2025.12.31Wed

矛盾

非表示 05:41

「参考資料」として見ている、昔の友人のインスタグラム。
昨日は焼肉を楽しんだらしい。馴染みの焼肉屋らしい。
そして、家族に感謝していた。
いつも思うことは、矛盾ですね。自分の時間を使い、仲良くしていた頃に突然、とある健康法をやり出して「肉を食べなくなってイライラしなくなった」なんて、イライラしながら言ってたよなーと。
まあ、あれから15年以上経っているのかな?それくらい経てば価値観なんて変わるのは当たり前だし、自然なことではあるはずなんですけど⋯
あれだけ圧迫感のあるオーラを纏っていたのに、もう人生で肉を味わうこともないんだろうなとくらいの勢いだったのに、行きつけの焼肉屋が出来るほどに変わってしまう。
先ほども述べたように、価値観なんて変わるものだと思うけど、この人の価値観の変化に苛立ちを覚えるのは、当時、それを理解してあげようと努力していたからなんでしょうね。でも、本音は「そんなもんやって健康法かなんかしらんが、肉を食べるようになって吐くようになったとか嬉嬉と語るのヤバいだろ」なんですよね。でも、相手を尊重しようと多めのエネルギーを使って、本音を打ち消したのに、コレかと。
この人の「参考資料」を見てると、矛盾って実はどうでも良くて、その人の矛盾が許せるか否かなんだろうなって思うのです。
変な健康法をやっていたから嫌いになったわけではなく、それが本当の元友人の姿を暴いたんでしょう。
だから私は矛盾していることよりも、それを寛容に受け取れるか、矛盾に共感出来るかに着眼点を置きたいです。
来年も色々な矛盾を多くのところで目にするでしょうが、それを肯定出来るかどうかを判断基準に過ごしていきたいですね。

2025.12.30Tue
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すき焼きを食べても、すぐに胃もたれをするようになってしまいました。
若い頃の宇宙空間のような胃はどこにいったのかな


非表示 17:06

昨日、早めの時間にお風呂に入ってたら外から「火のーよーじん(カチカチ)」って聞こえてきた。
え、それ、まだあるんですか⁉︎ てっきり都市伝説だと思ってた。
割と毎日豆腐の移動販売を知らせるチャルメラの音も聞こえるし、たまに「いしやーきいも」も来るし、ここに引っ越してきてもう廃れてたと思ったものにまだ出会えて嬉しい。


非表示 05:37

たたまないで適当に入れていい場所を作っているのですが、それが快適で、きちんとしていないけど最も自分らしい空間だなと嬉しささえ覚えます。
適当に丸め込まれた部屋着や下着を引っ張りだすとき思うのです。


非表示 05:29

「愚痴とかネガティブな事を聞いてくれる人にしか、本当の意味での明るい話は出来ない」
これは今のところは私の価値観だったはずなんですが、回り回って母の価値観なんじゃ?とふと感じたのです。
母は私を時には友達のように、私に私の愚痴を言ってきていました。子どもの愚痴を同じ主婦どうしで言うならともかく、私にそのノリで言ってきたから、私の心が変な歪みを起こしていたのはまちがいないでしょう。
今でこそ多くのことに気がつき、母に対して厭悪する部分が占めていますが、当時は楽しく笑いあったりしていた部分もあるんですよね。
そんな思い出があるなら今嫌いになるのはおかしいという意見もあるかもしれません。でも、私はあの頃は母の価値観を自分の価値観だと思ってしまっていたところもあったし、直接自分に対する愚痴を言われたとしても、都合よく本能的に「本音を言ってくれている」と解釈しようとしていたのかもしれません。
全てのことを受け入れようとしていたわけでもなくて、当時も今も反発している母の言動はあるけれど、それ以外にも反発しないといけなかった事案はもっとたくさんあったんだと思うのです。
母が亡くなって来年で10年経ちますが、私の中の本当の純粋な価値観だと思うものに気がついては来ていますが、まだ完璧な混じり気のない自分の価値観とは言い切れないところがあるのでしょう。それが現在の私を苦しくさせるのです。
濾過するだけ濾過して何も残らなくても、それが私という存在なら何も残らないほうが幸せなのかもしれない。自分の価値観を疑うことは時にキツイけど、それをやらないといつまでも自分は出て来ないのかな?濾しているだけで人生終わるのは嫌なんだけどね。そうしないと自分がどこにいるのかわからないから不安なのです。来年もきっとフィルター掃除はやる羽目になるでしょう。実際のエアコンの掃除は面倒で後回しなのに⋯

2025.12.29Mon
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あっという間に令和7年も終わりに近づいているね
仕事納めてないけど最終日は、26日。仕事始めとやらは、1月5日から。
娘は26日から2週間ばかりの冬休み。
後半は仕事始まるから児童クラブに通ってもらうことになるけど
児童クラブ好きみたいだから安心して仕事に向かえる。
特にこれといって予定はないお休みを過ごすわけだけど
今年も元気に過ごせた。健康がいちばんだー!


非表示 18:40

今日は久しぶりにイワシの缶詰を食べました。
賞味期限が2026年9月だったので、食べて新しいの買おうかなと思って。
久しぶりに食べると美味しい。あの缶詰でしか出せない味わいが最高


非表示 11:29

「字はその人の心を表す」という言葉は、本来は自分を律するための自省の言葉であったはずですが、現代では他人をジャッジするための武器として悪用されています。

ああ、これ本当にその通りだなと思いました。文字に限らず自省のための言葉が他人を評価するために変わっていってしまったもの、たくさんありそうです。


最大限の丁寧

非表示 06:09

よく、「文字は綺麗に書けなくても丁寧に書けばわかる」なんて言いますし、実際私もあまり字が綺麗に書けるタイプではないので言われたこともあります。
私としては丁寧に書いたつもりの字でも言われていたりしたので、丁寧に書いてわかるとは?という定説には疑問を持っています。
家で文字を書いていたときに、ふとそんなことを思い出しまして。で、最大限に丁寧に書いてみるか!と思い立ってやってみました。
最大限の丁寧にするために、1つのはね、とめ、はらいをじっくりゆっくりと書くんです。使用するのは普通の誰でも使っているボールペン、紙はそれこそ広告や書類の裏紙です。
徒にペンを走らせてはならないのです。1つのとめ、はらいが終わる度に一呼吸置くような。ボールペンだけど筆で書くようなそんなイメージで書くのです。
そこで出来上がった文字を見ると、綺麗とは言えませんが角張った緊張感のある、でも確かに丁寧に書いた文字がそこにありました。
私の場合、ここまでやって初めて丁寧に書いたと認められるのかもしれません。
ただ、現実に日々を過ごしていく中で、このスピード感で文字を書いていたら他のことが滞ること間違いなしだと感じました。
スマホやパソコンなど、文字を実際書く機会は減ったとはいえ、最大限の丁寧さで文字を書いていくことは必ずしも正しくないような気がします。
美文字ではない=字が汚い、雑という概念があり過ぎると思うんです。綺麗な美しい文字を書ける人は素晴らしいけど、読める文字なのに汚い、雑だ!と言い放ち、それを認めないことは個人を尊重しないことと何が違うのだろうと思います。
丁寧に化粧しても、丁寧に勉強しても、必ずしも理想の結果になるわけではない。文字もその1つなのかなと私は昔から感じていますが、文字に関しては努力が足りないということだけが蔓延っているような気がするのです。
昔から読める程度の文字は書いています。特に読んでもらうときは自分なりに意識してます。でも、その程度でいいんじゃないかと思うのです。


非表示 02:21

今年も黒豆を煮るという大仕事に取り掛かる。
家族が黒豆好きなので毎年煮るけど、もう大成功!って年もあればイマイチ、あるいは全然ダメな年もある。
決めたレシピあればいいんだけど、毎年入手出来る豆の量も違うし毎回ネットで拾うのできちんと保存してないんだよね。
色んな意味で一期一会。
何度かやってみて保温調理、前日から調味料の熱湯に浸けて戻す、2日は寝かすが1番いい気がするので調味料の量はともかくとりあえず調味料の湯には漬けた。
重曹切らしてたから明日煮る前に買ってこないと。
やっぱり年末は何だかんだバタバタするなぁ…でも昔は必ず年始に熱出して寝込むほどバタバタしてたけど今はそこまでじゃないからマシになったのか、手抜きを覚えたのか。
まあ、ちゃんとしたおせちは作らないから手抜きかな?

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