周りで苦しんでいる人や鬱の人に比べたら、自分なんてまだまだだよね…って踏ん張ってしまう
でも人によって耐えられるレベルや状況が違うし、ちょっとしたきっかけで壊れてしまうことに気づくのが遅かった
もう今週一週間の苦しみと疲れで自分は半分壊れた
脳も身体も心もボロボロ
これを今日一日で治せと?明日仕事のために?
はいはい、無理矢理にでも出社しますよ
…でもダメだったら責任とってくださいね?
周りで苦しんでいる人や鬱の人に比べたら、自分なんてまだまだだよね…って踏ん張ってしまう
でも人によって耐えられるレベルや状況が違うし、ちょっとしたきっかけで壊れてしまうことに気づくのが遅かった
もう今週一週間の苦しみと疲れで自分は半分壊れた
脳も身体も心もボロボロ
これを今日一日で治せと?明日仕事のために?
はいはい、無理矢理にでも出社しますよ
…でもダメだったら責任とってくださいね?
子どもの頃に好きだったものを両親から否定されたことが多かったので、単純に懐かしい〜という気持ちと同時にネガティブな記憶も蘇ってシンドイですね。
でも、これからは好きになったものは好きという気持ちだけしか残らないから嬉しい。
常温保存OKのおでん食べました。
出汁も有名なところの出汁で美味しかったです。
また買い置きしておこうかな
そう表現された本人のことも好きじゃないけど。「傷もの」って、底意地が悪くてつめたいことばだな。別の言い方もあるだろうに。そんなフィルターを通してみているからか、正副総裁が並ぶ姿が、情け容赦のない高利貸しと、その組織をとりしきるマフィアのボスに思えるんだよなあ。
副校長先生って言い方慣れない。いつから教頭先生って言わなくなったんだ。こどもと会話が通じなくて慣れなきゃいけないんだが難しい。そういえば運動会での副校長先生、半そで短パンだったな、若々しかった。
今日はカラオケに来ています。
この後、お昼も兼ねてパフェを食べに行く予定です。
昼ご飯も食べてパフェを食べるのは重くて出来ないのです。
某新総裁は母が生きていたとしたら同じくらいの年齢だけど、母のことを思い出すとこの年代の女性でトップに立つって並大抵な精神力じゃ無理だよなーと思うんですよね。
男性は「女じゃ無理」ってオーラ出してくるのもキツイものがあると思いますが、案外大変なのは同じ女性からの「女だからこれでいいのに」という圧だったりするんじゃないかと。
ウチの母なんて、女だから大学なんて行かなくていいのにとか、女はこれが出来ればいい、とか性別にあやかって生きてきたタイプなんですよね。それはそれで1つの生き方ではありますが、それ以外の生き方をしようとする人の足をひっぱるような言い方をしてるときがありましたね。女性のむしゃらに頑張る人をバカにするというか。人は人、自分は自分なのに、自分以外の生き方をする人を貶さないと自分を保てないんだろうなって思うんです。母は周りより早く出産して20代で3人出産したのが自慢らしいけど、正直全然羨ましくない。お金ない、あなたが大学?とか、なんとか大学行かせてはもらえたけど、居候、苦学生、がめついとか子どもに言いまくる人生なんてつまらない。
母とは約四半世紀ほど年齢が離れているけど、それくらい経つとやっぱり時代とか感覚って違うし変わるんだなと思います。
25年なんてあっという間に感じて何も変わっていないよう思うけど、キチンと変わっている。私と母の感覚が違うように、私もその時代の価値観で生きてるんだなと自分で思うことが慰めになるのかもしれません。ただ、これからの流れに母みたいに乗れなかったらどうしよう?と不安はあります。
朝、通勤時に
真正面から日傘さしながら
歩いて来た人とすれ違った。
人がすれ違うのも狭い歩道だったから
相手の日傘と肩掛けのカバンにがっつり当たってしまって、
今でも当たった顔と手首が痛い。
日傘って便利なツールなのかもしれないけどさ。
危ないよね。
当たるかもしれないし、
傷つけるかもしれないから使う場所に気をつけないとって、
思わないのかな。
「私は日傘が必要なんだから、
お前が当たらないように避ければいいんじゃないの?」
って自分さえ良ければいいんでしょうね。
もちろん、私は謝りませんでしたけど
向こうも謝らず去っていきました。
日傘が嫌いになりました。
ChatGPTに
「癒してほしいので面白い話をしてください」って
頼んだら、返しはしてくれたんだけど、
ごめんね、私には刺さらなかった笑。
万人受けする回答で優等生なんだろうけど、
一人ひとりに寄り添えるわけではない。
そうなるとね。
人間って他者を見て考えて、
わかる範囲で読み取れる範囲で考えて、
反応するって「技」なんだなぁって、
改めて思い知らされて、
今、自分の周りにいる人達に、
「いつも気を遣わせててほんとごめんなさい。
そしてありがとう」って思う。感謝。
昨日からホットコーヒーにしたのに、今朝はまたアイスコーヒーにしてしまいました。
ホットかアイスか迷うことがなくなれば本当の秋だと思うのですが、それは既に冬なのかもしれないのが最近の体感ですね。