2025.08.22Fri
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無口で口下手で、人に伝わるように言語化するのにとても苦労している。こうなった理由は分かっている。子どもの頃から自分の気持ちや考えをなるべく話さないようにしていたから。私の親は日常的に私のことをからかったりバカにして笑ったり、揚げ足を取って説教してくる人たちだった。真剣に考えたことや本気で好きなものを貶められて傷つくのが辛かったので、小学校低学年の頃にはもう親にはどうでもいい雑談か必要最低限の連絡事項しか話さなくなっていた。きょうだいもいたが何故か私が家族内のヒエラルキーの最底辺にされていてきょうだいからもバカにされたり搾取されたりしたので、彼らも心を許せる相手ではなかった。中学、高校と進学するにつれ家庭内の環境が悪化していったが、そのことでどれだけしんどくても人に話せなかった。友達に話すには重すぎる。それ以外に打ち明けられそうな人も思いつかなかったし、まだSNSも匿名のものはなかった。大学進学を機に実家を離れることができたが、その頃にはもうコミュ力が壊滅的になっていた。というか脳がうまく機能しなくて言葉が出てこないという感じ。思考や感情は正常なのに脳内で適切な表現と結びつけることができない。例えるなら話せないのに常に英語での会話を余儀なくされている感じ。学科の友人たちと話すときも「マジか」「ウケる」「ヤバい」くらいの相槌を打つのがやっとでさぞかしつまらないやつだと思われていただろう。それでも毎日発生する他人とのやり取りを毎晩寝る前に思い出しては「あの時こう言えばよかった」と脳内でシミュレーションしたり、もっと適切な表現があったはずだけどなんだっけ、とひたすら反芻しているうちに徐々に言葉が自然に出るようになってきて、普通の会話ができるようになってきた。後から思い返すとなんだか病的な状態だったなと思い調べてみたところ、適応障害に当てはまりそうな気がする。しかし当時はただただ自分がコミュ障で根暗でつまらなくて頭が悪いせいだと思っていたし、誰かに助けを求めるという発想もなく(あったとしてもそれを伝えられないし)、どうしようもなかった。今は匿名で吐き出せる場所がネット上にたくさんあってよかった。社会人になってからどうしても辛くて誰かに愚痴を聞いてほしくて、でもリアルの人間関係に暗い話題を聞いてもらうのは忍びなくて、必シでネットで検索していてぐちったーを発見した。辛くなればなるほど頭の中がごちゃごちゃになって余計に吐き出せなくなるので、そうなる前に小出しに吐き出すことができて助かっている。この文章も苦労してゆっくりゆっくり打ち出してやっと紡いでいる。今も無口でつまらない人間であることに変わりないが言語化能力を失わないために一生懸命書いている。私のつまらない文章を読んでくれてありがとう。


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良い人、優等生、性格が良い。
こんなふうに「思われたい」人って、どうも苦手なんですよね。
誰しも、周りに良く見られたいって感情はあるとは思うけど、それが過剰に出過ぎている人は離れたいなって感じます。
苦手だなーこのタイプ。だけど、優等生タイプだがら苦手だと言ったり、苦手だと思っていることがバレると私がおかしい人扱いされちゃうから、グッとこちらが堪えなきゃならないところが呼吸困難になったような感覚で疲れてしまうんですよね。
いい事を言っているのに、何がこんなに苦しくさせて苛立たせるんでしょうね。完璧過ぎて自分が菌になってしまったような。そして、運が悪いと周りも善玉菌と悪玉菌みたいに勝手に分類してきて、私のことを悪玉菌扱いしてくるような⋯そんな感じでしょうか。
会ったことのない、著名な方でも善玉菌になりたいオーラを感じる方が私の中では何人かいます。その善玉菌の方が善玉菌を炸裂している何かが流出してましたね。そして、無理に善良な文章で逃げ切ろうとしているのも見てしまいました。
これ、私の元友人の善玉菌さんと似てるなーなんて感じましたね。ほっこりしてるけど、よく考えたら意味不明で言い訳じみている。そんなところが似ていて、私、こういう人苦手だなーやっぱりと感じました。著名な善玉菌の方は会ったことないのに、私の苦手だなーという感覚は間違ってなさそうで、自分の悪玉菌に見える善玉菌を信じて生きていきたいなと思います。

2025.08.21Thu
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ジョークやユーモアのセンスが合うかどうかって、人間関係の相性を測る大切なバロメーターですよね。
​「こんな冗談、なんで通じないんだ?」と感じることもあれば、「このジョークはちょっと笑えないな…」と思うこともあって、本当に難しいものです。もちろん、言っていい冗談か悪い冗談かという内容はさておき、ユーモアのツボが合うということは、根本的な考え方が似ていることにもつながると思います。
​相手は冗談のつもりでも、言われた側は嫌な気持ちになることってありますよね。その上、嫌な気持ちを伝えても「ネタなんだから大目に見てくれ」と言われると、さらに不快な思いをします。
​今になって「ああ、相性が悪かったんだな」と気づきます。
話はするけれど、どこかで「また『ネタじゃん?』って言われるんだろうな」と思うと、少し面倒くさい気持ちになるけれど、同時に「はいはい、また始まった」と諦めにも似た心境になるのです。


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ダチョウといえば、ダチョウの卵料理を食べてみたいなとは思っていますが、普通のタマゴ12個分だよと聞いて、急いで食べなくてもいいかと。でも、いつか食べて「味は普通のタマゴだよ?」なんて言ってみたいですね。


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たまたま動画でダチョウは体のわりには脳が小さいから知能が低いとみた。知能が低いから周りのダチョウが走り出したらよくわからないけど自分も走り出すらしい。
これを聞いて、大した嫌いでもないし何もされていないのに、誰かが悪口を言ってる、みんなが嫌ってるというだけで、とりあえず悪口言っておいて自分も嫌っておこうという空気感があったあの場所を思い出した。あの人たちダチョウ系の脳だったんだ。たぶん、なんで悪口言ってるのかわからないで言ってるんだろうなと。
ある人が悪口を言っていて、4分の3くらいの人が同調しない雰囲気を出していたら「ごめんなさい、あの時は言い過ぎました」となぜか言ってきたあの人。そして、悪口に同調していた人たちが「私も言い過ぎました〜」と立て続けにLINEがきたことがある。
ああ、みんな同調してくると思ったのに同調してくれないからびっくりしてダチョウの逃げ足並みに早く謝ってきた。そして、とりあえず何でかわからないけど謝っている人がいるから謝っておこうというダチョウ思考の連鎖だったんだろうな。
みんな誰しもダチョウ脳のところはあると思うけど、踏んでも割れないダチョウのタマゴのような意志の固さは必要ですね。


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あの頃のオマージュだったりパロディだったりをわかる年齢になってしまったのはそれなりに長く生きてきた証拠なのでしょうがないですが、それを周りと共感し合ったり、当時話題にし合って楽しんでいた友達とかいないんだよなーと思ったりしました。
その気持ちだけがたまに心に小さな針を開けられたような痛みに感じることもあるけど、その小さな穴から換気するような気分にもなるし、悪いことばかりでは別にないんですよね。
懐かしいと自分で感じて自分で終わるってだけでも、それはそれて楽しい。あの頃にいた人がいないだけ。

2025.08.20Wed
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ひとりになったら、きっと苦しくてさみしくて、つらいかもしれない。

でも、今、あの人と会えないし、この人は冷たいし、私は生きた心地がしない。

もうずっと眠っていたい。


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すごくぼーっとしていたみたいで、青信号だと思って赤信号を渡っていたみたい。

ごめんなさい、車運転してた人。
クラクション鳴らしてくれてありがとう。

ほんとにごめん。


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アニメ見てて、異世界転生系でステータスの振り方について言ってる場面があった。
自分なら何に振るかなー?と考えて、「運」「器用」辺りに振りそうな気がした。
家族は更に「素早さ」に振るって言ってて…
シーフじゃん!
私もだけどみんなシーフ(更には忍者)系のジョブが好きで、パーティに必ず入れてしまうんだよね。


非表示 06:48

自分があまりしたくないことを頑張った後に嫌なことが起こると、因果関係はなくとも、もうそれはしたくない!ってなりますね。
片付けとかもそうですね。ちょっと前に頑張って片付けて、ひと息ついてると、家族と揉めたことがあって。
片付けが原因じゃないんですけど、こんなに頑張った後に理不尽だなーなんて思いがこびりついてしまっているので、しばらく大掛かりな片付けは出来そうもないですね。
それも一般的には言い訳なのかもしれませんが、私にとっては立派な理由なんですよね。
私にとっては⋯ということをこれからも大事にしていきたいです。

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