久しぶりにお弁当を作りました。作ったと言えるほどのものじゃないですけど…
まだ暑いので中身が心配ですよね。保冷の方法とか腐りにくい食材などジメジメ暑いときは特集されていたりします。
でも個人的にはその時期弁当をやめちゃえばいいと思うんですよね。簡単なものとはいっても弁当を作るだけでも手間だと思うのに、さらに色々気を使って…ってちょっと疲れます。
思えば、思いきってやめる。という選択肢がなかなか出来ない世の中です。予防や対策をして何かをやろうとする。そういうのが疲れます。コロナときは思いきってやめてたこともたくさんあったので、やめることって難しくないんですよね。予防や対策をしてでもやりたい人もいるのかもしれませんし、コロナ全盛期のときは色々制限もあって窮屈に感じたこともありましたけどね。
でも、対策するくらいならやめるって大事な部分もあると思います。やめればリスクはゼロって最高に楽で他のことに目を向けられるので良い部分もたくさんあります。でも、みんな対策したがる、予防したがる。そして困難に立ち向かいたがる。私にはそう見えるときがあるんですね。
とりあえず保冷剤ガチガチ、冷凍食品も使って対策したので大丈夫か。
ここのところ怒ってばかりだ。原因は色々だけど、結局は自分の問題。夕べは、わあわあ怒鳴り散らす夢を見て、ストレスも限界なんだと悲しくなった。こんなキャラだっけ?こんな自分でいたかったんだっけ?
怒りは二次的感情だから、その根底を理解しないといけないんだって。簡単に言うけどさ、そんな気持ちの余裕もないよ。とりあえず眠ろう。眠るのが一番回復につながる。
それまでのご縁だった、って言葉をこの年になると理解できるようになる。
どんなに仲が良くても、信頼しあっていても、消費期限が切れるように、縁が切れるのだ。
最後のほうは味も落ちてるし、無理に消費してもな、という感じで。
あんなに仲良かったのになー。
切れたら、執着なくなるもんだね。
同窓会とかもともと興味なかったけど、元友人に対しても同じ気持ちになるんだな。
なんか残念な気もするけど、そう気にしてないのが本音。
本音で言いたいこと最後に言い合えばよかったかな、と思うけど、それをしなかったから長く付き合えた二人なわけで、これで良かったのよ。
なんでも言い合える友達がいいわけじゃないって、若いころ思い知ったから。
馴染みの駅前をウロウロしてコーヒーでも飲もうかと思ってチェーン店に入ろうとしたら、新しいカフェ?が出来ていて席も空いてそうだから入ってしまった。
自分のスマホで注文するところで、出来るには出来るけどちゃんと注文出来ているのか心配にはなった…なんとか注文出来ていたみたいで、ホッとした。
頼んでみたアールグレイのスイーツは正直…アールグレイ感がなくてイマイチだったかなと…アールグレイにはアールグレイということで頼んだ紅茶もアールグレイ感がなかったような?紅茶のフワッと抜けるような香りがまず最初に欲しかったなと。私の味覚がオカシイだけかもしれないけど、イマドキなオサレな雰囲気に流されて美味しく感じるわけでもないんだなと思った。でも、雰囲気に流されるくらいのほうが本当は楽しいんだよなー。自分の変な固さに辟易するけどそういうふうにしか生きられない年齢になってきたんだなー
5年ぶりに iPhone を注文した。届くのは 10月中旬ごろ。特に困ってはなかったのだが、多分来年あたりに OS のアップデート対象から外れそうで、そうなると買い取り価格も下がるかなと思い、USB-C に対応したことだし替えてしまおうと思った。
5回目のワクチンの予約をした。歩いて行ける病院でネット予約ができるところがあったので、そこにした。今月末はワクチン、来月頭は歯医者に定期検診、来月中旬は健康診断、と秋は病院巡りから始まる。
空や空気に少しずつ秋を感じるようになって、いろいろなところに出かけたい気分になってきた。
お菓子のパッケージとかファミレスのメニューとか広告とか…気がつくと至る所に間違い探しって展開されてるんですよね。ちょっと考えればわかるようなカワイイ間違いから、ガッチリ向き合って考えないとわからない難しいのもあります(サイゼとかの間違い探しはガチなヤツです)
間違いを探すってエンタメなんですよね。そういう楽しめる間違い探しならいいんですけど、間違い探しならぬ粗探しみたいなことが好きな人といると疲れます。本人はイラストの間違い探しを気楽にやってるのと同じ感覚で粗探しをしてくるんですよね。
言葉の言い間違いや、誤字脱字…その他色々生き方考え方とかにも間違いってあると思うんですけど、それを見つけられて「あ!見つけた!」と楽しんで終わるのは本人だけだったりするんですよね。別に人間だから間違いなんていくらでもあるでしょ?と間違う事を肯定してるわけじゃないんですけど、見つけられて指摘されて、それだけで終わられるとなかなかキツイものがあります。それがイラストの間違い探しとは全然違います。間違った言葉や誤字の中にも本当に言いたかったこと、伝えたかったことってあると思うんです。それが1つ2つの間違いでなかったことにされるのは悲しいですよね。自分がされたわけじゃなくても、そういうのをされているのを見てるのもなんとも言えない気持ちにはなります。
私は出来ているのかわからないですけど、間違いの中にある本当のことを見つけられるようになっていたらいいなと思います。もし間違いを見つけても、ソレだけで終わらないように出来ればいいけど、間違い探しよりも1番難しいかもしれませんね。
たまにここでも誤字使用してしまうけど、きっと皆様の優しさで見守られてるのだ思っています。
この文章は、筆者が連休中に派遣バイトをしていることや、本業の給与が生活費と貯蓄に回されているため、旅費のために副業で頑張っていることを述べています。
また、自分自身が普段好きなことしかしていないことに気づいたことや、在宅ワークの自由な働き方ができることについても触れられています。しかし、久々に外で人と働く際には、他人からの指摘や声かけにイラッとしたりストレスを感じたりしたようです。さらに、一人暮らしを始めてからは特に厳しい状況だったようで、派遣バイトの場所では一番下っ端の立場で働くことや、社会性を忘れないようにする目的もありました。最後にはコンビニレジの仕事が明日あり、「千手観音菩薩並のマルチタスク」が求められますが、毎日同じことを続けるのはつまらなく感じています。全体的に筆者は社会性がなく人間関係が苦手であるようです。
すごい
このぐだ文を瞬時に要約できてる。
AIさすが
三連休は派遣バイト三昧。
連休でも本業はあるから、正直しんどい。
本業の給与は生活費と貯蓄に回すので、旅費の積立は副業で頑張る。
本業で全部賄えるほど稼げないし。
久々にキッチンの皿洗いをやって思ったけど、自分本当に普段好きなことしかしてないなと思った。
仕事柄、クライアントさんに頼られ、理解ある優しい会社から怒られることもなく、問題があったらフォローに回っていただいてる立場。
在宅ワークだから、働き方も自由だし。
久々に外に出て人と会い、他人と働いたけど、悪気なく出されたコップの水が顔にかかったり、注意でなく指示であっても、タイミング悪く声かけられたりした時、正直、ムッとした。
誰も悪くないのに、普段人から指図されない、自分の采配で全て仕事してる立場にいると、こんなに人間って傲慢になるのか。
(まあ、接客の正社員だった頃からこうだったけど。)
一人暮らし始めて、仕事も生活も私の思い通りにほぼできるようになってから余計に今日は辛かった。
本業なんて関係ない、ただの派遣フリーターおばさんと思われる場所で、一番下っ端として働く。
とはいえ、派遣バイトにみなさんすごい優しいの。人手不足だから、レギュラーで入って欲しいという下心ありだとわかってるけど、基本皆さん優しい。
そんな激甘環境ですら、私はイラッとしたし、ストレスが溜まった。
キッチンでなくホールならまだ楽しくて好きなんだけどね。。
趣味の旅費をためたいのもあるけど、正負の法則ってやっぱりあると思ってて、これだけ毎日好き勝手生きてたらいつかしっぺ返しがきそうだから、敢えて嫌なことをするのも理由。
あと、いざ本業で食べれなくなった時、ちゃんと社会(外の世界)で働く感覚を忘れないようにもしたい。
本業はし守したいけど、定年後はさすがに無理だろうし、何があるか分からない時代だから。
人間として大丈夫かと思うけど、やっぱり人と居るのはキツイ。
つくづく思う。
派遣バイトならその日限りだからいい。
どこのバイトも大差ないんだから。
これが精一杯。
正負の負が少なすぎるけど、これまで地獄の社会生活送ってきた分で堪忍してや。
あー明日はコンビニレジか。
忙しいのがいいよね。
千手観音菩薩並のマルチタスクを求められるけど、そこが面白い。
ただ、毎日はきついし飽きるんだよ。。
本当、社会性無いわ。
今日わかったこと。
一人暮らしをしていた5年間。
その5年間は、私にとって とても懐かしくとてもたいせつな期間だった。
過去を振り返ることは少ない方なのだけれど、
今でもその頃に戻りたいと思う。
とても楽しくて、青春だった(20代)
今、そのときがなぜ大切だったのか、私にとって大切で愛おしいときだったのかわかった。
すべて、自分のためだけのものだったから。
これがわかって、私は、なんて自由で、なんて楽しい時を過ごせたのだろうと 今思う。
あくまでも、私の場合。
私の場合、一人暮らしすることは、すべて自分のためで自分のためでしかなかった。
だから、何も何も変え難く、良き思い出。
私は 他者によって生かされているのだから、その時間はとても、貴重だったのだ。
これからも生き続ける。
今しあわせだから、たった5年を更に愛おしいと思う。
私って体育祭とか文化祭とかに思い入れないタイプだったな。メンドクサイって思ってたし、今学生に戻ったとしてもメンドクサイって思ってると思う。
こういうの楽しいって思えるのってどうしてなのかな?と思う。本当に純粋に疑問としてね。私はとにかく疲れるし、色々決めたりするのがシンドイ。
遺伝子レベル?とも思うけど、家族を見てるとそうじゃないんだろうなと思う。私と違ってそういうの楽しそうだ。それはそれで良いし、そっちのほうが生きやすいから良かったねと思うよ。
学生じゃなくとも、そういう似たような行事は生活の中に絡んでは来て、その度にシンドさを感じてる。大人になったぶん断ることも出来るから昔よりは楽になったけど、それを楽しめない自分をその度に見せつけられて気分によってはシンドイ。
そういうのが苦手でも他に特技があれば良かったけど、それもないし。私ってただの細胞なんだなーといつも漂うだけ。