今日は愛犬と愛猫の一周忌。
うちにつれてきていたお骨をもって、二匹と暮らした実家(今は弟が一人暮らし)に戻った。
弟には連絡してあったので、お供えのおやつと、花を庭から積んで、お線香をあげる。
二人とも信心深くはないので、形だけの質素な一周忌。
実家から一緒に連れ出した猫たちの近況報告をした後、肉が食べたいと、しゃぶしゃぶ食べ放題へ。
牛肉なんて普段食べないので、ここぞとばかりにがっつく。
早めのランチだったけど、まだお腹が一杯。
色々話した後、お骨と一緒に解散。
人に押し付けるものではないのは分かっているけど、今でも泣くほど辛いのは私だけなんだろうな、と少し寂しくなった。
でも、お花を飾ってお線香をあげてお骨に声をかけてくれる家族がいるのは救われる。
私がメインでお世話をしていたけども、愛犬の介護を助けてくれたのは弟だったから。
で…、案の定、というか、ほんと期待してなかったけど、でも、一周忌だし、と思ってたけど、
母来なかった。
会いたくなかったけど、でも、親戚の一周忌なら必ず顔を合わしたのに、17年と7年、それぞれ実家で一緒に暮らしていて、数年前から別居していたとはいえ、一緒に介護をして、最後は看取ったのに、な、と。
詳しくは書かないけど、愛犬が亡くなった理由の一端は、母の監督不行き届きがあった。
半年前にあった時は、自分の都合のいいように記憶を改ざんして、自分は最後まで老犬介護を頑張った的なことを親戚の法事で話していて、こいつはもうだめだ、と思った。
愛犬と愛猫を連れて帰ったのは、母だ。
毎日の散歩も餌やりも、介護も、ほぼ私に押し付けてきたので、最後の介護と病気の猫の看病が重なった時は、無理やり家に呼びつけて、お世話させたけど。
劇場型の人で、いつだって自分が悲劇のヒロインぶるし、自分の都合が悪いことは忘れる、押し付ける、等々、大人になってこの人危険、とやっと気づいたけど、しんどかった老犬介護と猫の闘病の期間に、完全にこの人への信頼は失墜した。
何度、約束を反故にされ、私へのあり得ない暴言をなかったことにされたか。
そして、かわいそうな動物を拾ってくるのは仕方ない。
でも、最後まで面倒を見ない無責任さは、私は許さない。
実家で「保護猫カフェがしたい」と言い出していたので、大慌てで家を出たのもそのためだ。
間違いなく、私にすべてを押し付ける。
金銭的にも、お世話的にも。
そんな人間でも、一周忌くらい線香の一本くらい上げに来るかと思ったら、来ねえの。
もはや笑ってしまった。
猫はともかく、犬は母を慕っていたのに。
情が深い女だと思ってたけど、違うのだ。
自分自身しか愛していない。
無責任に「無条件の愛をくれる動物たちが大好き」とか言って、拾ってくるくせに、私にすべて押し付けてくる。
怖いのが、この女が将来、実家に戻ってきた時、家が多頭飼育崩壊してしまうんじゃないかと。
今は、寺の住職の妻として、寺で暮らしてるからいいけど、老後持ち家に戻ってきたらどうなるか分からない。
ついでに言うと、寺の借家はすでにごみ屋敷だし。
それだけでも頭が痛いのに。
愛情がないのは仕方がない。
でも、責任感は、義務だ。
責任が持てないことに、その時の同情心だけで手を出す神経が許せない。
一緒に暮らした動物たちはみな私にとって大事な家族で、出会えてよかったと心から思うけど、それとこれは別だ。
自分も僧侶の資格もってるくせに。
この女、もうだめだわ