”好きなのは私だけ”なんて、いつものこと。
どれだけ私が気持ちを伝えても。
どれだけ私が愛を与えても。
それらが私に返ってくることはない。
与えられるものだけ享受して生きていけたら、なんて。
最後にもらったのはいつだったのだろう。
私が望んだ形で。
そんなこと、もう考えたくもない。
きっともう、疾うの昔に私は私の一部をどこかに置いてきてしまった。
今ここにあるのは、考えるのも感じるのもやめて、全て諦めた、抜け殻だけ。
”好きなのは私だけ”なんて、いつものこと。
どれだけ私が気持ちを伝えても。
どれだけ私が愛を与えても。
それらが私に返ってくることはない。
与えられるものだけ享受して生きていけたら、なんて。
最後にもらったのはいつだったのだろう。
私が望んだ形で。
そんなこと、もう考えたくもない。
きっともう、疾うの昔に私は私の一部をどこかに置いてきてしまった。
今ここにあるのは、考えるのも感じるのもやめて、全て諦めた、抜け殻だけ。
どうして人は時間を持て余すといなくなりたいと願ってしまうんだろう。
誰にも必要とされていないと思うからだろうか。
この現象は私だけなのだろうか。
最近服を間違えてる。
1枚減らしたら寒いし、1枚増やしたら暑いみたいな日々の繰り返し。
そんな間違いを繰り返しているうちに、極限まで暑さに対応する服しか着れなくなる。
そして、また1枚増やしたら暑いし、1枚減らしたら寒いといってるうちに厚みのある格好しか出来なくなって1年が終わるんだ。
ただCDの売り上げランキングをながしてるある番組が好きだった。
でも、現在の音楽シーンで同じものを見ても、つまらないとかんじるだろう。
アイドルの顔とか全部同じに見えるようになってしまった。
でも、それはそれで自分が普通に年齢を重ねてるということでもあるから安心もできる。
CD全盛期だった頃に深夜に放送していた音楽ランキング番組好きで、よく見てました。
ただ深夜なんで録画して、次の日が日曜日なんでその午前中に見るのが楽しみだった。
ネットでその番組の一部を見て懐かしいなーなんて思ったけど、同時に変な感情も思い出した。
「お父さん、起きてきませんように」
私、このテレビを観てるとき、ずっとこんなこと思って観てたなと。父が起きてきたら、父のテレビを独占したい圧が強すぎて落ち着いて観ることが出来ない。30分ほどの番組だけど、途中で起きてこられると、本当に番組が楽しめなくてガッカリした。
どこが面白いの?こんな言葉を音楽の隙間に浴びていたんだと思うと純粋な好きという気持ちが淀む。
自分の好きなものに嫌な思い出もこびりついてるなと気づくことが最近本当に増えた。大事なものは知られないようにするって改めて思うのです。
人のせいにするなって思われるかもしれないけど、寄り沿ってもらえたら出来たこと、頑張れたことっていっぱいあったなと思う。
共感はしなくていいから、自分が今、こう思ってますということを吐き出してしまったとき、あなたはそう思っているんだねと。受け取って欲しかったんだと。
それが、幼いころからされてこなかった。私の考えが正しい正しくないかではなくて、私がまず何を感じでいるかが置き去りになってる。
だから今は自分の感情や考えが世間一般とはズレてるだろうなと思ったら言わない。一般的な考えを持ち合わせてますよ?って顔で生きてる。だけど、本当は違うかも。部屋も汚いし、ごちゃごちゃだけど、まあ自分が生きやすいからそれでいいかってなってる。だけど、片づけられないことを自分で嘆いているふりをしている。それでよいのだと思う。
この1杯でやめとこう。
おわりにしよう。
と思うのに、また注いでるの。
そのたびに満たされたようで全てを失っている。
つくった食事に
マヨネーズと醤油をブワーっとかけて召し上がる。
食べてくれるなら それでよしとすればいいのか。
ポロポロ食べこぼす。
いつものこと。
普段いかない遠くのファミマに立ち寄ったら、レジに小さいファミッペ?(ファミマのゆるキャラ)がたくさんいてとても和んだ。
聞くところによると、パートさんのご主人が「手を何度も刺しながら趣味で作った」そう。
小指の爪より小さいファミッペが居たり、ファミチキの袋(カラーで縮小コピーしてる)を布団に寝ていたり、唐揚げのパックを突き破って顔を出していたり。
色んなストーリーも感じさせる展示で、もう愛おしさすら感じる。
特段ファミッペを意識したことなかったけど、ここまでされると写真撮らせてもらうよね。
快く写真を何枚もとらせてもらい、充実した気分で帰宅した。
チェーン店はどこも同じ品と店構えで、それが安心感でもあるけども、こう言うささやかなお店側の創意工夫やおもてなし心、時には販売魂を感じるPOPなどを見かけると嬉しくなる。
頑張ってるね!と思うしそのお店のセンスや努力が感じられて楽しい。
かくいう私も新卒から10年近く、ドラッグストアの販売員をしており、売り場づくりが楽しかったし、各店ごとのディスプレイを見るのが大好きだったから。
沢山の画用紙とPOPペンで自由にPOPを書いて商品を説明するのはもちろん。
医薬品の空き箱はメーカーに発注すれば大量に送られてくるので、それを積み上げて天井に届きそうなタワーを作成して、推奨商品を目立たせたり。
POP一枚で売り上げが上がったりするから、マーケティング施策から検証まで目の前でできたのも面白かった。
今は転職して全く違う職種についてるので、売り場づくりに携わることはなくなったけど、未だにやりたいくらい。
でも、いつの間にか、どのドラッグストアに行っても、売り場に手書きのPOPは見かけなくなった。
手書き風に見えるPOPも印刷されたもの。
多分、本部から一斉に各店に送られてるのだろう。
そのクオリティは高くて、見栄えもいいけど、温かみも個性も無くなった。
各店にいたポッパー(POPが上手い人をそう呼んでた)はどこに行ったのだろう?
もう誰もPOPを書かないのかな?
すごくつまらない。
そう思ってたので、コンビニで冒頭のような演出をされると、たまらなくうれしいのだ。
印刷したPOPや整理された陳列は確かに見栄えは美しい。
でも、購買意欲って、売り手(店員)の気持ちに反応すると思う。
手前みそだけど、私が作った売り場ディスプレイの商品の売り上げは他店よりも良かった。
上司からも「上手くはないが、味があって売れる売り場」と言われたし(笑)
それは、お客さんの動きや目線を見て、商品の見せ方や説明の仕方を考えて作ったものだからだと思う。
あと、人の手が描いた温かみって大きいよ。
だからさ、ドラッグストアも、手書きPOP、復活させればいいのにね。
私はまたあの薬箱で作ったタワーとかみたいよ。
昨日、初のカリンバ教室に行って来た。
みなさん初めて、何ならカリンバ触った事ない人もいた。まあ私もお店の展示品をチョロっと鳴らしてみた程度だったけど。
カリンバ、最初は見るだけみてAmazonで買おうかなと思ってたんだけど、結局お教室で中程度のランクのものと楽譜をセットで買った。それでも一万円しなかったのでまあいいかなと。
これからやってみてまた欲しくなったら楽器店で確かめて買おうかな。
1人、以前に通販で訳も分からず買ったのを持って来た人いたんだけど、その人のカリンバのピン?はお教室販売の物より若干細かったらしい。
それ聞いたらちょっと通販が怖くなって。
めちゃめちゃやってる人は演奏する曲に合わせて半音上げたり下げたりしたカリンバに変えたりするみたいだし、その領域になったらまた買おう。
家に帰って早速適当に演奏してみた。
小学生時代、家が遠くて退屈な帰路にずーーーーーっとリコーダー吹いて帰ってた頃を思い出して、思い付いた曲を適当に弾いてみた。
昔はヒット曲を適当に吹けたんだけど、流石に最近のヒット曲は難しくて断念。ジブリとかアンパンマンとかはそこそこいけた。半音の壁はあったけどね。
これから教本(オリジナルの譜面になってる)見ながら頑張ろう。
この教本風の楽譜ノートあるといいんだけどな。
自分で読み取った譜とか、音階やアルファベット譜で書かれてる譜を移し替えたい。
エクセルとかで作ろうかな。