なんかどこにいっても話を聞いてくれない人はかりだなー
別にそれならそれでいいけどじゃあ話しかけないで欲しいとは思う
3連休明けの仕事。
苦手なビデオ会議が3連発で朝から激萎え。
こういう日は、どんなに自分を励まそうとしてもダメ。
何を食べても何をしても、緊張はとれない。
終わるまでじっと耐えるしかない。
苦手だったことも、時間をかけて慣らしてきた。
音声会議なら今はだいぶ平気。
ビデオだって時間をかければきっと、と思うのだけど、疲れた。
明日の朝一もあるけどー(涙)
私がクライアントさんと話してるのを見て、私がコミュ障だと思う人って少ないと思う。
高い声でよう喋る女だと思われてるだろう。
声の高さは地声で、よう喋るのは緊張してるからなんだけどね。
疲れるのは、気を使ってるのと、仮面をかぶってるからだ。
素で仕事なんてしないよ。
清志郎の歌だって「子供じゃなけりゃ誰でも二つ以上の顔を持ってる」っていうじゃん。
ほんとそれ。
仮面があるから、クレーム受けても、本来の自分を守れる。
慣れるまで、慣れるまで、と自分を励ましてるところ。
売り出し中の書籍より、本棚にひっそり陳列されてる書籍のほうが自分が欲しい本だったりすることはあります。そんな感じで本棚にひっそり陳列されてるけど、偶然見つけられて良ければ何らかの役に立ってたり共感されたりしてもらえたら嬉しいかな?
でも、なんだこれ?と思ったらそのまま何も言わずに本棚に戻してもらえるだけでいいのです。
その人の事を話題に出せば100%愚痴になるってわかってるくせに、その人の話題を出してくるのはなんなのー?とは思います。
愚痴を聞きたくないタイプみたいです。まあ、愚痴を積極的に聞きたい人なんて稀だとは思いますが。
もちろん私も積極的に愚痴を言う事はしてないですし、最近は特に愚痴のような事は言わないように努力はしてるのです。
ただ、やっぱり私にも嫌いな人はいるし、不満に思うことはあるし、やってられんな!って感情はあります。特に自分自身がネガティブだという自覚もあるので、突付けばネガティブな空気しか出てこない風船みたいだと思ってます。
だから私がその人の事を嫌いだって知っていて且つ、愚痴やネガティブな主張を聞きたくないのであれば、その人の話題を出さないのが賢明なのにと思うのです。
でも、私が絶対にネガティブな事を言う話題を投下してくる。そういう人ってどんな話がしたいんだろう?何を言えば逆に満足するんだろう?
私自身が全体的に否定的な考えだから、相手は愚痴の着火剤を投入してるつもりはなくても、私の問題で全て愚痴に変換してるのかもしれないのか?うーん。でも、やっぱり昔はそういうところもあったかもしれないけど、今はかなり気をつけてるからなー。自らのネガティブ発信はこういうところだけにしてるし、現実世界では、聞かれたことに答えるスタイルにしてるから自分からネガティブ発信はしてないとは思う。でも素がネガティブだからナチュラルにネガティブかもしれないけど。
それだったら私とは話したくないよね?だけど話はしたいのだったらある程度は受け入れてもらわないと。それが私だから。
今より若い頃は言えると思えた人には自分の考えというネガティブな感情をバーッッッと言っていたこともあるかなと。それで私から離れていった人もいるだろう。でも、そういう私を知っていてその先の日々も共に見据えることを決めてくれたんじゃなかったのかなー?という気持ちに辿りついてしまう。ポジティブだったのにネガティブになったわけじゃなくて、最初から私はネガティブなのだ。だから何故なんだろうと思う。
一緒にいたらポジティブになってくれるとでも思ったのかな?そういう考えならそれはあなたの驕りだよーとしか思わないよね。なんなら昔より今の方が表面的にはポジティブだよーって思うけど。
その時のあんな自分を受け入れてもらえたから嬉しかったけど、それは一時的なものだったな。ネガティブな私のどこが良かったんだろう?もう一度書くけど、私はネガティブからスタートしてるから偽ってなかったんだよね。もし、私のネガティブ以外の部分が見えていたのだとしたら、ネガティブを受け入れてもらえた故に出て来た信頼からくる明るさでしかないのです。だから私は暗い。でも、暗い中から時々懐中電灯で光を灯すような明るさだけはあの頃はあったかもしれない。きっとその明るさが良かったのかもしれない。でも、照明がバッチリのところでは懐中電灯の明るさなんて見えないだろうし、暗闇だからこそあり得た明るさだったのに。それに気がついてなかったのかもね。本当は明るい人なのに…って勘違いさせちゃったのかな。それなら勘違いさせたままにさせてあげるから、ずっと周りの照明を絶やさないであなた自身も努力せよ!私は明るかろうが暗かろうが、自分の持っている懐中電灯を照らし続けるのみです。
ちょっとこの人…どうなの?って人でも、ちゃんと会社に勤めてそれなりに昇級して、定年後も嘱託社員になって、ようやく退職…という流れ…
でも、ちょっとどうなの?って人だから勤め上げられたんじゃないかと思う。とりあえず、普通に会社にいさせてあげないと「めんどくさいことになる」一応昇級させてあげないと「めんどくさいことになる」定年後も働かせてあげないと「めんどくさいことになる」
この「めんどくさいことになる」の積み重ねで生きてこれた人なんだなと。
私はもう関わりはない人だったけど、めんどくさいことになる人が一連の流れを勤め上げて退職という話を風の噂で聞いたので。
あー。あの人周りの人の犠牲の上で最後まで勤め上げられたんだなと感じてしまった。
もちろん、しっかり仕事をして周りからも信頼された上で勤め上げる人も多くいるとは思うけど、やっぱり「めんどくさいことになる」から、それを全う出来た人も一部いるよなと思うのです。
私は何も続かないので、こういうタイプの“めんどくさい人”ではないのでしょうが、自分で自分が面倒だなと思うし、パーフェクトな怠惰の持ち主なんでしょう。
ダラダラ文句たれたいけど
たれたところで
ごめんって言われたところで
だから
結果は何も言わない。
これしかない。
つまんな。
飲んでるときって全くスマホみないって普通なの?
世代で違うの?
5時間も飲んでて
行ってきますはなくて、
おわったー
の連絡きて、お家帰れた?って質問には返事なくてさ。
大丈夫?ってしばらくしてから送ったら
1時間後に
もう今日はだめだわ
ん?
ごめん、ねるわ
あー、わかった
ごめんね
で
おわり
保護者会の親睦会って潰れるまで飲むんだね。こわいし引く。
終わったら連絡するから待っててねーって
待ってこれかよ。待つ意味。
明日の昼間会おうってよく言えたね。
会えるわけ無いじゃん
二日酔いで1日寝るパターンでしょ。
もしくは、会うのやめて練習いくんかね。これが一番むかつく。
いちじくが大好物なんですが、もう何年も食べてません。
というのも、私の好きないちじくは、木で完熟して花が開いたみたいになってる実を、アリと戦いながら食べるレベルのいちじくだからです。
お店で売ってるチラとも開いてないいちじくは私にとっては「未熟」で水っぽく、ちっとも美味しくないので食べなくなったのです。
いちじくの完熟期は夏の終わりの9月ごろで、お盆の帰省には食べられないんですよね。
実家に木があるけどその為に帰省って出来ないし。
マンション住まいでいちじくの木を持つのも現実的ではないし。
前置きが長くなったけど、コストコで買ったドライいちじくが、かなり完熟いちじくに近い味がするんです。
なので、時々買って来て、大事に大事に食べてます。
美味しい…今日も食べました。
最近、環境変化で色んなものが取れなくなって来てると聞くので、いちじくは関係ないといいとドキドキしてます。
昔は練乳をエンドレスで食べたかったけど、今はそういうのないな…
「今はそういうのないな…」というのに、何個も気がついていくのがこれからの人生なのかな
どんな場所でも人がいなきゃそれはそれでいいかと思うタイプ。むしろ静かでいいかなと思うことも。
でも、それだと閉店や閉鎖に繋がっちゃうんだよねー
実際に人いないな…ここ。でも居心地が良いなと感じるところは結果的になくなっています。
私が気に入っていたあるホテルのカフェ、いつも空いてたけどケーキが美味しくて。値段もそこまで高くないし気に入っていて利用していたけど、やっぱり最終的には閉店してたな…ホテルの中だから大丈夫かなと思っていたけど、ダメだったかと。ホテルそのものはまだ健在なんだけどね。
人がいなくて賑わいはないけど、そういうところを求めている人は確実にいます。だけど賑わいがないと消えてゆく運命なのが悲しいところです。
自分の中の静かな場所リストはどうか残っていって欲しいなと思っています。そして、そういう場所は静かに使いたい。自分の世界を突かれず、それぞれが自分だけを堪能する世界があるならば、それが続いていけばいいですね。