昨日はインフルの予防接種をしました。
あの先生、何歳なんだろうな?白髪だけどスラッとしていて年齢不詳な感じ。いつも謎です。
淡々としているようで、淡々と丁寧なところが良いなと思ってます。
私自身が丈夫なので、ここ最近はインフルの注射と家族の付き添いでしか診てもらうことはないけど、なにかあったら診てもらいたいからいつまでもやって欲しいです。
楽譜とは
A: 聖書である
それ自体が完成された作品であり手を加えてはいけない。
B: 素材(またはレシピ)である
単なる覚書なのでそれを元に演奏者が手を加えて音楽にする。
どっち?
楽しい疲れは良いですよね。
疲れても何事もなかったように日常に戻る皆様すごすぎる
それってスゴい能力だと思います
もうさ、もう、ほんと、何でTOEICにこだわるのかなぁ?!
ご新規クライアントさん二名共、TOEICのスコアは必要ないけど、英語力を付けたいからもうしこんだ、って言われて、うーん、となった。
そういう人をこれまで何度も担当してきて、たいてい途中で挫折するのを見てきた。
大学院受験だったら、英語で受ける資格試験だったりで、英語力が必要なのはわかるんだけど、そこでTOEICスコアが求められないなら、わざわざTOEICの勉強する必要はないというのが私の持論。
大学院の英語論文を読む力は、英文法と必要な語彙力を鍛えて英語論文を少しずつでも読みながら練習すればいいし、
資格試験が英語なら過去問に出てきた英語表現や必要最低限の専門用語を中心に覚えて、あとは問題を解くための知識習得に全力を注げばいい。
試験の設問に使われる英語表現なんて限られてるし、回答はマークシートなら何の問題もない。
安くはない料金を払って申し込まれるのだからこそ、わざわざ遠回りな方法で目標達成する必要はないと思う。
個人で引き受けるなら、私がカリキュラム作れるけど、委託の場合はこれが辛い。
本人がやりたいという方法で学習してもらえばいいんだろうけど、つい口出ししてしまう。
それでも、納得してプログラムを選びなおす方もいれば、それでもなおTOEICに固執する人に分かれるんだよね。
プログラムを選びなおす方には、より効率的な学習法やサービスをこっそり教えて送り出すし、それでも固執する人には無理強いしない。
後者の人は、まだ目標にまっすぐ向かう覚悟ができていない時期だからだ。
みんなが口をそろえて言う「TOEICのスコアもあった方がいいし」。
二兎を追う者は一兎をも得ず、と思いながら、仕方なく引き受ける。
でも、そういう人が、期間中にスコアを伸ばすことって、経験上、少ないんだ。
目的はTOEICでないのに、TOEICの知識やテクニックが増えていく違和感に苦しくなると思う。
絶対にTOEICが必要で、一生懸命やってる人でも嫌になる勉強だもん。
生半可な気持ちでは続けられない。
それで挫折感を味わって、また目標が遠のくなんてさ。
私が散々TOEICの学習に苦しんできたから、必要な人には最短でスコアを、そうでない人には本来の目的に即した学習法を届けたいといつも思う。
TOEICのおかげで今私はここにいるけど、すべての人の夢をかなえる魔法の杖じゃなく、地獄の黙示録だよあれは。
目標を達成したいのであれば、すでにその目標を達成した人たちに、どの教材でどう学習したかを聞きまくるのが早い。
そして、寄り道せずに、その道に向かって進むべきなんだ。
なんで英文が読めるようになればいいだけの試験のために、TOEICのリスニングや文法問題が必要なのよ。
「すべてをTOEICに捧げる覚悟で~」とか言われたけど、そうじゃない、そうじゃないんだよ!と内心思いながら、「資格試験の勉強に集中したくなったら、その対策をお話しするので言ってくださいね」と伝えるしかできなかった。
そもそも、TOEICもあればいいし、なんて、本気で頑張ってる人に失礼な話だし。
この方の未来が見えてしまうのが、悲しい。
月曜日を有休にしたので 4連休だった。印刷会社の博物館に行ったり少し長めの散歩をしたりして土日は結構歩いたので、今日は家でのんびり過ごした。
気がついたら11月で、好きなアーティストの企画展が始まっていた。12月の後半くらいまでやっているので、来週以降の楽しみにしておく。
世の中の雰囲気が、何の気兼ねもなく旅行できるような感じになってから、旅行に行きたいという気持ちが萎んでいる。なぜだろう。自粛ムードの時は、具体的に行きたい所のイメージが無くて、旅行に行くことを求めてたのかな。
また食事を疎かにする時期に入った。
自分で作ったお弁当は味わわず、口に入れて5回くらい噛んで終わり。その後すぐお菓子を食べる。お菓子がなければ買いにいく。甘いものが無性に欲しい。ポッキーひと箱が5分でなくなる。やばい。太りだしてきて気づいた。悪癖。
何十年と一緒にいて「親友」と呼べるような仲であっても、
合わないことはあるし、イライラすることもある。
それはきっとお互い様だと思っていて。
でもお互いいい大人なのでぶつからないように
上手く避けたりいなしたり。
親友だけに限らず、人間関係ってそれで成り立っている部分もあると思っております。
それって少なからず我慢する部分もあると思うんです。
ストレスが溜まることでもあると思うんです。
だからみんな何かしらで発散させて、またその人たちと向き合って
関係を築き上げていっているのだと思います。
そのストレスが発散できないと、他の人間関係にも支障をきたしてしまうのは
私だけでしょうか。
どちらかと言えばストレスを発散できないタイプなので溜める一方なんですよね。
それがいつまで耐えられるか、いつも自分との我慢比べをしている感じです。
人間の世界は、なんとも生きづらいですね。
自分が付き合いたいと思えない人を人に勧めるって、
私には少し信じがたい心理なんですよね。
”自分は好みではないけど、貴方はタイプかもしれないから。”
確かにそれは分からなくもないんですけど、
それでもせめて自分が付き合いたいって思えるような人を勧めてほしいというのは
ただのワガママなのでしょうか。
「私はこの人、生理的に無理だけど貴方ならいいんじゃない?」
それって、相手の人にも私にも失礼ではないのでしょうか?
価値観の違いってやつなんですかね。
それともただ単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
とりあえず私は同じことをしないようにするだけですね。
今日は楽しみなことがあるにはあるんですけど、ちょっと心身が疲れてるみたいでテンションは低めかもしれないです。
最近ちょっと自分は変だなぁと思います。周りから見ればいつも変かもしれませんが。
でも、この微妙な変化って近くで毎日一緒にいても気が付かないと思います。気が付かないというより自分の都合の良いように解釈するのだと思います。ちょっと大人しくなれば、成長したんだなと思ってると思います。実際、そんなこともありました。
心配したくないんですよね。心配するのって大変だから。でも、それだと自分の中にある良心が疼いたりするので、自分が心配したいときに心配したいんです。でも、自分が心配したいときや助けてあげたいときに都合よく誰かに何かが起こるわけじゃないから。
自分が書き上げた台本通りのタイミングで私が変になって、自分が話を聞いてあげられるときに聞いてあげて、それで私が元気になるっていうオリジナルストーリーをやりたいんでしょう。でも私は俳優じゃないし、ここはただのノンフィクションだから。あなたが書いたのとは違う台本を私も持っているのです。でも、きっと誰にも理解されないし、それはドラマティックでもないから、いつも採用を見送られてます。そんな感じの毎日です。
とりあえず、今日の楽しみなことはそのまま眩いままに受け取る私。と台本には書いときます。
魚フライを作ると「タルタルソースが欲しくなる」とほぼ100%言われるのが地味に苛ついてることに気が付きました。
相手としては「美味しいからご飯が欲しくなる」と同等の意味で言っているみたいなのですが、私にとってはタルタルソースがプレッシャーになります。
タルタルソースって地味に面倒なんですよね。チキン南蛮にタルタルソースがなければチキン南蛮じゃないと思うので、それは用意するんですけど、魚のフライに関してはソースがあればどうにかなると思っているのでわざわざタルタルソースのことを主張されるのがムカつくんだと思います。ご飯が欲しくなると同等なら、タルタルソースのみでも大丈夫なのか?それだけ出されたらご飯と一緒とは決して思わないはずなのです。
市販のタルタルソースを勝手に買われてたこともあったんですが、本当にそのときしか使わないので余るんですよね。ポテトサラダに入れたり考えればアレンジの仕様は沢山あるんですが、自分の本意ではないタルタルソースを勝手に買われて、私だけが消費に奔走しなきゃならないことが疲れるのです。
タルタルソース、私も好きなんです。だけど、それがなかったら必ずその存在をしっかりアピールさせられるのが嫌なんでしょうね。メインじゃないくせにいてくれたら助かるみたいに言われる存在感。もう主役食ってますよね。タルタルソースは悪くないのに、周りがその存在をアピールしすぎたり過剰に褒めると面白くない気持ちになる人が出てくるような人間界の雰囲気に似てるからイライラするのかもしれません。
思えばそんなことばっかりです。あの子みたいにして欲しいとか直接じゃなくても言わているように感じるオーラ。私しかいないと何か違うというような空気。この侘しく虚しい感じ、わかる人にはわかるかも。タルタルソースは嫌いじゃないし、むしろ好きなのにタルタルソースに変な気持ちが向いてしまうのは周りのせいなんですよ。きっと。