中学生だった頃、テストで16点とったことあります。
なんでなのかはわからないのですけど、16点でした。
親には普段から、「あんたなんかどうせ〜」みたいなオーラが流れていて、それほどまで勉強!とは言われませんでした。今思えば入れる高校に入ってその後就職してくれるのが1番親が私に対して望んでいる進路だったので、あまり勉強が出来過ぎても困るから言われなかったんだと思います。
でも、さすがに16点のときは言われました。なんか怒られたし、家庭教師つける!とか不穏な空気が流れました。当時私が好きだったバンドに熱をあげてるからだ!みたいなことも言われましたが、それ関係ないです。中学生レベルのファンだと勉強をしなくなるほど資金も時間もないですし。
厳しい教育熱心な親でも反発して勉強しないってあると思うんですけど、自分に関心がないんだなぁと子どもが感じるのも勉強しなくなるんですよね。別に16点は自分のせいで親のせいではないんですけど、入れる高校がないと逆にお金かかるからあの時は怒られたのかもしれません。ほどよい関心って難しいですよね。
割とイケメンじゃない?
と、鏡を見て思う。
当方、肉体精神共に女ですが、髪を切っていわゆる「ハンサムショート」にしてみると、思いのほか似合って満足した次第。
まぁ、髪型補正ですけどねー。
前髪が目に入るとアレルギーですぐ結膜炎になる。
だから、前髪は眉毛上でカットが基本。
これしかないと思っていたが、何のことはない。
ワックスで固めれば、長い前髪も目に入らないことにアラフォーにして気づいたよね…。
薄々、ワックス使えばいいのでは、と思ってたけど、手がべたべたするのがどうしても無理だったのだ。
それを解消してくれたのは、スティック型ワックス「マトメージュ」。
アホ毛やおくれ毛を抑えるものらしいけど、私は前髪の根元に塗って落ちてこないように固定している。
手が汚れないし、ちゃんと固定できるけど、髪はパリパリにならないし。
なんでもっと早く気付かなかったのか。
アメピンでとめたりヘアバンドつけたり、いろいろ頑張っては挫折した日々ともおさらば。
まだ前髪は伸ばしかけなので、理想の半ばだけども、前髪がない自分はすごく新鮮。
最近髪を染めた分、眉色が浮くので、眉マスカラを塗る手間は増えたけど、別人みたい。
生活が変わって服装もスカート中心からパンツスタイルになったこともあり、かなりイメチェンしたんじゃないかな。
生きていれば変化するのは当然だし、変わることが好きだ。
でも、その変化を自ら起こすことは、もっと好きだ。
今回のイメチェンは、だからと言って、変えようと思って変えたわけでなく、気が付いたらこうなってた、という感じ。
内面の変化が表に出たというか。
多分、母親と距離を置いたのが良かったのだと思う。
母親は仕事で離れて暮らしていたけど、私の住む実家にしょっちゅう母が来ていたころは、同居していたころよりは気が楽だったけど、やっぱり居心地が悪かった。
お金はかかっても、実家を出て一人暮らしをしたのは、やっぱり正解だったのだ。
いまにして思えば、母親からの影響は大人になっても強かったし、いろいろ言われて面倒だった。
子供のころから「化粧は毒」「皮膚呼吸ができなくなる」「毛染めや整髪料は禿げる」等々、母が話していたのを聞いていたせいか、顔や髪に何かを塗るのには抵抗感がぬぐえない。
ヘアカラーも白髪が目に余るようになって渋々するようになったけど、ずっと黒一択だったのは、母親に何か言われるのをどこかで恐れていたからだと思う。
先日、不意に白いものをわざわざ黒に戻そうとするのが嫌になって、赤に染めたら、なんかすごく解放された。
光に透かしたとき赤と分かるくらいの赤髪。
でも、母が見たら何を言われるか。
今は赤に飽きて、暗めのアッシュブルー系に染め直したけど、目の色に合っていて気に入っている。
化粧はやっぱりまだ面倒なのは、母親の影響というより、自分本来のずぼらさのせいかもね。
髪の毛は結膜炎になるのもあるけど、やはり子供のころから母に毎月一回髪を短く切りに行かされていた習慣が残っていたのだと思う。
男の子のようなベリーショートにずっとさせられていて、嫌だったのに、大人になっても短くしていた。
短い髪が似合うといろんな人に言われたし、私もそう思うけど、前髪は伸ばしたかったのに何で今まで切ってたんだろう。
自分で選んでいい。
私はもう自由なのだ。
「子どもの名前+ママだと、自分が無くなったみたいで嫌」っていう意見は理解出来るとしても、何故か下の名前で呼び合わなきゃならなかったのは謎だなと思います。それならば、名字にさん付けで充分だと思うのです。逆にそれだと他人行儀だというのであれば、他人なんだからしょうがないよね?友達ではない…っていうのが正直な意見です。◯◯ちゃんのママやお母さん、パパ、お父さんのほうがよほどしっくりきます。
普通に社会的には名字にさん付けが一般的だと思います。何故、下の名前で呼び合うのが普通だったのか…やっぱり未だに思い出しても異様な空間だなぁと思うのです。私には名字があるんだよ?変な主張をしたくなるのを耐えていたのがあの時代だったのかもしれません。よく頑張りました。
何がこんなに気持ち悪いのだろうか。
何がこんなにも私を気持ち悪くさせているのだろうか。
私の存在意義。
足元が崩れる感覚。
”貴方さえいなければ良かった。”
そんな言葉が聞きたかったわけじゃない。
そんな言葉を投げたかったわけじゃない。
精神年齢15〜20年遅れなので、最近ようやく「この人といる時の自分はなんか好きじゃない」という人との関係もすぐに切らずに経験値の肥やしにしようと思えてきた。たぶん青年期に通ってその後自分が居心地いい人を周りに残して行くようになるやつ。
やることを次から次へと取り上げられて、
ますます私は何のためにここにいるのか分からなくなる。
そのくせ、先輩だからと崇められて
何もしていないのに気分が悪い。
タチが悪い善意に押し潰されそうだ。
自分の気持ちが分からないのに、
他人の気持ちなどなお分かるはずもない。
全ては理解している”つもり”なのだ。
私の気持ちも理解してもらえるはずがないし、
私も他人の気持ちの本質を正しく理解することができない。
それでも寄り添おうと努力することは大切であり
その過程で得るものは大きく
自分への財産にもなるだろう。
それ、貴方の仕事では?と思うことを
「やりますね」って報告されると
勝手にどうぞって思うし、報告いらないのになとも思う。
くらいには、今の私の心は荒んでいるらしい。
貴方が良いと言っている上司も私は苦手だし、
理由を聞かれてもただただ”怖い”という
抽象的な答えしか出てこないので言わないけれど。
私が異物だから、何にも合わないのは当たり前なのかもしれない。
今日も会社の窓際にあるデスクに座りながら、どうして私はここにいるのだろうと考える。
束の間でも1人になるとホッとする。音楽の趣味はうるさい音が好きたけど、この1人の静けさはたまらなく好きだ。
誰かと話しているときに、むやみに感情を入れないということを意識してると、そこにエネルギーを使っているから必然的に感情が出てこないみたい。でもエネルギーは使っているから疲れるんだよなーというのが最近の私です。
先週は仕事でバタバタした 1週間だった。火曜日の朝に突然依頼された仕事が予想外のトラブルで、想定していた方法が使えなくなり、常にバックアッププランを考えながらの作業で疲れてしまった。最低限何とかなるだろうというところまで終わらせて、土日休んだ後、今日休みを返上して少し質を上げることができた。
依頼相手と半日近く時差があるのと今回初めて一緒に仕事をする相手だったので、どの辺まで時間をかけるべきかも悩みながら対応したが、もっと良い方法があったかもしれないと思いつつも、上手くバランスの取れた対応ができたような気もする。
関係者にどういう印象を持たれたのかわからないし、120%の対応ではなかったかもしれないけど、100%に近かったのではないかなと思って、今日はゆっくり湯船に浸かろう。