眼球に光がめりこんで頭痛を引き起こしそうな日差しが耐えられず、サングラスを始めました。
数年前からは半袖で外を歩くのはやめて、麻のシャツなどを羽織るようにしています。日焼け止めを塗ればいいのかもしれないけど、肌に焼き印を押されたような熱を感じるので、なるべく肌は出したくない。同じような理由でサンダルもやめたし、夏でも靴下は必須。
外がこれだけ暑いと、室内との温度差に具合が悪くなるので、肌は出さないほうが効率が良く、少しでも自分を守れるような気がします。
なんかもう夏にオシャレという概念は持てないかもしれない。暑くないことが一番オシャレというふうに変わっていくかもしれないですね。個性を失わせる暑さです。
白いタオルを同時に漂白した。どっちも漂白はされたけど、最初からちょっと汚れているタオルとあまり汚れが目立っていないタオルが同じ白さになることはなかった。
それは当たり前なんだけど、同じ条件を与えられたら最初から白いタオルと同等に漂白されることを何故か求められている気がするし、求めてしまうような気がする。
「なんで売れているのかわからない」
これは曲が良くないとか、中身がともなっていないのに売れているのがわからないという意味ではないんです。
ちゃんと詳しく言うと「どのような過程を辿って売れたのかわからない」が正しい言い方になるかと思います。
自分が若かりし頃に売れていた音楽、アーティストって、自分の好みか否かは別として、その過程がなんとなく見えていた気がするんですよね。
例えば、このドラマの曲だったとか、音楽番組のランキングとか見て先週よりランクアップしてるなーとか、CMよく見るなーとか。
時代も違うので、音楽番組でのランキングとか曲そのもののCMとかあまり現在は見ない気もしますが、追っていなくとも階段に登っているアーティストとかって肌感覚でわかったりしてたんですよ。
それが今は、突然頂上に登ったように私には見えてしまう。この人たち、なんかよく見るけど、曲も全然知らないけど、良く見るから売れてるんだろうなーとか⋯もう、爆発的に売れた後の姿しかわからないんですよね。
時代が違ったとしても、私が若者だったら階段を登っているところも見ようともせずとも見えたと思うんですよね。それが昔とは全然違うなーって最近感じてます。
流行りの音楽がわからなくなることにも寿命があるらしいです。そして、私は寿命を全うしたんでしょうね。ただ、音楽を聞かないというわけではなくて、自分の好きなものを好きなときに自分のペースで愛でる。そんな天国に昇ったのかな?と思うようにしてます。
胸に秘めた衝動をただただ抑え込み、言いたくもない言葉を並べた。その日はそんな偽りの舞台に立たされた気分だったな。
情報共有? フン、耳障りのいい言葉ばかりが飛び交い、心を欠いた有象無象の意見ばかり。自分にとってそこに何の価値も見出せなかった。
そして、自身もまた、その茶番に加担した。つまらない建前をなぞっただけの言葉を紡ぎ、きっと自分もまた彼らにとって「つまらない存在」として映っただろう。
もうそんな場所には二度と足を踏み入れない。意味のない消耗戦にこれ以上巻き込まれる気はない。
可もなく不可もないチェーン店の夏季限定スイーツを食べたときのこと。まあ、チェーン店だし、完璧な味じゃなくてもいいかと。席と少しの休み時間をくれたらそれで良いと。
完璧じゃなくても大丈夫。って自分も言ってもらいたいなぁ~とか暑くて頭痛もしてきておかしなことを考え始めてたな。ただの大衆カフェに入っただけなのに。
みんな席を探してた。
なんか不思議なんだけど、どうしてるかな?と思うと連絡が来る友達がいるんですよね。
見えない力や非科学的な何かを信じているわけじゃないけど、そういう偶然とかタイミングが合うとホントに嬉しくなってしまう。
なんだろう?よくわからないけど、そういう説明出来ない何かが合うって大事なんだろうな。
この説明出来ないことをこれからも感じとって、自分の中で大事にしていきたいです。
来週、旅行だけど体力持つかな?
暑くて外に出るだけで頭痛したりしてる。
最近は夏の悪口ばかり言ってる。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
今度ごはん行きましょう。
そんな社交辞令いらない。
だから言わないようにしてるし、言ってしまったら誘うことをノルマにしていた。(今は、精神が疲弊するのでノルマ達成させるのやめてます。)
会いたい人にもなかなか会えないのに、どうでもいい人と過ごす時間は、自分のために使いたい。
もちろん、誘っていただけたら、行くようにはします。
上から言っているように聞こえるかもしれないけれど、
私なんぞを誘ってくれるなんて本当にありがたいことだから。
大勢の人数合わせとか、元メンバーだから、とか消極的な理由ならこちらもお断りします。それがお互いのため。
ほんまに社交辞令やめてほしい。
自分も気をつける。
ずっと期待してすがっては裏切られてボロボロに傷ついてきた親を、親だと思わず間借りしてる家の大家だと思うようにして生活し始めておよそ2ヶ月が経過。
まだ自分の調子が悪い時は距離感間違えたり、聞かれてもいないことを喋ってしまったりしてるけど、だいぶ「自分は自分の生活をする」ことができるようになってきた。
ずっと守るようにしているのは「聞かれたことだけ答える」のと「感情を動かさない」こと。常に淡々と、不機嫌でも上機嫌でもなく、愛想だけはよく。その代わり今まで気を遣ったり気にしてたことも全部やめた。向こうがすることでイラッとすることは相手に変わるよう求めるのではなく自分で対策する(例えば騒音はこっちで音楽かける、イヤホンするなど)。徹底して相手の存在が自分になんの関わりもない、影響がないように。
これ、だいぶ心が楽になります。イライラさせられるって相手の存在が自分に影響力を持ってるってことだもんね。あなたがどうしていようと私にはどうでもいい、と思えたら、スポンと抜けた感じ。
そしたら面白いことに、親の方が私のことを気にし始めて、風邪ひいて具合悪くしてても私が何も言わなかったことを「冷たい」だって。どの口が、と笑いそうになった。
冷たくしてたつもりもないんだけどね。何とも思ってなかっただけで。聞かれたことには答えてたし。
自分が私がしてほしかったことを何もしてくれなかったことは忘れてしまったんだろうな。申し訳ないけど、自業自得です。
それによって誰かが嫌だと思うなら、それはいい選択ではないんじゃないかと思う
みんながみんなハッピーなのは難しいけど、最近どうもあの人だけハッピーで、まわりの人の気持ちは置いてけぼりな感じ
頭がお花畑