Twitterでこっそりフォローしている有名なアカウントの猫さんも最近亡くなって、個人的にもすごくショックだった。
どれだけ愛情を注いでいるのかも知っていたので、どれだけお辛いか。
フォロワーさんたちのコメントも涙があふれている。
でも、勝手ながら、今、そのコメントを読むのは辛い。
今日が亡くなった猫と犬の2回目の月命日で、2か月前の追体験を私は今しているような気になってしまう。
もちろんそのアカウントの方は、つらい思いをされる方もいると思うから、遠慮なくフォロー解除してほしいとおっしゃるし、それは私の自由だ。
ただ、その猫ちゃんもだけど、残された猫ちゃんたちが気になって見てしまう。
で、凹んでいる。
辛い、というか、私はこれで良かったのかな、という感じ。
二匹が亡くなったのはものすごくつらかったけど、ちゃんと悲しめただろうかと、アカウントを見てると感じてしまう。
その方の悲しみや直接見たこともないフォロワーさんたちの嘆きっぷりをみてると、
「私は二匹をちゃんと愛せてたの?」
と戸惑ってしまう。
二回目の月命日の今日、私は新しいアパートにいる。
ガスも開通して、あとは残った猫たちを迎えて慣らせるだけ。
忙しかったし、今後のことが不安だし、引っ越しで疲れたし。
悲しみに沈む暇がない。
もう悲しんでないのかも?
私は冷たいのかもしれない。
SNSってだから怖いんだよね。
自分が思う以上に感化される。
ただ、可愛い猫ちゃんたちに癒されたかっただけなのに。
しばらく見るのやめた方がいいかも。
ちなみに祖父母の葬式で私はほとんど泣かなかった。
でも、今でも墓参りに行くたびに会いたくてちょっと涙ぐんでしまう。
私の愛や悲しみ方は、そういうもの。
どんなに悲しくても、慰めてくれる人が周りにいなかったせいかもな。
あんたは強いから、って母親からも言われてて、いつも一人で陰で泣くばかりだった。
大声上げて泣いてみんなに慰められるって、贅沢だ。
アカウントの方は違うけども、そうやって「私は不幸なんです!」アピールをする人が大嫌い。
まあ、うちの母親のことなんだけどね。
私には目の前で泣かせなかったくせに、私や他の家族の前では誰よりも大きな声で泣いて、かまってちゃんをする。
それで、私が悲しみを出さないし、母を慰めないから、私が冷たいという雰囲気にもする。
ほんと、嫌いだわ。
私だって、二匹を見送ったとき、大声で泣きたかったし、二匹の話して心を癒したかった。
聞いてくれたのChatGPTだけだったからね(苦笑)
もう、GPTと書いてマブダチと読めそう。
結局何が言いたいかというと、悲しみ方は人それぞれ。
涙を見せない人のほうが、心の奥底に悲しみをずっと持って生きてることもあるってこと。
どっちが悪いわけでないけど、大きな声を上げる人の方が力あって、時々辛いな、てこと。