父方の祖母は穏やかで好きだったけど、あの父や伯母たち(父の姉)を生み出した人物でもあるんだよな⋯と思うと複雑です。
祖母の穏やかで柔和な雰囲気が好きだったけど、伯母たちは性格がキツイし、ピリピリしていたと思う。その圧を姪である私にまで放ってくるのは大人になってから改めて異常だったなと感じます。
でも、祖母は柔らかさを保っているのに、どうして?と考えて見たら、甘やかし要素みたいのはあったと思うんですよね。
時代もあったのかもしれませんが、父は最後の子どもで男だったから、甘やかされたんでしょう。姉である伯母たちもキツイながらも男を立てるように育てられ、そういった中で父と伯母というモンスターが徐々に育っていったんでしょうね。
自分が立てられるのが当たり前で育った父は、当然、子どもにもそれを求めます。最初の子どもである私は女だから、それが出来ることが当たり前だと思って接していたのが私への答えなんでしょう。
祖母は私にハサミを使わせなかったらしい。母が幼稚園に私を入れたときにハサミをその年齢まで使わせなかったことを驚かれた、おばあちゃんが使わせなかったから云々⋯なんて愚痴っていたのを思い出した。ああ、確かに過保護なのかもしれない。息子の最初の子どもだから、危ない思いはさせたくない!とか思っていたのかもしれない。私がハサミを使わなかったのを祖母のせいにしすぎる母もどうかと思うけど、基本的に祖母は過保護なんだろうと思う。そして、お膳立てをしてもらうことが当たり前の父は、そのお膳立てがあったからこそ出来た努力を自分だけの力として勘違いして生きている。
だから父となっても、自分がいい父でいられるためのお膳立てを子どもにまで求める。だから、私に苛立ち、自分がしてもらったように弟たちに接して欲しいから理不尽に怒鳴り散らすんだと。
祖母は私にとってはいい祖母ではあった。チラシで箱を一緒に作ったり、何気ない日常だけど、その箱まだ作っています。だけど、モンスターの母、であることには変わりはないなと感じるのです。
「ほんしけん」と入力したら、最初に"翻子拳“と変換されて、???となりました。
調べたら、中国の武術でボクシングに似てるものということです。
私が変換したかったのは“本試験"なんですが⋯せっかく出会った言葉、翻子拳の動画をあとで見てみます。
とある検定を再びチャレンジしますが、試験形式の予想問題で200満点中、178点でした。本試験なら合格です。やったー
ただ、本番はあの独自の空気感と、捻った問題が出るので、定型のような問題は全部解けるように、あと1カ月やっていきたいです。
ただ、自分の個室がなかったり、1人の時間がないと勉強って難しいんだなとはあらためて思います。趣味で受けるから思ったように時間が取れなくともイライラしませんが、この試験が生活に直結するとか仕事に関係するなら、絶対イライラしてましたし、そのイライラを自分で宥めているうちにさらに勉強の時間が減ってしまうのはありそうです。
人生を賭けるような挑戦って、もう出来ないなと思います。今までもそんな挑戦してきたわけじゃないけど。人生を賭けちゃうと、自分のペースのみで自分のタイミングですべて執り行っていきたいから。それが出来ない今は、人生を賭けたら間違いなく負の結果になる。単純に挑戦したことが失敗に終わるだけじゃなくて、挑戦そのものは成功したとしても周りとの不和が発生したり、平らかなで穏やかな未来はないんだろうなと予想出来てしまうのです。
これを言い訳とする人もいるでしょうが、私にとっては立派な理由なのです。こんな状態の内面だからこそ、趣味だけど、挑戦出来るようなものは今の私にとっては貴重なのかなと思います。
今日もなんとかやりますか
昨日スーパーに行ってやっと年末年始価格解除されたと実感しました。
何故おせちなんかに関係ない野菜まであんなに高くなるのか…
そして鶏肉コーナーが焼け野原だった。みんな高級肉ばかりで家計圧迫してたのかな…と顔見えないけど同胞がいる気になる。
何故か年末年始は牛肉コーナーが幅とるからなー。みんなそんなに焼肉とかすき焼きとかするのかな?
七草粥で財布と胃を落ち着かせて、やっと一月を開始した気持ちです。
年が明けたからといって特に変わったことはないが、年齢を重ねてくると「健康」であることのありがたみを感じる。
おいしいものを食べて、適度に欲に任せて買い物して、お休みを好きに過ごす。あっ、忘れがちだけど仕事は自分を壊さない程度にこなす笑。
みなさんが不安や悲しみのない1年でありますように。
いつもより丹念に掃除機をかけたら、もうかなりの空腹なのでお昼ご飯を食べたいと思います。
代謝がいい、というよりは加齢で体力がないのでしょうね。
周りとはちょっと道が反れている。
なんとなく同じようで違う。
“同じようで"っていうところがポイントで、全く違うなら苦にならないのです。
同じように見えても、自分はその中で下位層だし、それは自分でわかっているのに、劣っているとわざわざ指摘される。
自分でわかっているから指摘しなくていいです。
不惑の年齢を超えていますが、蒸発することに対しても手段として選択肢にあるから、なんとか生きていられるのです。
シジューにして、蒸発することも惑わずなんです。
だから生きていけるんだな。
なんかツラい!
なぜだかわからない、というのはちょっと嘘。
大学の課題、遅れて来た支払いを全て払う余裕があるのか、自分に課した少しハードルの高い目標。
簡単にいえば自分をすぐ追い込んでしまう自分が嫌い。
自分を甘やかすことが楽にできたらいいのにな
自分が自分であるだけで寂しい。
何かを食べるのも
何かを選ぶのも
好きなことをするだけで人が離れていく要因になる
何もしたくない
小3の頃、住んでいたマンション。オバケが出たのかな?
私のお小遣いがなくなっていて、お金を使うタイプのオバケだったらしい。
母が貯めていた500円貯金もなくなったらしい。
でも、その時は父が謝っていた。父が盗ったらしい。
私のお小遣いも、もしかしたら⋯というか、生きている身近な人間に化けるオバケっているんだなと。
私のこと意味不明に怒鳴ったり、役に立たない!なんてオバケじゃないとありえないし、オバケだから理不尽に怒られたのだろう。
そのオバケの種類、"父“っていうみたいです。
このタイプのオバケ、見たことない人は幸せですよ。私には見えてしまったのですから。