最近の小学生はあだ名が禁止のところもあるって聞いたことある。まあ、やり過ぎかな〜?とは思うけど、そういうもんなのかと。
これで思い出したのが、逆にあだ名で呼ばなきゃならないのが辛かったことも。これは高校生の頃の話しだけど、同じグループの子で名字で◯◯さんと呼んでいたけど、あだ名で呼んでくれない!と怒ってた子がいたなと。
確かに他の子のことはあだ名で呼んでいたいたんだけど、私にとって◯◯さんって言うのはあだ名みたいな感じでつかっていて、親しみもあったんだけど、そんな怒られ方をしたことがあるなと。結局、その子とは他のことも合わなくて離れちゃったけど、今の思えばそういう価値観も合わなかったんだなと思う。
呼ばれ方ってあんまり気にしたことないけど、その場所にはその場所に適した呼び方はやっぱりあるのかもしれない。学校や友達の世界ではあだ名のような呼び方もOKだと思うけど、なんだか違和感を覚える場所ってあるんだよなとも。
やっぱり職場とかプライベートな集まり以外は名字にさん付けが落ち着く。子どもを幼稚園に通わせていたときに、何故か下の名前にちゃん付けで呼び合うことになって、キツかったな。そんなに親しみをこめて呼び合ってたのに、もう誰とも連絡を取っていない。
なんか呼び方って関係あるようで関係ないよなと。名字にさん付けでも好きな人は好きだし、あだ名で呼び合っても嫌いなもんは嫌い。だだ変な心情とはして嫌いな人はあだ名で呼びたくないなって思う。なんか嘘ついてるみたいで気持ち悪いし、なんか疲れる。そういうのもあるからあだ名禁止でやっぱりいいのかな?
ブラッドオレンジなるものを切ったら、あまりにも果肉と果汁が赤くて、フルーツを捌いているという感覚になりました。
なんか甘くて美味しかったそうです。(私は食べてない。)
なんか寒いし雨だし自分の体調も万全ではないし…で、冬眠をなかなか終わらさせられない日々続いていますが、ちゃんと寝て食べてるので正解なのかな?と思ってます。
冬眠スタイルに変えて、少しばかりのハートの温かさをもらえなくなったことは寂しくは感じるけど、ちょっと自由になった気がします。あとで登場したときの、その後の展開が未知数ですが。
文句を言うために文句を探してる人ってやっぱりいますもんね。偶然見つけたのではなく、自分から見つけに行ってる。そういうタイプの人に、「自分から見つけに行ってるでしょ?」なんて言ったら(面倒だから言わないけど)いや、偶然だ!なんて言って、この出来事にも色々な装飾をしてどこかで披露されるんだろうなと。
だからもしかして、どこかでこの冬眠記録が文句発掘家に掘り起こされるかもしれない。文句というか、その人たちにとっては正論を主張することは自分の正しさを表すことだから。そういう正しさを表すために使われたくないから冬眠スタイルに変えたってのはあるんですよね。
だったら何も落としていかなければいいんじゃない?ってのも、最もなんですが、まあ、それもそうなんですが、自分の考えが正しい!!!って気持ちよりも、実はこう思ってるけど外では言えないし、目立つことはしたくないけど、少しは吐き出したいみたいな感覚です。そういう感覚を置きたいだけなのに、その感覚を私は正しいの!勢に使われちゃうと、私の感情がもったいないからとは思うのです。
過食嘔吐するようになった人の話で、「吐いたらスッキリして、今までのゴタゴタとか全部なくなったような気がした」ということを仰っしゃられて。あまり過食嘔吐のことについて知らなかったけど、現実のゴタゴタを食べ物を吐くという行為によって今までのゴタゴタをリンクさせて自分を保つ手段だったのかな?という気がしました。
何かを吐きたいようなことってやっぱり人間だから色々あります。だから言葉を吐いて私はスッキリしたいのかもしれない。過食嘔吐の人の苦しみと一緒にしているわけではないんだけど、何かを吐くということは自分をどうにか保っていきたいことへのプロセスなんだなと感じてます。
これからも眠っているけど時々起きたふりをしてるような感覚で生きていけたら。あまり他の場所では見かけないけど、私にとっては共感できる落とし物をこれからも見てはいたいです。
エックス(旧ツイッター)で舞台の観劇マナーが話題になってた。なんか、定期的に話題になる気もするが。
そりゃまあ、はじめて舞台見に来るお客さんたちは知らないこともあるだろうし、親子連れならなおさらだと思う。
だけどなあ。なんかポストでぐだぐたその人たちのことをネットにさらして(まあ、問題提起として上げてるんだと思うが)ねちねちしてんのもなんか、嫌いだなあと思った。
私も、ヘンな客みたこと何度もあるが、あんまり気にならない。「あー、なんかヘンなのいるな」みたいな。大体がそれで終わる。
むしろ、「なんか今日オモロイ奴ら、いたな。まあ、あれだ、珍しい観劇の思い出として土産話として家族に話そう」とラッキー的な考えになる自分は変わり者なのかな?
まあ、むかつくやつのことも面白いヤツとして変換する自分なんだけど、自分が関西人だからなのか、ヘンなやつとかむかつくやつがいてもたとえ腹が立っても笑いに変えていきます。
「関西人だからなのか、」て書き方も今は「主語が大きい」とか言われてめんどくさい時代になったモンだなと思う。
なんかあんまり気にならんし、自分はそもそも他人がどんな観劇の仕方をしようが、とくに気にならない。
「自分と舞台」だけに集中するので他人のことなんか意識してないし、あんまり、気にならない。
そいつらが何してようが、「あー、こいつらは、こんな人間なんだな」ぐらいであんまり、気にならない。
エックスで愚痴ってた人や共感してた人たちは、極度に他人に厳しいとか他人の目が気になる人たちなんかな、と思った。
「あー、なんかヘンなのいたな」それで終わりでいいじゃん、て思うが。あんまり観劇マナー観劇マナー言い過ぎると自分も他人も苦しくなるのではないかと思った。
春になると懲りずに何某かの苗やら種やら買って来てしまう。
狭いベランダながら、何となくガーデニングしてる。
去年夏頃越して来たから、前の家から持って来た鉢を雑に置いてただけで、ちょい休んでた。
何となく見てると、日照は半日程度。またしても半日陰と考えてやらなきゃいけないらしい。
前のとこより日当たりと風通しはマシそうだけどね。
諦めきれずにミニトマト買って来たけど、育つかな〜?
一回ダメにしちゃったブラックベリーのそこそこ大苗も買って来た。
上手く誘引すれば今年から収穫出来そう。ベランダのどこに置くか考えないと。
今度は急に大鉢に植えないようにしないと。
今日は鬱が酷いのか、ずっと横になってる。
横になれる環境があるだけマシだろ、って言われそうだよね。
虚しい。
有休を使って3連休にした。4月に近場だけど旅行に行くことにし、旅館を予約した。最近買った本を持って行って1日中読書をしようかと思っている。
今朝、好きなアーティストの作品が展示されている美術館に行った。なんとなくぼんやりと観てしまう映像作品で、観ていたら自分で絵を描くときのアイデアが浮かんできたので、今度試してみたい。
まあ私、愛情不足で育ってるとは思う。
感情がジェットコースターってのもそうらしいけど、まあそうだろうな、そういう中で育てばそうなるのかなと。
いつも急降下するとメンテナンス代わりに話聞いてくれたりするけど、そういうのもわかってるからなんか虚しいだけですよ。
本当は急降下前が1番大事なんだろうな。そこは普通だから大丈夫と思って欲しくない。そこを1番大事にして欲しい
なんかどこにいっても話を聞いてくれない人はかりだなー
別にそれならそれでいいけどじゃあ話しかけないで欲しいとは思う