に「なんでも続かないな」と思ってたけど、時が経つとなんでも続かないのは自分の方だった⋯みたいなことはよくあるのかもしれない。
先日会った友達は長い年月の付き合いになるけど、だからこそ親もその友達も知っていて、理不尽に比べられて泣いた記憶は一生取れないだろうなと。
その友達は悪くないし、私の親が勝手に比べてきて私を奈落の底に突き落としただけなのです。でも、親のせいで友情にヒビが入ってもおかしくないことをされたよなとも思うのです。
「親が理不尽に比べてきて泣いた」と現在も当時も、親が悪いという思いが私の中で一貫しているから友達に矛先がいかなかったけど、若い私が何かのキッカケで投げられた理不尽さを関係のない友達に飛ばしてしまう可能性も大いにあったとは思うのです。
それをしなかった、未熟だけど筋の通った若い自分のおかげで現在があるんだと自分を称えておきます。
やっぱり会って話せば、育ってきた環境や与えられた環境が違うんだなということはじんわり感じるけれど、それが羨ましいとは感じてもズルい!とは思えなくて、気が合うけど違いを楽しむみたいになれているからよかった。これは私の努力だと。私が考え方や感じ方を長年かけて整えてきたからだとやっぱり自分をほめます。
友達との関係まで、間接的に親が染み付いているのがシンドイけど、そのシミに気がついたのは私の功績としよう。
大袈裟〜とまた親にバカにされるだろうけど。私はここまでよく頑張ってきたよ。
仕事内容以外で圧をかけられるのがつらい
人間関係、出社、契約内容
全部リセットしたくなる
最近はずっと誰だかわからない人の温かさで何とか生きてる
今のSNSはハンドルネームが第二の名前で、悪意にまみれているところが見えて辛い
名前も性別も年齢も地位もいらないから温かい場所に包まれて生きたい
週の半ばくらいから発疹と痒みが酷くなってきたので、皮膚科の予約をして診てもらってきた。予想通り蕁麻疹で、薬を処方してもらった。薬は良く効いていて、発疹も痒みも抑えられている。
2週間以上治らない場合は治るまで数ヶ月かかることが多いらしいので、年内に何とか治って欲しい。
今年はあまり良くない年だった。悪いことは、さすがにこの蕁麻疹を最後にして欲しい。