2026.03.25Wed
非表示 05:59

なんとか御輿を上げて取り組んだことでも、納得出来ないこともたくさんあります。
現実は鳳凰もいないし、御伽の世界でもないので、それを飲み込むしかありませんが⋯
肋間を助間と書いてしまうほど、人生にはトラップはつきものです。

2026.03.24Tue
非表示 11:36

病めるときはも健やかなるときも⋯の病めるときって風邪引いたくらいにしか思ってなくて、ちょっと看病してあげるくらいのことと思ってるというのをどこがで見て、それなーと思いました。

2026.03.23Mon
非表示 23:08

私の日々の小さな努力より、自分優先の人。
(私の努力なんて、ゴミの日にゴミをきちんとすてるくらい)

お皿洗ってくれたときに、乾燥機の上に私が洗った乾いたお皿があった。(乾燥機からすぐお皿を片付けなかったのがいけなかった)
洗って乾かされたお皿の上に、洗ったお皿を置こうとしたことに、私が怒った。
そしたら、洗ってくれてありがとうが先だろと言われたことがある。

あぁ、無理だな。と心が冷えた。

だから、私は何も言わない。

あなたが言っていることはわかる。
どうして、なんでも自分が否定されたと解釈し怒りをぶつけるの?あなたはなんでも正しい。
私のことバカにしすぎだよ。


非表示 16:20

バーミヤンで杏仁豆腐を食べたら美味しすぎて感動してる。
三杯くらい食べたかった。
器がプラスチックのものもあって、なんか落ち着く。


非表示 11:59

ようやく電話しようと思ったら、今日から3日間も休診だった⋯
ちょっと電話するだけなのにすごい面倒で、重い腰を上げたらコレで⋯
まあ、私が悪いんだけどさ


非表示 05:54

はっきり言うと母がまだ生きていたら、母から電話が来て愚痴に付き合い、愚痴に付き合ってるのに、なぜか急にイラッとされたり、嫌味を言われたりしなきゃならないのがまだ続いていたんだと思うとゾッとする。
今年で母が亡くなってから10年経つけど、その間に自分のことや子どものことなど、それなりに変化もあった。
その変化を勝手に愚痴への材料にされていたんだろうなと思うと、もうしんどい。
特に子どもの進学については、そこを切り取りながら何らかの私の愚痴を私に言ってきてただろうなと。
子ども3人を公立高校に入れたことが自慢というか、嬉しいみたいだけど、そうしなきゃならなないように圧をかけてたのは自分なんだよね。それを持ち出して、私なら絶対受かるところを受けさせるけどねーとか言ってきただろう。
いくら気にしない、スルーする言っても、聞こえてきたものは心を煩わせる一部にどうしてもなってしまうから、ここで自分の家族だけの気持ちで自分の考えだけで子どもに接することが出来たのは良かった。それが正しいとは限らないけど。少なくとも母の雑音が入らなかったのは良かったといえる。
単純に学校行かせてもらってるのに、ご飯作ってもらってるのに、毒親と言うなんてという意見もネットを見てると散見されるけど、私の両親は毒親。それをしてやってるんだから何を言ってもいいという姿勢は毒親なんですよ。
数年前までは、毒親未満なんて表現をしてたけど、やっぱり毒親だと思う。そう考えを改めることで両親に接してきたときの時間が少しは救われるというか。あれは普通じゃなかったんだよ?とあの頃の私に言ってあげられることは今の幸せにも繋がるのです。

2026.03.22Sun
非表示 21:58

欲張ってはいけない。

昨日うれしいことがあった。
またあればいいな。

でも、欲張ってはいけません。
昨日はたまたまです。

好きってなんだろう。


非表示 16:41

好みじゃない指輪、私もいらないなー
サプライズって喜ばなきゃいけないから疲れるんだよね。
こんなことを思って言ってしまうのが冷たいと言われることもストレスになる。
現実を生きてるだけ


非表示 16:05

共通の敵を叩いて絆を確認し合う。負の連帯感は、時に愛よりも強固です。それが本能だとしても、あまりに虚しい仕組み。けれど、標的にされる経験が「察する力」を育てたのなら、それもまた、この不条理な世界を生き抜くための本能なのでしょう。


非表示 06:27

私が自分が丸顔なんだ、鼻が低いんだ、団子鼻なんだと自覚したのは両親に指摘されるから。
主に丸顔なのは母から指摘されてて、鼻は父から指摘されてた。
子どもにそんなこと言うのありえないと思うんだが、母は自分が頬がこけて見えることを気にしてたみたいだし、私の顔は父寄りの顔なので父は自分の鼻の形を自分で揶揄してるということになる。
母は私の顔を“濃い"とよく言っていた。まあ父寄りの顔だし、薄いか濃いかと言ったら濃いんだろうなと。濃いことがまるで悪いかのように言う。別に母の顔のことを薄顔とは思ったこともないけど、濃い顔ではないんだろうなと。
濃い顔じゃないことがコンプレックスだったんだろうか。そういう解釈をしてしまいたくなるほど、私は顔が丸くて濃い顔と言われきたとは思う。
私は父寄りの顔だから、当然父方の親戚にも似てるのかもしれない。父方の怖い伯母に顔が似てると感じて嫌だったのかも。
母が写真を撮ると頬がこけてみえると意地悪に指摘してきたのは伯母だったらしい。だから伯母に対して反論しない変わりに私の顔をからかったのかもしれない。意識してなくとも深い部分で疑似的な反撃なのかもしれない。父に鼻がーと揶揄されていても助けない、言われっぱなしに放置していたのも反撃なのかもしれない。
父は伯母のことが大好きだ。美人と思ってるらしい。だから、鼻が惜しいと私に言ってきたのは、私が伯母みたいになれなかったからかもしれない。別に私は伯母を美人だと思ったことはない。キツイ顔をしていて、私にもとても意地悪だった。伯母の言葉で泣いたこともある。でも、系統的には自分もあの顔なのかもしれない。嫌である。
伯母は母が痩せていることも皮肉めいたことを言っていた。それは伯母のコンプレックスなのかもしれない。伯母が痩せているところを見たことがない。私もどちらかというと痩せ型なので伯母を存在だけで刺激したのかもしれない。
色々書いて見ると、みんなそれぞれコンプレックスがあって、それを放ちやすい人に放って生きている。そう考えると人間はやっぱり怖い。私も年齢を重ねて以前より顔の丸みはなくなった。これはただの加齢だ。鼻は相変わらず低い。だからこそなのか、鼻腔拡張テープがフィットしないときがある。年がら年中、鼻は低く、詰まっているから空気も薄い。そんな毎日である。

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