考え事するのって苦手なんだけど、ここ最近はすごくワクワクしてる。
なにを考えてるかって、おともだちへのプレゼント、どんなのがいいかなって。
あの子これは喜んでくれるかな、この子はこれは好きだろうな。そんなこと思いながらの考え事は好きみたい。
気持ちを癒すために海までドライブ。
安全運転で海が見える駐車場にたどり着いて、さてコーヒーを入れようとしたら
カップをひっくり返して足をやけど。
冷やさなきゃ!
と、慌てて車を飛び出して、水場が近くになかったので海に入ろうと歩き出して3歩目で
段差に躓いて派手に転倒。
やけどした足を冷やすべくやっとの思いで海に足を浸したら、擦り剥いた足の傷が
沁みる。
でも、他に水場がない悲しみ。
いい年した女が痛みに顔をしかめながら、海の中で仁王立ちしてる様は異様だったろうな…。
傷口に塩って、これか。
暖かい夏日とはいえ、シーズンオフの海水浴場はほとんど人がおらず、プライベートビーチ気分で過ごせたのは良かった。
傷口とやけどに太陽の日がまた染みたけど、家から持ってきた弁当(ざるそば)を食べたり
スマホで音楽かけたり。
車に常備してる薄い毛布をレジャーシート、クッションを枕にちょっとお昼寝。
日焼け防止にキャップとサングラスとマスク。
怪しさ爆発だけど、(ほぼ)誰もいないのでよし。
誰もいないからこそ、治安が心配な昨今、鍵がかかる車の方が安心だけど、海風を感じられる浜辺もいいな。
足のやけどと傷がなければもっといたんだけど、痛くて結局スーパーで氷をもらって冷やしながら帰宅。
実はその道中もまたアクシデントがあったんだけど、事故らなかったのでよかった。
メンタルが本当に落ちてるときは、下手に外に出ない方が安全かもしれない。
家の床に寝そべって、結局、youtubeをだらだら見ながら平日オフが終わった。
疲れてるときは、ジタバタしちゃだめだな。
体も心も休めなきゃ。
体はそうするのに、心だとどうして外に出てリフレッシュしたくなるんだろう。
やけどは幸い大したことなかったけど、擦り剥いた足がまだじくじくする。
おとなしくしとけ、ってことか。
せめてyoutubeで海の動画でも見ようかな。
久しぶりに結婚式に呼ばれてるので、服とか色々なものを引っ張り出しています。
初めて結婚式に出席したとき、色々わからないから結婚式用の服を買った店や親にも聞いたりして万全に望んだつもりなんですが、今思えば白っぽいカーディガンというか羽織?駄目だったかなーと思いますね。ドレス用の如何にもなボレロじゃなくて、普段使いも出来そうなカーディガンを購入したんですけど、ちょっと白かったかなーと思います。ドレスはライトグリーンのテカテカ光沢のある結婚式でしか着ないでしょ?みたいなヤツだったのでセーフか。自分ではセーフだとしても、誰かにとってマナー違反ならそれはマナー違反なのでよく思ってない人もいたかもしれないです。
自分では確認したつもりですが、店の人はカーディガンを売りたいから、大丈夫ですよーって言うと思うし、思えば親はあまり結婚式に参列してない人なんですよね。だから軽めのマナーしか知らないのは当たり前かもしれません。
当時は20代前半で就職したばかりでお金がギリギリだったので、なるべく使い回せるものを!という思いもありました。確かに白っぽいカーディガンは使い回してましたが、その他のものは全然‥ドレスだって、店の人によれば合わせ方次第では普段着で云々って言われたけど、結局1回しか着てないなーって思います。そして、その結婚式の主役の友達とは‥疎遠です。やっぱり白っぽいカーディガンも原因?疎遠の原因の一部にはなってるかもしれません。でも、あの時は本当にお祝いの気持ち100%あったのは事実なんですよね。
あれから15年近く経ってますが、結婚式のマナーは色々ありますけど、ヒールの靴だけは無理なので、ヒールなしの靴で参加します。でもお祝いの気持ちだけはあるのです。
私にアレコレ頼んでくる人に、そのアレコレを私に伝える役割をしている“真ん中の人”もけっこう厄介なんだよなと思ったことがそこを去る原因の1つです。
また、真ん中の人にアレコレさんの伝言で頼まれ事をされたのですが、その頼まれ事をそのまま受けちゃうと、良くない現象が起こるのが予想されたので私の考えを伝えて引き受けなかったんです。でも、頼まれたからやって、やって、やって‥ばかりで。私も引き下がらないで、理由を伝えて出来ませんと言いました。
で、私がやらなかった理由が「頼むと機嫌悪くなるから」という理由で真ん中の人がアレコレ頼んでくるアレコレさんに伝えたらしいんですよね。誰かを悪く言って穏便に終わらせてるのかもしれませんけど、私は理由があって出来ないって言ってるのに「機嫌悪くなるから」ってことにされてて悲しいですね。
私はスマホや機械みたいに言われた事をやるだけではないんですよね。ちゃんと考えがあります。それが間違っていたとしても自分の考えがあるのです。それを機嫌悪い人にされて解決されてたのは納得が出来ませんでした。でも、もう去るからいいやとも思えました。
私がいなくなれば、真ん中はなくなるからきっと真ん中の人もラクになるでしょう。
別に義務じゃないけど一回やらなきゃいけないと思っちゃったらに手を付けないことに罪悪感が出てきてモヤモヤするので、とりあえず参考書開いて一日30分でも資格勉強取り組むことを始めました。序盤が本当に数学問題すぎて、分厚い数学嫌いフィルターのある私にはよくよく読めばそんなに難しいことを言っていなくても頭の拒否反応がえげつなくて進みが悪いですがとりあえず継続することに意義があるのでフィルターに負けずに進めたいと思います。
直接は触れないけど、彼らは今でも私の傍にいると思っている。
だからか、今は想像したほどの辛さはないかも。
あのモフモフに触れないし、一人で散歩するのはつまらないから、元気はない。
後悔や執着がないわけではない。
だけど、彼らは私の傍にいる。
見えないし、聞こえないけど、私の心の中に生きてるし、残像?妄想?が家の中のあちこちにいるから、いわゆるペットロス、という状況にはないのかな、と思ったり。
あのペットロスってなんだろう。
いつまでも悲しんでいたらペットが天国に行けない、という一方で、辛い時は思う存分泣いていいといわれる。
ねぇ、いつまでなら良いの??
元気になったと思ったのに、ある日いきなりペットロスになった、という声も聞く。
怖いんだけど。
亡くなったペットとペットロスという言葉はあまりにセットにされ過ぎていて、そうならないといけないのか、とすら思わせる圧がある。
どこからがロスの基準なの?
私、もっと落ち込んでなきゃダメなの?
私が彼らをとてもかわいがっていたのを知っている人たちが心配してくれる。
ペットロスになるんじゃないか、と。
気持ちはありがたいけど、なんか違うんだよな。
もしかしたら自分は大丈夫と思っているだけで、あとからガクッとぶり返して落ち込むのかな。
怖いな。
今引きこもって悲しんでる方が後々のためにもいいのかな、と思ったり。
もちろん、まだ元気に私の傍にいる若い二匹の猫の存在に癒されてるのも大きいと思う。
でも、彼らとは全くの別物で、取り替えられない存在。
会いたい、という気持ちはない。
だって、そばにいるんだもん。
触りたいけど、手があの子たちの感触を覚えてる。
鳴き声もしぐさも。
荼毘に付された後の姿を見て、抜け殻だと思った。
体を失って魂になった彼らは、病気や老いで弱った姿でなく、若くて元気だったころの姿になった。
魂は残ると信じてる。
彼らは天に還したけど、でもまだ一緒にいると信じてる。
誰も傷つけないし、迷惑はかけない私なりの供養。
一緒にこれからも生きる。
うちには姿が見える2匹の猫と、姿はないけど仲良しな茶トラ猫と白い芝犬が同居してるんだ。
これまでと変わらず賑やかにすごしていくよ。
精神的におかしくなったわけじゃないから、安心して。
辛くないわけじゃない。
本調子でもない。
でも、一緒にいるんだもん。
姿が見えないだけで、私には感じるんだ。
そう信じることで救われる。
久しぶりにこのサイトを開いたら、過去のデータが消えずに残っていた
辛く苦しかった高校時代に悲鳴のように書き連ねた日記を読んで、
少しだけ希望を持って生きている今の私がいるのは
そういう辛く苦しい思いをした私がいるからだ
という事を忘れないでおこうと思った。
連休結構働いたので、逆に今週はお休みが多い。
完全シフト制の、土日祝日関係なし、いやむしろそっちが忙しい仕事なんだけど、平日に休みの方が私は好きだ。
さて今日は何をしようかな。
今の仕事を始める前に自身が書いてた数年前のニッシも含めて色々な文を見ていて振り返ると、前向きで驚く。
そんなに前向きだったのに、その仕事辞めるからなー。時が経つと色々分かってきて、そして変わっていくんだなと。
今の仕事を辞めるのは良いとして、また新たな仕事を探す時に前向きな自分になれるかなー?なれないだろうなーと思うのが正直なところ。今日はまだ仕事あるけれど、仕事だから仕事の部分だけを見て頑張るかー。これも辞めると決まってるから前向きに持っていける感情ではあるのだけどね。あの頃とはやっぱり違って何かがくすんでるよね〜でも、くすみは馴染みとイコールなんだよね。でも、もう“くすみ”から淀みになる一歩手前だからギリギリです。
座右の銘 決まりました。
「よく食べ よく呑み よく笑う」
隠れ座右の銘として
「とにかくめっちゃ眠る」
決定いたしました。
元々の座右の銘は
「わたしのしあわせは わたしが決める」
です。
以上、3つを軸に生きていければと思います。