日傘とサングラスは日よけのためなんですが、それ以外の使い道として、微妙な知り合いに遭遇したときに日傘で顔の隠し、サングラスをしているから大丈夫!なんて思ったりしてます。マスクもあれば最適ですが。
微妙な知り合いだから隠れたことがバレてたとしても、向こうも安心してるんじゃないかなと。
「気の置けない関係」ってなんだろうね。
元友人のSNSを見てたら、そんな表現出てきたけど私そんな人、誰もいないですね。家族も友達もいるし、たのしく話すときもあるけれど。
こういうことを書くと、単純に嫉妬しているとか思われちゃうから言いづらいけど、自分の思う「気の置けない」なんてこの世には存在しないとは思うんですよ。
いつもどこかに気の置き処がないと私はシンドイですね。気の置けない関係だからといって何を言ってもいいとか、そんな意味じゃないのは承知しているし、ただの慣用句だともわかってますが、誰かといるときの気の置き処は私にとっては重要なんですよね。でも、そうすると自分の思う「気の置けない」関係なんて何処にもないことに気がついてしまって、自分で自分の中に帰って行くことが一番油断出来てホッとしますね。
元友人とも気の置けない関係だったのに、いつの間にか気をアチコチに置かないといけなくなって、自分の気が友人に直接渡せなくなったからなんですよね。
そんな元友人の現在の気の置けない人たちって、やっぱり私とは全然違う人種なんだろうな。
誰といっても自分の気を誰かに渡し過ぎない。それが一番ラクなんですよね。気を引っ張りだそうとしてこない人、引っ張りだせない距離、それが大事ですかね。
旅行から帰宅の道中や家に着いてからしばらくは「あ、アレ持って帰ってくるのを忘れた!」と一瞬思い、あ、ちゃんと持って返ってきてたー。ホッ。というのを繰り返してます。
充電器を宿に置いてきてしまったかも?と何度か思っていました。
誘惑になんとか打ち勝った。
よかった、、
でも、誘惑に乗っておけばよかったなと、後悔もしている。
かわいいと言われたい。
ただ愛でてほしい。
それだけなんだよ。
大丈夫、終わった。
彼との長い長い嘘の恋人ごっこは。
自分から切った。追いすがる彼の言葉は最後まで信用できなかった。また戻って不毛なやり取りに時間を使いたくなかった。選んだ。明け方まで悩んで、ごめんなさい、と喉から声をしぼった。低く、強く、わかったと声が返ってきた。それまでは関係を続けることを望まれたが、それは私が彼に未練があると思っていたからだった。それで使いたくなかった言葉を使ったのだ。もう好きじゃない、君のためにもう頑張れない、頑張りたくない。そうしてようやく彼の中で気持ちが収まったようだった。誰だって、自分を愛してくれない人を愛し続けることはできない。
でも本当にそんな言葉を使いたくなかった。つらい現実から、もしかしたら救ってくれるかもしれない人だった。一緒にいる時間はたしかに楽しかったから。
パートナがいる中で知り合った。特別枠になった。触れ合うことはなかった。不毛だった。
けれど束縛し、それを許されてしまった。彼もまた私といることを選んだと言ってくれた。それが全部嘘だったとしても、一緒にいる間はそれが本当のことだと思い込むようにしていた。そうして溢れたひずみが情緒を壊して彼に襲い掛かるようになった。嘘をついているくせに、自分本来の考えではないのに私に合わせて疲れて攻撃してくるくせに。そうして年末頃から連絡しないようになった。インして相手がいても触れないようにログアウトした。気を引くようにヘアカタログが投げられたが、会いに行けば時間を奪われる。私のしたいことが何一つできない時間が始まる。それを考えることすらストレスだった。SSを撮って「ありがとー!!!」というレターを返して終わりにした気がする。彼がいても会いにいかなかった。それをもちろん気づかれていた。
ごめん、ごめんなさい、私が私を愛せないばかりに。
私が自分に自信がないばかりに。
君を受け止める余裕も思考ももてないばかりに。
愛そうと努力した。したけど報われない日々が続きすぎてもうだめだった。
彼といるときの自分が嫌いではなかったか、そう同じような経験をした友達に言われた。
たしかにそうだ。自己肯定感はどん底をついて、もはやトラウマとして傷が残っている。
自信がないけれど自分を愛そうと努力する部分を傷つけられた。
でもそれは自分が悪いのだ、と思ってしまうから彼を責める気にはなれない。
終わったのだ。それでいいじゃないか。
彼もまた私から解放されて幸せそうだ。
私がいま苦しいのは、自分のせいだ。
G 厭なとこならいくらでも言えるくらい多分嫌いなんだよね。でも好きだったんだよな~
P そうなんだよ~~~
G わかるよ~
P なんでなんだかわからん~~~。いまだって嫉妬するもの。
G 思い出補正だよw
P あ~~~~補正かw
G いい思い出がたしかにあってさ。それがその人と初めて体験したことだったりしてさ
P うわあ・・・あってる・・・
G そういう思い出が苦しめてくるんよ
P そうですぅ;
G もうその時の彼ってどこにもいないのにね
P 刺さる。似たような言い方だけど、理想像に恋してたなあとは思う
G わかるなぁ。結局わしらの好きな彼って思い出の中にしかもういないんだよな
P 泣きそう~~~~~。そうだね、思い出補正がすごいんだわ
G 5年だったらなおさらね
友達との対談のような恋愛トーク。勝手に私が近しいものを感じている人なんだけど、話してると私のつたない言葉を綺麗にまとめて言い換えてくれる。頭の出来が違う気がする。
ひとまず5年続いた彼との関係を終わりにした。
でも感情的になりすぎたことや、彼が羽を伸ばすのを見て、反省したことがある。それをどうしても伝えて謝りたかった。彼もまた別れたあとに連絡してきていいよと言ってくれてた。けれど蓋をあけたら着拒、フレンド削除にブロック、ありとあらゆるSNSの窓口は封鎖されていた。彼からは見えない、ないものとされた。彼女はあえて忘れるためにそうしているのかもよ、と言った。同じ世界にいるのに。ああそうか、私はパラレルワールドの住人になったのか、そう思った。けれど私を苦しめるものが一つだけ残っていた。彼の SNSのアイコンは、私が描いた絵の、そのままだった。
友達の言葉が刺さる。それは補正だよ。その絵を描いた時の彼はもうどこにもいない。思い出の中にしかいないんだよ。
苦しい。その喪失感はしばらく続く。同じ経験をした彼女が優しく、そうまとめた。
アイコンを変えてほしいような変えてほしくないような。
その曖昧で中間にぶら下がる感情は、足場をなくした感情はまるで首をつっている姿のように感じる。
苦しい、ただただ苦しい。
旅行のイレギュラーってメンバーが少ないときのほうが楽しいんだよね。それが人数が多かったり世代様々だったりすると、予定通りのほうが楽だし不満も出にくいんだよね。
「りんごがいいけど、皮剥くのに時間がかかるかもしれないからどうしよう?」
「⋯」
「予約すれば皮むき機とまな板を貸してくれるらしいけど、借りる時間と返す時間が決まった時間から選ばなきゃならないからどうしよう?みかん食べる時間もあるし、そもそもどこでミカン食べるかも決まっていないから予約しないほうがいいかな」
「⋯」
「あまり遅い時間帯に予約すると疲れちゃうし、とりあえずみかんを食べてからにしようか。みかんは有名なニッシ農園にいこうか?この辺よくわからないから」
「⋯そうしようか、」
「みかん食べるためのは駅周辺の適当な場所いこうか」
「え?ニッシ農園行くって言ったよね?」
「みかん食べ終わってもうりんごのことどうでもいいし、食べなくてよくない?」
(え?せっかくりんごもみかんも食べるために、どうしたら手間取らないで慣れない場所で慣れないことをするか私なりに考えたのにその一言はなくない?具体的にみかん食べる場所も調べてくれてたわけじゃないし、それは行き当たりばったりでもいいけど、そこにりんごを組み込むために無い頭絞って考えたのに、その一言はなくない?)
この出来事でりんごをスムーズに食べるためにとりあえずサクッと予約して、その時間帯に合わせてみかんを食べるスケジュールを組めばよかったな。
なんかこんなに悩んでいるのに、それを見てるのに、もうりんごどうでもいいみたいに言われたのはショックだったな。他にも意思疎通が全然出来てなかったり、色々疲れたな。無事に終わりますように。
かわいいと言ってもらいたい。
かわいいね、って。
それがどれだけうれしいことか。
私を一番かわいいと言わないといけないはずの あの人は、私にかわいいと言ってくれない。
それがとてもさみしい。
ということに気付いてしまった。
かわいいと思ってもらえる、言ってもらえるようにしないといけないよね。
でも、私、けっこう頑張ってるよ?
今更、他の人とどうこうなることはないが、
もし、私をかわいいと言ってくれる人があらわれたら、
泣いて喜ぶだろうな。
さみしいな。
今日も暑いでしょうがなんとかこなせますように願うだけです。
毎年夏の目標は「気を確かに」です。この当たり前が難しい暑さです。