闘病中の猫が亡くなったその日に、猫と仲が良かったシニア犬が急逝したという知らせを聞いた。
後を追うように、とはよく聞くけど、同日というのは初めて聞いた。
猫と一緒に旅立ったのかな。
猫の看取りに集中するため、4日前から母の家に引き取ってもらってたシニア犬。
でも二匹が亡くなる前日、母が庭で犬を散歩させているとき、私の家にいるはずの猫が庭にいた、と話していた。
シニア犬の介護中、いつも、体調が悪いのに猫はそばに来て様子をうかがっていた。
ベタベタした関係ではないけど、傍にいて心配しているのはすごく伝わってて。
介護はすごく大変だったけど、その姿に私自身も励まされてた部分は大きい。
猫の騎士、で、ニャイト。
ニャイトが姫(犬)を最後まで守ってくれたんだと思いたい。
シニア犬の介護と猫の闘病の期間が重なった最後の5か月は、本当にしんどかった。
体が弱っていくのに加え、シニア犬の痴呆症状が進行。
寝れない、家にいても休めない、毎日がヘトヘトで。
可愛かった犬が憎たらしく思うことも正直、多々あった。
どうしていうことを聞いてくれないの、と切れることも。
そんな時でも、猫がそばで心配そうに見守ってたから、自分をギリギリで保てたのだと思う。
猫がいなかったら、私は犬の世話から逃げていたかもしれない。
神社や寺に行くたびに、「犬と猫を最後まで穏やかに見送れますように」とお願いしていた。
自分一人の力ではとても二匹を守れないと思ったから。
使えるサービスはすべて使ったし、DIYをして二匹と飼い主が少しでも楽に生活できるように工夫したり、あまりにしんどい時は、母に預けて旅行に出たりした。
ちゃんとできたかわからない。
まさか最期が急すぎて看取れなかったから。
でも、自己満だとしても、私はできることをすべてやった。
責任を果たした、と、安堵。
猫にはただ愛情だけで、犬に対しては責任、という言葉が強く思い浮かんだ。
悲しい、より、放心。
同じように愛せてなかったのかと罪悪感も芽生え始めたタイミングで、写真フォルダを見漁ったら、犬との長い17年もの日々が出てきた。
元気だったころは、私の顔がベタベタになるまで舐めてきたな。
昔から犬と猫は仲良かったんだな。
一緒にたくさん散歩したし、毎月のシャンプーで美しい白毛をキープしてたから、色んな人に「きれいね」と言われて鼻が高かったな。
最期は目が見えなくなってたけど、元気なころはこんなにかわいい顔で私を見上げてくれてたな。
やっと責任から解放されて、愛情を思い出した。
私を愛してくれてありがとう。
家の宗派「浄土真宗」は、亡くなった人は浄土に行って、すぐに悟りを開いて、仏になって地上に戻ってくると母から聞いた。
父の形見の十字架を愛用し、初詣は寺、旅行先では神社巡りを楽しむ私に、信仰はまるでない。
ただ、その考え方はすごく救われるので、今回はそちらの宗派で見送ろうと思う。
そして、先週、神社を訪れて引いたおみくじに入っていたラッキーチャームの「カエル」。
無事に戻ってこれるように、という願掛けアイテム。
ちょうどいいから、猫に持たせた。
二匹で一緒に悟りを開いて、元気に戻ってきてね。
私が虹の橋を渡るときはついてきて。
一緒にみんなで行こう。
どうしようもない私の家族になってくれてありがとう。
二匹とも大好きだよ。
最期は引き離してしまってごめんね。
私の傍にいてくれてありがとう。
たくさんの愛と思い出をありがとう。