語彙力を含めた、日本語力が高い人が好き。
まじやばい。
えぐい。
ではわからない、その人の感情の機微が伝わる感覚が好き。
ゲームの配信者が好きと言っている人を、心のどこかで無意識に、うっすら馬鹿にしている自分がいた。K-POPアイドルが好きなのと何ら変わりはないのに。
そして最近になって、配信者の動画を日常的に見るようになった。
そんな自分を恥ずかしく思ってしまう自分が、情けない。
人の好きなものは、全力で肯定しようと決めた今日この頃。
平日は、たくさん寝れて、YouTube見れて、ネトフリ見れて、そしたらすごく充実した一日だったのに、夏休みに入った瞬間に、怠惰な一日に感じる。
この現象に名前を付けてくれ。
ヿ←これ、カタカナで“コト"と読むらしい。漢字ではなくて、あくまでカタカナ扱い。とある本を読んで頻繁に出てきた。かぎ括弧みたいだな。ちなみにかぎ括弧はこれ→「」
カタカナトシテ扱ウヿ。
ネムイトイウヿハ寝不足気味トイウヿ。
ナンカ見慣レナイヿヲ見ツケルト、言イタイヿハ増エルケド、誰ニ言エバイイカワカラナイナンテヿガヨクアル。
この夏休みは結構充実してる。
やりたいこと消化していってる。
ベーグル3種類作ったし、スニーカー買い替えたし、サンダル履きたいから足の爪を塗ったし、ちゃんとベッドで寝てる。
出不精にならずにいるのも、えらい、かしこい!
あとは夏のバッグを作るんだ。
元彼に彼女ができたらしい。いつ頃かは知らない。
しょーもない出会い方をして、しょーもない付き合い方をして、
しょーもない別れ方をして、自分のことも相手のことも大嫌いになった。
そんな恋人生活と、少しのその後だった。
煙草は吸い続けているらしい。
合法の歳になれてよかったね。よかったか?
二十歳になる前に一回ぐらい警察の方のお世話になったらよかったのに。
人から貰った小遣いで吸うヤニはうまかったか?
嗜好品ぐらい自分の稼いだ金で買えよ。愚図。
あとゴムな。てめーで買えや。
とまあ当時の不満はさておいて。ここからは祈り。
もう一ミリたりとも私のことを思い出さないでください。
LINEブロ削してください。ケー番消してください。
ADHD気質と言われてブチギレかましたことを心の底から反省してください。
結局正式に診断受けてんじゃねーか。ちゃんと薬飲めよ。
二度と私の人生に登場するな。
今の彼女さんへ、怪物の世話は頼みました。末永くどうぞよろしく。
近所でお祭りあったけど、毎年行かない。
家族が去年手伝わされてたなー
そこに住んでるだけで手伝わされる罰ゲーム。
住民税も固定資産税と払ってるのにね⋯
あー
お腹すいたー
もー朝ごはんは食べたのよー
それなのにぐうなのよー
どうしたもんかねー
⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀
「〇活」という単語をそのまま出すと、それだけでヒステリックに反応したり、説教モードに入ったり、謎の地雷を踏んで勝手に爆発したりする人、本当にいますよね。何かしらコンプレックスとか苦労とか伴う活動だったりする場合は特に。でも、そういった「単語の強さ」にしか反応できない人たちに疲れるんですよ。
そんな話じゃないよ?って思ってます。単語が出て来てるだけ。単語が。その単語でご飯何杯も食べてそうだなと。胃もたれしそう。
来月末に45歳になる。
40代後半から一気に老ける、と散々聞いてきたけど、まさにそれは感じていて。
お出かけする気がなくなった。
疲れやすくなった。
油物が受け付けない。
(もともと興味が薄かったけど)ファッションや美容への興味が薄れた。
それが寂しいことなのかというと、ちょっと違って。
不要なものが削ぎ落された感じ。
30代までは、何者かになりたくてあがいていた。
若さとエネルギーと自意識を持て余して、とにかく「なりたい自分」「やりたいこと」「目標」に向けてがむしゃらに。
いわゆる「恋も仕事も遊びも全力」の姿勢を良しとしてた。
忙しくしてないと勿体ないと言わんばかりに。
でも、40代になって徐々に、疲れてきたのかな。
新しいお店開拓や、車での遠出がしんどくなってきた。
ハードな格安旅はもう無理で、新幹線での旅行もおっくうになるくらい。
コロナもあったし。
体力に限りが見えてくると、必然的に自分にとって優先順位の低いものが削られていく。
見栄や野望や世間の指標なんかに自分を合わせる気力がなくなっていくと、どんどん解放されていく感じがあった。
家で過ごすことが増えたのに、ずっと自由で開放された気分だ。
疲れやすさに若いころの体力カムバック、と思うことも、もちろんある。
でも、30代の女性たちが「キャリアも美容も推し活も婚活も!」とすごい頑張ってるのを見るにつけ、
あぁ、あんな頃あったな
と、思いつつ、疲れてしまうのでそっと目を逸らすことが増えた。
見てるだけで疲れるというか。
自分以外の何かになりたくてひっしだった。
もっといい自分になれると信じてたし、努力も惜しまずに。
でも、結局残ったのは自分だった。
諦めでも絶望でもなく、ただ、ここに、私が残った。
あの頃無我夢中でもがいたから、今の自分は思い描いた姿と違うけど、でも好きな自分で、当時の私が見たら「えー・・・」とがっかりするだろう。
でも、私は今、当時よりずっと幸せだ。
足るを知るというか、身の程を知ったのか。
私に戻った、がしっくりくるのかな。
無理やり高い下駄をはいて更に背伸びしながら上を目指してた頃を今頑張る30代の女性たちを見てると思い出す。
悩んで迷走しながら努力し続けた。
あの頃の自分と重なって、まだちょっと直視できないんだ。