2025.08.11Mon
非表示 06:24

遠くから投げているわけじゃなく、近くからポロっとゴミをゴミ箱に捨てているのに入らないことがある。
絶対入るだろうというのをハズしていくのが私の人生。
ポロっと捨てないで、確実に捨てることでしかきちんとゴミを捨てられないんだな。それも、また窮屈。


非表示 05:51

一緒に話していると息継ぎが出来ないような気分になるんですよね。会話じゃないよなーと思いながら、会話風の何かをしているだけだよなーと。

相手側から会話スタート
「このクッキーーおいしい」
「そうだ⋯」(このクッキーに似たものが、あの駅に売ってるよ)
「あの味もおいしい、チョコレートも美味しいけど抹茶もおいしいよね?」
「うん、まっ⋯」(抹茶も程よい苦味でおいしよね、抹茶といえば、あの店の抹茶味は何食べてもおいしいよ)
「でさ、話変わるんだけど、あの店の豚骨ラーメンがおいしいんだよ」
「⋯ラー」(ラーメン?)
「すごい並んでるけど、並ぶ価値はあるかもしれない、いやーまた食べたい」
「ど⋯」(どこにあるのその店?)
「大盛りが無料なんだよ、お得じゃない?」
「う⋯」(うん、それでその店はどこにあるの?)

こんな感じで私はだんだん「ど」とか「う」しか話してないのに会話のような何かが始まっています。
とりあえずこの流れを終わらせるのは無理だから、話が始まらないようにするか、都合良くトイレ行くしかないなって思っています。
私は本当は()の言葉を言って会話したいんですが、もう難しいみたい。

2025.08.10Sun
非表示 15:22

アナログで手書きの日記を書くために百均でノートを買ってきた。
きっかけはなんてことないことで、ここ最近流し見してたテレビで日記の話をいくつか見かけたのね。

ブログでもない。ここに書くでもない。プライベートなもの。アナログで手書き。いずれ忘れ去られてしまうなんてことない日常も、忘れられないような出来事も赤裸々に。
なんかいいな、って思った。

もともとアプリの日記も続けられたことがない三日坊主な自分に続けられるのか?という不安はありつつ(笑)、意外とアナログな手書きの方が続くかも?という期待もある。
というのも、ここ最近手書きでメモしていたときに、手書きで文字を書くってデジタルで言葉を紡ぐより思考が整理しやすいかもってことに気づいたので、そんな期待も込めつつ、続くことを願って始めてみることにした。

まずは習慣化をめざして!気負わずいこう。


非表示 13:55

久しぶりに雨降ってる
エアコンの室外機に日除けのカバーをかけていて、そこに雨が当たってぱたぱたぱたぱた音がする
寝室のとこのなので夜だと寝ていて音が気になるけど、日中だとなんか楽しい


非表示 12:08

ドラマ版 舟を編む を見ている。
三浦しをん原作。
確か映画にもなっていなかったっけ。なってた。
主演の、BUMPの、馬締さん役の人。野田洋次郎。いい俳優だなと思う。
どこかにいそうな顔で、他にはいなさそうな丁度良い声。この人ってこんな声だっけ。歌うとき。
空気感がいい。そう思う。

恋愛って何だろう。
ずっと我慢しているつもりで、頑張っているつもりで、何も頑張れていなくて、だからもっと我慢しなくちゃいけなくて、全部やらなきゃいけなくて、苦しい。
何を我慢しているのか、何が欲しかったのか、だんだん分からなくなる。
心の声を、微かな光を、かき集めないといけないと、思う。

大渡海はどんな舟になるのだろうか。


非表示 06:18

いろいろな人を揶揄する言葉がある。
ネット上の中だけでは、割とそういう簡単に人をカテゴリー化して下に見る、いわゆる差別用語と言われてしまいそうな言葉が散見される。
不思議なのは、それを使って誰かを揶揄する人間がリアルにはいないということだ。ネット上の匿名の世界では言っていいと思えるのだろう。昔はリアルでつかっていた人間がごまんといたわけだし、平和な世界になったと言えばなった気がした。

ネット上のチャット欄では、こんな言葉を使う奴なんてと言葉の使用する人を攻撃する見方か、その言葉の意味に共感して誰かを攻撃する見方のどちらかに分かれる。この言葉で実際に傷ついている人たちがコメントをし、その人たちを実際に攻撃できると思う人たちが攻撃している。不毛だなあと思う。その言葉一言では語れないほどの人生が、確かにその人一人一人には存在する。言葉を使う人たちは、チャット欄を見ている限り、リアルで誰かがそうで、その人に対する個人的情念のようなものを全部その言葉に乗せて、何とか逃がそうとしているように見えた。その一人一人にも、やりきれない思いを抱くことになったリアルの誰かの影が見えるのだろう。個人を排した世界で、個人である時体験した辛さを、個人ではないふりをして吐き出すような構造が見える。一方でその人も、ネットの世界では個人として尊重されることは決してない。諦めきれなくなる。また個人でないふりをして、つらさを吐き出す。本当にそういう構造がただ連鎖し続けているなら、哀しいものだ。

人生なんて往々にして退屈だ。理不尽だ。メジャーリーガーのような勝ち試合がみんなできるわけじゃない(シンプルにうらやましいしねたましい)。
人生を一変させる魔法などなく、この地を足で踏みしめて、それぞれが様々な状況の道を歩む。茨だったり沼だったり、舗装された高速道路だったり、と思いきや茂みに道を自分で作って行ったり。その道の模様も様々だ。持っている装備品、脚の状態だって違う。それが昨日と今日とでも違う。時々その人が選んでもないのに洞穴に入ってしまって立ち往生する人もいる。誰かと交錯する。人の道がうらやましく見えるが、その人の足にとってはとても歩きづらかったりする。
それでも日が落ちてのぼるたび、確かに一歩を踏みしめる。

少しスピリチュアル的で正直嫌いだが、私たちは本当に、私たち自身と向き合うことで初めて世界と向き合えるようなところがあるし、そこから逃げると途端に、目に見えない世界はよりどころとなって迫ってくるようだ。つらい現実の個を忘れ、大衆の目に見えない波に身をゆだね、個で感じていた情念を投げ込んで誰かの情念を湧きたてる。
創作ではよく人の情念が化け物となっているが、それがインターネットでは入り乱れている。情念の濁流が、0か1の数値化された世界で確かに流れている。誰がこれを祓うのだろうと興味がある。

私たちの生活は、あくまで肉体のある目の前の目に見えるものや手に触れられるもの、五感で味わえるものが土台になっている。それを大切にしていたいなと、このバーチャルな世界で投げかけて誰かの目に留まることを祈った。

長く言葉を使ったが、簡単に言えば、ネットばっかやってないで、リアルの世界と向き合おうと自戒する経験となった。


非表示 06:17

みんなそれぞれあるのはわかりますが、返信が遅すぎると萎えるタイプですね。秒で返せと言っているわけじゃないですよ。
緊急のことなんて滅多にないですが、滅多にないからこそ連絡したときには早めにレスポンスくれたら嬉しいなとは思います。そういうのも相性かなと思っています。


非表示 05:49

時々、"席を譲ったけど、年寄り扱いされることに怒っている、怒られたみたいな出来事をネットで見ますが、これって、お年寄りや席を必要としている人に席を譲りましょうっていうのを啓蒙してるんだから、しょうがないですよね。
譲ってあげるほうが、自ら譲る方向ももちろんアリですが、譲って欲しい側も積極的に「譲ってください」と言ってもいい気がします。
譲ってください!なんて自ら言いづらいのはわかりますが、せっかく譲ったのに、年寄り扱いされた!とか怒られるのってやっぱり不快ですよね。
「譲って欲しい方は自ら声をかけましょう、声をかけられた側は事情がない限り応じましょう」の啓蒙もしたらいいと思う。

2025.08.09Sat
非表示 13:22

まあ、暑くなくなってから考えるか、やるかと思ってるけど、10月まで暑いのか⋯
今日は比較的暑くない(決して涼しくはない)のでちょっと外出。
ドトールくらいは行きたい


非表示 11:27

一昨日と昨日、楽しかったの。
あの人の空気感めっちゃいいなー。
ずっとこのまま会えたらいいな。
なにもないから心地よい。
ずっと好きだと思う。

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