ゴールデンウイークに帰省する友達がいるから、良かったらみんなで会おうと言われてたけど、連絡がないのでそのまま放置してる。
会いたくないとか、連絡くれない!とかじゃなくて、もう社交辞令的な川のせせらぎと同じような流れの会話だったんだと思う。
だから私がここで思い出したように連絡しちゃったら川の流れが止まる。私自身が持っている川の流れも止まる。
だから淀むし、生態系が変わるのは嫌なので、余計なことをしない。何か聞こえてきたときだけ、喜べることなら喜ぶし、断るべきことなら断る。もうそういう感じでしか生きられない。
ただでさえゴールデンウイークが自身の川の流れを変えてるのに。
自分は大丈夫。とは思わないようにはしてるけど、やっぱりどうしても一番深いところでは、自分は大丈夫って思っちゃってるな。
自分は大丈夫?
食洗器に油汚れのひどい食器を1ついれました。その他の食器は普通の汚れです。
一応、強力モードで洗いました。油汚れがひどい食器は綺麗になりましたが、その他の食器が洗浄前にはついていなかった油がうっすらついていました。
時々、こういうことが起こります。1つひどい汚れがあると関係のない食器が汚れていく。元凶は何事もなかったようにさっぱりしてるのに。
食洗器界隈でもそうなんですか?人間界隈もそうですよ?関係ない人が汚れをつけられて不快になってることはよくあります。
環境って大事ですよね。
そういえば、夕盛って面白いとか面白くないとか、好きとか嫌いとか、そういうことを考えたことすらない存在かも。
そういう存在って著名人としては貴重では?
普通にウキウキウオッチとミュージック駅のオジサンってイメージ
近所に住んでいて、遭遇率の高い人っているよね。
かつては知り合いではあったけど今は他人の微妙な知り合いか、1回も話したこともないけど顔を記号として覚えている人。
こちらの生活パターンが決まっていて、同じ時間に同じ場所へ行くということなら、相手の生活パターン、リズムと重なっているだけなのでしょうがないとは思うんですけど、近所とはいえ、まったく同じパターンではないのに、けっこうな遭遇率だったりすると、萎えます。
そうなんです。すごい関わりないし、挨拶もしなくていいレベルの人たちなのに、会うと嫌なんですよね。この感情、なんなんでしょうね。
昨日はかつては知り合いレベルだったけど、10年以上経って他人になったパターンの人に遭遇したけど、私はちょっと違う時間に買い物に行ったつもりなのに、そこで買い物をしていた。ああ、またいた。なんかガッカリと思ってしまいました。別に挨拶とかしないのに。何かされたわけでもないけど、会うことが嫌なのです。
顔が記号の人もなぜか遭遇率が高い人が数人いる。こっちのほうが1回も話したこともないのに、なんか会いたくなくて、遭うとゾワッとしてしまう。
相手側からしたら、私と同じようにゾワッとして見かけただけで私にゾワッとしてるかもしれない。それか、気にも止められていないか⋯
でも会いたくないものは会いたくない。私の中の動物的な勘が何かを察知している⋯そういうことにしておいてください。
でも、言わないだけで、そういう人、いるよね?
ひとりで家にいるの、本当に好きだ。
何もしていないのに楽しいし、暇なのにわくわくする。
私は根っからの一人好きなんだと思う。
「お風呂とシャワーどっちがいい?」と聞いてくるとき、相手の中ではもう「シャワー」って答えが決まってる。
いつもはお風呂一択なのに、自分が面倒な時だけこっちに選ばせて「あなたが選んだんだよ」という体裁にしたいだけ。
「どっちでもいい」と正直に答えたら、理想の回答を求めて他の家族にまで聞きに回る始末。
自分で決めたくない、でも自分が楽をしたと思われたくない。そんな「察して」の文化に合わせるのって、本当にエネルギーを使いますよね。
「面倒だから今日はシャワーで!」って、もっと潔く言える関係の方がずっと楽なのに。
「旅行先で肉たべたら吐いちゃった」
15年ほど前、元友人がうれしそう言ってたな。
なんでも、マクロビオティックというものを取り入れたら、体が肉を受け付けなくなったらしい。
個人的なことだから勝手にどうぞと思いたいところだけど、一緒に旅行先で肉を食べて、そんな健康法のために吐かれたらめんどくせえって思ってしまう。話を聞いただけでめんどくせえ⋯って思ったのに。
体調不良なら人間だし、旅行先という環境の変化で仕方ないときもある。私もいつも万全じゃないし、そういうのはお互い様な部分があって補いあっていかなきゃならないとは思う。
でも、自分からわざわざ吐くような体質に変化させ、それなのに旅行に参加し、そして吐く。そしてそれを恥ずかしいとも思わず他の友人に嬉しそうに話す。
このマクロビオティックが特殊で現生活とは違うスタイルを続けないといけないから、この元友人を変化させたように見える。
でも、それは違って、マクロビオティックという特殊なスタイルがこの元友人の本質を暴いたんだと思う。
自分は特別なことをやっているいう驕り。だから旅行に行くのは当然。旅行だから肉は食べるけど、やっぱり吐いた!吐いた!これは素晴らしい反応!これは"体調の変化“だからしょうがないよね?
肉やその他チョコレートなどを食べないというストイックさが本人を勘違いさせたんだろうなと。そしてその勘違いが本人の人間性だと。
付き合いはもうないけど、本人がSNSで焼肉やチョコレートやその他、マクロビオティック的にはアウトそうなものを投稿するたびに、吐くようになったというのは儚い一瞬の出来事だったんだなと思う。
あの頃、旅行に一緒に行った人に申し訳ないとか考えたりするのかな?私が一緒に行ったわけじゃないけど、一緒に旅行って予定合わせて相手のことも考えて大変な部分もあるのに。肉で吐く体に自らなって、それを喜んでいる人⋯申し訳ないなんて思うわくないか⋯
きっともうなかったことになって、また焼肉に行くんだろうな。個人的には思い込みで吐いただけ⋯思い込みって良くも悪くも絶大な力があると思うので⋯
”好きなのは私だけ”なんて、いつものこと。
どれだけ私が気持ちを伝えても。
どれだけ私が愛を与えても。
それらが私に返ってくることはない。
与えられるものだけ享受して生きていけたら、なんて。
最後にもらったのはいつだったのだろう。
私が望んだ形で。
そんなこと、もう考えたくもない。
きっともう、疾うの昔に私は私の一部をどこかに置いてきてしまった。
今ここにあるのは、考えるのも感じるのもやめて、全て諦めた、抜け殻だけ。
どうして人は時間を持て余すといなくなりたいと願ってしまうんだろう。
誰にも必要とされていないと思うからだろうか。
この現象は私だけなのだろうか。