私が私を赦してなくて、それは違いから来る齟齬でそれに気が付いた時の絶望で打ちひしがれたくないから自分を締めて
打ちのめされたくないから、自分で自分を締め上げる。
人に絶望したくないから生きていくことに絶望したくないから、自分で先にそれを潰しておく。
好きな小説で言ってた。
人間は忘れる生き物だって。
だから強いって。
私が私を赦してなくて、それは違いから来る齟齬でそれに気が付いた時の絶望で打ちひしがれたくないから自分を締めて
打ちのめされたくないから、自分で自分を締め上げる。
人に絶望したくないから生きていくことに絶望したくないから、自分で先にそれを潰しておく。
好きな小説で言ってた。
人間は忘れる生き物だって。
だから強いって。
これは不満の話。
従兄が急逝した。
コロナだった。
北海道での出張を切りあげて病院へ行き、帰宅し、そのあと呼吸困難になったのか、熱が上がったのか。もがき苦しんで逝ってしまった。痴呆症の母親は隣室にいてその音を聞いていたが部屋を覗かなかったので、発見時にはもう手遅れだった。
自然と人をつなぐ才のある人だった。
子どものころからイトコが集まれば、自然の中での遊びを考えイトコをまとめていた。
今も覚えているのは、巨大な岩山がたくさん並び、子供が隠れたら見つからないような場所で、2チームに分かれトランシーバーで相手のチームがどこにいるのか探りながら歩く、そんな感じの遊びをさせてもらった。
そんな遊び心は大人になっても変わらず、アウトドアから始まり、国立公園のガイド、自然と触れ合える企画推進や、直近はスキー場運営などなどやっていた。
様々な人の橋となる、そんな将来を渇望される人だったのだろう証拠に、葬式には弔問客が300はくだらず、棺は献花で山盛りになり、親戚一同を驚かせた。
葬式のあと兄姉と彼のスキー場へ足を運んだ。
市営から民間に下げ渡されたスキー場を盛り上げていこうと作っていた場所。
滑走路から市街地と青々とした山々がパノラマで見えた。
初秋の暑さで汗ばんだ喪服も忘れるほど美しい風景だった。
帰宅後、ふと思いついて彼の名前で検索してみたところ、その風景を背景に話す彼の取材記事が出た。ああ、彼が見せたかったはあれだったのかと、またボロボロと泣きながらあの風景を見るたびにみんなが彼を思いだすことを誇りに思った。
そんな秋のはじまり。
で、ここまでがいい話なんですけど。
実の娘さんがお斎の席で、彼の浮気について話していたんですよね。でっかい声で。
台無しですよ!しかも小学校の先生なんですよ、いくらし後に彼の浮気の事実を知ったからって、親戚(情報サテライト)の前で話す話か。悲しいのもわかるし、父親の話がしたいのもわかるけどさ~~~~~~。もうそれだけで交流する気が失せた。
なんか奥さんも親戚に愚痴ってたらしいから有名な話だそうだけど、私は知らなかったので、彼女が言わなければ従兄は家族を愛して仕事を愛して走り続けた人、で終わったのに。
あーあ。
従兄も聞かれたくなかった話でしょうに。それくらい、少し考えればわかるもの。
そりゃ自分は被害者の一人だから、昨今の某性加害で騒がれてる社長の例を見ても声を挙げたくなるのは仕方ないのかもしれないけれども。けれども!とりあえず私は聞きたくなかった。従兄を辱めてやり返したかったのだろうか。知るか。
っていう感じの初週でございました。ああ、人の人生って他人に見せるものではないね。
昨日は久しぶりに自分にとってはちょっと遠出してみました。行き詰まってるときは物理的に距離がある場所に行くといいと聞いたのでやってみました。
結論から言うと、それをやって良かったです。行き詰まりが取れたかどうかはわからないんですけど、行き詰まってるという感覚なのか、“わからない”ってところまで持っていけたことはどうにかなったということでしょう。それまでは完全に行き詰まってる!という感覚しかなかったので。
行き先も電車乗ってから決めて、その場その場でやることを決めていたのが楽しかったです。誰かと一緒だと「この後どうする?」が地味に疲れます。もう帰ろうか。とも言えない時間帯と達成率みたいのってあるじゃないですか。そういうバロメーターみたいのも自分ルールでそれだけで楽しいんです。例えですけどスピード出しすぎかと思えば、急にノロノロ運転になるような…そんなことをやっていたとしても、自分がルールがだから違反でもなく煽られることもなく…そういうふうに生きたいんでしょうね。でも一応人類の一部の自分という意識があるから、それをやらないしやれない。あれ?私ってけっこうマトモじゃない?と今勝手に思いました。多分今はスピード出てますね。ハハハ
何故こんなにも家族と気が合わないのか。理由もなく腹立たしかったり、涙が出てきたり。私にも、原因がわからない。ただ「これ」が始まったのは父が亡くなってからのことだから、父がいなくなったことが私に何か大きく作用しているのは、確かだと思う。母にも祖母にもイライラしてしまう。何故だろう。
父さんがいなくなったことへの、憎しみ?わからない。わからない、わからない、わからない、
父が、亡くなる前はそんなことはなかった。母にも祖母にも感謝はしているし、恩もある。昔は仲が良かったし、祖母のことが私は大好きだった。しかし父が亡くなってから祖母に対して「怒り」や「憎しみ」が私に出てきた。私は困惑していた。何故ならば理由がわからないからだ。大好きなのに何故だか悔しくて悲しくて仕方がない。もしかすると「これ」は父さんの気持ちなんじゃないかと思ったことがあった。結局、理由なんてわかりもしないのだから、私も考えるのを止めればいいのに考えている。苦しいから。
今月、10代の頃の友達(学生の頃の友達)と飲み会をする。
それぞれライフステージが違う。
だから、あまり会いたくない。
それなのに、なぜ飲み会をするのか?
1.気を許している子と盛り上がったから。
2.飲み会会場(ビアガーデン)に行きたかったから。
それだけだから、ライフステージが違う(仕事してたり、ニートだったり、結婚してたり、してなかったり、育児中だったり、妊活中だったり、離活中だったりetc)
人たちと会う約束がこわい。
酔っ払いの私が幹事ですが、返事はきちんと欲しいのよ。
行ける、行きたい、行けない。
そこが礼儀だと思っているから、私は。
でも、みんな忙しいから忘れたりするのよね。
とりあえず10日前に連絡しようと思います。
ひとり好きの幹事むいてない!
溜まっているものを出す!
なんかうまくいかないなぁ、とか
スムーズにいかないなぁ、とか
モヤモヤ、悶々、、
ため息つきたくなるようなこと起きるときは
わたしの場合だいたい
自分の内側で何かが溜まってるとき。
怒り、悲しみ
愚痴、文句、弱音、ガマン、、、
心の便秘はほんとダメなんだわ!
出してスッキリさせましょ!!
壁にカビが出来てしまって、それを取り除くために苦戦しています。壁だし天井だから、掃除もやりづらくて昨日も頑張ったけど洗剤をかけるのが難しいから思ったりよりキレイにはならなかったです。
そんな中、掃除仕方や裏技などYouTubeで検索したりしています。その動画の中に「壁にカビが出来てしまったのは、あなたのせいじゃない。あなたが悪いわけじゃない」っていうセリフがあって、この言葉がとても私にとってありがたかったなーと覚えています。管理が悪かったかな?とかだらしないからかな?とか無意識に自分を責めてしまっていた部分があったんですよね。そういうときに、「あなたは悪くない!」って言われるとホッとします。
昔から何か起こると、家でも外でも「あなたが悪い」というところに持っていかれがちで、そういうのが苦しかったし疲れてしまっていたんだなと掃除の動画で気がつくとは…
「あなたは悪くないよ」ってたまには無条件に味方になって欲しいんだなと思いました。
子育ては難しいことばかりだと思うけど、ある程度大きくなってきた子どもを育てるって、子どもに記憶が残っていくからそこか1番大変なんだと思う。子どもはその時の記憶を持って大人になるから親から言われたされたことはずっとその人物の中で柱になってしまうというか。
うちは、けっこう母が謎の主張や愚痴が多くて、当時はそれを普通だと思って聞いていたけど、離れてみたらアレは普通じゃないと思うようになってきた。気心の知れた、ましては自分の子どもだからアレコレ言ってくれてたという捉え方も出来なくはないけど…そんな環境だったから自身も気心の知れた人には謎の主張や愚痴を言うことが多かったように思うし、それが当たり前で正しいことだと疑わなかった時期が長かったかも。
今はそんな母がヤバいと思いつつ、未だに何でも聞いてくれる人、何でも話せる人がいたら本当はいいのになぁと思っている自分もいる。ここに書いてるのもその名残りかな。ただ、そんな人はこの世に1人もいないし、胸襟を開いているようにみえても、みんな一部しか見せていないってわかったからなんとか立っている状態かなと。あと20年は早く気が付きたかったなー
でも、やっぱり見本のような人が親だったしても、それはそれでツライんだろうなっていうのも理解出来る。見本のような人にクタクタにされてきたこともあるし、そのクタクタは自分が悪いで終わらせれるからキツイんだよなーということも経験してきたのでね。
子育てというか、人を育てること、接することって本当に難しいと思う。その中でも、子育てと最初に書いたのは知らないうちに自分自身を染み込ませた人物が出来上がってしまうことに恐怖を覚えたから。ずっと一緒にいる人間だけど、自分より弱い人間に自身を投影せず、だけど人間としての弱味も見せつつ、主張しすぎないでいられたら良い子育てなのかもしれない。でも、それ難しいね。
英会話のレッスンをしてるんだけど今日は生徒さんの一人の誕生日の話を聞いた。
ご主人と友人たちによるサプライズパーティーがあったという。
家に帰ると楽器を演奏しながら友人たちが ダンス 踊って出迎えてくれて、おもちゃのティアラを進呈されケーキとごちそうで盛大に祝ってくれたそう。
あ、しかもそれパート1 ね。
その翌日はお稽古ごとの教室の帰りに、仲間たちと美味しいレストランでまた盛大にお祝いしてもらったと。それがパート2だって。
レッスンの前に、忙しくて今週の課題をする時間がなかったと言ってたのはそのせいだったそう。
うん、主役なら仕方ないよねー(棒読み)。
驚いたことにこの生徒さん、私より年上の50代。
確かに明るくてとってもいい方だし、あまりに嬉しそうに話してくれるので、悪い感じはなかったんだけどさ。
奇遇ですね。
話してないけど、実は私も先週末、誕生日で、誰にも祝ってもらえず1人アパートで飲んでました。
友達と彼氏、もちろん 旦那もいないのは普段はそう 気にしてないんだけどさすがにこの日は少し凹んだ。
否、かなり落ち込んだ。
翌日、小旅行に出かけてリフレッシュしたから復活できたけど、生徒さんの話当日聞いてたら私 泣いてたかもしれないw
インスタとかで見る写真は フェイクなのを知ってるしそもそも見ないけど、多分そのインスタに載ってるような 誕生日 そのものって本当にあるんだなぁ、と相槌打ちながら 感心してしまった。
もちろん どこまで本当の話かわからないけどね。
一生懸命たどたどしい英語で喋っている人の話を遮る素人ではない。
ニコニコして聞いてたけど、自分より目上の人の 弾けっぷりにも少し驚いた。
私よりよっぽど アメリカンじゃん。
そういう バースデーを希望してるのか って言われればよくわからない。
その後の反動の方が怖いかも。
自分がプリンセスになった翌日、ただの一般人に戻るんだから。
まあ その思い出があれば1年楽しく生きれるんだろうけど。
ただ、この人は周りの人から愛されてるんだな っていうのは羨ましかった。
まだ新しい方なので人柄をよく知ってるわけではないけどいい人なのはわかる。
ただ 多分きっと相容れないんだろうな。
もちろん 嫌いじゃないわよ。いい生徒さん。
ただそれだけ。
何が言いたいのかわからなくなったけどとりあえず 私は1人でも幸せです。
孤独を愛する人もいるのよ。
ただ あまりにも光が強すぎた。
自分を影だとは思ってはいないけど
悪趣味だと自分でもわかっているんだけど、元友人のインスタグラムを見ている。”元“とつけなきゃならない時点でもう昔の知人なんだけどね。
喧嘩別れとかではないけど、なんか合わなくて。でもそのインスタグラムを見てるとなんで合わなかったのかの答え合わせがされていく感じに変な心地よさを感じるからずっと見ているのだと思う。
心地よさと言っても、不快にならないわけじゃない。ただ、このポイントで不快になっているのは自分だけだろうというのもわかる。そう、何も悪いことを言っていない。わかりやすい誹謗中傷とかナナメな主張とかもないのに、不快なのだ。
不快になっているのに心地良いとはなんなんだろう?って思うと、自分はこういう文体や話題や言葉をむやみやたらに放出しないようにしなきゃならないなという見本を見ている感じかなと。綺麗な言葉やまともな考えならば、どこにでも誰にでも放出していいわけではないということを学べる貴重な機会だと思っている。それと当時に綺麗な言葉を言っておけばある程度は実行動が伴わなくても許されるんだろうなということも学べる。それはある意味生きる術かもしれない。
こういう感じで生きられたら幸せなのかもしれないし、楽なのかもしれないけど、私はなんか真似したくないんだよな。ちゃんと人間らしくすべての感情を持っていたいって思うから綺麗な言葉だけ発している人は私にとっては毒と同じなのかもしれない。