喜多方ラーメンと佐野ラーメンが好きです。
あのシンプルな感じだけど、独自の地位を確立しているところが見習いたいところです。
大家族ってお風呂どうしてるんだろう?大家族ではない5人家族だったけど、お風呂のタイミング苦労したなと。
まだ中学時代くらいまでなら大丈夫だったけど、大学生以降は本当に風呂に入るにもタイミングを見計らうのが大変だった。私はバイトやら他のきょうだいは部活やらで帰ってくる時間が遅くなって風呂の時間が後ろ後ろになる。
特に困ってたのがバイトの後に風呂に入りたいときだった。母は比較的夜に入れる時間があるのに入らない。何故か寝ている。そして、私が帰ってきたタイミングで風呂に入ったり歯を磨き出したりするものだから私はその間待っていなくてはならない。帰ってくるのは10時や11時を越えていたので、待っている間に眠ってしまって…ということもしょっちゅうだった。私は母のそのタイミングが意地悪に感じていた。言えばわかってくれる?言えば大学に行かせてもらっているのに!と言われるだけだから言えなかった。なるべくリビングに行かないでそーっとお風呂に入ることを試したりしていた。
でも、何故か気配というものを感じるらしい。相変わらず私が帰ってきてから洗面所を占拠することは変わらなかった。ある時、そんなことがあるなかで私は寝てしまってお風呂に入るのが夜中の2時とか3時になってしまった。普通に入っていたつもりだったが「うるさい!!!」と父が風呂に乗り込んできた。普通に入っていたのに何がうるさいのかわからなかったけど、狭くて古いマンションだから夜中の静かな時は音が響いてしまったのかもしれない。父が怒鳴る声で他の家族は起きたらしいけど、お風呂の音はうるさくなかったとは言われた。
それから他のきょうだいが夜中に入ることもあったけど、怒鳴り込むほどうるさくは感じたことがない。確かに狭い家なので風呂に入ってる音はわかるのだけどね。
風呂を通して思い出しても、あの家では私の人権がなかったな。ちょっとしたキッカケで自分の家庭での人権のなさを思い出す日々がこれからの人生の一部だとしたら辛すぎる。
こういう細かいところが積み重なって、あれから20年以上経っても毒として現れるのだなと。今風呂に入っても洗い流せないみたいだ。
自分が1言えば周りが100わかってくれていた子供時代。
伝えようとする努力も、愛される努力もしたことがなかった。
それは大人になるまで、いや今でも、何が必要なのかまったくわからない。
気を抜くと「私は無条件で姫扱いをしてもらえる」と思っている深層がうごめいて、表面を侵す。そうして気が付くと一人になっている。
この侵されている間、私に客観性は何もない。自分が何をしているのか、あとになってからもわからない。何が一体間違っているのか、具体的な反省ができないまま嫌われ続けている。
ずっとチェアリングしたいと思ってて、でもなんだかんだと出来てなかったんだけど、昨日出来ました。
場所は某学校の文化祭。
凄く充実してるとの噂を聞いてて、ぜひ行きたいと思ってたんで、今年初めて行ったのです。
あちこち歩いてさてどこで食べようとなった時、学食体験出来たし、簡易休憩所として体育館も開放されてたんだけど、結構いい感じの屋外テラスがあって、そこで食べたいなとなった。
日向には座席があったんだけど、日陰に座りたかったので、満を辞してのチェアリングですよ。
今回は持ち歩きを考えて散歩セットとして軽い物をチョイス。
以前、年パスでやたらテーマパーク行ってた時に行列用に買ってた一脚椅子と、100均で買ってたアウトドアミニテーブルのセット。
一脚椅子だから足で支えなきゃいけないんだけど、まあ、立ってるよりマシだったし、地べたに座らなくて良くなったのでヨシ。割と安定してるから、安い簡易椅子よりはいい。
テーブルもちょっとしたもの置く程度しか出来ないけど、飲み物食べ物をカバンから出して並べて置けるだけで良かった。
この超簡易版チェアリングセットは、今後も歩いて出かける時の相棒になりそう。
休憩したい時に椅子探さなくても座れるのはありがたい。
まあちょっと組み立ては面倒なんだけどね。ペットボトル一本分の重さってのがいい。
今回の失敗はゴミ袋の用意を忘れた事。ウエットティッシュは持ってたんだけどね。
ゴミ箱はあるからいいかなと思ったけど、そこへ持っていくまでまとめて入れられるゴミ袋が必要だった。要検討。
ゆる〜くなら本来の目的から逸れてもオマケみたいな感じで楽しいよね。
本来の目的から逸れるというか、逸れちゃったときに落ちてるものが良ければ拾うくらいが丁度いいのでしょう
家族関係でボランティアのようなことをしたことがあるのですが、私は本当はそれをやりたくありませんでした。でも早く済ましておかないと後からやるともっと手間のある作業をしなくてはならない可能性もあったので自分から進んでやることにしました。そこで同じ場所にいた人も目的はボランティアじゃなくて、人と繋がりたい、仕事を引き受けることでいい人と思われたい、そんな感じの人ばかりでした。
私を含め、本来のボランティアを純粋にやりたい人っていなかったのです。だから他の人のうわさ話をしたり、どうでもいいことで怒って悪口を言ったりしないと保てなかったんだろうなと見てて思いました。
無償の仕事だし、ボランティアとは言ってもやりたい人がいなければ誰かに強制されるもの。だからこそ簡単に単純にやるべきなのに、手間を物凄くかけていました。これはそれが好きなのではなくて手間をかけることで自分の地位をあげたかったのでしょう。実際、このグループは1番いいものを作ったと言われたいとか本来の目的じゃない部分に気持ちが向いていると感じたことが多々ありました。
何が言いたいかというと、本来の目的からズレることをすると他の歪さに気がついて、それを許すことが出来なくなるということです。
本当に感謝の気持ちで参加しているなら、私も悪口やうわさ話をしている人を気にすることはなかったでしょう。悪口やうわさ話をしている人もそれに寄りかかることなく、称賛も気にすることなくいられたはずです。
本当の目的からズレたことをしない、求めないって本当に大事だと思うのです。
人と話したいから仕事するのではなくて、仕事をしなきゃならないから人と話す。出会いが欲しいから何らかのサークルに入るではなくて、サークルの内容に興味があるから偶然人と出会う。オシャレしたいから合コンやコンカツをするのではなくて、出会いたいから行くのでしょう?そういう場所にはオシャレしなきゃならないだろうけど、本来の1番の目的はオシャレじゃない。
勉強したいから学校に行くのであれば、多少のことも気にならなかったな。とりあえず高校生になりたい大学生になっておきたいという気持ちはどこかにあったかもなと。だからどうにかならない気持ちもあったかも?まあ、大学は勉強のことも考えてはいたけれどね。
よくわからない駄文にもほどがあるけど、本来の目的を果たす場所で本来の目的以外に比重を置きすぎるとよくないなと。結局うまくいかなくなるし、周りが気になってしょうがなくなって人によっては攻撃的になったり落ち込んだりロクなことないから本来の目的を忘れないようにしたいです。
色々愚痴ったけど、人生の出来事はどちらにスポットライトを当てるかで決まる。
思いの差は多少あれど、一緒に暮らした愛犬と愛猫を悼む気持ちに黙って寄り添ってくれた家族がいたこと。
ここで、ダークサイドは全部吐き出したから、明るい面を私は今日の思い出にする。
しゃぶしゃぶ美味しかったし、私が母の話をしたくないことを察して、違う話題だけ振ってくれる弟には感謝している。
喉元まで「アイツ来やしないし」と愚痴りそうになったけど、久々に会う仲良しの弟なので、楽しい会話に終始した。
猫型配膳ロボットを撫で倒して、猫ロボに「いい加減にしてくれにゃ」って怒られたりしたけど、それもいい思い出。
特別、愛犬と愛猫の思い出話をすることはしなかった。
それぞれの中で、声をかけてあげたと思う。
最後まで一緒に暮らした私たち姉弟の姿を見て、二匹が空の上でちょっとは喜んでくれてたら、それでいい。
私はずっと忘れないから。
いつかお空の上で、再会するのを楽しみに待ってるから。
ダメな飼い主だったけど、誰よりも愛してたよ。
私の家族になってくれてありがとう。
今日は愛犬と愛猫の一周忌。
うちにつれてきていたお骨をもって、二匹と暮らした実家(今は弟が一人暮らし)に戻った。
弟には連絡してあったので、お供えのおやつと、花を庭から積んで、お線香をあげる。
二人とも信心深くはないので、形だけの質素な一周忌。
実家から一緒に連れ出した猫たちの近況報告をした後、肉が食べたいと、しゃぶしゃぶ食べ放題へ。
牛肉なんて普段食べないので、ここぞとばかりにがっつく。
早めのランチだったけど、まだお腹が一杯。
色々話した後、お骨と一緒に解散。
人に押し付けるものではないのは分かっているけど、今でも泣くほど辛いのは私だけなんだろうな、と少し寂しくなった。
でも、お花を飾ってお線香をあげてお骨に声をかけてくれる家族がいるのは救われる。
私がメインでお世話をしていたけども、愛犬の介護を助けてくれたのは弟だったから。
で…、案の定、というか、ほんと期待してなかったけど、でも、一周忌だし、と思ってたけど、
母来なかった。
会いたくなかったけど、でも、親戚の一周忌なら必ず顔を合わしたのに、17年と7年、それぞれ実家で一緒に暮らしていて、数年前から別居していたとはいえ、一緒に介護をして、最後は看取ったのに、な、と。
詳しくは書かないけど、愛犬が亡くなった理由の一端は、母の監督不行き届きがあった。
半年前にあった時は、自分の都合のいいように記憶を改ざんして、自分は最後まで老犬介護を頑張った的なことを親戚の法事で話していて、こいつはもうだめだ、と思った。
愛犬と愛猫を連れて帰ったのは、母だ。
毎日の散歩も餌やりも、介護も、ほぼ私に押し付けてきたので、最後の介護と病気の猫の看病が重なった時は、無理やり家に呼びつけて、お世話させたけど。
劇場型の人で、いつだって自分が悲劇のヒロインぶるし、自分の都合が悪いことは忘れる、押し付ける、等々、大人になってこの人危険、とやっと気づいたけど、しんどかった老犬介護と猫の闘病の期間に、完全にこの人への信頼は失墜した。
何度、約束を反故にされ、私へのあり得ない暴言をなかったことにされたか。
そして、かわいそうな動物を拾ってくるのは仕方ない。
でも、最後まで面倒を見ない無責任さは、私は許さない。
実家で「保護猫カフェがしたい」と言い出していたので、大慌てで家を出たのもそのためだ。
間違いなく、私にすべてを押し付ける。
金銭的にも、お世話的にも。
そんな人間でも、一周忌くらい線香の一本くらい上げに来るかと思ったら、来ねえの。
もはや笑ってしまった。
猫はともかく、犬は母を慕っていたのに。
情が深い女だと思ってたけど、違うのだ。
自分自身しか愛していない。
無責任に「無条件の愛をくれる動物たちが大好き」とか言って、拾ってくるくせに、私にすべて押し付けてくる。
怖いのが、この女が将来、実家に戻ってきた時、家が多頭飼育崩壊してしまうんじゃないかと。
今は、寺の住職の妻として、寺で暮らしてるからいいけど、老後持ち家に戻ってきたらどうなるか分からない。
ついでに言うと、寺の借家はすでにごみ屋敷だし。
それだけでも頭が痛いのに。
愛情がないのは仕方がない。
でも、責任感は、義務だ。
責任が持てないことに、その時の同情心だけで手を出す神経が許せない。
一緒に暮らした動物たちはみな私にとって大事な家族で、出会えてよかったと心から思うけど、それとこれは別だ。
自分も僧侶の資格もってるくせに。
この女、もうだめだわ
泊まりがけで出かけるとやっぱり食生活がいつもと違って体が変だなーと思う年齢です。
とりあえず今日は休みます。
仕事を探していて学生時代のバイト先が出て来た。
思えば、人生で色々節目があってもこの地域に住んできたんだなと思った。だから現在をさがしていても過去がすぐ出てくる。
ネットでイオんではじまり、い音で終わる人生…というものを見たことがある。ショッピングモールの胃恩のことで、休日は家族でそこに行き、友達とそこに行き、デートでそこに行き、就職もそこで決めて、そこで出会った人と結婚し…家族でそこにに行き…の衣温の繰り返しのような人生を例えたもの。
このionのではないけど、私も似たようなものなのかもしれないと思ったり。私の場合は選択肢があるのに便利だからという理由で自ら選んでいるような気がする。
似たようなものと書いたけど、私が今の場所に引越してきたのは小6の頃だった。それまである地域内では引越しを何度かしていたものの、今の地域に引越ししてきたような感覚はなかった。同じ方言を使う場所に何度か引越していたという感じ。それもなかなか大変ではあったけど、唐突に小6のときに方言もなく気候も色々違う場所に引越した。
それから基本的に距離がある大きな引越しをすることなくいるけど、ここに来たときは今まで引越しと違って環境の変化が大きすぎて、慣れることがしんどかった。年齢的にも微妙な年頃だったと思うし、私にとっては大きなことだったと。
でも、慣れると今の地域の住みやすさが身に沁みる。もう引越しから30年近く経っているけど、他のところに住みたくないって思う。
大人になると、それなりにみんな地元を離れる。電車ですいすい行ける距離ではあったりするけど。そういうものなのに私はここに住み着いている。便利という部分もあるけど、あの30年前の引越しでした苦労にまだしがみついているのかもしれない。自分なりに苦労して自分なりに耕した場所をそう簡単に手放したくないという気持ちが奥底にあるような気がする。
もし、以前住んでいた地域に親の都合で引越しさせられることがなければどうなっていたのかと思うと、この30年間で得た微量な財産は手に入ってなかった気がする。やっぱりあの地域だと見れないものもたくさんあったけど、引越ししなければそういうものだと納得してその地域で人生を繰り返していたかもしれない。
自分の都合ではない引越しとはいえ、それなりに自分でどうにかしてきた。私はまだまだここにいます。そして仕事探します。